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2章 公女 編
記憶は夢の中に
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噴き出してくる嫌な汗。
全身が震えだしそうなのをセレスティアンに悟られないよう、私は必死で耐えた。この場を乗り切らないと。
だが、この間も頭の中にとめどなく流れ込んでくる、数多の記憶の端切れ。
どこか懐かしい音、声、感覚……。
しかし、とてもさばき切れない量の情報に、頭が割れるように痛む。
この場で座りこんでしまえば、楽になるだろうか。
そんな私の不審な様子に、さすがのセレスティアンも気づかいを見せた。
「顔色が悪いですね。どうも演技しているわけではないようですね。……公女はもう帰られたほうがいいでしょう。出口へご案内しますから」
それでも抑揚のない、いやに淡々とした物言いが、拒絶の意志を感じさせる。そのことに私は胸がえぐられるような思いがした。
◆ ◆ ◆
あれからホールを出たところで控えていたマリーと、護衛の騎士に抱えられるようにして馬車に乗り込み、私は邸に戻ってきた。
馬車に揺られながら、だんだんと気分の悪さは回復してきた。
けれど、突然襲われた不可解な幻のせいで、混乱する心は容易く静まろうとしない。
隣で心配するマリーに促されて、私はドレスを夜着に着替えると、すぐにベッドに入った。
瞼を閉じると、慣れないひといきれの中にいて疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
◆ ◆ ◆
人気のない屋敷のエントランス。
私はそこに一人で立っていた。
自然と足が動き、屋敷の奥へと進んでいく。
閑散としているが、きれいに片付いている。廊下の大きな窓からは、明るい日差しが差していた。
ここはどこだろう?
そう思ったのは一瞬で、すぐに自分がここを知っていることに気づいた。
窓から外を見ると、庭園の四阿に誰かがいる。
あそこに行かないと、という思いが湧いてきて、何気に窓に手を伸ばした。
体がするりと窓を抜け、宙を舞って、たちまち四阿に置かれたテーブルについていた。
同時に、ここが夢の中なのだということに気づいた。
向かい合う席に、誰かが座ってこちらを見ている。
お母様……。
そう思ったとたん、優しく微笑みかける女性が見えた。
亜麻色の髪、オリーブ色の瞳。
母はもう亡くなったはずなのに……でも、あれはお母様だ。
何か話しかけようとしたら、とたんに母の姿は消え、今度は誰かに腕をつかまれた。
振り向くと、腕をつかんでいたのは、幼い少年……だったはずが、みるみる背丈が伸び、青年へと近づいた姿に変わった。
そして、まだわずかにあどけなさの残る口元を尖らせて、私の顔をのぞき込んできた。
『何してるんだ?』
突然話しかけられて、答えに迷った。何か言わないと……と思って、咄嗟に口をついて出たのは。
「殿下?」
すると彼は眉をしかめつつも、どこか甘えの混じる口調で答えた。
『その呼び方は嫌だって言ったよな? セレスでいいって言ってるだろ、リュシー!』
リュシー?
ああ、わかった、知っている。リュシーは私。私の名前……私だった名前……。
どうして忘れていたんだろう。
私は自分が誰だったのかを思い出した。
その記憶に抗うことなく、すべてを受け入れた瞬間、目の前のセレスの姿が消えた。代わりに目の前に現れたのは……。
私? いや、アデリナ?
私と同じ顔かたちをした彼女は、ふわりと微笑んでみせた。そっと私の手を握る。
『リュシーさん、ありがとう。そして、……ごめんなさい。私はもう、これ以上は耐えられなかった……。だから、私が望んだことなんです……』
もう一度、『ごめんなさい』と消え入るような声でつぶやいた彼女の両目から、ぽたぽたと涙が零れ落ちた。
◆ ◆ ◆
冷たい感触に、はっと目が覚め、私はベッドから半身を起こした。
私は自分が涙を流していたのに気づいて、両目を夜着の袖でぬぐう。
(私、私は、……リュシーだ。そして、セレスティアン殿下のそばで五年も過ごしていた……)
自分が一度は死んだことも思い出した。
なぜ、この体に入ってしまったのかはわからない。でも、おかげで殿下の無事に成長した姿を見ることができたのだ。
(……本物のアデリナ公女様は、今はどこにいるの?)
あの「声」がそうだろうか?
心の中で呼びかけてみたが、返事はなかった。今まで時々、自分とは別の感情が起こることに気づいてはいたが、あれは本物の公女の感情だったのだ。
(私は毒を飲んで死んだ……。そして、この体に入った?)
思い出すと、喉の辺りがチクチクとして、気持ち悪くなってくる。
あの事故の日、私は記憶を失くしたのではなかったのだ。夢の中で公女は、自分で望んだことだと言っていた。
(もしかして、あの箱!)
