願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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あざみ2

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 海の中を泳いでいるように、心地がいい。そんな夢を見た気がする。
 どんな夢だったかと、まだ夢うつつの中、思い巡らせてみようとしたとき、それを吹き飛ばすように穏やかな声がした。
「紅羽さん」
 パッと目を開く。寝ている私を覗き込んでいる湊が目の前にいる。その事実に驚愕しすぎて、飛び起きた。全力疾走してきたように心臓がバクバク音を立てていく。
「すみません、ちょっとだけと思っていたのに、思いっきり寝てしまいました!」
 ともかく混乱するがままにベッドから足を下ろして、慌てて立ち上がろうとした。その足がもつれた。
 思い切り前のめりに倒れていく。
 湊は、咄嗟に私の体を抱きとめる。お陰で転倒は免れた。背中に置かれた湊の手が温かい。その熱で骨が軋み、胸が締め付けられるようだった。しかし、そんな悠長な感想は一瞬で消える。
 自分の心臓から鳴り響く爆音が、ひどく煩い。頭に血が上ってくる流れに心臓が一緒に乗ってきたかのように、騒音をまき散らしていた。はち切れんばかりに鳴り響いている。
「大丈夫ですか?」
 背へ回された手にほんの少しだけ力が籠り、穏やかな声が直接心臓へ響いていく。
 爆速している心臓を落ち着かせていくようだった。
「……すみません。ご迷惑ばかり、おかけして」
 頭上から柔らかい陽光のような声が降り注いだ。
「僕は一度だって迷惑だなんて思ったこと、ありませんよ」
 落ちていた身体が、その光で引き上げられ軽くなっていく。自然と上げた視線の先に、湊の笑顔があった。
 優しさは、目で確認することはできない。でも、それを目で見える様にしたら、きっとこんな形をしているのだろう。そう思えるほど、湊の瞳はとても優しかった。
 それがすっと染みていくと、落ち込んで重くなっていた気持ちも軽くなっていく。
 その瞬間、一気に頭の血が引いた。思考が鮮明になる。湊との距離が近すぎる。そう認識した途端、落ち着いていた心臓はロケットが打ち上げられたかのように、飛び跳ねた。
「ご、ご、ごめんなさい!」
 ザザザっと、勢いよく後退する。本来なら、こんな私へ湊は怒ってしかるべきだろう。
 しかし、湊はちょっとだけ目を丸くして、ふっと息を吐いて、目尻を下げていくだけだった。そこにいたずらっぽい笑みまで、上乗せされている。私を咎めるような言葉も表情も、何もない。ただただ穏やかなままだった。
 胸の中心に手を置く。
 時折、感じたきゅっと胸を締め付ける痛みが、一層強くなっていく気がする。
 
「湊さんは、私を甘やかしすぎです……」
「甘やかして何が悪いんでしょう?」
 湊は、しれっとそんなことを言う。返す言葉が見つからず、私の耳はカッと熱を持つ。そんな私を見て、湊は声を上げて笑っていた。そんな湊をじっとりと睨む。
「湊さん、また私で遊んでますよね?」
「バレました?」
「もう!」
 湊はまたカラリと笑う。
「では、そろそろ準備始めましょうか」
 湊はベッドサイドに置いてあった目覚まし時計を指さした。
 三十分くらいの仮眠と思っていたはずが、時刻は十一時を過ぎている。目覚ましもしっかりかけたはずなのに。
 今までとは違う種類の焦りに変わっていく。
 私は弾丸のように部屋を飛び出した。いつもと立場が逆で、湊はくすくす笑っていた。

 
 それから大急ぎで荷物の最終チェックを終えて、身支度を整えた。
 予定時刻の十分前にすべて終わり。そして、無事に迎えのワゴン車へ乗り込んだ。
「何とか間に合ってよかったです」
 ほうっと息をついて、ずっと湊に取り上げられていた私のスマホが返却された。電源を入れると、起動画面になる。
「本当に今日は……すみませんでした」
 目覚ましをしっかりかけていたはずなのに、それさえも気づかず爆睡してしまうなんて。本当に、どうかしている。気が緩みすぎだ。しっかり気合を入れなおさなければ。ひたすら自省していると。
「目覚ましは僕が消したので、しょうがないですよ。結構余裕だったから、もう少し寝かせておくべきだったな」
 湊がしれっと、そんなことをいってきていた。
「湊さん!」
 私がむすっと睨むと、湊はニヤッと笑う。そのタイミングで車がバウンドして、危うくスマホを落としそうになった時、けたたましく鳴り響き始めていた。
 私の反論は、結局頻繁になり続ける着信音の中に埋もれて行ってしまっていた。


 そうこうしているうちに、道の悪い山道を抜けていた。緑ばかりが流れていた車窓から、異物がにょきっと姿を現す。
 グランドセンターホテルだ。
 豊かな自然の中ではどうやっても馴染みそうにない、真っ白な背の高いホテル。表側のホテルの外観は、格子柄となっているようだった。まるで牢獄のようにしかみえない。
 家の中でも常に感じていた馴染めない景色は、いつでもこうやって私を見下ろしていた。嫌でも思い出させてくるようだった。
 
「へぇ、珍しい外観のホテルですね」
 湊が食い入るように、ホテルを眺めている。
「……落ち着きませんね」
 その傍らで、素直な本音が零れた。
 逃げたい過去は、どんなに一生懸命走って距離を離したと思っても、すぐに追いついてくる。ましてや、血の繋がりのある肉親だというのならば、尚更だと言われている気がした。
 
 ホテルの正面玄関前に車が止まる。 少し前に、ちょうど映画スタッフも到着していたようだ。エントランスに、映画化関係者と思われる人が集まっているようだった。
 湊が先に車から出て、そのあと私が続いていく。
 梅雨入り前なのに、夏のような強い日差しが照り付けてくる。スーツの上着を着ていたら、さすがに暑すぎて、手に持つことにする。白いワイシャツだけになっても、暑いくらいだった。長袖も終わりの時期が近いのかもしれない。吹いてくる風もなまぬるかった。
 湊と私は、関係者へ丁寧に挨拶していく。その中に川島が混ざっていて、すぐに二人は楽しそうに会話を始めていた。
 私は、そこから出て、チェックイン手続きへと向かう。カウンターには、すでに行列ができていた。
 私も、その列に並ぶ。
 カウンターの横には、影山グループのパンフレットが置いてあった。そこに母の顔がある。ただの写真だというのに、目が合うと、思わず肩が跳ねてしまう。いざ自分の番が回ってくる。対応スタッフが、ホテル専用タブレットを差し出して受け取る。
 間違っても影山とは入力できない。仕事用の名前を入力していく。この名前であれば、気づかれる心配もない。落ち着いて、入力を終えて、カードキーを受け取った。
 
 先ほどまで川島と屈託のない笑顔を見せていた湊は、今度は大人数のスタッフと柔らかい笑みを浮かべながら話し込んでいた。
 遠くから、その横顔を見ているだけで、胸に絡んだ糸がきゅっと締め付けてくるようだった。
 私は一体どうしてしまったのだろう。そんなふわっとした疑問も、すぐに仕事の忙しさの中で忙殺されていくだろう。
 
「まつりちゃん」
 気づけば、川島がすぐ近くにいた。案の定先ほどの疑問は、仕事モードに突入してすぐに消えていた。
 慌てて頭を下げる。
「川島さま、遠いところお疲れさまでした。この後、すぐに打ち合わせがあると聞いていますが、どうかご無理なさらず、がんばってください」
 しかし、私の声は全部右から左へ流れていたようだ。川島は、じっと私と湊を交互に見ている。
 やがて、川島は「なるほどなぁ」と、意味深な笑みを浮かべて言った。
「もしかして、蓮に惚れた?」
 思考が一旦全面停止する。その言葉の意味が理解できず、固まってしまう。しばらく停止した後、再開し始めた思考は、もう一度川島の質問を反芻していた。
 湊に、惚れた?
 ついさっきふっと沸いた自分への疑問が噴火するように、もくもく湧いてきていた。
 ギュッと胸を締め付けられるような痛みの意味。心臓を糸で縛られたような痛みの正体。この感情の名前。
 そこまで来て、ハッと我に返って首をブンブン振り回す。
「な、何を、言ってるんですか! そんなはず、ないじゃないですか!」
「薄々思ってたんだけどさ。まつりちゃんて、まさか鈍感?」
「鈍いってことですか?」
「そう」
「それは、そうだと思います。仕事も要領悪いですし、世間から大分出遅れていて、皆さんには迷惑をかけっぱなしで……」
「あー、なるほど。そういうことか。まぁ、そうだよな。おかしいと思ったんだよ」
 川島は、妙に首を縦に振って納得しているようだった。
「やっぱり、私が周りの方へ迷惑ばっかりかけていること、川島さまの耳に?」
 前のめりで問うと、川島は目をむいているようだった。また、私は変なことをしたかもしれない。
「いやいや、むしろまつりちゃんの仕事の評判は、いいと思うぜ。ただ……蓮も苦労するなぁ」
 川島は、あははと笑って、そんなことをいうから、頭からさーっと血の気が引いた。顔色が変わったことを察知したのか、川島は慌てて付け加えてくる。
「あー……いやぁ、仕事に関してとか、じゃないぜ? もっとほかのところでっていう意味な?」
「他の意味とは、どういうことでしょうか?」
「えっと、だから、その……」
 川島がすっと目を逸らし首を掻きながら、露骨に答えを濁してくる。あまりに濁す濃度が濃すぎて、まったく内容が見えてこない。私は、きゅっと両手を握りしめた。
「あの、大変お恥ずかしい話なのですが……私は、先ほども言いましたが、いろいろと鈍いので遠回しに言われても気づけないのです……。ですから、どうかはっきりおっしゃっていただけませんか? そうすれば、今後態度を改善することもできますし」
 それでも川島は、ひたすら目を泳がせるばかり。困らせてしまっている自覚はあったが、それでもやっぱりちゃんと言ってほしかった。湊を苦労させているというのならば、猶更直さなければならない。
 
「光くん」
 聞き覚えのある高い声が、私を硬直させていた。川島もその声が、誰なのかすぐにわかったらしい。川島の目が見るからに、面倒そうな色に変化していた。リコが川島の前に立つ。
「私も今日から現場入りするから」
 リコは、そういいかけて止まっていた。リコの眼中になかった私という存在に気付いたようだった。
 リコの目の形は鋭利に尖り始めていた。
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