柳生の影 ―十兵衛旅日記―

いわん

文字の大きさ
4 / 18

其之四:大宇陀の漬物と沈黙

しおりを挟む
尾張へとはお伊勢様に詣でる事も兼ね、大和から南下しての歩行(かち)での旅路を選んだ。本来なら東海道に出るのが到着も早いのだろうが、敵をおびき寄せることを考えると、参宮する街道を通った方が、東海道を行くよりは狙われやすかろうと判断し、初夏の風を感じつつの、のんびりとした旅にしたのである。しかし、刺客はなぜか現れなかった。時折、殺気を感じる事はあったのだが、襲ってはこない。殺気の元は、なぜか、互いに牽制し合っている感触であった。大宇陀での宿ですら、何もしてこない。てっきり夜食に毒の一つも盛られるかと思っていたのだが、まったくその気配もなかった。宿の天井にも人の気配も殺気も感じない。正直、拍子抜けである。俺の推理は間違っていたのだろうか。お菊の父親あたりが真っ先に襲ってくると思ったのだが。さすがに伊勢参りの身を襲うのは憚れるということか。俺の目論見が外れたとなると、さて、尾張に着いてからどう行動したものやら。あまり路銀があるわけでもなし。かといって、尾張の方々にたかるわけにもいかぬ。策を練り直す必要に早くも迫られるとは。むう。
それにしても、この宿の漬け物は美味い。つい夜食の飯をお代わりしてしまった。「漬け物が美味くて飯がすすむ。美味い」と告げると、宿の下女がにっこりと微笑んだ。どうやらこの宿自慢の漬け物だったらしい。出立前に作り方も聞いておこうか。お市に作り方を教えてやろう。

峠を越えたところで、茶屋で一服。醤油団子に茶をいただく。流石大宇陀。茶が名産なだけの事はある。美味い。醤油団子も、京のみたらし団子に負けぬ美味さだ。この甘しょっぱい団子に、大宇陀の茶の苦みが合う。あっという間に二本を平らげてしまった。非常に満足なひとときを過ごす。これで、お菊の問題がなければ最高なのだが、そうも言ってられない。しかし、こうまで隙を見せていると言うのに、賊は襲ってこない。気配はある。通り過ぎている旅人の何人かには忍びの気配もあった。しかし、それでも賊は襲ってこない。もしかして、俺が「柳生十兵衛三厳」であることが確認出来ていない、その自信がないのか。確かに、宿帳には「密命」を受けたときと同様、偽名で署名している。今回の事も、公な記録として残すわけにはいかぬのだから。だからこそ確認出来のか。ふむ。どうしたら「気づいてもらえる」のか。思案投げ首である。
茶屋にて余っている茶をいくつか所望する。尾張の方々への土産と言ってはなんだが、「大宇陀の茶」と言えば、喜んでくれるかもしれん。

数日後、伊勢にたどり着き、ゆっくりをお伊勢参りをした。俺のような血にまみれた人間を、お伊勢様がお守りいただける、などとは思わないが、俺を襲う連中も、流石にお伊勢様のお膝元で襲うことはあるまい。ここから、東海道の宮宿、尾張までの旅路でおそらく俺を襲ってくるのであろう。俺はそう目星を付けていた。
それにしても、尾張柳生へと足を運ぶのは何年ぶりだろうか。親父殿が惣目付になった前後から、とある事がきっかけとなり、親父殿と尾張柳生兵庫助利厳殿との仲が悪くなった。表向き「大和は尾張に関わるべからず」との沙汰が親父殿から言いつけられてはいたが、俺は廃嫡の身。気にせず、兵庫助殿を訪ねては、剣術の話をしていたものだった。そもそも、尾張の方々と仲違いするきっかけは親父殿の勝手が作ったのだ。「廃嫡」の身である俺は気にする事もなかった。それでも、「密命」が増えてから自然と足が遠のき、兵庫助殿を訪ねるのはずいぶんと久しぶりになってしまった。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末