飛び起きた私は、チェストの上に無造作に置いたままだったジュエリーボックスを手に取った。
全身が震えだしそうなのをセレスティアンに悟られないよう、私は必死で耐えた。この場を乗り切らないと。
だが、この間も頭の中にとめどなく流れ込んでくる、数多の記憶の端切れ。
どこか懐かしい音、声、感覚……。
しかし、とてもさばき切れない量の情報に、頭が割れるように痛む。
この場で座りこんでしまえば、楽になるだろうか。
そんな私の不審な様子に、さすがのセレスティアンも気づかいを見せた。
「顔色が悪いですね。どうも演技しているわけではないようですね。……公女はもう帰られたほうがいいでしょう。出口へご案内しますから」
それでも抑揚のない、いやに淡々とした物言いが、拒絶の意志を感じさせる。そのことに私は胸がえぐられるような思いがした。
◆ ◆ ◆
あれからホールを出たところで控えていたマリーと、護衛の騎士に抱えられるようにして馬車に乗り込み、私は邸に戻ってきた。
馬車に揺られながら、だんだんと気分の悪さは回復してきた。
けれど、突然襲われた不可解な幻のせいで、混乱する心は容易く静まろうとしない。
隣で心配するマリーに促されて、私はドレスを夜着に着替えると、すぐにベッドに入った。
瞼を閉じると、慣れないひといきれの中にいて疲れていたのか、すぐに眠りに落ちた。
◆ ◆ ◆
人気のない屋敷のエントランス。
私はそこに一人で立っていた。
自然と足が動き、屋敷の奥へと進んでいく。
閑散としているが、きれいに片付いている。廊下の大きな窓からは、明るい日差しが差していた。
ここはどこだろう?
そう思ったのは一瞬で、すぐに自分がここを知っていることに気づいた。
窓から外を見ると、庭園の四阿に誰かがいる。
あそこに行かないと、という思いが湧いてきて、何気に窓に手を伸ばした。
体がするりと窓を抜け、宙を舞って、たちまち四阿に置かれたテーブルについていた。
同時に、ここが夢の中なのだということに気づいた。
向かい合う席に、誰かが座ってこちらを見ている。
お母様……。
そう思ったとたん、優しく微笑みかける女性が見えた。
亜麻色の髪、オリーブ色の瞳。
母はもう亡くなったはずなのに……でも、あれはお母様だ。
何か話しかけようとしたら、とたんに母の姿は消え、今度は誰かに腕をつかまれた。
振り向くと、腕をつかんでいたのは、幼い少年……だったはずが、みるみる背丈が伸び、青年へと近づいた姿に変わった。
そして、まだわずかにあどけなさの残る口元を尖らせて、私の顔をのぞき込んできた。
『何してるんだ?』
突然話しかけられて、答えに迷った。何か言わないと……と思って、咄嗟に口をついて出たのは。
「殿下?」
すると彼は眉をしかめつつも、どこか甘えの混じる口調で答えた。
『その呼び方は嫌だって言ったよな? セレスでいいって言ってるだろ、リュシー!』
リュシー?
ああ、わかった、知っている。リュシーは私。私の名前……私だった名前……。
どうして忘れていたんだろう。
私は自分が誰だったのかを思い出した。
その記憶に抗うことなく、すべてを受け入れた瞬間、目の前のセレスの姿が消えた。代わりに目の前に現れたのは……。
私? いや、アデリナ?
私と同じ顔かたちをした彼女は、ふわりと微笑んでみせた。そっと私の手を握る。
『リュシーさん、ありがとう。そして、……ごめんなさい。私はもう、これ以上は耐えられなかった……。だから、私が望んだことなんです……』
もう一度、『ごめんなさい』と消え入るような声でつぶやいた彼女の両目から、ぽたぽたと涙が零れ落ちた。
◆ ◆ ◆
冷たい感触に、はっと目が覚め、私はベッドから半身を起こした。
私は自分が涙を流していたのに気づいて、両目を夜着の袖でぬぐう。
(私、私は、……リュシーだ。そして、セレスティアン殿下のそばで五年も過ごしていた……)
自分が一度は死んだことも思い出した。
なぜ、この体に入ってしまったのかはわからない。でも、おかげで殿下の無事に成長した姿を見ることができたのだ。
(……本物のアデリナ公女様は、今はどこにいるの?)
あの「声」がそうだろうか?
心の中で呼びかけてみたが、返事はなかった。今まで時々、自分とは別の感情が起こることに気づいてはいたが、あれは本物の公女の感情だったのだ。
(私は毒を飲んで死んだ……。そして、この体に入った?)
思い出すと、喉の辺りがチクチクとして、気持ち悪くなってくる。
あの事故の日、私は記憶を失くしたのではなかったのだ。夢の中で公女は、自分で望んだことだと言っていた。
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