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第8章
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しおりを挟むジルベールに婚約者がいたことを兄のベネディクトは知っていたかもしれないけれど、亡くなっている人のことをわざわざ広める理由もない。だから、ノエルは今まで知らなかったのだろう。
「俺に婚約者がいたのは10歳の頃。早期バース検査でアルファだと分かる前に恋に落ちた人がいて、その人と婚約をしたんだ。街で出会った同い年のベータの男の子で…俺がいつも遊びに連れ出してた。平民の出身だったしベータだったから両親はもちろん反対した。それを押し切って婚約をしたけど……」
ジルベールと出かけている時に大雨が降ってきて視界が悪く、不運なことに馬車と衝突してしまいそのまま亡くなってしまったらしい。
ジルベールは自分が彼を誘わなければ死ななかったと言い、後悔しているのだと。
今でも婚約者の彼の家に仕送りをしているのだとジルベールは言う。一人息子を奪ってしまった自分ができる、唯一のことなのだと。
「イヴァン殿下は、彼――ルシアとひどく似ているんだ。太陽のような眩しい笑顔で、人脈があって、たくさんの人から好かれるような人物。殿下を見るとルシアを思い出す……それが辛いというわけじゃなくて、殿下に申し訳ないんだ。俺みたいな男は殿下の相手に相応しくないんだよ……」
「ジル……ジル自身の、殿下に対する本当の気持ちはどこにいくの?」
「………ノエル、俺を困らせないでくれ」
ジルベールは今まで見たことがないような困った笑みを浮かべ、ノエルの頭をくしゃりと撫でる。
その顔と言葉が、彼の答えだろう。
「俺に言われても、偉そうにと思うかもしれないけど……失ってから後悔しても遅いんだよ、ジル」
「……」
「ジルは一度その後悔をしてるんでしょ?それなら尚更……大切な人は、掴んでおかないと…イヴァン殿下はきっとジルの事情を知っても、ジルのことを好きだと言うと思うよ」
イヴァンならきっと、ジルベールの傷が癒えるまで待つと言う人だろう。
11歳の時にジルベールに想いを伝えて断られてもなお、この年齢になっても諦めていない彼のことだから。どんなジルベールも受け入れて、彼の傷ごと愛してくれるだろうなと思うのだ。
でも、だからこそ、ジルベールはイヴァンより5歳年上なので色々と考えてしまうのかもしれない。
ただでさえ周りからの重圧がすごいイヴァンに、これ以上背負わせていいものかと思っているのだろう。
自分の傷を背負わせていいのかと悩むジルベールの気持ちも、きっとイヴァンなら好きな人の傷は一緒に背負いたいと思うのも、どちらもきっと究極の愛なのだ。
「殿下はきっと、ジルから言ってくれるのを待ってるよ」
「……それは、そうだろうな……」
「ジル、レイシス様が変わってよかったって言ってたよね?俺、正直レイシス様と分かり合うのは無理だって思ってたんだよ。態度も悪いし冷たいしなんだこの人!って」
「……うん、それは俺も思ってたよ」
「レイシス様、今更かよって思うけど、かなり努力して変わろうと思ってくれてるんだ。この前初めて二人でちゃんと話して……レイシス様の気持ちを初めて理解した。まるでレイシス様は今まで呪いがかかってたみたいだって……単純だと思うかもしれないけどそれで俺も、レイシス様とちゃんと向き合いたいって思えるようになったんだよ。だからつまり何が言いたいかって言うと……俺たちは直接、顔を見て話をしないと気持ちが分からないってこと」
「ノエル……」
「俺たちは神様じゃないんだから、心の声なんて通じない。間違うこともあるかもしれないけど、また何回でも話をして向き合っていくのが大切なんじゃないかな」
これは、過去の自分にも向けた言葉だ。
レイシスの腕を引いて「話をしましょう」と言っていたらよかったという後悔。死んでから後悔しても遅いことは身に染みてわかっている。だからこそ、ジルベールとイヴァンにはそんな思いをしてほしくないのだ。
「ジルが殿下の想いに応えたいと思ってるなら尚更、話をしてあげて」
「……ノエル、お前いつからそんなに大人っぽくなったんだ?」
「俺だってもうすぐ成人だからね」
「そうだな……もう学園も卒業だもんな」
「うん。卒業式の日が誕生日だから……卒業祝いと一緒に成人の儀をするんだって」
本当は31歳のノエルです、なんて言えないけれど。
今のジルベールよりは少し大人で、他の人は経験しないであろうことを経験しているから言えることだ。
確かに今のノエルは当時18歳の時のノエルとは違うだろう。あの頃はあまり人と関わらず、自分の意見を言うなんてこともなかった。
自分のことにいっぱいいっぱいだったあの頃とは違い、今ならイヴァンの毒殺の首謀者だと疑われても冷静に言い返せる自信がある。
レイシスばかりが変わったと思っていたけれど、ノエルもノエルで良い方向に変わっていると思いたいところだ。
不思議なことに過去に戻ってきて目が覚めてから、あっという間に月日が流れた。ノエルの卒業は間近に迫り、一人前の大人として扱われる日がやってくる。
目覚めた日にノエルが思い描いていた流れとは大分違うし、今も頭を悩ませているけれど。
それでも目覚めた時よりは、いい方向に変わっていると思うのだ。
「そういえば、最後にもう一つ聞きたいんだけど」
「ん?」
「イヴァン殿下が倒れる前、甘い香りがしなかった?」
「倒れる前に甘い香り……いや、俺は分からなかった。殿下が倒れたあと、彼のフェロモンがいい匂いだったのは覚えてる。それでラットを起こしたんだ」
「そう……分かった。ありがとう」
「ノエルが倒れた時も原因不明のフェロモンのような香りがしたと聞いたから、気をつけるんだぞ」
「うん、大丈夫」
「今日はありがとう。イヴァン殿下と…話してみるよ」
「!うん、そうしてみて」
詰め所をあとにして、ノエルはそのままイヴァンの寝所へと向かった。
その道中に考えていたのは『甘い香り』のこと。
オメガが発するフェロモンはアルファを誘う、いわば『蜜』のようなもので、いい香りがするのだと聞いたことがある。ただその匂いは自分では分からず、アルファあるいはベータにしか分からないのだと。
今回イヴァンが倒れて分かったことだが、オメガ同士でもノエルはイヴァンのフェロモンの匂いは分からなかった。
ということは、同じ性を持つ人にフェロモンは効かないし、匂いすらも分からないということだろう。
そして一説によると、ベータはフェロモンを発することはないらしい。オメガの強いフェロモンに反応してラットのようなことを起こすことが稀にあるらしいけれど、基本的にはフェロモンや発情期とは無縁だという話を聞いた。
その理論が合っているとすれば、ノエルやイヴァンが倒れる前に感じた『甘い香り』はアルファのもので、ジルベールがイヴァンがヒートを起こした後にラットを起こしたのなら、あの場にジルベールとは別の『アルファ』がいたはずだ。
「………ウィンター…?」
消去法で彼の名前を出してみたけれど、ウィンターはイヴァンが倒れた時に近くにはいなかった。ノエルが倒れた時は本屋で偶然会ったけれど、ノエルが死んだ時に彼は王都を離れた田舎で療養していたはず――
「ノエル、考え事をしながら歩いていたらぶつかるぞ?」
危うく誰かの胸元に突っ込んでいくところだった。
ノエルはぶつかる前に肩を掴まれ、名前を呼ばれたので顔を上げると、そこには今しがた考えていた『彼』がいた。
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