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謝罪と微笑【ハーヴェイとエミリア】
しおりを挟む室内に流れる、何とも言えない心臓をチクチクと刺すような緊張感を一掃するため、ハーヴェイは思い切って頭を下げた。
「申し訳ない!
あの時はどうかしていた。ほんの六、七歳の子どもが、ただ単純に反応しきれなかっただけなのだ。あの言葉を、決して貴女を傷つけようと思って言った訳では無い。」
必死に言葉を紡ぎながらも、ハーヴェイの胸の中には、あの瞬間が焼き付いていた。
言葉をぶつけた時、エミリアの表情が静かに消え、一瞬だけ悲しそうに見えたこと。それはずっと心のどこかに刺さったままだった。
「あの、⋯⋯今更謝るのも間違っていると思うのだが、許してはくれないだろうか。」
恐る恐る顔を上げると、驚いたように瞳を見開いたエミリアと目が合った。おっとりと落ち着いていて、どこか掴みどころがないように見えるエミリアのそんな顔を、ハーヴェイは初めて見た。
一瞬の沈黙の後、エミリアは堪えきれなくなったのか、可憐に「ふふっ」と笑い出した。
「⋯⋯え?」
「いえ、申し訳ございません。ふっ。」
「な、何が?」
「いえ。まさかハーヴェイ殿下が覚えていらっしゃるとは思っていませんでしたの。⋯ふっ、ふふふ。」
楽しそうに笑い続けるエミリアに、ハーヴェイは拍子抜けしたような安堵を覚えた。まだ許された、という訳ではないが自分が思っていたよりも深刻では無いのかもしれない、そう思った。
「私は最初から、貴方様に許しを乞われるような立場ではありませんわ。」
「いや、でも――」
「それに、あの時は私も意地悪をいたしましたの。」
「……え?」
エミリアの言葉に、ハーヴェイは意表を突かれたように目を見張った。
「だって、ハーヴェイ殿下の彼女への好意が余りにも見え透いていましたから。」
「……。」
子どもの頃の話だ。今よりもずっと、感情を隠すのが下手だった自覚はある。
確かにその頃、フレデリック兄様には言われていた。「ハーヴェイにも良い婚約者を指名して頂けるように、進言しよう」と。
そして、正妃にも「人の物がよく見えるだけですよ」と。だが、家族以外の人間にまで見抜かれていたとは――。
「仕方がないことですわ。私たちの世代の中では、彼女こそが淑女の鏡と呼ばれる存在。才色兼備、文武両道――誰よりも輝いておりましたもの。マクベス殿下の目が曇っていただけで、ハーヴェイ殿下は正常でいらっしゃったと言うだけの事ですわ。」
ころころと笑いながら話すエミリアの姿に、ハーヴェイはいたたまれない気持ちで身動ぎした。そして、ずっと気になっていた疑問を口にする。
「……君はやはり、あの頃の私の婚約者候補の、その、第一候補だったのだろうか?」
「ええ。左様でございます。」
(ああ、やっぱり……!)
予想していた答えだが、実際に告げられると胸がざわつく。あの「偶然」は、やはり仕組まれたお見合いだったのだ。
「父より『ハーヴェイ殿下と親しくなるように』と厳命されておりました。けれど、あの日は私も困ってしまいましたわ。ハーヴェイ殿下はずっと彼女ばかりをご覧になっていて、私には気づいてくださらない上に、最後には拒絶されてしまいましたもの。」
「……すまない。」
再び頭を下げるハーヴェイに、エミリアは小さく首を振った。
「王族が直ぐに頭を下げるのはお辞め下さいませ。それに、怒ってはおりませんわ。ただ、当時の私は自分では役不足だと思っておりました。……だから、意地悪をしてしまいましたの。わざと彼女のことを話題にして、ハーヴェイ殿下が慌てる様子を見たかったのかもしれません。」
柔らかい微笑を浮かべるエミリアの顔に、ハーヴェイは思わずずっと引っかかっていたことを口にする。
「……どうして、君はマルベリアの名前を呼ばないんだ?」
途端に、彼女の笑顔は引っ込んでしまった。
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