静かな夜をさがして

左衛木りん

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第6章 会戦

雪ぐ傷痕

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双方一歩も引かない壮絶な死闘の中、久遠は未だ黄泉の煌源を掌握できずにいた。

「ちゃんとやってるのに、なんで…なんでさっきみたいにうまくいかないんだよ…!!」

苛立ちと焦りを煌器の形にしてぶつけるような荒々しさで猛攻を加える久遠に対し、黄泉は無駄のない動きと鎧袖一触の技で応戦する。二人の実力は完全に伯仲しているように見えた。今均衡を破って勝利を収めるために、天地神煌による浄化という決定打を使わない理由はどこにもない。

(妙だ…久遠、いったい何を躊躇って…)

懸念と疑念を深めながら戦況を見守っていた静夜は、背後に唐突に何かの気配を察知して反応した。

「!!」

振り向きざまとっさに迦楼羅を盾に奇襲を防ぐと、弾かれた無数の梢針がばらばらと地面に落ちた。

「ちっ…人間のくせに、鼠みたいにすばしっこい奴だ」

技を使った者が舌打ちし、さらに数人が集まってくる。彼らは敵軍の黒衣の人間ではなく、友軍としてついさっきまでともに戦っていた原礎たちだった。しかも静夜にはその面々にはっきりと見覚えがあった。

「…あなたたちは…」

静夜は眉を強くひそめた。そこに居並んで彼を睨んでいたのは、以前から彼を原礎殺しとして憎み、演説会では彼に侮辱されたと思い込んでひそかに逆恨みを抱いていた一党だった。彼らも志願して戦場に出、静夜に近づく機会を虎視眈々と窺っていたのだ。彼らの剣の切先と棘のある目つきは静夜に向けてぴたりと据えられている。

「こんなことになったのは全部おまえのせいだ…おまえが現れてから何もかもがおかしくなった…!」

「おまえがいる限り災いや戦乱がひっきりなしに押し寄せる…煌狩りに間諜を潜入させたそうだが、そいつらは本当は連絡役の手先で、おまえは原礎の友のふりをして実は黄泉と内通していて、中から手引きしているんじゃないのか!?」

「厄病神め…!大森林に留め置くも黄泉に引き渡すも不都合なら、いっそ殺してしまえ!!」

愕然として顔色を失う静夜に、怨恨と妄執の虜と化した者たちは一斉に襲いかかった。剣と術を駆使した多方向からの攻撃を静夜は迦楼羅に込もった天地神煌の守護の力ですべて完璧に退けたが、反撃することはできず、ただ言葉で抵抗することしかできなかった。

「理不尽な仕打ちや心痛を受けたというあなたたちの考えそのものは正当ですが、俺は内通などしていないし、逃げも隠れもしません…!しかし今は…味方同士で争っている場合では…!」

「味方?俺たちが?おまえは俺たちを自分の味方だと思ってるのか?いい気になるな!おまえは敵だ、仇だ!裏切り者だ!!」

「俺の兄貴はいつまで経っても旅から帰ってこず、便りすらよこさないんだ!どうせおまえは殺した者の名前なんて知りもしないんだろうけどな!」

「旅の途中だった同胞は次々と死に、今日ここでも何の罪もない仲間が大勢死んだ…全部おまえが招いたんだ!おまえさえ、おまえさえいなければ…!!」

「っ…!!」

憎悪に満ちて血走った目、吐き捨てられる怨嗟の言葉、そして執拗に追いすがる敵意。断ち切ったはずの呪縛が息を吹き返して腕を伸ばし、再び彼を捕らえた。彼はたちまち過去に引きずり戻された。笞刑の古傷が思い出したように再びうずき始める。

(現実は何も…何も変わっていない…)

悲愴なまでの苦悩がその目許ににじんだ。

「キミたち、今ここでそんなこと…!」

「どんな理由があれ、戦場で味方に武器を向けるのはそれこそ裏切り行為、重大な規則違反だぞ!わかってるのか、おまえら!」

静夜を庇いたくても下手に乱入するわけにいかず、じりじりと二の足を踏んでいた界と曜が見かねて叫んだが、静夜は他の者たちをあくまで近づけさせまいと切実な声を絞り出した。

「いいんです…どうかこのまま彼らの気が済むまで好きにさせて、手を出さないで…これは当然の報いなんです…」

「静夜…おまえ…」

(それでも俺は…今俺にできることをしなければ…!)

『みんな本当は誰にも死んで欲しくなんかないのよ。ただうまく言えないだけなの』

薄暮の森で麗からかけられた言葉が心に去来する。

『みんなもきっと今頃心の中で考えて、悩んで、戦ってるわ。だから静夜ちゃんも、頑張って生きてちょうだいね』

自分に対する憎しみは、同胞に対する愛の深さの印だ。本当に愛していなければ、これほど激しい感情を抱くことはできないからだ。

これはけして単なる非合理な暴挙や私刑ではない。大切な人を失ったやり場のない怒りと悲しみを報復という形でしか表すことのできない、遺された者たちの悲痛な叫びなのだ。

彼らは深い愛の持ち主で、それゆえに苦しみ、悩みながら自分の中の相反する感情と戦い続けている。彼らをその境地にまで追いやった自分こそ、他の誰よりも信じてもらえるに値する人間にならなければならない。静夜はそう思った。

彼らが諦めるまで耐え忍ぶ意思を示し、防御に徹し続ける静夜を、界と曜、麗と暁良は苦渋の表情で見つめた。そのとき久遠と黄泉が空中で激しく衝突し、黄泉の方が弾き飛ばされて勢いよく地面に叩きつけられた。

「…ぐ…やるな、瑞葉の小童…」

しかし物理的な打撃が黄泉にとって致命傷になるとは久遠は考えていない。対策を考えるわずかな時間を作るための一撃だ。久遠は思考回路を必死に急かして働かせた。

(天地神煌で制圧できないなら、どうすればいい…落ち着け、落ち着いて考えろ、自分…!)

「!」

身体を起こした黄泉は、なぜかはわからないが同士討ちがすぐ側の地上で行われていることに気づき、それが静夜の命を狙ったものであると見抜くと逆上した。

「静夜を殺すつもりか?宝の持ち腐れだということがまだわからんのか…!!」

静夜が攻撃を防いでわずかに離れた瞬間、黄泉は私刑人たち目がけて両手から帯状の赤い煌を投げ放った。

「〈灼舌しゃくぜつ〉!!」

(…!)

静夜ははっとする。二つの赤い煌は射手と標的の距離を一瞬で詰めた。気づいたときにはもう目の前に迫っていた炎の舌に、私刑人たちは硬直した。

そこに静夜が迦楼羅を盾に飛び込んだ。

最初の灼舌は守護の煌気を帯びた迦楼羅に真正面から受け止められて阻まれ、砕け散った。しかしあまりに強いその衝撃に迦楼羅は静夜の手から弾き飛ばされた。まさにそこに次の灼舌が到達した。

ドッ!!

瞬間、無防備になった静夜の胴を重い音を立てて炎の舌が突き破った。

凍りついた時の中に鮮血と肉片が飛び散った。

「ぐ…っ…!」

静夜は声を噛み殺した。膝がよろめき、地面に向いた。

「…静夜ああああああーーっ!!!!」

久遠が血相を変えて上空から彼のもとへ急降下してきて、倒れる寸前でなんとか彼を支え寄りかからせる。真っ白だった衣はすでに大量の血で染まり、抱きしめた久遠の手や服もみるみる赤く濡らしていった。

「…黄泉ぃぃいいぃぃっ!!!!」

「おのれええええっ!!!!」

暁良と曜が怒りの形相で突進した。

「!」

静夜の予想外の動きに常ならずたじろいでいた黄泉の腹にヴィエルジュとグラムニールが突き刺さった。

「…ぐふっ…!」

二人としては仇討ちの成功を確信する手ごたえだった。たたらを踏んで後ずさった黄泉だったが、最後の可能性を諦めてはいなかった。

天地神煌を蓄積し、抜き身の状態で地面に転がった迦楼羅に遮二無二手を伸ばす。しかし。

…バキバキバキッ!!!!

あと少しで手が届くかと見えたとき、迦楼羅は突然地面からせり出し伸び上がってきた巨大な氷柱の中に閉じ込められた。

思わず振り向いた先には、無言の怒気を孕む冷たく青い瞳の氷雨の少年が掌を突き出して立っていた。

「くっ…」

迦楼羅を封じた氷柱の端が生き物のように自ら蠢いて凍結の範囲を拡げ始める。パキッ…メキメキッ…バリバリバリバリッ!!氷の塊が黄泉を飲み込まんと大地を舐めるように迫った。だが結氷させられる間際に黄泉は残った力を振り絞ってそこから飛びすさり、どす黒い血を点々と垂らしながら原礎たちの追撃も振り切って、一陣の黒い風と化して逃走を始めた。慌てふためく黒衣の残存兵に命令を飛ばしながら。