松風勇水(松 勇)
歴史・時代
旧題:剣客居酒屋 草間の陰 第9回歴史・時代小説大賞「読めばお腹がすく江戸グルメ賞」受賞作。 本作は『剣客居酒屋 草間の陰』から『剣客居酒屋草間 江戸本所料理人始末』と改題いたしました。 2025年11月28書籍刊行。 なお、レンタル部分は修正した書籍と同様のものとなっておりますが、一部の描写が割愛されたため、後続の話とは繋がりが悪くなっております。ご了承ください。 酒と肴と剣と闇 江戸情緒を添えて 江戸は本所にある居酒屋『草間』。 美味い肴が食えるということで有名なこの店の主人は、絶世の色男にして、無双の剣客でもある。 自分のことをほとんど話さないこの男、冬吉には実は隠された壮絶な過去があった。 多くの江戸の人々と関わり、その舌を満足させながら、剣の腕でも人々を救う。 その慌し日々の中で、己の過去と江戸の闇に巣食う者たちとの浅からぬ因縁に気付いていく。 店の奉公人や常連客と共に江戸を救う、包丁人にして剣客、冬吉の物語。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

【完結】ふたつ星、輝いて 〜あやし兄弟と町娘の江戸捕物抄〜

上杉
歴史・時代
■歴史小説大賞奨励賞受賞しました!■ おりんは江戸のとある武家屋敷で下女として働く14歳の少女。ある日、突然屋敷で母の急死を告げられ、自分が花街へ売られることを知った彼女はその場から逃げだした。 母は殺されたのかもしれない――そんな絶望のどん底にいたおりんに声をかけたのは、奉行所で同心として働く有島惣次郎だった。 今も刺客の手が迫る彼女を守るため、彼の屋敷で住み込みで働くことが決まる。そこで彼の兄――有島清之進とともに生活を始めるのだが、病弱という噂とはかけ離れた腕っぷしのよさに、おりんは驚きを隠せない。 そうしてともに生活しながら少しづつ心を開いていった――その矢先のことだった。 母の命を奪った犯人が発覚すると同時に、何故か兄清之進に凶刃が迫り――。 とある秘密を抱えた兄弟と町娘おりんの紡ぐ江戸捕物抄です!お楽しみください! ※フィクションです。 ※周辺の歴史事件などは、史実を踏んでいます。 皆さまご評価頂きありがとうございました。大変嬉しいです! 今後も精進してまいります!

もし石田三成が島津義弘の意見に耳を傾けていたら

俣彦
歴史・時代
慶長5年9月14日。 赤坂に到着した徳川家康を狙うべく夜襲を提案する宇喜多秀家と島津義弘。 史実では、これを退けた石田三成でありましたが……。 もしここで彼らの意見に耳を傾けていたら……。

日露戦争の真実

蔵屋
歴史・時代
 私の先祖は日露戦争の奉天の戦いで若くして戦死しました。 日本政府の定めた徴兵制で戦地に行ったのでした。  日露戦争が始まったのは明治37年(1904)2月6日でした。  帝政ロシアは清国の領土だった中国東北部を事実上占領下に置き、さらに朝鮮半島、日本海に勢力を伸ばそうとしていました。  日本はこれに対抗し開戦に至ったのです。 ほぼ同時に、日本連合艦隊はロシア軍の拠点港である旅順に向かい、ロシア軍の旅順艦隊の殲滅を目指すことになりました。  ロシア軍はヨーロッパに配備していたバルチック艦隊を日本に派遣するべく準備を開始したのです。  深い入り江に守られた旅順沿岸に設置された強力な砲台のため日本の連合艦隊は、陸軍に陸上からの旅順艦隊攻撃を要請したのでした。  この物語の始まりです。 『神知りて 人の幸せ 祈るのみ 神の伝えし 愛善の道』 この短歌は私が今年元旦に詠んだ歌である。 作家 蔵屋日唱

焔と華 ―信長と帰蝶の恋―

歴史・時代
うつけと呼ばれた男――織田信長。 政略の華とされた女――帰蝶(濃姫)。 冷えた政略結婚から始まったふたりの関係は、やがて本物の愛へと変わっていく。 戦乱の世を駆け抜けた「焔」と「華」の、儚くも燃え上がる恋の物語。 ※全編チャットGPTにて生成しています 加筆修正しています

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

処理中です...