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三章 狂う五輪の歯車

第2話 先見

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「さて、実験を始めようか」

 そう言って桃弥、ある黒い長ケースを取り出す。

「月那、引き付け役頼む」

「任せてください!」

 牛頭から奪い取った大鉈を手に、月那は巨大な犀へ立ち向かう。

『ブオオオオオオオオン!』

 月那へ向かって突進する犀。しかし、月那はそれを難なく避けてしまう。

「動きが大きい分、よく見えますね」

 ーー先見

 月那が桃弥に隠していた能力。嵐鬼戦後にはこの能力を含め、すべて桃弥に打ち明けているが。

 その能力は文字通り、先の未来を見ることができるものだ。

 数秒先の未来を見ることのできるその能力は、一対一において無類の強さを発揮する。

 それに加えて、月那が持つもう一つの能力ーー視野強化も加わると、その凶悪さは一気に跳ね上がる。

 先見は性質上、目で見えない者の未来を捉えることはできない。そのため、死角を取られると一気に効力を失う。

 しかし、視野強化によって月那の知覚範囲は異常なまでに強化されている。

 五感強化系において、桃弥の聴力強化だけが強力はなずもなく、視野強化もまたそれに匹敵するほどの力を持っていた。

 ーー先見   1990
 ーー視野強化 2130
 ーー腕力強化 2510
 ーー体力強化 1010
 ーー■■■■

 視野強化2130。これにが今の月那のステータスである。

 死角などない存在せず、周囲一帯360度すべてを視野に捉えている。

 この能力はあの日、世界が崩壊した日に、月那が偶然入手したものである。

 ◆

 水篠月那が幼いころ、両親は袂を分かった。

 理由は父の仕事である。危険の伴う現場での仕事で、大きな怪我をしてしまい、復帰が困難とのこと。

 体を使わない職場に再就職することもできたが、父はそうしなかった。
 
 怪我のことを引きずり、家に引きこもり気味となってしまった。母はそんな父に嫌気をさし、出て行ってしまった。

 そして、裁判では親権の押し付け合いであったそう。

 結果、なぜ仕事がなく就労能力も低い父に親権が渡ったかはわからないが。

 もしかしたら、母が弁護士だったことが関係しているのかもしれない、などと月那は考えていた。

 それからだった。暴力と虐待の日々が。

 月那から母の面影を強く感じた父は、酒に酔うとすぐに暴力を振るってくる。
 
 ーー全部お前のせいだ!

 ーーよくも顔を見せれたもんだな! 出ていけ!

 ーー俺を捨てやがって! 絶対後悔させてやる

 誰相手に言っているのかも分からない愚痴や、それ以上の罵詈雑言。

 一方母の方は離婚後、弁護士として大成した。

 テレビや新聞に取り立てられるほどになり、それに比例して自身の惨めさはより際立った。

 後に母が再婚し、そしてその相手がどこかの裁判官であるとのことを月那は知る。

 弁護士としての激務に追われているはずなのに、画面越しで見た母はキラキラしていて、美しかった。

 薄暗い部屋の中で父の挙動に怯える自分とは大違いだ。

 血は繋がっていても、所詮は他人なのだと思い知らされた。

 ーーまるで主人公みたいな人

 世界のすべてが彼女中心に回っているようにすら感じた。

 そして自分と父はきっと、そんな世界の一幕に出てくる悪役であり、汚点でしかないだろう。

 そんな風に自分を卑下することで、月那は身を守ってきたのだ。

 中学の頃。家庭的な問題もあり学校ではうまくやっていけず、月那のメンタルは完全に病みきっていた。

 そんなある日の帰り道。季節は秋。肌寒い夜風が道路をかける。

 ーーあぁ、足が痛い

 ーー帰りたくないなぁ

 ーーでも宿題しなくっちゃ

 ーーはぁ、私、何のために生きてるんだろ

 そんなことを考えて、ぼんやりと道を歩いていた。だから、目の前の人に気づかずぶつかってしまった。

 ぶつかった衝撃で少しふらつき、肩から鞄が滑り落ちる。

 パタ。

「っあ、すまん」

 ぶつかってしまった男も何か考え事をしていたのか、月那に気づいていないようだった。

 男は落ちてしまった月那の鞄を拾い上げ、差し出す。

 しかし、月那の反応は鈍かった。俯いたまま、ゆっくりと差し出された鞄を手に取る。

 そんな月那を見た男は、わずかに驚く気配を見せる

 そして、こう言った。

『死ぬのはいつでもできるが、生きるのは今しかできないぞ』

「……え?」

 その言葉は、月那には衝撃だった。

 ーーえ? 今この人、なんて言ったの?

 ーー死ぬのはいつでも、って?

 ーーなんで? え?

 ーー私今、死にたいって思った?

 ーーえ?

