15 / 25
冥界の門
深まる闇と、穢れ(けがれ)と
しおりを挟む
※血の苦手な方は、ご注意ください。
◇ ◇ ◇
「下賤な平民が。このようなこともできずよくもまあ」
「ごめ……申し訳ござりませぬ」
「言葉遣いからしてそのありよう。恥をかくのはこのわたくしぞ?」
沙夜は、額が赤くなるぐらい畳に擦った姿勢で、座礼をしている。
目の前には、百合が数本活けられた花瓶があり、花も葉も萎れている。
差したら、みるみる花の元気がなくなったんだよ……あきらかに水が悪いんじゃないか!
叫びたいのをひたすらに我慢して、侍女長のねちねちとした叱責にじっと耐えるのが常だ。
「げに恐ろしき出自よな。全滅した村の生き残りだそうじゃないか。……そなたがやったのではないか?」
「な! ちがいます!」
これにはさすがに、憤って上体を起こした。
「ほぉ、このわたくしに逆らおうとするか」
「逆らうとかっ、ただ、事実ではございませんと申し上げ」
「だまれ」
「!」
はあ~、とこめかみを押さえる彼女の顔色がすこぶる悪いことに、沙夜は気づく。
中でもぼこりと額に浮かび上がる青筋は、異様だった。
イライラを隠そうともしない気難しい中年の女は、次に、鋭い視線を部屋の隅に控えている愚闇に投げる。
「それからそこの隠密、殺気をしまえ。これは、躾ぞ」
「……指ひとつでも夜宮様に触れたら、ただではすまないぞ」
「はん、言葉ではどうとでも」
が、控えめな隠密には珍しく、あからさまに脅し文句を言った。
「調子に乗ると、後悔することになる」
「ぐ」
侍女長に追随しようとしていた侍女官たちが、それを聞くや「ひ」「なっ」「!」と短い悲鳴と共に青ざめた。
「愚闇」
まだ何か言いそうだったので、沙夜は止めた。あまり脅してもよくない。こういった輩は、誇りを傷つけられたら次に何をするか分からないことを、良く知っていた――小さな村出身とはいえ、村長周りの男どものふるまいから学んだことだ。
「……ひとりごとです」
「っ、気を削がれた! 今日はしまいじゃ!」
ドスドスと足音を鳴らしながら、女どもは去っていく。
沙夜へ侮蔑の視線を投げながらだったので、姿勢を直すフリをしてパタパタと袖を振る。
受け止めません、と自分なりの防衛術だ。
「んもー、愚闇~ひやひやしたよ~~~」
「いやだって、さすがに腹立ったんで。よく我慢してますね」
「だって。しょうがないもん」
行くとこ、ないし。
なんて言葉はとても口に出せやしないなあ、と沙夜は差す前の百合と花瓶を持って、部屋から回廊に出る。
「おん!」
ギーの計らいで、『黒雨所属の隠密犬』としてなんとか留まることができた玖狼が、出迎えてくれた。
そんな彼は、黒いつぶらな瞳で三和土に前足を乗せて、尻尾をぶんぶん振っている。
「玖狼~この水、変だよね?」
沙夜が花瓶を鼻先に持っていくと、玖狼はその中を軽くすんすんした後で、やはり「ぐるるるる」と唸った。
「あーあ。やっぱり。姑息だなー」
「性格悪いっすね。よくそんなこと思いつくなあ」
横からその花瓶をひったくる愚闇を見上げて、沙夜が
「それ、どうするの?」
と聞くと
「侍女長の部屋の花瓶に中身ぶっこんどくっす」
隠密が、覆面越しでもニヤリとしたのが分かった。
「愚闇ったら」
「え? でもやれって思ったっしょ?」
「思った!」
沙夜にとって、玖狼とこの気安い隠密、さっぱりとした性格である侍女のすず、そして
「今日も変わりはなかったか?」
と一日おきに必ず訪れる魅侶玖の存在が、救いだった。
どれだけ嫌なことがあっても、彼らに接することで、乗り越えることができた。
毎夜ヒョウヒョウと鳴く謎の声に、苛まれるまでは。
◇ ◇ ◇
ヒョウ、ヒョウ。
あの小娘め……馬鹿にしおって……
ヒョウ、ヒョウ。
平民から更衣などと……護衛の隠密までつけられよって……
ヒョウ、ヒョウ。
気に食わぬ。気に食わぬぞ……!
ヒョウ、ヒョウ。
ひひひ、ひひひ。ならば、くびりころせばよいなあ。
◇ ◇ ◇
ああ苦しい。
なんだろう?
