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67.リットとローズ・ルドファール
しおりを挟む良くわからない汗が握りしめた手に滲むが、どれだけ必死に考えても内容が理解できない。
この物語だとか、悪役令嬢だとか、突然飛び出た単語に面食らう。
しかし、どこかで聞いた話のような気もした。
どこだったか、と考えるうちに、ルドファール様の続けられる話で思い出す事となる。
「そして、アナタの妹さん……リットさんが主人公でした」
「……あ──」
──私はこの物語の主人公なの──……!
不意に、妹の声がよみがえる。
忘れもしない。あの一言から彼女は変わったのだから。
そしてリットがルドファール様に対して悪役令嬢だと言い放った話も聞いていた。
まさか、ルドファール様はリットの虚言を真に受けて……?
「……っ、も、申し訳ありませんっ!」
だとしたらとんでもない加害行為だ。リットの言葉でどれほど傷ついただろう。
まさかあんな妄想にしてもお粗末な戯言を信じてしまうなんて。
きっとこのお方は、素直で人を疑わない清らかな性格なのだ。
こんな純粋無垢なお嬢様を傷つけるなんて許される事ではないと、必死に加害者の兄として頭を下げる。
しかしルドファール様は、そんな僕を扇子で静かに制した。
「ルットさん、おそらくアナタは思い違いをしているわ」
「へ?」
テーブルに両手をついて頭を下げる。そんな僕の手をそっとルドファール様が握り、座っていた殿下とジャッジ様がすごい勢いで立ち上がるのが視界の端に映った。
「確かに、私はアナタの妹さんであるリットさんに『アナタは悪役令嬢だ』と告げられました。けれどそのお言葉に惑わされたわけではございません」
立ち上がった二人はグラーナム様から椅子に押し込まれる。
そんな茶番など気に留める余裕は無くて、僕は頭を上げ目の前で微笑むルドファール様を見つめ返した。
「自身が悪役令嬢だと自覚したのは、十にもならない年頃ですもの」
そこから語られるルドファール様のお話は、とても信じられないものだった。
曰く、自分は前世の記憶を持っているのだという。
幼い頃に前世の記憶を思い出し、ここが前世で大好きだった乙女ゲームという物語の中だと気づいた。
「──その物語でローズ・ルドファールは、主人公の恋路を様々な嫌がらせで邪魔をする悪女なのです」
物語で主人公は、様々な男性との恋愛を体験する。
けれど庶民の出の生徒が、上流階級のご令嬢を差し置いて男性生徒から想いを寄せられるなどとうてい許される事ではない。
そう考えたローズ・ルドファール嬢は、主人公に様々な嫌がらせをして潰そうとする。
それは段々とエスカレートし、犯罪まがいのものに変わっていく。
「──しかし最期はローズ・ルドファールの罪が明るみに出て、一家取り潰しの断罪を受けるのですわ」
「断罪……」
「ええ。けれど、そんな未来を私は認めたくなかった……」
だからどうにかならないかと考えて、足掻いた。
そして辿り着いたのは──
「──物語のローズ・ルドファールは、エドワード殿下に執着していましたの。だから主人公と殿下が恋仲になるなど許せず、手段を選ばずに仲を引き裂こうとして断罪された……。ですから私は、主人公と殿下が結ばれるのを黙って見届けようと思いました。悪役令嬢として断罪されるなんてまっぴらごめんですもの」
だから殿下への執着を止め、婚約破棄されても生きていけるほどの知識や教養を身に着けようと努力した。
「けれどその行いが、物語を変えてしまった……」
その努力は、彼女をさらに完璧な淑女へと変貌させた。
形ばかりだった殿下との婚約関係。しかし殿下は次第にルドファール様へ恋心を募らせるようになった。
しかしそれも学園に入学するまでの間だろうとルドファール様は考えていた。
だが、予想に反して学園に入学してからも殿下は変わらなかったのだ。
「リットさんは戸惑ったでしょう。寵愛が約束されているはずの物語で、一向に思うままに進まない。誰も彼もが自分に夢中になるはずなのに、なぜ誰も見向きもしないのか、と……」
こんなはずはない。自分は主人公なのだ。幸せが約束された選ばれし者なのだから。
では何が駄目なのか、そう考え、辿り着いたのは、頭を抱えたくなる思想だった。
悪役令嬢がイジメてこないせいだ、と。
「ですからリットさんは、イジメや嫌がらせを捏造した。物語で描かれていたシーンを、自ら再現し物語の通りに進めようとしたのです」
「……」
そして結果は……ご覧の通り。
でっち上げたイジメは明るみに出て、逆にリットが断罪される立場になってしまったというわけだ。
「突然このような現実離れした話を聞かされて戸惑われたでしょう? けれど、アナタには話しておかなければならないと思いましたの。私が物語を変えたせいで、ルットさんにまで被害が及んだのですから」
「そんな、ことは……」
現実離れ、しすぎている。
前世の記憶だとか、物語の中だとか、今すぐ信じろと言われても僕の頭では難しい。
けれど、リットの突然の奇行について、ずっと疑問に思っていた。
もともとはとても優しい子だったのに、人が変わったかのような行動をし始めた。どこか浮ついて、過剰なほど自信を持ち始めた。
それがなぜなのか、ずっとずっと原因を考えて悩んでもいた。
『──私は主人公なの! だから、ルットもリリーももう苦労しなくて良いんだからね!』
そうはしゃぐ彼女を救えなかったのは、自分のせいじゃないかと何度も責めた。
だが今ここで、リットが変わってしまった真相が分かった気がした。
ルドファール様の話を信じると、今までの不可解な出来事がすべて辻褄が合うからだ。
「本来ならばリットさんは殿下と結ばれて、貴方がた兄妹は何一つ不自由ない生活を送るはずだったのよ。なのに私のせいで、苦労を強いる生活をさせてしまい申し訳なく思っておりますわ」
「そ、それは! ルドファール様のせいではありません……!」
たとえエドワード殿下がリットに寵愛を与えなくても、真面目に勉学に励んでいれば幸せは掴み取れたはずだ。
なんせ貴重な光の魔力の持ち主なのだから。物語通りの展開に固執しなければ、いくらでも華々しい未来はあったはずなのだ。
それに──
「それに……今、僕は幸せです」
──そう、僕は幸せだ。この幸せは学園での罪人生活があったからこそ与えられたものだ。
もちろん辛い思い出もあるし、リリーにもずいぶん我慢させてしまったと思う。
それでも、悪い経験ばかりではなかったと、そう僕は思っている。
すべてがあって、今の僕とリリーなのだから。
そう僕が話すと、ルドファール様はまたにこりと微笑んだ。
「その件に関しては、私、感謝をしておりますの」
「感謝?」
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