「久遠と静夜と迦楼羅を確保しろ!成功した者には三倍の褒賞を与える!」

残存兵たちは立身の好機到来に色めき立った。人間側の敗色濃厚だった戦場の雰囲気は一変し、戦意を取り戻した人間たちは大幅に数を減らした不利な状況の中、再び原礎たちに斬りかかった。主君が兵士を最前線に残して先に撤退することを疑問に思う者はほとんどおらず、誰もが上積みされた褒賞に目が眩んでいた。俄と氷雨の礎主が角笛を吹かせながら縦横無尽に馬を走らせ、突然の攻撃再開にうろたえる同胞たちを檄して回った。

「結界を張れ!静夜と久遠に近づけるな!」

「奮い立て、我が同胞たち!敵を押し戻せ!」

目まぐるしく動く事態の中心で久遠は無我夢中で静夜に呼びかけ続けた。

「静夜…静夜…!しっかり…しっかりして…!!」

久遠の声と頬を撫でる手の感触に静夜は薄く目を開け、光の消えかかる灰色の瞳で彼を見上げた。麗が駆けつけてきてすぐに癒しの煌気による治療を始めたが、その顔は何かを悟り、そっと伏せられた。

「どうしてあんな無茶なこと…あんな奴ら、ほっといたらいいのに…!」

「…裏切り者でないという証を立てるために」

「でも…だからって、何もここまでしなくても…!」

「君に対して…恥じない自分でいたいから…」

静夜は息も絶え絶えに、口から血を吐きながら、それでも懸命に微笑みを浮かべて答える。自分の過去に毅然と立ち向かい、どんな境遇に置かれても潔く、誇り高くあろうとするその変わらぬ姿に久遠の胸は激しくかきむしられた。

私刑人たちは瞬の碧縄ですでに拘束され、監視役の兵士に囲まれてうなだれている。

「おまえが僕に恥じることなんて何ひとつない。誰に何を言われたって構わない!迦楼羅も罪もどうでもいい、おまえが生きてなきゃ…元気で一緒にいてくれなきゃ意味ないよ…!」

久遠はそのとき自分の胸にがばと手を置いた。

「僕の煌源をおまえにあげる…そうすれば命は助かるから…今すぐ助けるから…!」

そうして自分の煌源を抉り出すべく迷うことなく指を自分の胸に突き立てようとした久遠を、瞬と曜が慌てて制止した。

「よせ、久遠!正しい手順を踏まずにいきなり煌源を取り出すとおまえの命まで危険だ!」

「それに天地神煌の煌源は煌気が強すぎて人間の肉体にはとても耐えられない。二人とも死んでしまうぞ!」

久遠は絶句した。現実には今瞬が言ったとおりで、原礎の中で唯一、長老の手によってしかるべき手段と処置を取らなければ、安全に煌源を摘出することはできないのだ。

「じゃあいったいどうしたらいいんだよ!!このままだと静夜が…静夜が…!!」

「…っ…!」

ならばせめてできることを、と瞬と曜もありったけの癒しの煌気を麗とともに注ぎ始める。

「久遠…もういい」

自分を連れていくためにとうとう近づいてきた死の足音を耳の奥に聞きながら静夜はささやいた。癒しの煌気をどれだけ浴びても助かる傷ではないことがわかるほど、頭は不思議に澄み渡っていた。そして心は、背負っていた重荷をすべて下ろし、生涯でただひとり愛した人の腕に抱かれて温かく満たされていた。

「宇内様から猶予をいただいたこの命、今こそお返しする…君は、どうか立派に…幸せになって…」

久遠は涙をぼたぼたと流しながら静夜の手を摑む。白詰草と四つ葉の指輪が合わさり、捩れるほどきつく擦れた。

「おまえの存在なしで僕が幸せになれるわけなんかないだろ!!忘れたのか?いつの日か僕を潭月の郷に連れていってくれるって…二人で新しい思い出たくさん作ろうって約束したじゃないか…!!」

「すまない、久遠…あい…して…」

声が途切れ、まぶたが下り、握っていた手がだらりと重たく落ちた。それきり静夜は動かなくなる。

久遠は半狂乱に陥って絶叫した。

「嫌だ、嫌だ、嫌だ…!!静夜…静夜…僕をひとりにしないで…!!…わああああああっ…!!」

ぬくもりの引いていく身体をかき抱いて人目も憚らず猛烈に泣きじゃくる久遠の周りでは、彼らと親しい者たちが、ある者は呆然と立ち尽くし、ある者は激しく嗚咽して、誰も、何もできずにただそこにいた。

