36 / 81
第6章
5
しおりを挟むレイシスからキスをされ、抱きしめられている彼の腕の中は心地よくて、骨抜きにされてしまった猫のようにノエルは彼に身を預ける。さらりと髪の毛を撫でられ、レイシスの指先がチョーカーに触れたところで、ノエルはハッとした。別にキス自体は初めてではないけれど、結婚する前のレイシスとこんなことをしてしまったのは初めてなのだ。
『婚前交渉厳禁』
という言葉が、ノエルの頭の中で父のヴィンセントと兄のベネディクト、それに加えて二人目の兄のような存在であるジルベールが怖い顔をしながらそう言っている姿で再生された。
「だだだだめですっ!キスとか、だ、抱き合うのは厳禁ですってば!!」
「………だから、抱きしめるのやキスくらい、婚前交渉のうちに入りません。婚前交渉というのは性行為です。あなたもエーデを読んでいたので、性行為がなにか知っていますよね?」
「ちょ、ちょっと!ここでそんな話しないでください!」
「防音魔法をかけてますってば……」
我に返ったノエルが真っ赤になりながらレイシスから離れ、まるで猫のような俊敏な動きでソファの端っこに逃げて距離をとった。そんなノエルを見てレイシスは頭をガシガシ掻き回し、はぁ、と今度は重いため息をつく。
「チッ……あなたは意外と、頑固ですね」
「なっ、い、いま、舌打ちしました!?レイシス様は舌打ちなんかしません!そんな悪い態度はダメです!!」
「はぁ、僕だって人間です。神様や聖人じゃあるまいし、舌打ちくらいしますよ。あなたの前では猫被ってたから見せてないだけで」
「……猫被ってたのは違くないですか?レイシス様を可愛いと思ったことないですもん。舌打ちよりも悪い態度のほうが多かったですから。今までのレイシス様の態度や行いにこっちは傷ついてるんですよ?ちょっと可愛く言うのやめてください」
「………あなたは頑固だし、そういうふうにちゃんと意見を言える人なんですね。そちらのほうがとても好みです」
「えぇ、やっぱりレイシス様の偽物ですか……?こんなに素直なレイシス様、偽物の可能性が高い…ていうか俺の夢オチ……?」
「違います。あぁ、もう……今すぐあのお茶会の日からやり直したいくらい、ものすごく反省しています……」
あの、レイシス・ブラウンが。
鉄仮面で血も涙もない、あのレイシス・ブラウンと。
まさかこんな言い合いをする日がくるなんて思ってもいなかった。
レイシスを11歳の頃から見てきたノエルからすると、彼を初めて『人間』だと思えた瞬間だった。ただの17歳のレイシス・ブラウンの顔を見られて、ノエルの二回目の人生では確実な変化が訪れているのが分かって内心ホッとした。
「そういえば、レイシス様が俺を"運命の真実"の作者だって断定したのはあの理由だけですか?」
「もちろん、書きかけの原稿だけでは断定できませんでした。あなたが誰かに脅されて書いている可能性もあるし、ゴーストライターの可能性だって色々考えて……でも原稿を見た時に50%くらいは疑ってました」
「それが確信に変わったのはいつなんですか?本を読んでから?」
「ええっと……実は僕に暗示魔法は効かないんですよ」
「………は!?」
レイシスに暗示魔法が効かないのは初耳だった。
ステラにかけてもらう魔法はいつも出版社に原稿を持ち込む時にかけてもらっていたのだが、周りからはノエルが別の人物に見えるという特殊な魔法だ。ただ、一定時間しか持たないので注意が必要なのだけれど。
――だとしたらあの日、原稿を提出したあとに茶葉を買いに行った店でばったりレイシスと会った時のことをノエルは思い出す。あの時の彼がしっかりとノエルを認識していたのは、魔法が切れていたわけではなく本当に効いていなかったからなのだろう。
「な、な、な……っ!」
「いや、すみません。正確に言うと、あなたに対しての暗示魔法は効かないんです、多分」
「なんでそんなピンポイントなんですかっ!」
「僕たちが運命の番だからなんですかね?よく分からないですが……。茶葉の店でばったり会った日、その少し前にあなたが出版社から出てくるのを見たんです。だからそれで確信に変わって、本を読んでやはりなと思いました」
「……そんなの、俺が一人、めちゃくちゃ恥ずかしい人じゃないですかぁ!」
あの、倒れた日からレイシスには全て知られていたのだ。
それなのにノエルは何も知らずのほほんと二人の妄想小説を書いて出版し、自分とレイシスのエピソードを堂々と書いて更にバレバレだったということ。
「(穴があったら入りたい……っ!)」
あまりにも恥ずかしすぎて、ノエルは手近にあったクッションを頭から被ってレイシスから身を隠した。
「ノエル、そんなに恥ずかしがらないでください」
「そんなのむりですぅ……だってこんなの、おれ、死刑になってもいいくらいの侮辱行為じゃないですかぁ……」
「殿下はノエルが作者だとは気づいてませんよ。僕が話さなければいいだけです」
「……レイシス様は殿下に言いそうですもん」
「言いません。約束しますから」
恥ずかしがって顔を隠して縮こまっているノエルを優しく撫でるレイシスの声色は、初めて聞くほど優しかった。チラリとクッションの隙間から覗き見ると、目が合ったレイシスがふっと小さく笑って、そんな顔にドキドキして再びクッションで顔を隠した。
「あなたは、文章を書く才能がありますね」
「えぇ……?」
「題材は一旦置いといて……小説としてとても読み応えがあって、面白かったです。僕も思わず、主人公の二人を応援してしまいましたよ」
「……ステラの魅了魔法がかかってるから、みんなそう思うような細工がしてあるんです」
「そうですか。でも、それを差し引いてもあなたには才能があると思います」
きっと今までのレイシスなら作者がノエルだと分かった途端、本を破り捨てて『こんな俗な物を書くなんて、あなたにはオメガとしての自覚がないんですか』くらい言われていただろう。
