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7 いよいよゲームスタート?
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◆いよいよゲームスタート?
カザレニア国は、海と山に囲まれ、四季もある、温暖で平和な国だ。
北側には、八ヶ月もの間、雪に閉ざされる標高の高い山がそびえ、天然の要塞として隣国からの侵攻を阻んでいる。
だが山裾には山菜や木の実や薬草などが生え、恵みも多い。
南側には、海が広がる。新鮮な海の幸は市場の客を常に引き寄せた。
そして、海側から侵攻してくる敵や海賊は。カザレニアの国土を守るように浮かぶ、孤島の王城から、王家の者が火炎魔法で防いでいるのだ。
だから、敵国は豊かな国であるカザレニアを攻めあぐね。ここ十年あまり、平和な時を過ごしていた。
王都の中心にある王宮は、小高い丘の上に建ち。海岸線から王宮への道のりは長い上り坂が続いていく。
そのメインストリートの港の方には、魚市場や青果市場が連なって、活気があり。
王宮方面に向かって坂を登っていくと、店の顔は、カフェや服飾、雑貨屋などが多くなっていくのだが。
そのひとつに、ぼく、クロウ・エイデンが勤めるドレス専門店があった。
このドレス専門店では、主に貴族の女性が、茶会やダンスパーティー用にドレスを買い求めにやってくる。店先は、女性客に対応する店員の声でにぎやかだが。
その喧騒は、部屋の扉一枚でシャットアウトされている。
ぼくの仕事部屋には、いつも静かで、ゆったりとした時間が流れているんだ。
聞こえるのは、古い柱時計が時を刻む音だけ。
長い前髪をゴムでくくって、ちょんちょこりんにしているぼくは、黙々と、生地に針を刺している。
その横に、黒い子猫がいるが。猫ベットで丸くなって寝ているので、やはり静かなのである。
前世のぼくは、仕立て屋のくせに前髪の長いクロウを、仕立て屋舐めてんのか、なんて言ったけど。
おしゃれして前髪を切ると、針仕事のときに毛先が目に入って、痛いんだよね。
眉より上で切っていたこともあるんだけど、すぐ伸びるし。仕事に集中していると、ちょこちょこ髪を切る時間も惜しいし。
だったら、伸ばして、結わってしまおうってことになり。今に至る。
なので、仕事中はいつもちょんちょこりん。
普通に、人前に出るのはちょっと…という仕様だから、接客は店員さんにお任せなのだ。
前世のぼくよ。クロウは決して仕立て屋業を舐めていたわけではないのだよ? わかってくれたかい?
古い柱時計が馴染むウッド調の部屋には、ぼくが作成したドレスが所狭しと並んでいる。
ありがたいことに、作る端から売れていくので、店主の大叔母様はウハウハだ。
訳アリの親子三人を匿ってくれた大叔母様に、少しは恩返しができただろうか?
