願わくば一輪の花束を

雨宮 瑞樹

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ジャスミン6

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 あきらめの境地に達すると人は、開き直れるものらしい。もうどうとでもなれと思ったら、肌に突き刺さっていた周囲の視線の痛みも薄れていってしまう。それは、いいことなのか分からないけれど、今はそれでいいと思えた。
 たくさん乗り物に乗って、はしゃいで、今まで生きてきた中で一番笑った。
 
 そして、夕方に差し掛かったころ、少し休憩しようと、園内のセルフサービスの喫茶店へ入った。
 窓際の席を見つけて、そこに腰掛ける。
「紅羽さんは、座っていて。コーヒーでいいですか?」
「はい。ありがとうございます」
 窓の外を見やると、人や木々が、少しずつ夕焼け色に染められていく。一日が終わっていく前触れだ。
 何も考えず、ただ楽しんだ一日も終わりへと向かい、夜に向かっていく。

 いつもならば外が暗くなると、真っ暗な海へ放り出されたように、怖くて心細くなるのに今は違っていた。一直線に光の道ができて、行くべき場所が定まっている。この幸せな時間が、私の進む道を作ってくれた気がした。
 私は、自分の人生を生きる。そして、大事なものを何が何でも守って見せる。
 薄暗くなりかけている空に、一番星が輝き始めている。

 ちらりと、湊の方へ顔を向ける。
 湊の様子を伺おうとしたが、すっかり忘れていた溜息が漏れた。
 湊は人の中に埋もれていた。湊の周りには、握手してくれと人が集まっているところだった。
「どうも。今日はプライベートなので、お手柔らかに」
 そんなこと言いながらも、丁寧に対応をしつつ、集まっている人をはけさせていく。さすがの対応力だ。
 湊は、二つ分のコーヒーを持って、戻ってくる。
 
「疲れましたか?」
 湊は、向かいの席に座って、コーヒーを差し出す。相変わらずたくさんの視線が、こちらに向いてくる。密室のためか、視線はさらに強い気がした。
 少々居心地が悪かったが、私は礼を述べて受け取った。
 コーヒーの香りがふわっと漂ってくる。
「いえ、全然。むしろ、元気が湧いてきました」
 両手で拳を握ってみせると、湊は明るく笑う。とても心地良い響きだ。
 考えてみればコーヒーは、湊たちと一緒にいた時以来だった。口へ運び一口、飲み込む。
 自然と、口元が綻んでいった。
 湊は、そんな私を穏やかな瞳の中へ映して、気遣うように目を細めた。
「本当は、こんなに時間を空けるつもりはなかったんです。ずっと、部屋から出してもらえなかったんでしょ?」
 私は目を見開いた。
「どうして……知っているんですか?」
「由紀子さんをみれば、想像はつきますし、藤枝鏡花さんも言っていたので」
「どうして、鏡花さんのこと知っているんですか?」
「彼女がね、紅羽さんの名誉を回復させてくれって、事務所に駆け込んできたんです。一週間前くらいだったかな?」
 鏡花がやめてすぐだ。まさか、そんなことをしていただなんて。
「ともかく、紅羽さんは善良な人だという話をこんこんと聞かされました。僕らにとっては、もう当たり前の話ではあったんですけど……ともかくすごい熱量だったので、そっちにちょっと驚きました」
 湊は、苦笑しながら一口コーヒーを飲む。
「藤枝さんは、由紀子さんの近いところにいる方だったらしいですね。時折由紀子さんの本音や、今考えていることを、明け透けに話すことがあるらしい。それで、色々教えてくれました。今、由紀子さんが考えていること」
 湊は、私が知っていることを全部把握していた。
 紅羽さんを岩国家へ入れて、情報を横流しさせようにしていること。逆らわないように、三浦さんの店を人質にとろうとしていること。
 湊がコーヒーを飲み終えると、コップを脇へ避けた。
 両肘をテーブルについて、前のめりになる。もともと注目されていた視線が、さらに集まってくる。
 そして、湊は私を射抜くような強い目で言った。
 
「帰すつもりはありませんよ。元からそのつもりで、きたんですから」
 薄々感じて覚悟が、明確に示される。
 私との距離が近くなる。接近したことよりも、湊の目にすべての光を集めたような強い光が宿っていることの方に驚いた。その光を私は、しっかりと受け取る。そして、私は、まっすぐ湊を見つめた。
「私は、帰ります」
 湊の双眸は、大きく見開かれて揺れる。縮まっていた距離が、元に戻っていた。背筋をピンと伸ばしていく。
「そんなことできるわけないでしょ。この三か月間、紅羽さんにどんなことがあったのか、僕は全部知っているんだ」
 おそらく、鏡花が話したのだろう。
 湊の声が尖り、大きくなっていた。
 集まっていた視線が、熱を持ち始めるが、もう何も気にならなかった。

「今の私は、その時とは違います」
 真剣な眼差しのまま、自然と唇の端だけ上がっていた。
 湊は、再び開こうとしていた口を引き結んだ。
 冷静になれと言っているかのように、軽く息を吐いている。
 耳を傾けてくれる体制を整えてくれた湊へ感謝した。左腕に、じんと痛みが走る。その痛みを感じながら、私は続ける。
「今日湊さんが来てくれなかったら、思い切って家を出る前の一番嫌いだった自分に戻っているところでした。全部諦めて、なるようにしかならない。感情も、痛みも何もかも気づかないふりをして、ただ生きていくだけだった。でも、今の私には湊さんがいます」
 この時間の痛みは、何をしても引いてくれないのに、今は不思議とすっと消えていく。
 苦しみ、悲しみ、喜び、優しさ……全部、何もかもが私の体内に取り込まれていくような気がした。
「私は、また湊さんと一緒に走ったり、悩んだりしながら、こうやって笑っていたい。私は、また湊さんたちと一緒に、仕事をしたい。もう怯えたり、逃げたりしながら生きるのは、もうお仕舞です。今回私が帰るのは、そのためです」

 窓の外で輝き始めていた星が、さらに力強い光を放ち始めていく。
 たっぷりとした沈黙が落ちる。刻々と重量が増す空気。
 その重みに耐えるように、湊は静かに息を吐いた。

「……わかりました」
 湊がそもそも、どんな筋書を用意していてくれたのかは、わからない。でも、私の行動は確実に台本とは違っていたのだろう。
 そんな、厳しい顔つきだった。
「自分勝手で、ごめんなさい。でも湊さんの思い、ちゃんと受け取りました。決して無駄にはしません」
 湊は真剣な表情で、私をじっと見つめてくる。私は、目をそらさない。湊をしっかりと見据える。
「一つだけ」
 湊は、私の手を握った。湊の熱が、伝わってくる。
 いつもならば、恥ずかしさでどうにかなりそうだったが、今は決意の中に消えていた。
「何があっても差し出された手は、振り払わないと約束してください」
「はい。もう、同じ過ちは繰り返さないと、約束します」
 私は、その手をきゅっと握り返す。
 湊は、さらに手に力を込めて、真剣な眼差しのまま頷いた。
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