目覚めれば異世界へ

今野常春

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 御協力に感謝しつつ、俺はお姉様方を見送った。御近所付き合いも重要だと改めて実感した良い出来事だったと思いながら扉を閉めようとすると突然扉が動かなくなる。

「何だ、どうしたんだ……」
「それはこっちの台詞よ。あなたは掃除をしていたのよね?」
「ああ、凄いだろ。もう終わったんだぜ!!」
「それで、あの人たちはどうしたの?」
「あの人たち? ああ、手伝ってもらったんだよ。この部屋の大半は洗濯物で、それを男が洗うのは抵抗があるだろうということでね!」

 俺は親指を立て無事に完了した事を笑みを浮かべて報告を行ったのだが、エレオノーラさんは手を顔に当てて溜息を吐いた。何故だ。

「何てことを……」
「どうした?」
「どうしたって、何であの人たちを?」
「何でって、説明した通りだけど?」
「はぁ、まあ仕方が無いわ。あとでお礼を言わないと……、それよりもこれから出掛けるわよ!」

 エレオノーラは起こった事は仕方が無いと気持ちを切り替え、孝雄実に外出するよう求めた。戻って見るとイレギュラーな事態を目撃するも、彼女は基本的に予定通り動かないと気が済まない性質だった。

「えっ、今から? それならラッキーも連れて行かないと!」
「ラッキー?  何よそれ?」
「仔犬だよ。ほら、ラッキー!!」
「ワンッ!」
「ああ、なるほど、名前を付けたのね」
「うん、それで何処に出掛けるんだ?」
「大浴場よ。私達昨日から体を洗っていないでしょ。正直もう我慢の限界なのよ。私だけ綺麗になるもの悪いから貴方も一緒に連れて行ってあげるわ」

 エレオノーラの言葉に俺も希望が叶う事に気持ちが晴れやかになる。何しろ毎日風呂に入らないと気が済まない生活習慣の為、体の気持ち悪さは早く脱したい。

「マジかよ! 俺としても早く体を洗いたかった!」
「そうでしょ。一応旦那様から貴方の着替えを頂いて来たからこれを後で着てね」
「おう、有難う!」
「じゃあ移動するわよ」
「ワンッ!」

 こうしてエレオノーラに案内された俺は大浴場と呼ばれた銭湯に移動する。
 俗に言う公衆浴場なのだが、ここではその名で呼ばれ領民の憩いの場と為っている。しかし、ここは動物入場不可の為ラッキーは入口でお留守番と為った。
 それでも二人は早く体を洗い流したいとの思いから素早く料金を支払い入場を果たした。

「それじゃあまた後で、終わったらラッキーが待っている場所で落ちあいましょう」
「わかった」

 男女に別れ、俺は浴室へ移動し、体を洗うとさっさと湯船に浸かる。若干熱めの温度が体に染みて来る。思わずジジ臭い声が漏れてしまうものだ。
 やはりお湯に浸かる事と気持も落ち着いてくるぜ。

「あー、生き返るぜ……」
「昼間っから湯船に浸かれるなんて極楽だな、兄ちゃん!」

 俺は目を閉じ、湯船に溶け込む感覚に身を預けていると突如誰かが声を掛け、肩を叩いて来た。

「イダッ!? な、なんだ?」
「あれ、そんな力強く叩いたつもりは無かったけど、すまねえな」
「いや、いいですよ」
「そうか、ありがとな。俺はコーカスってんだ、よろしくな!」
「俺は近藤って言います」

 二人揃って浴槽に凭れ掛り、脚を伸ばしながら自己紹介を行った。

「それにしても真っ昼間からこうして湯に浸かれる俺達って勝ち組だな!」
「そ、そうですねー」

 俺はコーカスさんのテンションに若干気後れする。どこか空気の読め無さが漂ってくるんだよな。

「俺はここハーシュで守備兵をやっているんだが、お前見掛けない顔だな」
「昨日ここに到着したんですよ」
「昨日?」
「はい、ロットロンさんとエレオノーラさんと一緒に」
「ロットロンさん……、って領主様!?」

 真っ昼間とはいえ二人の貸し切りではない大浴場には何人か存在している。ところが彼の大声に一斉に二人へと視線が集まる。銭湯と同じく声が良く響く、響く。恐らくそれ以上に反響する。
 それでコーカスは気付く事なく会話を続ける構えだった。

「そうですよ」
「す、するとエレオノーラさんって、騎士団のエレオノーラさん……?」
「そうですけど?」

 孝雄実が素直に答えるとコーカスは体を震わせていた。どうしたのか首を傾げる孝雄実だったが、俯く彼を心配し声を掛けようとした瞬間、クワッと掴み掛って来る。

「うわっ!?」
「お、お前だったのか! な、何て羨ましい! エレオノーラさんの腰に手を回し、一緒に乗りやがって!! 本当に羨ましい!!」
「え、えー!! そこ?」
「他に何があるんだよ! あの才色兼備なエレオノーラさんに触れ、しかも会話までするなんて! お前は万死に値する!!」

 私生活を知ればドン引きすること間違いなし、と思った孝雄実だが、彼女の出自と名誉を重んじ敢えてあの話はしなかった。そして彼女の人気を改めて知ると共に、自らはコーカスの様な男たちに恨まれているのではないかと危惧する。

「も、もしかして恨んでいる?」
「恨む? そんな事思う訳が無い! もちろん俺はエレオノーラさんが大好きだ! それこそチャンスがあればデートにお誘いし、出来れば交際したいとすら思っている! だけどな、あの人は基本的に男には冷たいんだよ! 普通に会話できるのは極々僅か何だ!!」

 コーカスは血の涙を流さんばかりに悔しさと残念さを含ませて孝雄実に説明する。それは心からの叫びとして大浴場に響き渡っていた。彼の言葉に共感する男風呂の客は大きく頷き、同じ思いの男数名は自らに置き換え涙する者もいた。

 一方、女風呂は本当に貸し切り状態と為っていて、湯に浸かるエレオノーラは優雅で静かな一時を過ごしていた。昨日の出来事を考えると雲泥の差だと思うと共に生きている事を改めて実感した。
 そんなとき、男風呂からコーカスの思いの丈がぶちまけられた。

『エレオノーラさんが大好きだ! デートしたい! 交際したい!!』
 
 彼女はその瞬間ずっこけてしまった。完璧に聞こえたわけではないが、明らかに自らの話をしていると分かる内容だった。

「な、何を話しているのよ。あの馬鹿は……」

 当然この声が孝雄実ではない事を理解した上で、語り掛けている対象が彼だと考えている。

「それにしても……」

 ここまで自らに対し感情を持った言葉を聞いた事は無かったと反芻する。それは過去の出来事による影響から、無自覚に男を避けていたからだと理解していた。加えて地獄から救ってくれたオリマッテにこの身を捧げ、いつでも彼の為に死ぬ覚悟が出来ている。だから結婚、出産という従来女性が思い描く将来像を騎士に為ったと同時に捨て去っている。
 だがあの森で孝雄実に救われ、そして僅か一日の付き合いながらここまで自然に話す男は居なかったと自覚する。そして、思わず心臓が大きく打ち鳴らされる感覚を覚えた。

「ちょ、ちょっとまって……」

 ハッとなった彼女は口元まで湯に浸けて考える。
 それは近藤孝雄実の事である。
 だがどう考えても今迄の感情にない物が彼の顔を思い浮かべるだけで湧いてくる。

「……そんなはずないわよ」

 何度か否定するものの、否定する度に強化されて浮かび上がる。今尚続く男風呂での演説もこの頃に為ると彼女の耳には届かなくなっていた。

「それで、孝雄実はエレオノーラさんの事どう思っているんだ?」
「どうって?」
「おい、そこは好きか嫌いかだろ! まあ嫌いだという男は居ないと思うけどさ。それで、どうなんだよ」
「うっ、そりゃ好きか嫌いかの二択なら好きだよ」
「だよなー! やっぱ、そうだよなー!! 俺達親友になれそうだぜ。それにライバルにもなー!!」

 い、言えない。彼女の家で暮らしていますなんて。言えば殺されるな、間違いなく。それにあの片付けられ無さ忙しさが理由とは言え口が裂けても言えないよな。だけど、それさえ克服すればコーカスさんの言うとおり才色兼備なんだよな……

 コーカスの質問に答えた孝雄実はここで改めて彼女の評価を行うと共に、奇しくも互いの想いに気が付いてしまった。

『俺って、私って、エレオノーラさんの事が、近藤の事が、好きなんだ』

「あれ、どうした孝雄実、そんな真剣な顔して黙りこんで」
「えっ!? ああ、いや何でもないよ」
「変な奴だな。それよりも、お前どうやってエレオノーラさんと知り合ったんだよ」
「えっどうって……」

 不味いな、理由を話してもいいのかな。いや、やっぱこれは駄目だよな……

 孝雄実は森での出来事を含め、全てに於いてコーカスに話す事を躊躇う。それはオリマッテの存在が強く、ここの領主が居た以上極秘かも知れないという結論に至ったからだ。

「ごめん、オリマッテさんもいる事だからこの話は出来ないんだ」
「あっ、そうか。そう言えば、領主様もいたのか……、っん? なあ、孝雄実って偉い人なのか?」
「は? そんなわけないって」
「領主様を平気でさん付けで呼べるお前が偉くないって事は無いだろ?」

 この世界で生きる者にとって領主とは貴族だった。そして、貴族以外の者にとって彼等は雲の上の存在であり、気軽に目上の存在の如く話す事は許されない。
 だからこそ、ここで二人の間に認識の違いが生まれたのだ。

「そ、そうなのか……」
「そうなのかって、お前どんだけ田舎から出て来たんだよ」

 ここで幸いだったのはコーカスが話し相手だった事だ。彼でなく他の守備兵であれば間違いなく疑われ、下手をすればこの場に兵士が呼ばれる事もあり得た。
 コーカスはただ孝雄実に呆れるだけで、これ以上の追及はしなかった。

「ははは、そうなんだよ……」
「仕方無いな、まったく。さて、そろそろ俺は上がるか、孝雄実はどうする?」
「そうだな、俺も上がるよ」

 そろそろ長湯の限度も越えそうなほど浸かっていると感じた孝雄実は彼の言葉に続けと、湯船から上がり風呂を出る。しかし彼はコーカスの人懐っこさに感化され失念していた。行動を共にする者が誰であったのかを。二人は男同士の為殆ど手間を掛ける事なく大浴場を後にする。
 すると入口では案の定エレオノーラが待っていた。

「お、遅かった、わね。た、たた孝雄実……」

 目の前の美人は湯上がり効果からさらなる美しさに磨きが掛かっていた。湯に浸かったから顔が赤いのか、少し恥ずかしげな口調も相まって彼女の魅力が増大していた。それを真正面から浴びる二人、特にコーカスは自身に向けられてもいないにもかかわらず、卒倒してしまった。
 だが哀れ、エレオノーラは孝雄実にだけを見つめ、彼もまた彼女を捉えるのに精一杯だった。

「え、エレオノーラさん、ごめん待たせちゃって……」

 彼は落ち着いて言葉を返すも心拍数が上がっているのが自覚できるほど動揺していた。

「い、いいのよ、別に。昨日の今日だから疲れもあるでしょ」
「はい」

 ど、どうしたんだ。随分と大人しいけど……

 孝雄実は彼女に何が起こったのか聞きたい思いだった。大浴場に入る前と後で全くの別人の如く当たりが優しいのだ。一瞬、この湯に効能が有るのではないかとすら考えてしまうほどに。

「さて、それじゃあ移動しましょうか。これから孝雄実に必要な物を購入しないとね」
「えっ、でもお金は」
「それなら大丈夫よ。旦那様からたっぷりと頂いてあるから。じゃあ、行きましょう」

 するとエレオノーラは孝雄実の腕を取り移動を始める。その光景に周囲で眺めていた人が声を上げ、中には悲鳴を発する者さえいる。そもそもエレオノーラが大浴場の前で立っていた時点で人が集まっていたのだが、今の彼女に領民の姿は映っていなかった。すべては孝雄実が出てくるのを待つ、それだけである。だからか、一緒に出てきたコーカスの事は完璧に忘れられ、孝雄実もこの異変に動転し彼を忘れてしまうのであった。

 そして、倒れている彼を放置して二人は街中を孝雄実に必要な物資を買い求めると称し、殆どデートと呼ぶべき仲睦まじさを周囲に見せつけ、この日だけで悲嘆にくれた男性が多く出現した。娯楽に限りがあるこの世界に於いて、この手の話題は何かと盛り上がる為、あれよという間に周囲に伝わる。
 この日のうちに主人オリマッテにも伝達され「狙い通り」と執務室で叫ぶのである。

「なあ、エレオノーラさん、こんなに購入して大丈夫なの?」
「大丈夫って言っているでしょ。それとエレオノーラで構わないわ、た、孝雄実……」

 前よりもエレオノーラの距離は下手をすれば触れてしまうほどに縮まっている。その距離に領民の視線は釘付けと為っている。そんな事はお構いなしに二人は、特にエレオノーラがあれこれと品物を購入する。その購買力に店主は満面の笑みで上客を持て成し、持ち運べない量に達すれば品物を運ぶとすら言い放つ始末だった。まるで新婚間もない者同士の買い物風景であった。
 それを最も間近で見ている孝雄実はやはり大浴場で何が有ったのか首を傾げつつ、美女からの好意と、降って湧いた幸運に感謝しこの境遇を受け入れるのであった。

「あっ、おじさん、これも追加ね!」
「へい、有難う御座います。エレオノーラ様!!」
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