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序章 悪役は、不可避らしい
3話 動き出す、何か
しおりを挟むトリベール侯爵家は、ラブレー王国西にある。綿花栽培と羊の放牧、そしてそれを活かした織物産業が盛んなのどかな領地だった。
ところが、アリサが八歳の時に秋の長雨を被り、さらに羊たちを疫病が襲う。
雨の影響で凶作に陥った綿花は、その後三年かけてようやく元に戻った。侯爵家の三年を維持する経費は、川を挟んで南にあるジョクス伯爵家の出資でまかなった。
アリサはその潤沢な資金に驚かされると同時に、出資条件が気になり情報を集め始めたものの――未だに判然としない。
出資するからには、利息ゼロのわけがない。
お人好しを絵に描いたような父でトリベール侯爵のマルックが、いったいどんな出資契約にサインしたのか。それをアリサは恐れている。
なぜなら、トリベール侯爵家は現在、権利も土地も手放せるものは手放しきり、廃位スレスレの低空飛行をしているからだ。今や使用人は、老齢となった執事のドルフとその妻でメイドのユマ、ふたりだけ。生活費と爵位維持のための最低限の納税は、母テレサの実家の援助でなんとか賄っている。つまり、手にあるのは正真正銘『爵位』のみ。
まさに没落寸前。しかもそれは、闇の魔力を持つアリサの呪いのせいだと、周囲は噂している。
「だーれが好き好んで家を呪うのよ。呪うなら敵でしょうが。ほんと、程度が低過ぎる」
『その通りダネ』
しかも――
「セルジュ様ぁ、どちらへ行かれるのですかぁ」
「ん? 図書室へ行こうかなと」
「ご一緒しても、良いですかぁ?」
「良いが、エリーヌ嬢には退屈かもしれないよ」
「一緒にいたいんです~」
「はは」
深い青の瞳で、長いプラチナブロンドの髪を後ろで一つに縛っている、見目麗しく立ち居振る舞いも見事な第一王子のセルジュ・ラブレー。その腕に常にひらひらとまとわりついている、我が王国の『聖女』エリーヌ・アゼマ男爵令嬢と比較され続けている。
エリーヌは、ふわふわなピンクブロンドに緑色の瞳の可憐な見た目で、いつも甘ったるい口調だ。『愛と太陽の女神テラ』の現身とされる聖女は、その名の通り聖魔法が使える女性として教会に認定を受けた者で、王国にひとりしかいない。それだけ、聖魔法が希少なものという証明でもある。
豊かな胸に、甘い容姿の白聖女。一方、骨ばった細身で地味な容姿の、黒魔女。聖魔法と、闇魔法。可愛い、可愛くない。
周囲のいい加減なものさしで何度も何度も比較され、貶められてきたのは決まって『黒魔女』の方だった。
ふたりの会話を聞いて、アリサは慌てて踵を返す。図書室で調べ物をしようと向かっていたが、鉢合わせたくはない。
「アリサ嬢」
そんなアリサに、セルジュが声を掛けてきた。相手は王子なので、無視するわけにはいかない。
動きを止めてゆっくりと振り返り、目を伏せ軽く膝を折ってセルジュが近づくのを待つ。人影が、窓から射す日光を遮った。
「あなたも図書室へ行こうとしていたように見えたが。邪魔してしまったかな」
「……とんでもございません」
アリサが膝を折ったままなのを見て、セルジュはふ、と微笑みを漏らした。
「ここは学院だ。そこまで礼を尽くさなくても良いのだよ」
「寛大な御心に、敬服いたしました」
す、と姿勢を戻すがまだ目は伏せる。例え同じ学生であっても、尊いものは直視しない。同列ではない、敬うべき存在としている、というアリサなりの心遣いだった。
「ありがとう。なら、エスコートさせてくれるかな」
「え」
思わず顔を上げ、驚愕に目を見開いたアリサの視線の向こうで、聖女のエリーヌが頬を膨らませている。冗談ではない、余計なヘイトを稼ぎたくはない、とアリサは断りの文句を必死で探す。来年早々卒業を控えたこの年まで、できるだけ穏便に過ごしてきたつもりが、なぜ今王子自ら声を掛けてくるのか。