すると、不意に久遠の背後に何者かが現れた。

「やるなら、私の煌源をやろう」

その場にいる全員が一斉に、弾かれたように顔を上げた。

「…姉さん…!!」

「永遠…!」

永遠は久遠の隣にしゃがみ込むと静夜の様子を確かめるようにその蒼白な額に手を乗せた。

「姉さん、今までいったいどこに…こんなときに何してたんだよ…!」

「すまなかった。だが説明は後だ。今は静夜を助けなくては」

冷静に話す永遠に、久遠はぶるぶると首を振った。

「でもそんなことしたら姉さんの方が死んじゃう…静夜は死なせたくないけど、姉さんを失うのも嫌だ…!!」

「私は死なない。確かに、人としての今の姿は失うが、形を変え、別の存在になって生き続ける」

「えっ…」

一同は耳を疑った。永遠は淡々と言った。

「私の森羅聖煌の煌気はすでに大部分がのために別のところに移され、私の肉体も煌源も今は最低限の行動のために細々と生き永らえているにすぎない。いわば風前の灯だ。この秘術を完成させるには最終的に肉体と煌源を放棄しなければならない…その選択を私はした」

そのとき久遠たちにはようやく彼女が憔悴しきっていることと、ずっと閉じこもって修行していた理由がわかった。

「最期の最期に残るこの煌源をどう始末するか、それだけが懸案だったが、限界まで弱まった今の私の煌源なら、人間の静夜でも受け入れられるはず…まさかこんな形で役に立つとは…くっ…!」

小さく踏ん張る声と同時に、永遠は自分の胸に深く指を食い込ませた。

「…!!」

青ざめた顔で痛ましそうに見守る一同の目の前に、わずかな量の血のついた淡い金色に光る珠が取り出された。永遠の命の最期のひとかけらだ。それを掌に乗せた永遠は、か細く浅い呼吸を継ぎながらしっかりとした口調で久遠に言い聞かせた。

「私が姿を消して静夜が目覚めたら、二人のところに使いの者が来る。そういう手筈になっている。どうすればいいかはそのときにわかるから、それまで待て」

「…待ってよ姉さん…僕…もう誰も失いたくない…!!」

久遠はどうしようもないほど切なさが込み上げ、情けない声音で泣き言を漏らした。落ちこぼれの甘えん坊だった子供に戻ってしまったように。

「姉さん、お願いだからいなくならないで…僕、昔から姉さんだけが頼りだったのに…もっともっといろんなこと話して、教えて欲しかったのに…」

「泣くな、久遠…すぐまた会える。静夜と一緒にな。…それまで少しの間お別れだ」

鏡映しのように額と額を合わせると、永遠は無惨に貫かれた静夜の身体の奥に自分の煌源を送り込んだ。うっすらと輝く煌の珠は静夜の傷から肉の中に吸い込まれて消えた。静夜の肉体が永遠の煌源を受け入れたのだ。

「…これで静夜は助かる」

「…姉さん…」

「永遠…」

じっと瞑目している静夜を見下ろして安堵の微笑みを浮かべる永遠の全身は徐々に透け始めていて、久遠たちはこれが現し身の彼女との永遠の別れであることを理解する。

「悲しむことはない。私たちがどこにいようと、どんな姿形であろうと、心は常にともにある…私たちは特別な絆で結ばれた双子であり、友だから…」

永遠は微笑みをさらに深く、優しく解きほぐし、光に溶けて崩れ去るように輪郭を失って、やがて霞が風に吹き払われるように跡形もなく消えた。

「…姉さん…姉さん、姉さんっ…!!」

久遠は喉が破れるかというほど激しく慟哭した。永遠の煌源を宿した静夜の目覚めない身体をきつく抱きしめ、その傷口に滝のように涙を降らせた。

(静夜の命か姉さんの命か、どちらか選べなんてあんまりだ…僕にとっては二人ともかけがえのない人なのに…!)

永遠が何を言ったとしても、今の久遠の頭には自分が姉を死なせたも同然だという自責の念しかなかった。

(僕は…自分は成長したと思い込んでいい気になって、結局中途半端で黄泉を取り逃して…姉さんの覚悟も知らず、挙句の果てに、こんな…こんな…!!)

