ich rede nichts 赤い皇女は語らない

悠井すみれ

文字の大きさ
13 / 73
自由のための一歩

破綻の予感

しおりを挟む
 ヴィンデッシュ=グレーツ中尉──オットーも、最初こそ戸惑っていたけれど、私との結婚に前向きになってくれていたわ。皇帝の血縁として私が保持し続けることになった特権や、持参金が彼にもたらした莫大な財産や年金がどれほど影響したかは、言わぬが花というものでしょうけど。美しい花嫁自身にも、少しは魅力を感じたのかしら。そう言ってくれてありがとう。こんなおばあちゃんにお世辞が言えるなんて大したものだと思うけれど、でも、私の若いころの写真を見ていたらそんなことも言えるのかしら。私は……かつては美しかったのよ。

 とにかく、そんな調子だったから、結局のところ私は失ったものより得たものの方が大きかったはずよ。魅力的な夫と、民衆からの祝福、初恋を叶えた幸せな女という評判、それに何より──自由! 帝位継承権の放棄によって、私はハプスブルク家からは離脱したの。だから第一次世界大戦の後もハプルブルク法の規定を逃れることができたわ。統治権を放棄する代わりに財産を保持して国内に留まるか、あるいは、あくまでも統治権を主張して追放されるかを選ばなくて済んだの。あの最後の皇太子、オットー・フォン・ハプスブルクは、まさしくハプスブルク法によってこのオーストリアに、彼が主張するところの彼の国に足を踏み入れることさえできないのに! ねえ、だから私は、先見の明があったでしょう。血の繋がりもある人たちをあまり悪く言いたくはないけれど、古い時代にしがみついて苦労をしなくて済んだのだもの。むしろ、自分から新しい時代に漕ぎ出して行ったと言っても過言ではないはずよ。貴方にとっては、面白くないことかもしれないけれど。特に私のような跳ね返りには、手痛いしっぺ返しがあって欲しいものなのでしょうけれど。

 ええ、確かに私の最初の結婚は失敗に終わったと言えるでしょう。隠すつもりも美化するつもりもないわ。どうせ貴方はそこもよく知っているのでしょうから。世間知らずの小娘の癖に、すべて計画通りにことを進めることができただなんて、今の読者は喜ばないのでしょうから。

 オットー・ヴィンデッシュ=グレーツとの結婚がいかにして破綻して、私がいかに苦労したか。帝国亡き後のもと皇女だなんていう存在が、いかに思い上がった心根をへし折られたか、そんな話の方を期待して来たのでしょうね? でも──この前、貴方が最初に来た時に言った通りよ。私は、貴方が知りたがるようなこと、貴方を喜ばせるようなことを話すつもりはないわ。何ひとつね。大体、真実がどうだったか、その時その時で私が何を考え何を企んでいたか、どうして貴方が知ったつもりになれるのかしら。私の結婚の背景のように、私にしか知らないこともあるはずだとは思わない? 当の本人が言うことなのですもの、それこそが事実であり真実なのではないかしら?
 まあ、ここまで言ったのに目を輝かせて食いついて──職業病というやつかしら、なんて熱心なこと! でも、残念ね。私が今日語るのはここまでよ。これはこれで興味深い話には違いなかったでしょう。貴方のその顔を見れば、違うなんて言わせないわ。

 さあ、最初の約束は忘れていないわね? 何を驚いたような顔をしているのかしら。過去のことより今のことよ。私が自分のことを語った分だけ、大統領と書記長の会談について、貴方が漏れ聞いたことを教えてくれるのでしょう。昔話をしている間に「取引」を忘れてしまうなんて、私はまだそれほど耄碌してはいないのよ。だから早く、もたもたしないで──話しなさいな。
しおりを挟む
感想 2

あなたにおすすめの小説

【完結】新・信長公記 ~ 軍師、呉学人(ごがくじん)は間違えない? ~

月影 流詩亜
歴史・時代
​その男、失敗すればするほど天下が近づく天才軍師? 否、只のうっかり者 ​天運は、緻密な計算に勝るのか? 織田信長の天下布武を支えたのは、二人の軍師だった。 一人は、“今孔明”と謳われる天才・竹中半兵衛。 そしてもう一人は、致命的なうっかり者なのに、なぜかその失敗が奇跡的な勝利を呼ぶ男、“誤先生”こと呉学人。 これは、信長も、秀吉も、家康も、そして半兵衛さえもが盛大に勘違いした男が、歴史を「良い方向」にねじ曲げてしまう、もう一つの戦国史である。 ※ 表紙絵はGeminiさんに描いてもらいました。 https://g.co/gemini/share/fc9cfdc1d751

【完結】『からくり長屋の事件帖 ~変わり発明家甚兵衛と江戸人情お助け娘お絹~』

月影 朔
歴史・時代
江戸の長屋から、奇妙な事件を解き明かす! 発明家と世話焼き娘の、笑えて泣ける人情捕物帖! 江戸、とある長屋に暮らすは、風変わりな男。 名を平賀甚兵衛。元武士だが堅苦しさを嫌い、町の発明家として奇妙なからくり作りに没頭している。作る道具は役立たずでも、彼の頭脳と観察眼は超一流。人付き合いは苦手だが、困った人は放っておけない不器用な男だ。 そんな甚兵衛の世話を焼くのは、隣に住む快活娘のお絹。仕立て屋で働き、誰からも好かれる彼女は、甚兵衛の才能を信じ、持ち前の明るさと人脈で町の様々な情報を集めてくる。 この凸凹コンビが立ち向かうのは、岡っ引きも首をひねる不可思議な事件の数々。盗まれた品が奇妙に戻る、摩訶不思議な悪戯が横行する…。甚兵衛はからくり知識と観察眼で、お絹は人情と情報網で、難事件の謎を解き明かしていく! これは、痛快な謎解きでありながら、不器用な二人や長屋の人々の温かい交流、そして甚兵衛の隠された過去が織りなす人間ドラマの物語。 時には、発明品が意外な鍵となることも…? 笑いあり、涙あり、そして江戸を揺るがす大事件の予感も――。 からくり長屋で巻き起こる、江戸情緒あふれる事件帖、開幕!

花嫁御寮 ―江戸の妻たちの陰影― :【第11回歴史・時代小説大賞 奨励賞】

naomikoryo
歴史・時代
名家に嫁いだ若き妻が、夫の失踪をきっかけに、江戸の奥向きに潜む権力、謀略、女たちの思惑に巻き込まれてゆく――。 舞台は江戸中期。表には見えぬ女の戦(いくさ)が、美しく、そして静かに燃え広がる。 結城澪は、武家の「御寮人様」として嫁いだ先で、愛と誇りのはざまで揺れることになる。 失踪した夫・宗真が追っていたのは、幕府中枢を揺るがす不正金の記録。 やがて、志を同じくする同心・坂東伊織、かつて宗真の婚約者だった篠原志乃らとの交錯の中で、澪は“妻”から“女”へと目覚めてゆく。 男たちの義、女たちの誇り、名家のしがらみの中で、澪が最後に選んだのは――“名を捨てて生きること”。 これは、名もなき光の中で、真実を守り抜いたひと組の夫婦の物語。 静謐な筆致で描く、江戸奥向きの愛と覚悟の長編時代小説。 全20話、読み終えた先に見えるのは、声高でない確かな「生」の姿。

