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婚約者
しおりを挟む湖に通わなくなって、2年の月日が流れた。
「婚約者…?」
その話を聞いたのは、13歳になった数日後の事だった。
まだ初夏の夜、風通しの良い居間のソファーに座り、図書館から借りてきた小説を読んでいた陽日は、茫然と両親の顔を見つめる。
「お爺様がね、約束されていたのよ。お互いの家に孫が生まれて、性別が男女であれば許嫁にと。」
「…神宮というのは、丘の上の大病院ですか?」
「そうだ。あそこと家のじい様達は仲が良くてな…」
「そうなんですか…」
上機嫌にしゃべり続ける父の声を聞きながら、小さく笑みを浮かべた陽日の、本を持つ手は少し震えていた。
突然降って湧いたような婚約話に、動揺が上手く隠せなかった。
けれどよくよく聞けば、陽日と決まった訳ではなく、姉妹のどちらかとの婚約を望まれているとの事だった。
一瞬ほっとしたのも束の間、その相手の年齢が13歳と陽日と同じで、両親は年齢が6歳下の月花よりもどちらかというと陽日に、と思っていることが解った。
近いうちに顔合わせがあるという話を頭のどこかで聞きながら、陽日はぼんやりと記憶の中の銀髪の少年の姿を思い浮かべていた。
(私、婚約者なんて、欲しくないのに…)
嬉々として話し続ける両親にはとても言えそうにない。
街の小さな診療所。
贅沢をしなければもちろん生きてはいけるが、祖父母の代からあるその場所は、昔と比べると大きな病院やクリニックが近くにできたことで、近頃はお世辞にもたくさん患者さんが居るとは言えない。
仕事を受け継いだ父が、午後は自転車に乗って、家で寝たきりになっている近所の老人達の往診に行くのが当たり前になっていて、そもそも診療所自体、半日しか開けていない。
大病院に嫁ぐことができるなら、という娘に苦労をさせたくないという気持ちもあるのだろう。
分かっていても、陽日の心はどんどんと冷たくなってゆくのをまるで人事のように感じていた。
秋の終わりに出会った神宮 咲夜は、黒髪の利発そうな美しい少年だった。
何より眼の色が佐藤と同じ色だった。思わず異国の血が混じっているだろうその青を懐かしく思い、見つめてしまう。
絵に描いたような誠実さを持ち、穏やかな性格の咲夜は、陽日にも月花にも優しかった。
月花は咲夜の事を大層気に入ったようで、咲夜に逢いに行く日は必ず着いてきて、彼と楽しそうにお喋りをしている。
陽日はそんな二人を見て、心の中で、咲夜が月花を選んでくれたらいいのにと思ったが、そう上手くことは運ばなかった。
「陽日さんと婚約を結びたい。」
「……」
ある日、月花がいなかった時、面と向かって少年にそう告げられた。咲夜は綺麗な顔を少し恥ずかしそうに赤らめて、けれど真剣な青い眼で陽日を見つめていた。
少女は困ったように目を伏せる。暫く経った後に、意を決したように顔を上げた。
「ごめんなさい、咲夜さん。私、好きな人がいるんです。だから、あなたの事を好きになれません。」
誠意をもって接してくれる咲夜に嘘は付けなかった。陽日の告白を聞いた途端、少年は表情を曇らせしばらくの間黙っていたが。
「その人と、陽日さんは付き合っているんですか?」
「…いいえ。」
「その人は、陽日さんの気持ちを知っているのでしょうか?」
「……いいえ。」
気持ちどころか、もう何年も会えていない。向こうは自分の事などとうに忘れているだろう。
そう分かっていても、陽日は佐藤の事を忘れられなかった。
「…好きになって貰えるように、頑張ってはいけませんか?」
「え…?」
「貴女がその人に何も告げていないのならば、僕にもチャンスを…与えてもらえませんか?」
諦めるつもりは無い、と言うことなのだろう。
咲夜の目はどこまでも真剣で、彼が陽日を本当に慕っていることを伝えてくる。初めて誰かに向けられた恋情に圧倒され、陽日はそれ以上何も言えなかった。
✩・✩・✩・✩・✩
咲夜くんは、陽日ちゃんに一目惚れをしているので、諦めるつもりはないのです。
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