【完結】ただ好きと言ってくれたなら

須木 水夏

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語られた事【父テオドール視点】

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 「妻の傍にいたいから」と言い残し、フランクが部屋を出て行った後――。



 シェアナとテオドールは、ただ静寂の中で時間が過ぎるのを待つしかなかった。王国騎士団が到着するまで、何もできず、亡骸となった侍女コリンヌに会うこともできないままだった。

 どれほど経っただろうか。三十分ほどだったかもしれない。けれど、その時間は恐ろしく長く感じられた。室内には重い沈黙が支配し、二人は口を開くことさえできなかった。やがて、足音と共に控えめな声が聞こえた。



「此方です。」

 扉が開き、騎士団の姿が現れた。



 青地に王家の紋章の入ったマントを纏った三名の騎士が部屋へ入る。
 彼らの鋭い眼差しと無駄のない動きは、部屋に新たな緊張感をもたらした。

 そのうちの一人が、シェアナとテオドールの対面するソファーへと腰を下ろした。

 テオドールはその男を知っていた。
 警護隊の隊長を務めるセドニア・ペッカー――侯爵家の次男だと記憶している。
 黒い髪と黒い目、堂々とした大柄な体躯を持つ彼は、静かに二人へ一礼すると、低く落ち着いた声で言葉を紡いだ。


「大変な時にお時間を頂き恐縮です。事件の状況について、お話を伺いたいと思います。夫人、ゆっくりで構いませんのでお願いできますか。」
「は、はい。」


 問いかけられたシェアナは、一度目を閉じ、記憶を手繰るようにして口を開いた。その動きには、話すべき内容の重さに耐えようとする彼女の苦しみが滲んでいた。



 教会からの帰り道だった。

 シェアナは、クロエと並んで馬車に揺られていた。夕刻の空は柔らかな朱色に染まり、帰りが少し遅くなったことも、特に気にしていなかった。馬車の中では、シェアナとクロエ、そして侍女のコリンヌのささやかな会話が弾み、皆で微笑むたびに彼女の気持ちも和らいでいたのだ。

 しかし、それは突然に崩れた。

 まず聞こえたのは馬の嘶き。続いて御者の「誰だお前は!」という怒声が響いた。馬車は激しく揺れ、急停車。重心を失ったシェアナとクロエ、そして侍女のコリンヌは、座席から転げ落ちた。

「そこで、男──恐らく御者の悲鳴が聞こえました。」


 シェアナの声が震えた。言葉を発しながらも、頭の中にはその時の情景が鮮明に蘇る。


 馬車の外では混乱が広がっていた。クロエ付きの従者の叫び声――「やめろ」「なんだこいつは!」――と、続いて聞こえたのは断末魔だった。
 只事ではない、と三人とも顔を青ざめた。


「コリンヌは、馬車の扉を必死に押さえていました。ですが……」


 シェアナは言葉を飲み込み、浅く息を吸った。胸の奥が締め付けられる。


「扉は、外から強い力で引き開けられました。そして、扉に張り付いていたコリンヌが……そのまま外へ……。」


 コリンヌの名前を叫んだ時、自分がすでに馬車を降りていたことにシェアナは気付かなかった。ただ、侍女の後を追うように外へ飛び出していた。

 顔を上げた瞬間、そこに立っていたのは――。


「……覆面をした男がいました。全身黒い服を着て、手には……血の付いた剣を持っていました。」


 再び視線を落とし、浅い呼吸を繰り返す。けれども、記憶から逃れることはできない。


「その剣を振り上げて……私に斬りかかってきました。」


 「…どうなりましたか?」

 隊長の静かな声に促されるように、シェアナは再び言葉を紡ぐ。


「……コリンヌが、私を庇ってくれました。」


 その瞬間の記憶は、あまりにも生々しい。コリンヌが「お嬢様!」と叫びながら自分の前に立ちはだかり、その背中を斬られる音、飛び散る血――すべてが脳裏にこびりついている。


「でも……その後、その男はクロエの方へ向かって……。」


 だらりと自分に覆いかぶさったコリンヌの身体。その重さを感じながらも、シェアナはまるで目が縫い付けられたように、ただ男の背中を見つめていた。

「……その男は馬車の中で、逃げ場のない彼女クロエを刺しました。」



「その瞬間、見ていましたか?」

「はい……コリンヌの肩越しに。」

「男はどのように、夫人を刺したのですか?」

「……どのように……?」


 シェアナはその言葉を繰り返した。それに対し、隊長は静かに諭すように言った。


「貴方様が目撃された状況と、被害に遭われた方の状況にズレがないかの確認です。」


 問いが冷たく現実を突きつけるようで、シェアナの全身がこわばるのを、隣に座っていたテオドールは感じていた。



「……男は……男は暫くの間、彼女をじっと見ていました。そして、剣をゆっくりと……彼女の左肩に当てて……突き刺しました。」




 その言葉を口にするたび、恐怖が蘇り胸の奥に刺さる痛みが深くなる。
 それでも、話さなければならない――そう自分に言い聞かせる妻の気持ちが手に取るように伝わってきて、テオドールは家人を失った悲しみと、彼女に恐怖を味合わせた怒り、そして後悔の念に心が苛まれるようだった。






















 
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