「そう身構えないで。以前からアリサ嬢と話をしてみたかったんだ。彼の薦めもあってね」
「で! 殿下っ!」
わたわたと挙動不審になるのは、濃い紫色のモサモサ髪が顔の半分以上を覆っている、小柄な男子学生のオーブリー・ジオノ。子爵令息で膨大な魔力量を誇り、王宮魔導士に内定している凄腕魔法使いだ。
「はいはい。小難しいことはいいじゃないですか。お茶でもどうです? アリサ嬢」
「えっ」
セルジュの背後からこちらを見下ろしてくるのは、バルナバス・フォクト。フォクト辺境伯の次男で、すでに叙勲を済ませた騎士であり、卒業後は幹部候補として騎士団入りが内定している、セルジュの護衛だ。金髪に琥珀色の瞳で、高身長で筋肉質なのはもちろんのこと、隣国出身である母親譲りの褐色肌がトレードマークである。フォクト辺境領とトリベール侯爵領は隣り合っているため、幼いころ何度か挨拶で顔を合わせたことがあった。
王子に聖女、魔法使いに騎士。女神様のシナリオでは、この貴族学院で彼らと悪役の自分が対立し、国外追放になると全能神ゼーに教わっていた。だからこそ彼らには細心の注意を払ってきたし、この年まで平穏に過ごしてきたのに――シナリオ補正と言うやつか? とアリサが身構えるのも無理はない。
『ダイジョブ』
髪の中でディリティリオがささやいたので、覚悟を決め、
「では、お言葉に甘えて」
す、と目線はバルナバスへ向けた。
「あれ。振られちゃったかな」
「殿下には、あちらの方がお待ちであるかと」
「あー……そうだね。分かったよ」
意味深に微笑んだセルジュは、素直に図書室へと歩き出した。その腕には、エリーヌがこれでもかと絡み付く。
アリサもバルナバスの横で歩き出すと、彼は愉快そうに肩を揺らした。
「なかなか思慮深くあらせられる」
「へえ。騎士もイヤミを言うのですね」
「ぐお。勘弁してくれ」
バルナバスの遠慮のない言葉は、いやらしくないなとアリサは思う。
誰しもこうして裏表なくぶつかって来られる訳ではないしな、とオーブリーの様子を見やると、頬が真っ赤だ。
アリサはその様子にそっと目を細めると、穏やかな口調で話しかける。
「オーブリー様? どうかなさいまして?」
「へあ!? えと、あのね」
「憧れの黒魔女様相手だ。緊張しているのだろう」
「ちょっと、バル!」
「がっはっは」
「……憧れ……? むしろ嫌悪されるのではと」
「僕、闇魔法、好きだよ?」
オーブリーが放った言葉に、アリサは一瞬息を止めた。
「わたくしが言うのもなんですが……それ、問題発言ですわよ」
「まったくだ。女神テラの天誅が下るぞと常日頃から言ってはいるのだが。まあ、オーブリーのような魔法使いには、関係ないみたいだな」
「へへ」
「バルナバス様も、そのようなご発言は」
「分かった、分かった」
愛と太陽の女神を信仰するこの世界で、聖魔法と反対である闇魔法を許容することなど、少なくとも教会関係者の近くで言ってはならない。
バルナバスはだが、肩をすくめ眉尻を下げる。
「今まで様子は見させてもらっていたがな。アリサ嬢は危険人物ではない。むしろ、控えめで奥ゆかしいと俺は思う」
騎士団幹部候補までもが、好意的な笑みを見せるのだから、アリサは戸惑うしかない。
「我が主は、ずっと気にしてかけていらっしゃった」
「え」
「自覚ないのか? 没落とか裕福とか関係なく、我が王国で侯爵令嬢という身分はでかい。殿下もお年頃だ」
「!!」
思わず頭を抱えそうになったのを、かろうじて我慢する。
――殿下と同時に、俺も決めろということらしい。誰があてがわれるんだか。
冷たいアクアマリン色の瞳で、自嘲と共に吐き出されたロイクのバリトンボイスが、脳内で鮮明に再生された。
アリサは、この国の侯爵令嬢である。
第一王子の婚約者選定が、始まったのだ。
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