 月那がボーっとしている間に、男はすれ違うように先へ進んでいく。

「……どうして、わかったの?」

 確かに、月那は死にたいと思ってたかもしれない。でもそれは、自分でも無自覚なものだった。

 それなのに、なぜ初対面の他人が気づいたのだろう。

 気になってしまい、思わずそう尋ねる。男は一瞬だけ立ち止まり、振り返って言う。

『自分を信頼しきった人間の顔をしてたからな』

 正直、意味が分からなかった。でも、何となく言いたいことは伝わった。

 自分はきっと、全てを諦めたような表情をしていたのだろう、と。

「生きるのは、今しかできない」

 その言葉を反芻するように何度も繰り返し口に出す。今しかできない言われると、確かに勿体ないような気がしてくる。

 ならば、今しかできないことをやろうと。

 ーー今しかできない

 偶然貰ったこの魔法の言葉と少しばかりの勇気を手に、月那は帰路に着く。

 家に帰ると、いつも通り酔っ払った父が姿を現す。

『遅い! どこをほっつき歩いてた!? まさか、男と会ってたんじゃないだろうな!』

 月那と妻の区別もつかない酔っ払いが姿を現す。酒瓶を持つ反対の手を振るいあげる。

 ここまではいつも通り。

 しかし、今日の月那はいつも通りではなかった。

 わずかばかりの勇気をもらった月那は、鞄を前に突き出す。玄関に飾られた花瓶に鞄はぶつかり、落下。

 パリン!!

「いやあ、近寄らないで!」

 それが月那にできる精いっぱいの抵抗だった。しかし、その抵抗は効果覿面だったといえる。
 
 父は目を大きく見開き、振るいあげた手を止める。数秒後、何もなかったかのように酒を煽り、部屋へ戻っていった。

 普段大人しい人ほど、怒ったときの衝撃は大きいのかもしれない。

 それ以降、月那への暴力はめっきり止んだ。二人の関係が修復されることはなかったが、互いに干渉することはなくなったのだ。

 月那が高校に上がるとメンタルも回復し、バイトを始め、友達もできた。

 中学3年間と打って変わって、高校3年間は充実したものだった。あの日のちょっとした出会いが、月那を大きく変えたのだ。

 そんな充実した高校生活。しかし、その最後の二学期で異変は起こった。

 時は早朝。月那が目覚めるよりも少し早い時間帯に、家の中で物音がした。

 パリン!

 ガラスの割れる音に、月那は目を覚ます。

(なんだろう?)

 時折父が酒瓶を落すことはあったが、それでもこのような音はしないはずだ。

 音の正体を確認すべく、月那は恐る恐るリビングへと向かう。

「……え?」

 しかし、扉を開けた先には予想だにしていない光景が広がっていた。

 割れた窓ガラス。倒れる父と、一匹の兎。

 しかしその兎には、頭上に一本の角が生えていた。そしてその角が父の心臓部を貫いていた。

「え、パパ?」

 思わずそう呟く月那。しかし、そのわずかな声に一角兎は反応する。

 ヒュン!

 凄まじい速度で、月那に向かって突進する。

「っあ、やば」

 反射的に扉を閉める月那。

 ドン!

 すさまじい威力で突進してきた兎の角は、扉を貫通する。しかし、その攻撃は月那に届くことはなかった。

 貫通したのは角の部分だけであり、体は扉に阻まれたまま。

 そして、その突進の衝撃で周囲の家具が揺れーー

 ーードカン!

 リビングの隅に置かれていた観葉植物倒れ、兎に直撃。

 扉に突き刺さった角はぽっきり折れ、兎は観葉植物の下敷きになる。

「はぁ、はぁ、はぁ……え? なに? どういうこと?」

 突然のことに、月那は混乱しどうすればいいわからず床にへたり込む。

 そんな月那を他所に事態はどんどん先へ進む。

 数秒が経過すると折れた角は砂へと変化する。そして、その中心から濁った青い珠が転がり出る。

「え、なにこれ?」

 何も考えずそれに手を伸ばすと、月那の意識は心象世界へと吹き飛ばされたのだった。

 ◆

『ブオオオオオオオオン!!』

 一向に攻撃が当たらず、犀の怒りは募るばかり。

 しかし、そんな犀の猛攻の中でも、月那は考える余裕を持っていた。

(今ならわかる。あの時の人はきっと、桃弥さんだ)

 ーー自分を信頼しきった顔をしていたからな

 それを言い換えればーー自分に殺されてもいい顔だったのだろう。

(そんな拗らせた信頼観は、桃弥さんしかありえないだろうし)

 戦いの最中であるにもかかわらず、月那の口角は緩む。

 一度ならず二度までも命を救われた。今思えば、奇跡のような出会いだったのだろう。

 今までの不幸は、全てあの出会いのためのにあったようにすら思える。

 今の自分には力がある。そして、自分の傍には桃弥がいる。

「負ける気が、しません!」

 並みの民家以上の巨体を持つ化け物相手でも、まるで負ける未来が見えない。
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