のんきで自信過剰だった昨日までの自分を殴り倒してやりたい気分だった。不甲斐なさと喪失感から久遠は気が動転し、錯乱し、頭の中が真っ白になった。次の瞬間彼は自己統制を失った。

エメラルドの瞳孔が急激に狭窄し、ドンと突き上げるような衝撃とともに金色の煌が天を衝いた。束ねた髪が逆立って波打ち、その結び紐が高圧に裂けてちぎれ飛んだ。久遠は座り込んだ膝の上に静夜を横たわらせ、心を閉ざされたような完全な無表情で、どことも知れない宙の一点を見つめたままあどけない暴君と化した。

暴走を始めた天地神煌は、煌人に対して制御下で行使されたものとは比較にならない支配力で原礎たちを蹂躙した。戦場にいた原礎たち全員の煌気が強制的に吸い上げられ、無秩序に飛び込んでその器の中で暴れ、抜け出してはまた別の器を見つけて食らいついた。煌が乱れ飛び荒れ狂う金色の嵐の下で原礎たちは悲鳴を上げて逃げ惑い、大混乱に陥った。それはまさに美しく凄絶な地上の地獄だった。

「早く…!天地神煌の暴走を止めないと…!」

「久遠…!!落ち着け、久遠!!」

瞬と俄と氷雨の礎主が三人がかりで鎮静の術をかけて久遠を正気に戻させる。三礎主が全精力を傾けてやっと久遠は人事不省の状態を脱し、力の顕現を止め、事切れるように眠りに落ちた。それと同時に天地神煌の暴走と煌気の擾乱も収束したが、猛烈な煌気の移動と煌源の支配にさらされて体力を著しく消耗した原礎たちはひとり、またひとりと武器を取り落とし地面にうずくまっていった。

これは敵軍にはさらなる追い風で、黒衣の軍団は今こそ好機と勢いを盛り返し攻め立てた。気力と体力を削がれ足並みを乱した原礎たちは危機的状況に追い込まれようとしていた。そんな中でも曜、界、麗はなんとか持ちこたえ、暁良たちに助けられながら奮闘を続けていた。

「くそっ…もう勝利は目前だっていうのに…力が…!」

「ボクも…迦楼羅を守るのでいっぱいいっぱいだ…」

迦楼羅を閉じ込めた氷柱を死守する界がへとへとの表情でつぶやいたときだった。

西の方角から突如、高らかな角笛の音と大人数が大地を行進する地響きが聞こえてきた。

「あの角笛の音色は…」

「樹生の礎主だ!第三大隊が来たぞ!」

「それに、見ろ!あれは…旅に出てた同胞たちだ!しかもあんなに大勢…!」

皆が顔を輝かせて叫んだとおり、結界周縁域での小競り合いを制した樹生の礎主率いる第三大隊が大急ぎで駆けつけてきたのだ。彼らとともに進軍してくるのはくたびれた素朴な旅衣装の、意気軒昂な原礎たちだ。旅から戻ってきた彼らと合流して結成された一大軍勢を樹生の礎主が導いてきたのである。窮地に立たされていた主戦場の原礎たちは喝采と大歓声で援軍を出迎え、対して黒衣の人間たちはその勢いに圧倒され、怖気づいて蜘蛛の子を散らすようにばらばらと遁走した。三倍の褒賞の夢も一瞬で忘れ去って。

「…みんな、見て!何か近づいてくるわ!」

目ざとく気づいた麗が叫び、援軍のやってくる方の空の彼方を指差した。一瞬恐怖に凍りついた原礎たちの表情が次第に喜びと安堵に入れ替わった。

こちらを目指して飛翔してきたのは、巨大な翼を持つ鷲の一団だったのだ。

「見ろ!雲居の銀嘴鷲だ!」

「鷲だ!鷲たちが来たぞ!」

銀嘴鷲たちは凄まじい速度であっという間に主戦場の上空に達した。その数およそ十数羽。乗り手をひとりずつ乗せた鷲もあれば、誰も乗せずに自ら整然と列を作って飛ぶ鷲もいる。彼らは手や武器を振って歓迎する同胞たちの頭上で急旋回し、逃げる人間を北へ追い立て、残った魔獣たちを鉤爪に引っかけて一掃した。その中で最も大きく堂々とした一羽の背では、美しい長衣の裾と結われていない長い金髪が風になびいている様が見て取れた。こうして混迷を極めた合戦の勝敗は決したのだった。

大森林で戦が始まるという噂を聞いて雲居の社に集結した旅の原礎たちを長の光陰がまとめて送り出したという話は後々広く知れ渡ることとなった。

いつしか太陽は援軍が現れた西へと傾き、運命的な一日は静かに終わろうとしていた。
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