針先を器用に動かして縫いつけながら、ぼくはそんなことを考えていた。
すると、なにやら廊下で『困ります』やら『彼はお客さまとはお会いしないので』やら、店員の声がした。
ぼくは前髪を縛っていたゴムを外す。
たちまち、ながい前髪が顔を覆い隠した。
ぼくはあまり人前に顔をさらしたくないし。人と会うことも極力避けて生きてきた。
ちょんちょこりん、だからじゃなくて。バミネにみつかって、親子ともども命を脅かされたくないからだ。
だけど、ぼくはニ十歳になった。いやな予感がするよね。
仕事部屋の扉が、ノックもナシに開けられた。
無遠慮に、部屋にずかずか入ってきたのは…良く言えば、恰幅の良い。悪く言えば、ぽっちゃりで軍服がはち切れそうな感じの、騎士だった。
濃茶の、ボリュームのある髪が肩口まで伸びているから、さらにデデンとして見える。言葉を濁しても仕方がないか。お太りになって見える。
「あんた、誰?」
薄々は気づいていたものの、前と同じような言葉をかけてみた。
案の定、彼は顔をトマトのように真っ赤にした。
沸点低いのも相変わらずですね。
「バジリスク公爵家がひとり息子の、バミネ・バジリスクだ。貴様は相も変わらず無礼な男だな。平民風情が、俺様に頭のひとつも下げないとは、何事だ?」
やはり、いやな予感は当たるもの。ついに、みつかっちゃったな。
まぁ、そういう時期でもあるし。仕方がないか。
「平民風情の仕事部屋に、公爵家の方が足をお運びになるなんて、恐縮ですぅ」
バミネなんかに下げる頭は持っていないので、ぼくは針仕事から目を離すことなく、棒読みで告げた。
そして、店員さんには目で大丈夫だと合図をして、下がってもらう。
「…この度、国王陛下がご結婚されることとなった。そこで婚礼衣装を、国一番の仕立て屋に依頼することになったのだが…驚いたぞ。おまえが、こんなところに隠れていたとはな? 元公爵子息様が、幽鬼のようにやせ細った青白い顔で、このような暗くて狭い部屋で縫物をしているとは、嘆かわしい」
バミネの嫌味にも動じず、ぼくは淡々と返した。
「弟を亡くし、母も心労であとを追うように亡くなられた。公爵家を追い出された子供の僕が生きていくには、できることはなんでもやるしかないので」
嘘だけど。
弟のシオンは、ぼくの横でシャーシャーとバミネを威嚇しているし。母も死んでいない。
母は大叔母様の屋敷で、ハンカチにワンポイントの刺繍をせっせと縫いつけ、量産している。母の刺繍は素朴でバリエーションがあるので、十代の貴族のお嬢様方に大変お気に召していただいているのだ。
ただ、ぼくはバミネに、母やシオンに目をつけられたくない。
公爵家のゆかりの者は、もう僕しか残っていないよ。そう、やつには思わせたい。
そうすれば、家族の命は脅かされないからな。
「陛下の婚礼衣装に携われるということは、とても名誉なことです。誠心誠意、努めさせていただきますが。僕は雇われの身ですから、詳細は店長を通していただきたい」
ずっとバミネに向かってシャーシャー言っているシオンを、なだめるように撫でて。ぼくは冷静に応対する。
「いいや、陛下のご結婚は秘密裏に進められているので。おまえひとりの胸におさめてもらわねば困るのだ。それにおまえは、俺の言葉には逆らえないはず…」
そう言って、バミネは公爵家の家紋の入ったペンダントを見せた。
えぇ? あれは、母が十年前に奪われた、激ヤバアイテム。ぼくの魔力を覚醒させ、シオンの呪いも解けるかもしれない、やつっ。
捨てられただろうと思って、すっかりあきらめていたよ。
「母親が死んだと言ったか? なら、これは母の形見なのだろう? 仕立て屋がおまえだと知り、脅しの材料にできるかと思って持ってきたが。その顔つきは、正解だったようだな?」
「返せ。それは僕のものだ」
「公爵家の家紋の入った代物を、平民のおまえにくれてやるわけにはいかない。が、陛下の衣装を見事に作ってみせた暁には、これを返してやろう」
「…仕立て代は、前払いが基本です」
そう言って、ぼくはペンダントを寄越せと手を差し出すが。
バミネは鼻で笑うだけだ。
「半金、支払ってやる。残りの半金は、ペンダントだ」
つまり、国から出ている衣装代、半分はやつの懐に入るということか?