今のレイシスは『ノエルには才能がある』なんてフォローをしてくれるくらい、本当に別人のような変わりようだ。
レイシスに小説の作者だとバレてしまったのは痛手だしとても恥ずかしいけれど、彼から『才能がある』なんて言われると嬉しくなってしまったのもまた事実。そんなこと、気恥ずかしくて面と向かっては言わないけれど。
「ノエル。あなたの時間が許すなら、もう少し話したいことがあるんです」
「ま、まだなにか……」
「はい。僕の話を」
レイシスが話がしたいと言うのでそっとクッションから顔を出すと、なんだかレイシスは複雑そうな笑みを浮かべていた。
1,734
あなたにおすすめの小説
愛された側妃と、愛されなかった正妃
編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。
夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。
連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。
正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。
※カクヨムさんにも掲載中
※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります
※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。
婚約破棄された令嬢が記憶を消され、それを望んだ王子は後悔することになりました
kieiku
恋愛
「では、記憶消去の魔法を執行します」
王子に婚約破棄された公爵令嬢は、王子妃教育の知識を消し去るため、10歳以降の記憶を奪われることになった。そして記憶を失い、退行した令嬢の言葉が王子を後悔に突き落とす。
夫が妹を第二夫人に迎えたので、英雄の妻の座を捨てます。
Nao*
恋愛
夫が英雄の称号を授かり、私は英雄の妻となった。
そして英雄は、何でも一つ願いを叶える事が出来る。
そんな夫が願ったのは、私の妹を第二夫人に迎えると言う信じられないものだった。
これまで夫の為に祈りを捧げて来たと言うのに、私は彼に手酷く裏切られたのだ──。
(1万字以上と少し長いので、短編集とは別にしてあります。)
【完結】愛されたかった僕の人生
Kanade
BL
✯オメガバース
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
お見合いから一年半の交際を経て、結婚(番婚)をして3年。
今日も《夫》は帰らない。
《夫》には僕以外の『番』がいる。
ねぇ、どうしてなの?
一目惚れだって言ったじゃない。
愛してるって言ってくれたじゃないか。
ねぇ、僕はもう要らないの…?
独りで過ごす『発情期』は辛いよ…。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
✻改稿版を他サイトにて投稿公開中です。
愛される日は来ないので
豆狸
恋愛
だけど体調を崩して寝込んだ途端、女主人の部屋から物置部屋へ移され、満足に食事ももらえずに死んでいったとき、私は悟ったのです。
──なにをどんなに頑張ろうと、私がラミレス様に愛される日は来ないのだと。
夫が運命の番と出会いました
重田いの
恋愛
幼馴染のいいなづけとして育ってきた銀狼族の族長エーリヒと、妻ローゼマリー。
だがエーリヒに運命の番が現れたことにより、二人は離別する。
しかし二年後、修道院に暮らすローゼマリーの元へエーリヒが現れ――!?
嫌われ魔術師の俺は元夫への恋心を消去する
SKYTRICK
BL
旧題:恋愛感情抹消魔法で元夫への恋を消去する
☆11/28完結しました。
☆第11回BL小説大賞奨励賞受賞しました。ありがとうございます!
冷酷大元帥×元娼夫の忘れられた夫
——「また俺を好きになるって言ったのに、嘘つき」
元娼夫で現魔術師であるエディことサラは五年ぶりに祖国・ファルンに帰国した。しかし暫しの帰郷を味わう間も無く、直後、ファルン王国軍の大元帥であるロイ・オークランスの使者が元帥命令を掲げてサラの元へやってくる。
ロイ・オークランスの名を知らぬ者は世界でもそうそういない。魔族の血を引くロイは人間から畏怖を大いに集めながらも、大将として国防戦争に打ち勝ち、たった二十九歳で大元帥として全軍のトップに立っている。
その元帥命令の内容というのは、五年前に最愛の妻を亡くしたロイを、魔族への本能的な恐怖を感じないサラが慰めろというものだった。
ロイは妻であるリネ・オークランスを亡くし、悲しみに苛まれている。あまりの辛さで『奥様』に関する記憶すら忘却してしまったらしい。半ば強引にロイの元へ連れていかれるサラは、彼に己を『サラ』と名乗る。だが、
——「失せろ。お前のような娼夫など必要としていない」
噂通り冷酷なロイの口からは罵詈雑言が放たれた。ロイは穢らわしい娼夫を睨みつけ去ってしまう。使者らは最愛の妻を亡くしたロイを憐れむばかりで、まるでサラの様子を気にしていない。
誰も、サラこそが五年前に亡くなった『奥様』であり、最愛のその人であるとは気付いていないようだった。
しかし、最大の問題は元夫に存在を忘れられていることではない。
サラが未だにロイを愛しているという事実だ。
仕方なく、『恋愛感情抹消魔法』を己にかけることにするサラだが——……
☆お読みくださりありがとうございます。良ければ感想などいただけるとパワーになります!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる