高嶺の花の飼い主をすやすやさせる仕事をする俺は専属抱き枕

子犬一 はぁて

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30 名前を教えて

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 男はベッドの端に腰掛けてパソコンを立ち上げ、カタカタと規則的な一定のリズムでキーを押していた。桜は作業の邪魔にならないように静かに声をかける。

「あ、の……今浴び終えたのでお兄さんもどうぞ」

 すると男は軽く目を瞬かせながら桜を一瞥する。男は無言のままパソコンを閉じるとシャワールームへと向かっていった。その足取りは落ち着いていて所作のひとつひとつに品があるように見える。

(パソコンを触ってたけど仕事してたのか?)

 桜は普段お客様の仕事やプライベートについては無関心なはずなのに男の触れていたパソコンが気になって仕方がない。男の血の気の無さというのか、感情の色が見えないところがさらに謎めいた雰囲気を深める。

(こんな人でも売り専とか呼ぶんだ。どういうplayされるんだろ。ああ見えてMか? いやいや、あれはドがつくほどのSだろ。まあいいや。俺はいつも通り尽くすフリをするだけだ)

「待たせたな」

「はっ、い……」

 男がシャワーを浴び終えてすぐ近くで立っている。膨らみのある腕の筋肉と綺麗に割れた腹筋は桜の想像通りだった。男は何故かバスローブを着用せずにバスタオルを腰に巻いているだけだった。細いカモシカのような太ももが色気を放つ。

「じゃあお兄さん。ベッドへどうぞ」

 桜は男をベッドに誘導した。しかし、

「──それ、やめてくれないか」

 煩わしそうな瞳が桜を見下ろしている。

「え?」

って呼ぶのをやめてくれ」

 少し不機嫌そうなこめかみ。つり上がる眉のカーブ。桜は動揺を顔に出さないようにゆっくりと聞き返す。

「わかりました。なんて呼んだらいいですか?」

 今まで桜は接客中はどんなお客様にも「お兄さん」と統一して呼んできた。それは売り専の自分と客との一線を引くためであり、自分の身を護るためのものでもあった。けれど今は男の指示にいとも簡単に従ってしまう。

(……この人の名前知りたい)

 桜は自分自身の気持ちの変化に戸惑いを隠すのが精一杯だった。

真柴睦月ましばむつき。俺の名前なら好きなように呼んでもらって構わない」

「……真柴、睦月」

 ぽつりと男──真柴睦月の名前を復唱していると、彼がベッドの上に腰をかけてきた。

「名は?」

「え?」

「桜っていうのは源氏名だろ。本当の名前は?」

(ずるいな、この人)

 先程までのぴんと張り詰めた空気が変わった。真柴が口元を緩めたからだ。桜はふい、と顔を横に背ける。

「本名を聞くのはマナー違反です」
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