がめつい。やつが儲けるのは非常に腹立たしいが。
うー、仕方がない。あのペンダントは、取り戻せるのなら取り戻したい。
ぼくはともかく、シオンは早く治して、普通の生活をさせてあげたいからな。
了承し、ぼくが渋々うなずくと。バミネはニヤリと笑った。
「条件は、白地に白糸で刺繍すること。おまえは刺繍の腕前もあるようだな? ガリガリのおまえには相応しい、軟弱な趣味じゃないか?」
趣味じゃなく、仕事だっつうの。
ま、いちいちバミネの嫌味に応じていては話が進まない。
「白地に、白糸で? それでは、せっかくのお衣装が、質素すぎます」
「そこをうまくやるのが、おまえの腕だろうが? 陛下は、華美なものを好まれない。デザインは一任するが、装飾は極めて地味におさえろ。三月に、王城に上がり。四月には納品できるようにしてもらう」
はぁっ? 期間が短いっつーの。
今は二月なのに。刺繍って、あんがい時間がかかるものなんだぞ? 一針一針重ねていくのだからな。
それを胸の前面に施すとなったら、結構な大作なのに。
「先ほども言ったが、陛下の婚姻は極秘だ。もし情報が外部に漏れたら、おまえは死罪だからな。三月一日に用意して、港に来い」
国王の体のサイズが書かれた紙片を置いて、バミネは部屋を出て行った。
「ふ…ふふふ」
バミネの気配が店にもなくなった頃。ぼくは、にやけて引き上がる口角をおさえられなかった。
「聞いたか? チョン。僕が陛下の婚礼衣装を手掛けることになったんだぞ? 平民に落ちた僕が、陛下に御目にかかる機会など一生ないと思っていたが。こんな奇跡に恵まれるなんて…」
ぼくは、驚きと困惑と感動に、身をぶるぶると震わせた。
あ、ちなみにチョンというのは。シオンが猫になっているときの愛称だ。
この黒猫が、万が一にもシオンだと悟られないよう、用心した偽名モドキなわけ。
どうやらバミネは気づかなかったようだから、良かったよ。
名づけのとき。どうしようかと考えてさぁ。
「シオン、シォン、ション、チョン…」
と変化させていき。そして思いついたのだ。前世の爺さん家で飼われていた、猫の…。
「おちょのすけ」
「ニギャー―ッ」
当時四歳のシオンは、お気に召さなかったようで。激しく鳴いたから。
「じゃあ、チョンで」
まだ不満そうだったけど。シオンである黒猫は渋々うなずいた。
ひどいものを提示したあとで、本題を切り出すと、受け入れてしまう理論。恐るべし。
そんな経緯があったんだけど。それはまぁ、いいとして。
「話を持ってきたのが、バミネだというのが、いやな感じだが。公爵家を追い出された僕が、バミネの言いなりで、王城に上がるのは、どうも不自然だと思っていたんだよ。でも、ネックレスを取り返すためという伏線があったのだとしたら。なるほど、筋は通るな。こんなモブの近辺に小難しい仕掛けをしやがって、ニクイね、アイキンの公式め」
今まで、ぼくは静かにドレスを作ってきたわけだが、いつの間にか国一番の仕立て屋となっていたらしい。
いやいや、ぼく以上にセンスのある仕立て屋は多くいますけどぉ?
きっと、ぼくが王城に上がるのに必要な肩書なのだろう。アイキンの強制力みたいなもんなんじゃないかな? 本気にしてないってば。
つまり。ぼくが王城に上がるということは。
愛の力で王を救えっ、の世界が開幕するということ。いよいよゲームスタート? ってことなんだ。
前世で垣間見た、あのきらびやかな世界を、リアルにこの目で見られるんだよ?
主人公ちゃんの愛らしさや、王のイケメンっぷりを、さ。
それに、まだ大きな画面で見てはいなかったけれど、キャラクターデザインが秀逸だったから、他の攻略対象者もきっと、麗しい美形揃いなはずだ。
今から、超楽しみっ。
だってさ、ぼくはモブなんだから。絶対成敗されないだろ?
一傍観者として。この物語の始まりから終わりまで、安全な場所で見ることができるってわけだ。最高じゃね?
そう思ったら、踊り出したい気分になった。
もう公爵子息じゃないけど。母が、なにが起きるかわからないから、貴族として恥ずかしくないだけの知識や所作は教えます、と言って。ダンスマナーも教わっていた。
ぼくはシオンを抱き上げて、狭い部屋でワルツを踊る。
「そんなに、嬉しいのですか? 兄上」
シオンが聞いてくる。
相変わらず、猫でも、ぼくはシオンと意思疎通ができた。
「もちろんさ。仕立て屋として、陛下のお召し物を作るというのは最高の栄誉じゃないか?」
「踊りたいなら、夜まで待ってくだされば、僕がお相手しますけど?」
「やだよ。シオンと踊ったら、僕が女性役をするようだろう?」
シオンは十四歳。ぼくはニ十歳。
なのに人間型のシオンは、もうぼくの身長を抜かしている。なぜだ?
「それに。今、踊りたい気分なんだから。付き合えよ、チョン」
嬉しさに、顔がほころぶ。ぼくの顔を見て、シオンもなんだか嬉しそうだ。
これから、いろいろあるだろうが。きっと主人公ちゃんが、愛の力でなんとかしてくれる。
ぼくは、それを一番近いところで見たいのだ。
そしてできれば、巴と静に見せてあげられなかった『その身を我に捧げよ』とイケボで王が言うという、あのラストシーンも。直にこの目で拝みたい。
カザレニア国は、海と山に囲まれ、四季もある、温暖で平和な国だ。
北側には、八ヶ月もの間、雪に閉ざされる標高の高い山がそびえ、天然の要塞として隣国からの侵攻を阻んでいる。
だが山裾には山菜や木の実や薬草などが生え、恵みも多い。
南側には、海が広がる。新鮮な海の幸は市場の客を常に引き寄せた。
そして、海側から侵攻してくる敵や海賊は。カザレニアの国土を守るように浮かぶ、孤島の王城から、王家の者が火炎魔法で防いでいるのだ。
だから、敵国は豊かな国であるカザレニアを攻めあぐね。ここ十年あまり、平和な時を過ごしていた。
王都の中心にある王宮は、小高い丘の上に建ち。海岸線から王宮への道のりは長い上り坂が続いていく。
そのメインストリートの港の方には、魚市場や青果市場が連なって、活気があり。
王宮方面に向かって坂を登っていくと、店の顔は、カフェや服飾、雑貨屋などが多くなっていくのだが。
そのひとつに、ぼく、クロウ・エイデンが勤めるドレス専門店があった。
このドレス専門店では、主に貴族の女性が、茶会やダンスパーティー用にドレスを買い求めにやってくる。店先は、女性客に対応する店員の声でにぎやかだが。
その喧騒は、部屋の扉一枚でシャットアウトされている。
ぼくの仕事部屋には、いつも静かで、ゆったりとした時間が流れているんだ。
聞こえるのは、古い柱時計が時を刻む音だけ。
長い前髪をゴムでくくって、ちょんちょこりんにしているぼくは、黙々と、生地に針を刺している。
その横に、黒い子猫がいるが。猫ベットで丸くなって寝ているので、やはり静かなのである。
前世のぼくは、仕立て屋のくせに前髪の長いクロウを、仕立て屋舐めてんのか、なんて言ったけど。
おしゃれして前髪を切ると、針仕事のときに毛先が目に入って、痛いんだよね。
眉より上で切っていたこともあるんだけど、すぐ伸びるし。仕事に集中していると、ちょこちょこ髪を切る時間も惜しいし。
だったら、伸ばして、結わってしまおうってことになり。今に至る。
なので、仕事中はいつもちょんちょこりん。
普通に、人前に出るのはちょっと…という仕様だから、接客は店員さんにお任せなのだ。
前世のぼくよ。クロウは決して仕立て屋業を舐めていたわけではないのだよ? わかってくれたかい?
古い柱時計が馴染むウッド調の部屋には、ぼくが作成したドレスが所狭しと並んでいる。
ありがたいことに、作る端から売れていくので、店主の大叔母様はウハウハだ。
訳アリの親子三人を匿ってくれた大叔母様に、少しは恩返しができただろうか?
針先を器用に動かして縫いつけながら、ぼくはそんなことを考えていた。
すると、なにやら廊下で『困ります』やら『彼はお客さまとはお会いしないので』やら、店員の声がした。
ぼくは前髪を縛っていたゴムを外す。
たちまち、ながい前髪が顔を覆い隠した。
ぼくはあまり人前に顔をさらしたくないし。人と会うことも極力避けて生きてきた。
ちょんちょこりん、だからじゃなくて。バミネにみつかって、親子ともども命を脅かされたくないからだ。
だけど、ぼくはニ十歳になった。いやな予感がするよね。
仕事部屋の扉が、ノックもナシに開けられた。
無遠慮に、部屋にずかずか入ってきたのは…良く言えば、恰幅の良い。悪く言えば、ぽっちゃりで軍服がはち切れそうな感じの、騎士だった。
濃茶の、ボリュームのある髪が肩口まで伸びているから、さらにデデンとして見える。言葉を濁しても仕方がないか。お太りになって見える。
「あんた、誰?」
薄々は気づいていたものの、前と同じような言葉をかけてみた。
案の定、彼は顔をトマトのように真っ赤にした。
沸点低いのも相変わらずですね。
「バジリスク公爵家がひとり息子の、バミネ・バジリスクだ。貴様は相も変わらず無礼な男だな。平民風情が、俺様に頭のひとつも下げないとは、何事だ?」
やはり、いやな予感は当たるもの。ついに、みつかっちゃったな。
まぁ、そういう時期でもあるし。仕方がないか。
「平民風情の仕事部屋に、公爵家の方が足をお運びになるなんて、恐縮ですぅ」
バミネなんかに下げる頭は持っていないので、ぼくは針仕事から目を離すことなく、棒読みで告げた。
そして、店員さんには目で大丈夫だと合図をして、下がってもらう。
「…この度、国王陛下がご結婚されることとなった。そこで婚礼衣装を、国一番の仕立て屋に依頼することになったのだが…驚いたぞ。おまえが、こんなところに隠れていたとはな? 元公爵子息様が、幽鬼のようにやせ細った青白い顔で、このような暗くて狭い部屋で縫物をしているとは、嘆かわしい」
バミネの嫌味にも動じず、ぼくは淡々と返した。
「弟を亡くし、母も心労であとを追うように亡くなられた。公爵家を追い出された子供の僕が生きていくには、できることはなんでもやるしかないので」
嘘だけど。
弟のシオンは、ぼくの横でシャーシャーとバミネを威嚇しているし。母も死んでいない。
母は大叔母様の屋敷で、ハンカチにワンポイントの刺繍をせっせと縫いつけ、量産している。母の刺繍は素朴でバリエーションがあるので、十代の貴族のお嬢様方に大変お気に召していただいているのだ。
ただ、ぼくはバミネに、母やシオンに目をつけられたくない。
公爵家のゆかりの者は、もう僕しか残っていないよ。そう、やつには思わせたい。
そうすれば、家族の命は脅かされないからな。
「陛下の婚礼衣装に携われるということは、とても名誉なことです。誠心誠意、努めさせていただきますが。僕は雇われの身ですから、詳細は店長を通していただきたい」
ずっとバミネに向かってシャーシャー言っているシオンを、なだめるように撫でて。ぼくは冷静に応対する。
「いいや、陛下のご結婚は秘密裏に進められているので。おまえひとりの胸におさめてもらわねば困るのだ。それにおまえは、俺の言葉には逆らえないはず…」
そう言って、バミネは公爵家の家紋の入ったペンダントを見せた。
えぇ? あれは、母が十年前に奪われた、激ヤバアイテム。ぼくの魔力を覚醒させ、シオンの呪いも解けるかもしれない、やつっ。
捨てられただろうと思って、すっかりあきらめていたよ。
「母親が死んだと言ったか? なら、これは母の形見なのだろう? 仕立て屋がおまえだと知り、脅しの材料にできるかと思って持ってきたが。その顔つきは、正解だったようだな?」
「返せ。それは僕のものだ」
「公爵家の家紋の入った代物を、平民のおまえにくれてやるわけにはいかない。が、陛下の衣装を見事に作ってみせた暁には、これを返してやろう」
「…仕立て代は、前払いが基本です」
そう言って、ぼくはペンダントを寄越せと手を差し出すが。
バミネは鼻で笑うだけだ。
「半金、支払ってやる。残りの半金は、ペンダントだ」
つまり、国から出ている衣装代、半分はやつの懐に入るということか?
がめつい。やつが儲けるのは非常に腹立たしいが。
うー、仕方がない。あのペンダントは、取り戻せるのなら取り戻したい。
ぼくはともかく、シオンは早く治して、普通の生活をさせてあげたいからな。
了承し、ぼくが渋々うなずくと。バミネはニヤリと笑った。
「条件は、白地に白糸で刺繍すること。おまえは刺繍の腕前もあるようだな? ガリガリのおまえには相応しい、軟弱な趣味じゃないか?」
趣味じゃなく、仕事だっつうの。
ま、いちいちバミネの嫌味に応じていては話が進まない。
「白地に、白糸で? それでは、せっかくのお衣装が、質素すぎます」
「そこをうまくやるのが、おまえの腕だろうが? 陛下は、華美なものを好まれない。デザインは一任するが、装飾は極めて地味におさえろ。三月に、王城に上がり。四月には納品できるようにしてもらう」
はぁっ? 期間が短いっつーの。
今は二月なのに。刺繍って、あんがい時間がかかるものなんだぞ? 一針一針重ねていくのだからな。
それを胸の前面に施すとなったら、結構な大作なのに。
「先ほども言ったが、陛下の婚姻は極秘だ。もし情報が外部に漏れたら、おまえは死罪だからな。三月一日に用意して、港に来い」
国王の体のサイズが書かれた紙片を置いて、バミネは部屋を出て行った。
「ふ…ふふふ」
バミネの気配が店にもなくなった頃。ぼくは、にやけて引き上がる口角をおさえられなかった。
「聞いたか? チョン。僕が陛下の婚礼衣装を手掛けることになったんだぞ? 平民に落ちた僕が、陛下に御目にかかる機会など一生ないと思っていたが。こんな奇跡に恵まれるなんて…」
ぼくは、驚きと困惑と感動に、身をぶるぶると震わせた。
あ、ちなみにチョンというのは。シオンが猫になっているときの愛称だ。
この黒猫が、万が一にもシオンだと悟られないよう、用心した偽名モドキなわけ。
どうやらバミネは気づかなかったようだから、良かったよ。
名づけのとき。どうしようかと考えてさぁ。
「シオン、シォン、ション、チョン…」
と変化させていき。そして思いついたのだ。前世の爺さん家で飼われていた、猫の…。
「おちょのすけ」
「ニギャー―ッ」
当時四歳のシオンは、お気に召さなかったようで。激しく鳴いたから。
「じゃあ、チョンで」
まだ不満そうだったけど。シオンである黒猫は渋々うなずいた。
ひどいものを提示したあとで、本題を切り出すと、受け入れてしまう理論。恐るべし。
そんな経緯があったんだけど。それはまぁ、いいとして。
「話を持ってきたのが、バミネだというのが、いやな感じだが。公爵家を追い出された僕が、バミネの言いなりで、王城に上がるのは、どうも不自然だと思っていたんだよ。でも、ネックレスを取り返すためという伏線があったのだとしたら。なるほど、筋は通るな。こんなモブの近辺に小難しい仕掛けをしやがって、ニクイね、アイキンの公式め」
今まで、ぼくは静かにドレスを作ってきたわけだが、いつの間にか国一番の仕立て屋となっていたらしい。
いやいや、ぼく以上にセンスのある仕立て屋は多くいますけどぉ?
きっと、ぼくが王城に上がるのに必要な肩書なのだろう。アイキンの強制力みたいなもんなんじゃないかな? 本気にしてないってば。
つまり。ぼくが王城に上がるということは。
愛の力で王を救えっ、の世界が開幕するということ。いよいよゲームスタート? ってことなんだ。
前世で垣間見た、あのきらびやかな世界を、リアルにこの目で見られるんだよ?
主人公ちゃんの愛らしさや、王のイケメンっぷりを、さ。
それに、まだ大きな画面で見てはいなかったけれど、キャラクターデザインが秀逸だったから、他の攻略対象者もきっと、麗しい美形揃いなはずだ。
今から、超楽しみっ。
だってさ、ぼくはモブなんだから。絶対成敗されないだろ?
一傍観者として。この物語の始まりから終わりまで、安全な場所で見ることができるってわけだ。最高じゃね?
そう思ったら、踊り出したい気分になった。
もう公爵子息じゃないけど。母が、なにが起きるかわからないから、貴族として恥ずかしくないだけの知識や所作は教えます、と言って。ダンスマナーも教わっていた。
ぼくはシオンを抱き上げて、狭い部屋でワルツを踊る。
「そんなに、嬉しいのですか? 兄上」
シオンが聞いてくる。
相変わらず、猫でも、ぼくはシオンと意思疎通ができた。
「もちろんさ。仕立て屋として、陛下のお召し物を作るというのは最高の栄誉じゃないか?」
「踊りたいなら、夜まで待ってくだされば、僕がお相手しますけど?」
「やだよ。シオンと踊ったら、僕が女性役をするようだろう?」
シオンは十四歳。ぼくはニ十歳。
なのに人間型のシオンは、もうぼくの身長を抜かしている。なぜだ?
「それに。今、踊りたい気分なんだから。付き合えよ、チョン」
嬉しさに、顔がほころぶ。ぼくの顔を見て、シオンもなんだか嬉しそうだ。
これから、いろいろあるだろうが。きっと主人公ちゃんが、愛の力でなんとかしてくれる。
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寡黙なだけで表情に全て感情の出ているデンベルは怖がられる度にこちらが悲しくなるほど落ち込み、ユーリスはついつい話しかけに行くことになる。
髪の毛の美しさで美醜が決まるというちょっと不思議な美醜観が加わる感情表現の複雑な世界で少し勘違いされながらの二人の行く末は!?
異世界で8歳児になった僕は半獣さん達と仲良くスローライフを目ざします
み馬下諒
BL
志望校に合格した春、桜の樹の下で意識を失った主人公・斗馬 亮介(とうま りょうすけ)は、気がついたとき、異世界で8歳児の姿にもどっていた。
わけもわからず放心していると、いきなり巨大な黒蛇に襲われるが、水の精霊〈ミュオン・リヒテル・リノアース〉と、半獣属の大熊〈ハイロ〉があらわれて……!?
これは、異世界へ転移した8歳児が、しゃべる動物たちとスローライフ?を目ざす、ファンタジーBLです。
おとなサイド(半獣×精霊)のカプありにつき、R15にしておきました。
※ 造語、出産描写あり。前置き長め。第21話に登場人物紹介を載せました。
★お試し読みは第1部(第22〜27話あたり)がオススメです。物語の傾向がわかりやすいかと思います★
★第11回BL小説大賞エントリー作品★最終結果2773作品中/414位★応援ありがとうございました★
【完結】薄幸文官志望は嘘をつく
七咲陸
BL
サシャ=ジルヴァールは伯爵家の長男として産まれるが、紫の瞳のせいで両親に疎まれ、弟からも蔑まれる日々を送っていた。
忌々しい紫眼と言う両親に幼い頃からサシャに魔道具の眼鏡を強要する。認識阻害がかかったメガネをかけている間は、サシャの顔や瞳、髪色までまるで別人だった。
学園に入学しても、サシャはあらぬ噂をされてどこにも居場所がない毎日。そんな中でもサシャのことを好きだと言ってくれたクラークと言う茶色の瞳を持つ騎士学生に惹かれ、お付き合いをする事に。
しかし、クラークにキスをせがまれ恥ずかしくて逃げ出したサシャは、アーヴィン=イブリックという翠眼を持つ騎士学生にぶつかってしまい、メガネが外れてしまったーーー…
認識阻害魔道具メガネのせいで2人の騎士の間で別人を演じることになった文官学生の恋の話。
全17話
2/28 番外編を更新しました
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