息が、できな……
「沙夜!」
「はっ!」
目が覚めた沙夜の目の前に、焦る魅侶玖の顔があった。汗みどろで、額から流れるしずくがぽつぽつと沙夜の頬に落ちてくる。
「無事か」
「え」
たくましい腕の中で、訳が分からず頷く。無事ではある。だが――
沙夜が首をめぐらせようとすると
「見るなっ!」
強く叫ぶ魅侶玖の声はだが、遅かった。
「ひ!」
白目を剥いて仰向けに倒れている女は、首元を切られている。
事切れた侍女長から飛び散った赤が、沙夜のいつも使っている布団の色を変え、畳をどす黒く染めていた。
障子窓にまで激しく飛び散った、赤、赤、赤。
その傍らに片膝をつくのは、愚闇。手には赤黒く濡れた忍刀を逆手に持っている。
そうだ、ここはいつもの寝室だ。間に玖狼を挟んで、魅侶玖と並んで眠って、それから――
赤い……
血の、匂い……
ああ、これ……あのときとおなじだ。
「ばあば」
なんで死んじゃったの?
なんでみんな食われちゃったの?
なんでわたしをひとりにするの?
「ああ、憎しや憎し」
「沙夜!」
「うつしよも、かくりよも」
「沙夜! いかん、様子がおかしい。今すぐギーを呼べっ、ぐ」
「魅侶玖様っ!!」
「な、んだこれは……」
うつろな目をした沙夜を抱きかかえた魅侶玖の体から、黒い霞のようなものが立ちのぼってくる。
それを見た愚闇は、当然戦慄する。
「まずい、穢れだ……!」
血のついた忍刀をさっと懐紙でふき取ると、愚闇は新しい懐紙で包んだ刀の刃を口にくわえ、両手で印を結んだ。両手を組み、複雑に指を変え、組み直し、最後に「おん」と言うと――
「呼んだか、愚闇」
玖狼が、唐突に喋った。
「は」
「なるほど穢れとはな……厄介なことよ」
にやりと笑うその口元から犬歯をのぞかせ、彼はその体をいつもより二回り大きくする――その様は、犬ではなく狼だった。
「祓うぞ、愚闇」
「は! 玖狼様!」
-----------------------------
お読み頂き、ありがとうございます!
古文では謝罪の時に「ごめんなさい」「申し訳ございません」は出てこないですよね。
「畏れ多い」「かしこし」「かたじけない」のような表現だそうですけれど、読み辛いので現代口語で書いております。
他も色々そんな感じで、スルーいただければと思いますm(__)m
◇ ◇ ◇
「下賤な平民が。このようなこともできずよくもまあ」
「ごめ……申し訳ござりませぬ」
「言葉遣いからしてそのありよう。恥をかくのはこのわたくしぞ?」
沙夜は、額が赤くなるぐらい畳に擦った姿勢で、座礼をしている。
目の前には、百合が数本活けられた花瓶があり、花も葉も萎れている。
差したら、みるみる花の元気がなくなったんだよ……あきらかに水が悪いんじゃないか!
叫びたいのをひたすらに我慢して、侍女長のねちねちとした叱責にじっと耐えるのが常だ。
「げに恐ろしき出自よな。全滅した村の生き残りだそうじゃないか。……そなたがやったのではないか?」
「な! ちがいます!」
これにはさすがに、憤って上体を起こした。
「ほぉ、このわたくしに逆らおうとするか」
「逆らうとかっ、ただ、事実ではございませんと申し上げ」
「だまれ」
「!」
はあ~、とこめかみを押さえる彼女の顔色がすこぶる悪いことに、沙夜は気づく。
中でもぼこりと額に浮かび上がる青筋は、異様だった。
イライラを隠そうともしない気難しい中年の女は、次に、鋭い視線を部屋の隅に控えている愚闇に投げる。
「それからそこの隠密、殺気をしまえ。これは、躾ぞ」
「……指ひとつでも夜宮様に触れたら、ただではすまないぞ」
「はん、言葉ではどうとでも」
が、控えめな隠密には珍しく、あからさまに脅し文句を言った。
「調子に乗ると、後悔することになる」
「ぐ」
侍女長に追随しようとしていた侍女官たちが、それを聞くや「ひ」「なっ」「!」と短い悲鳴と共に青ざめた。
「愚闇」
まだ何か言いそうだったので、沙夜は止めた。あまり脅してもよくない。こういった輩は、誇りを傷つけられたら次に何をするか分からないことを、良く知っていた――小さな村出身とはいえ、村長周りの男どものふるまいから学んだことだ。
「……ひとりごとです」
「っ、気を削がれた! 今日はしまいじゃ!」
ドスドスと足音を鳴らしながら、女どもは去っていく。
沙夜へ侮蔑の視線を投げながらだったので、姿勢を直すフリをしてパタパタと袖を振る。
受け止めません、と自分なりの防衛術だ。
「んもー、愚闇~ひやひやしたよ~~~」
「いやだって、さすがに腹立ったんで。よく我慢してますね」
「だって。しょうがないもん」
行くとこ、ないし。
なんて言葉はとても口に出せやしないなあ、と沙夜は差す前の百合と花瓶を持って、部屋から回廊に出る。
「おん!」
ギーの計らいで、『黒雨所属の隠密犬』としてなんとか留まることができた玖狼が、出迎えてくれた。
そんな彼は、黒いつぶらな瞳で三和土に前足を乗せて、尻尾をぶんぶん振っている。
「玖狼~この水、変だよね?」
沙夜が花瓶を鼻先に持っていくと、玖狼はその中を軽くすんすんした後で、やはり「ぐるるるる」と唸った。
「あーあ。やっぱり。姑息だなー」
「性格悪いっすね。よくそんなこと思いつくなあ」
横からその花瓶をひったくる愚闇を見上げて、沙夜が
「それ、どうするの?」
と聞くと
「侍女長の部屋の花瓶に中身ぶっこんどくっす」
隠密が、覆面越しでもニヤリとしたのが分かった。
「愚闇ったら」
「え? でもやれって思ったっしょ?」
「思った!」
沙夜にとって、玖狼とこの気安い隠密、さっぱりとした性格である侍女のすず、そして
「今日も変わりはなかったか?」
と一日おきに必ず訪れる魅侶玖の存在が、救いだった。
どれだけ嫌なことがあっても、彼らに接することで、乗り越えることができた。
毎夜ヒョウヒョウと鳴く謎の声に、苛まれるまでは。
◇ ◇ ◇
ヒョウ、ヒョウ。
あの小娘め……馬鹿にしおって……
ヒョウ、ヒョウ。
平民から更衣などと……護衛の隠密までつけられよって……
ヒョウ、ヒョウ。
気に食わぬ。気に食わぬぞ……!
ヒョウ、ヒョウ。
ひひひ、ひひひ。ならば、くびりころせばよいなあ。
◇ ◇ ◇
ああ苦しい。
なんだろう?
息が、できな……
「沙夜!」
「はっ!」
目が覚めた沙夜の目の前に、焦る魅侶玖の顔があった。汗みどろで、額から流れるしずくがぽつぽつと沙夜の頬に落ちてくる。
「無事か」
「え」
たくましい腕の中で、訳が分からず頷く。無事ではある。だが――
沙夜が首をめぐらせようとすると
「見るなっ!」
強く叫ぶ魅侶玖の声はだが、遅かった。
「ひ!」
白目を剥いて仰向けに倒れている女は、首元を切られている。
事切れた侍女長から飛び散った赤が、沙夜のいつも使っている布団の色を変え、畳をどす黒く染めていた。
障子窓にまで激しく飛び散った、赤、赤、赤。
その傍らに片膝をつくのは、愚闇。手には赤黒く濡れた忍刀を逆手に持っている。
そうだ、ここはいつもの寝室だ。間に玖狼を挟んで、魅侶玖と並んで眠って、それから――
赤い……
血の、匂い……
ああ、これ……あのときとおなじだ。
「ばあば」
なんで死んじゃったの?
なんでみんな食われちゃったの?
なんでわたしをひとりにするの?
「ああ、憎しや憎し」
「沙夜!」
「うつしよも、かくりよも」
「沙夜! いかん、様子がおかしい。今すぐギーを呼べっ、ぐ」
「魅侶玖様っ!!」
「な、んだこれは……」
うつろな目をした沙夜を抱きかかえた魅侶玖の体から、黒い霞のようなものが立ちのぼってくる。
それを見た愚闇は、当然戦慄する。
「まずい、穢れだ……!」
血のついた忍刀をさっと懐紙でふき取ると、愚闇は新しい懐紙で包んだ刀の刃を口にくわえ、両手で印を結んだ。両手を組み、複雑に指を変え、組み直し、最後に「おん」と言うと――
「呼んだか、愚闇」
玖狼が、唐突に喋った。
「は」
「なるほど穢れとはな……厄介なことよ」
にやりと笑うその口元から犬歯をのぞかせ、彼はその体をいつもより二回り大きくする――その様は、犬ではなく狼だった。
「祓うぞ、愚闇」
「は! 玖狼様!」
-----------------------------
お読み頂き、ありがとうございます!
古文では謝罪の時に「ごめんなさい」「申し訳ございません」は出てこないですよね。
「畏れ多い」「かしこし」「かたじけない」のような表現だそうですけれど、読み辛いので現代口語で書いております。
他も色々そんな感じで、スルーいただければと思いますm(__)m
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
45
1 / 5
この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる