サラシ屋

雨宮 瑞樹

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拒絶

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 駅前から事務所までそんなに遠くない距離なのに、やけに長く感じた。足もどことなく重たく感じる。
 その理由はと、思いめぐらせてみれば、すぐに美波の顔が思い浮かんだ。
 少女のようなキラキラした笑顔を見せたかと思えば、隙のない大人の女性の顔にもなれる。きっと、美波という女性は、その時の場面によって器用に使い分けができる人なのだろう。
 私のように、感情によって行動を左右されることもなければ、公私混同することもない。どうやったら、あんな風になれるのだろう。
 彼女は、私に変わらなくていいと言ってくれた。灰本もなんだかんだ言って、お人よしなところがあるから、私を認めるような発言をしてくれたけれど。そのうち愛想つかされてしまうんじゃないだろうか。
 そうして、そんなことをうじうじ考えてしまう自分も、面倒くさい。深呼吸して、この靄を吐き出そうとはしてみるけれど、足は事務所へ近づくほど、更に重くなって四階まで上がる階段が倍以上に感じた。
 
「戻りました」
 そう言った後に気付く。買い物に行くといっておきながら、何も買っていなかった。
 嫌味でも言われるかもしれないと思ったが、灰本は気難しそうな顔をして、パソコンを睨んでいた。
 先ほど美波が言っていた依頼が入ってきたのかもしれない。
「美波さんの言っていた方からメール来たんですか?」
 声をかけながら、灰本の机の横に置いてあるタブレットへ手を伸ばそうす。すると、灰本は私の手が届く前にタブレットを取り上げていた。伸ばしていた手が着地点を失ってしまう。
「何の冗談ですか?」
 軽く睨んで、再度灰本が取り上げたタブレットを追いかけようとしたが、灰本は自分のパソコンへ顔を向いたまま、タブレットを自分の引き出しの中へしまい込んでしまった。
 子供じゃあるまいし、一体何の真似だ。
 タブレットを使用させたくないというんだったら、灰本のパソコンを覗いてやろう。
 灰本の方へ回り込もうとしたら、今度はぱたりとノートパソコンを閉じてしまっていた。冗談にしては、悪質だ。
「私に対する嫌がらせですか?」
 さすがにムッとして言い返すと、思いがけず灰本の真剣な眼差しがこちらに向けられて、閉口してしまう。
 怒らせたようなことをしただろうか。
 ピリピリした空気まで纏っている。妙な沈黙のせいで、緊張感が背筋から駆け上がってくる。
 ごくりと固唾を飲んだところで、灰本は静かに口を開いた。
 
「柴田。今回の仕事は、降りろ」
「はい?」
 目が痛くなるほど目を丸くして固まっている私に、灰本はいう。
「早とちりするな。この案件だけは、抜けろって話だ。その間、給料は払う。しばらく有給で長期休暇をとれ。それで文句ないだろ」
 辞めろという意味ではないことには安堵しかないけれど、どうして、今回は抜けろという話になるのだろう。
 やはり、前回の失態を鑑みての処分ということなのだろうか。それとも。
 灰本が、私から視線を外していく。その先に、美波が見えた。
 そして、彼女が別れ際に言っていたことを思い出す。
 晒す相手は、未成年。
 
「今回の依頼って、どんな内容なんですか?」
 美波がさらりと匂わせた依頼。美波の存在ばかりに気がいってしまって、聞き流してしまったが、子供関係の晒しだと言っていた。それは、つまり。急激に、胸がざわつき始める。
「機密事項だ」
 灰本の短く淡々とした言い方は逆に作用だった。
 更に胸の奥を刺激して、熱まで帯びてくる。
 私を遠ざけようとするその態度。
 あの日、心臓が焼かれるほどのじりじりした痛みが、舞い戻ってくる。
 
「さっき、美波さんが言ってました。依頼人の唐沢樹里さんには、子供がいて、今回晒したい相手は、未成年だって。それらをあわせれば、だいたい想像はつきます」
 灰本が鉄壁の無表情の仮面を被れば、なかなか崩すことができない。だが、今回は珍しく、灰本の瞳が揺れていた。
 全身回っている血液が、急に熱くなって、全身の体温が上がった。
 やはり、間違いない。
「今回の晒しは、樹里さんの子供をいじめた相手ですね?」
 揺れていた瞳が、止まる。
「今回は、関わるな」
 私に選択権はない。有無を言わせない。意志は固い。そんな厳しい視線だ。
「私が私情を持ち込むからですか?」
「わかっているなら、俺が言いたいこともわかるだろう」
「……わかります……わかりますけど!」
 ぶわっとまた導火線に点火しそうだったが、それを消し去ろうと静かな声音が響く。
「今回は、一筋縄ではいかない相手だ」
「……いじめをするような奴らは、みんなそうです。そんなこと、わかり切ったことです!」
 火種から、燃え広がりそうだった火の手。
「わかっていないから、降りろと言っているんだ!」
 鋭く睨まれ、苦しそうに叫ばれて、目を見開くことしかできなかった。どうして、そんな顔をするのかわからない。
 どうして、わかっていないなんていいわれるのか、わからない。いじめというものを、誰よりも理解できているはずなのに。
 それは、灰本だってわかってくれているはずではなかったのだろうか。そんな疑問さえも、言わせてくれない灰本に対して、私は拳を握り、引き結んだ唇を辛うじて動かすことしかできなかった。
 
「……わかりました」
 灰本は相変わらず、私を見据えている。
「有給休暇期間は今日から二週間だ」
 しばらくすると、灰本は溜息と一緒に、悩ましそうな顔をしてそういう。
「はい」
 頷いた途端、きつく握りしめた拳の手のひらが、火傷するほど痛くなった。
 耐え切れず、静かに手を開く。そして、自分の鞄を肩にかけ、もう片方の手で事務所のドアを押して、外へ出た。
 無心で、階段を駆け降りる。
 外に出ると、乾いた突風が吹き荒れた。
 開いた両手にあった残り火が、一気に体中に燃え広がっていくようだった。
 
 
 
 
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