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第1章
6
しおりを挟むベッドにいるだけでは体調不良だと思われないかもしれないので、コホコホと軽く咳をしてみる。
そんな演技をしていると控えめにドアがノックされ、ルナの言ったように本当にレイシスが姿を現した。
「体調はいかがですか」
「レイシス様……」
「体調不良で休んでいるとあなたのクラスメイトが話していたので、よく効く薬草を持ってきました」
「あ、ありがとうございます」
レイシス・ブラウン。
代々宰相として王家に仕える家系であるブラウン侯爵家の長男であり、イヴァン王子の幼馴染、そしてノエルの婚約者だ。
吸い込まれそうなほど深い漆黒の髪の毛に、ノエルの銀髪のような輝く銀色の瞳を持っていて、ノエルよりもいくらか背が高く、程よく筋肉がついている男らしいアルファである。
婚約者だと言ってもノエルはレイシスより年齢は一歳年上だが彼より身分が低いのに、レイシスは昔からずっとノエルに対して敬語を使う。別に敬語が悪いとは言わないが、レイシスから一線を引かれ、こっち側に来るなと言われているような気持ちを抱いていた。
そんなノエルの気持ちなんてつゆ知らず。ベッドに横になっているノエルに近づいたレイシスは、銀色の髪の毛をかき分けてそっと額に手を添える。そんな彼の行動に驚いて、大袈裟にびくっと体が震えた。
「……熱はないようですね」
「あ、は、はい。おかげさまで……」
「ヒートにしては時期が違うと思ったので、風邪でしょうね」
「………えっ?」
「はい?」
「いや、えっと…俺のヒートの時期をご存知なんだなと思って……」
オメガ特有の発情期というのは、定期的にやってくる。
普段は抑制剤を飲んでいるからなんとかなっているが、ヒートだけはどうにもならない。この時期はどうやってもオメガのフェロモンが出てアルファを誘ってしまうので、一週間程度は部屋に引きこもっていないといけないのだ。
そのため、ノエルに仕えている侍女や侍従はフェロモンがほとんど効かないベータ性の者しか側に仕えていない。万が一ヒート中のオメガのフェロモンに誘われて婚前交渉をしたり、うなじを噛んで番の契約をさせられたら一生無駄にすることになるからである。
そしてゆくゆくはノエルがイヴァンの侍従になることが決定しているのは、オメガ同士だからだ。今は彼にもベータの侍従がついているが、オメガ同士のほうが本当の意味で『間違いがない』ので、ノエルの将来は生まれた時から決まっていた。
その定期的にやってくるヒートについてだが、アルファの熱を求めるオメガのさがだと言われている。ヒート中にアルファと性交渉をすると熱が落ち着くと言われているが、決まりでそんなことはできないので、その期間中にレイシスと会ったことはない。
もちろん結婚してからのレイシスとはヒート期間中に何度かそういう行為をしたが、17歳のレイシスとは一切触れ合ったことがなかった。
だから彼がノエルのヒート周期を知っているのは意外だったのだ。
「婚約者のヒート周期くらい把握しています。一応ヴァレンタイン家の者からいつも報せをもらってますからね」
「そ、そうだったんですか……」
「……気持ち悪いとお思いですか?」
「え?」
「見舞いにも来ないくせに知ってるなんて、っていう顔をされてますね」
「そそそそんなことないですけど……!」
――正直、図星だった。
ノエルのことになんて興味はないと思っていたので、レイシスがノエルのヒート周期を把握しているのは純粋に驚いた。
しかも、ヴァレンタイン家からわざわざ報せているほどなんて、ノエルは一度も聞いたことがなかったのだ。きっとそれの始まりは、父が無理やり近況の文でも送ったのだろうと思う。ノエルに言えばやめさせられただろうに言わなかったのは、彼の良心からだろう。
「それは、えっと、興味のないことをいつも報せてしまってすみません」
「興味がないかどうかは僕が判断することですから。一応婚約者ですので、そういうことの把握も必要かと」
「なるほど……」
『一応』婚約者、か。
そんな婚約者のためにわざわざ学園の休憩時間に薬草を持ってきてくれるなんて、優しい宰相様だ。いや、今はまだ宰相ではないけれど。
この不思議な過去に戻る前にはこんなことなかったように思う。今のノエルが過去のノエルと違う行動をしているから当然なのかもしれないが、それにしてもレイシスの行動が不思議だった。
「とにかく、僕が持ってきた薬草を煎じてもらうので、それを飲んで寝てください。風邪なら早く治さないと、勉学に遅れが出ますから」
「はい、すみません……」
「僕に謝られても。体調を管理くらいご自身でしっかりなさってください、ノエル」
なんだか、久しぶりに名前を呼ばれた気がする。
過去に戻る前は夫夫だったけれどお互いの名前を呼んだのは遠い記憶のようで、少しだけきゅうっと胸が締め付けられた。
別に、レイシスのことが嫌いだったわけではない。
ただ、彼のことが可哀想で、ずっと同情していた。
どうにかして別れてあげないといけないなと、長年思っていたのだ。だから彼と距離を取っていたし、関わるのをやめていた。
「今度からは気をつけます……レイシス様からいただいた薬草を煎じてゆっくり寝たら、明日からはまた学園に行きますので」
「そうしてください。では、僕はこれで……っと」
用件が済んだらさっさと帰ってくれ。
そう思っていた罰が下ったのか、彼が何かに躓いてそれを拾い上げる。レイシスが手に持っている本を見て、ノエルは顔からスーッと血の気が引いた。
「……これ、最近流行ってる絵本ですか?あなたが買ったんです?」
「えっ!いや、えっと、俺のものではなくて借り物なんですけど……」
「借り物?こんな破廉恥な本を借りたんですか?」
「な、中身がどんなものか知らずに借りてしまったので!全部は読んでません……って、この本がどんな内容なのか知っているんですか?」
「………風の噂で聞いただけです。あなたにはまだ早いかと」
「いや、いやいやいや!俺が早いならレイシス様はもっと早いですよ!」
そう言うと、レイシスにギロリと睨まれる。
まずいと思った時にはもう遅くて、彼の眉間に深く皺が刻まれた。
「確かに僕はあなたより一歳年下ですけど、もうすぐ成人です。こんな絵本の一つや二つ、見たって何とも思いません」
「そ、そういう問題ではないんですけど……!レイシス様にそんな絵本を読ませたってアルバート様にバレたら俺が怒られてしまいますから!」
「……そんなことであなたを叱るなら、僕のことを直接叱りますよ。僕の父なんですから」
「で、ですね、すみません……」
どうしよう、気まずい。
何を言ったらいいのか分からず、口を開くと墓穴しか掘らない気がする。色んな人が聞いて呆れるかもしれないが、婚約者だと言っても彼のことをよく知らないのだ。
「とりあえず、これは没収です。あなたは体調が悪いんでしょう?回復に専念してください」
「没収!?だ、だめだめ、困ります!それは借り物なんですよ!」
「あなたの体調が回復したらお返ししますので、その時は僕のところに来てください」
「な、なんですかそれ……!」
今までそんなことを言ったり、ノエルのものを没収するなんてしたことがなかったのに、どういう風の吹き回しだ。
しかも学園に復帰したらレイシスの所に行かないと返してもらえないなんて!
「これを返して欲しいなら体調が万全になり次第、僕のところに来てください。それまで僕が持ってますから。……あ、ステラに言って取り返さないようにしてくださいね。保護魔法をかけて保管しておきます」
「なっ、そ、そこまでしなくても!」
「妖精を使う卑怯な手はなしです。あなた自身が僕のところに来ない限り返しませんから。その時、この本を借りた本当の理由を教えてください」
そう言って、レイシスは薬草と引き換えに『エーデ』を持ってヴァレンタイン家から去っていった。
『ノエル!戻ったわよ……って、どうしたの?』
「え?」
『お顔が怖いわよ。レイが来てたみたいだけどまた喧嘩?』
「そんな、喧嘩とかしたことないよ……」
喧嘩をしたこともなければ、仲直りをしたこともない。意地悪をしたこともないし、されたこともない。
それなのに今回、なぜか戻った過去で前はなかった変なことが起きている。レイシスがあんなに強引で意地悪なことをしてきたのは生まれて初めてで、ノエルも混乱した。
「本当に意味分かんない……」
自分が死んで過去に戻ったこともまだきちんと理解できていないのに、婚約者の不可解な行動も理解できず、ノエルは頭痛を感じてベッドの中に引きこもった。
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