ガラス越しの宝石

尾高 太陽

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無数の星

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 しかし、その手は掴むことも、踏みつける事も無い、ただ乗っているように。
 襲うどころか、まるで助けを求めているような手。

 その手を伝うように体に目を移して、鏡は言葉を失った。
 熊はまるで、ギロチンに切られたかのように、出刃庖丁を振り下ろされた魚のように、下半身が無くなっていた。
 目は見開かれ、口からは暗闇の中でも赤々とした血が流れ出ていた。
「うわぁぁぁ!」
(死ん、でる。なんで!!)
 鏡は腰が抜けて尻餅をつき。
 しかし、熊から目を離す事は出来なかった。
 本来なら絶対にあり得ない状況の中で、その苦しみに悶えるような表情を見ていると徐々に息が上がり、気付けば軽いパニック症状を起こしていた。


 少しすると熊の血に1匹のハエが止まった。
 それを見た瞬間、授業で習った弱肉強食という言葉を思い出した。

 強い者が生き残り、弱い者が死ぬ。

 それを頭の中で理解すればするほど落ち着き、生き残った喜びが湧き上がってきた。
「うおぉぉぉぉぉ!!!、ぉ、ぉ、ぉ、ぉ、、、」
 しかしその喜びも束の間、目の前には現実が映っていた。
(やっぱり、闇雲に走ってたらこうなるか、、、)
 生き残る事に必死で、道などは覚えていなかった。
 元から迷ってはいたが、あの場所からなら戻れたかもしれない。
 自分ならもっと落ち着いた対処が出来たのでは無いか。
 そんな後悔と共に、走った疲労感と脱力感に襲われ草むらに寝転がる。
 いつもなら気にする虫や雑菌も全く気にはならなかった。


 しばらくの間、鏡は横に倒れている熊を見つめていた。
 鏡の息が整う頃には熊の目は曇り、血は黒くなっていた。
 重い体を起こし、熊の頭に手を置き瞼を閉じさせると、ゆっくりと立ち上がる。
(さて、どうしようかな。)
 周りを見ていると、喉に痛みを感じた。
 しかし、それは外部的ではなく〈中〉、喉の渇きだった。
 もちろん、ただのお使いに水筒は持っておらず川の音もしない。
 たとえ川があったとしても地面に寝転がるのが気になら無いのとは違い、その水を飲もうとは思えない。
 そんな事を考えていると、どんどん喉は渇き、迷っているという現実と死という恐怖に襲われた。
(もう無理、かな。)
 目の前に転がっている熊の死体が視界に入るたびに恐怖が増し、木の根元に座った。
(ここが僕の死に場、、、。)
 死を覚悟した鏡は人生を後悔するように振り返っていた。

 友達のいない小学生生活、引きこもりの中学生生活、母親が失踪したのも自分のせいでは無いか。
 どんどんネガティブになっていく鏡の目に、小さな光が映る。

 何十、何百メートル先にあるのか分からない。
 木々の隙間を縫うように、今鏡の目に映っていることが奇跡のような小さな光。
 しかし、その小さな光は希望でしかなく人生を諦める理由も、向かわない理由もなかった。


 前に前に前に前に。
 その光に近づくにつれ、その光が生活感のある、家のような建物の窓から漏れている灯だと分かった。
「やった!!ついてる!ついてる!!」


 そして、光の漏れた元が小さな家だと分かるほどの距離になった時。
 鏡の体を押し返すほどの強い向かい風が吹いた。
 長く、強く、吹き続ける風の中、薄目で目を開く。
「っ!」
 足を止めると、つま先に明らかな違和感を感じた。
 足元を見ると足の3分の1先が宙に浮き小石がコツコツと落ちて行く。
 それより先は、ただ深く、暗く、黒い、谷だった。
「ー!」
 思わず後ずさりをすると、足元から視線をあげる。
 その谷は5mほどの幅があり、まるで、〈向こう側〉と〈鏡〉を分けているかのように左右に広がっていた。
「やっぱりついてない。」
 状況を整理するように、どうやって向こう側へ渡るかを考えたが、喉の渇きのせいでまともに頭が働かなかった。
「あぁ!」
 髪をクシャクシャと掻き乱していると、単純な答えが口から出た。
「飛び越えれば、、、」
(ん?)
 現実的思考の自分の口から出たとは思えない言葉に、鏡は固まっていた。
(、、、今何て言った!?)
「飛び越えれる分け無いから!絶対無理!!、、、そうだ!橋!橋!!」
 まるで別の自分を納得させるかのように谷沿いに歩き出す。
 谷に落ちないようにゆっくりと、足元を見ながら谷沿いに進んでいった。


「無い、、、何で橋が無いんだ!、と言うか最初の場所に戻ってる!?」
 谷は家を囲むようにあり、気付けば鏡が歩き始めた木の前に戻って来ていた。
 そして、家を囲む谷のどこにも橋はかかっていなかった。
(おかしい、谷の形はまだしも、この家の人はどうしてるんだ。)
 鏡は谷に足を落とすように座ると、足をぶらぶらと揺らした。
(無理だー、この風じゃ声は届かない、、、)
 鏡は、また人生を諦めるように空を見た。
 今度は何も見つけてしまわないように、希望を見つけてしまえば生きたくなる。その希望に裏切られる事は苦痛でしかなかった。


 しばらくして、頭上にあった星を見ていると、ミシミシと言う音と共にジェットコースターのような浮き上がる感覚に襲われた。
 鏡は思わず下を見ると、下に星空があった。
 そしてその横には今まで座っていた谷がえぐられるように削れていた。
「え!?」
 鏡は逆さまだった、座っていた谷の淵部分が崩れ、谷に落ちていく。
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!?」
 鏡は恐怖で目を瞑る。
 ついさっきまで死を覚悟していたはずが、実際に死を感じると恐怖する。
 いや、ついさっきまで感じていた死は一種の混乱とパニックによるもの。
 しかし今感じている死は事実で、確定した死。
 そんな、どうしようも出来無い恐怖を感じながら、谷へと落ちて行った。


 何秒経ったのだろう。
 谷は想像以上に深く、落ちる時間は長かった。
 もしかすればただの走馬灯のようなもので、まだ一瞬しか経っていないのかもしれない。
 そう考えるとなぜが落ち着き、冷静に目を開く事が出来た。

 上下も分からない中で、ただ暗闇の中に落ちていると思っていた。
 いや、本来ならそうなのだろう。
 しかし鏡の目には映っていたのは、まるで無数の赤い星のように輝く谷の壁が上から下へと、流れ星のように流れていく景色。
 初めて見るような美しい〈赤〉
 それを見た瞬間、意識が遠くなり、眠るように気を失った。
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