魔王の残影 ~信長の孫 織田秀信物語~

古道 庵
歴史・時代
「母を、自由を、そして名前すらも奪われた。それでも俺は――」 天正十年、第六天魔王・織田信長は本能寺と共に炎の中へと消えた―― 信長とその嫡男・信忠がこの世を去り、残されたのはまだ三歳の童、三法師。 清須会議の場で、豊臣秀吉によって織田家の後継とされ、後に名を「秀信」と改められる。 母と引き裂かれ、笑顔の裏に冷たい眼を光らせる秀吉に怯えながらも、少年は岐阜城主として時代の奔流に投げ込まれていく。 自身の存在に疑問を抱き、葛藤に苦悶する日々。 友と呼べる存在との出会い。 己だけが見える、祖父・信長の亡霊。 名すらも奪われた絶望。 そして太閤秀吉の死去。 日ノ本が二つに割れる戦国の世の終焉。天下分け目の関ヶ原。 織田秀信は二十一歳という若さで、歴史の節目の大舞台に立つ。 関ヶ原の戦いの前日譚とも言える「岐阜城の戦い」 福島正則、池田照政(輝政)、井伊直政、本田忠勝、細川忠興、山内一豊、藤堂高虎、京極高知、黒田長政……名だたる猛将・名将の大軍勢を前に、織田秀信はたったの一国一城のみで相対する。 「魔王」の血を受け継ぐ青年は何を望み、何を得るのか。 血に、時代に、翻弄され続けた織田秀信の、静かなる戦いの物語。 ※史実をベースにしておりますが、この物語は創作です。 ※時代考証については正確ではないので齟齬が生じている部分も含みます。また、口調についても現代に寄せておりますのでご了承ください。

裏長屋の若殿、限られた自由を満喫する

克全
歴史・時代
貧乏人が肩を寄せ合って暮らす聖天長屋に徳田新之丞と名乗る人品卑しからぬ若侍がいた。月のうち数日しか長屋にいないのだが、いる時には自ら竈で米を炊き七輪で魚を焼く小まめな男だった。

古書館に眠る手記

猫戸針子
歴史・時代
革命前夜、帝室図書館の地下で、一人の官僚は“禁書”を守ろうとしていた。 十九世紀オーストリア、静寂を破ったのは一冊の古手記。 そこに記されたのは、遠い宮廷と一人の王女の物語。 寓話のように綴られたその記録は、やがて現実の思想へとつながってゆく。 “読む者の想像が物語を完成させる”記録文学。

偽夫婦お家騒動始末記

紫紺
歴史・時代
【第10回歴史時代大賞、奨励賞受賞しました!】 故郷を捨て、江戸で寺子屋の先生を生業として暮らす篠宮隼(しのみやはやて)は、ある夜、茶屋から足抜けしてきた陰間と出会う。 紫音(しおん)という若い男との奇妙な共同生活が始まるのだが。 隼には胸に秘めた決意があり、紫音との生活はそれを遂げるための策の一つだ。だが、紫音の方にも実は裏があって……。 江戸を舞台に様々な陰謀が駆け巡る。敢えて裏街道を走る隼に、念願を叶える日はくるのだろうか。 そして、拾った陰間、紫音の正体は。 活劇と謎解き、そして恋心の長編エンタメ時代小説です。

アブナイお殿様-月野家江戸屋敷騒動顛末-(R15版)

三矢由巳
歴史・時代
時は江戸、老中水野忠邦が失脚した頃のこと。 佳穂(かほ)は江戸の望月藩月野家上屋敷の奥方様に仕える中臈。 幼い頃に会った千代という少女に憧れ、奥での一生奉公を望んでいた。 ところが、若殿様が急死し事態は一変、分家から養子に入った慶温(よしはる)こと又四郎に侍ることに。 又四郎はずっと前にも会ったことがあると言うが、佳穂には心当たりがない。 海外の事情や英吉利語を教える又四郎に翻弄されるも、惹かれていく佳穂。 一方、二人の周辺では次々に不可解な事件が起きる。 事件の真相を追うのは又四郎や屋敷の人々、そしてスタンダードプードルのシロ。 果たして、佳穂は又四郎と結ばれるのか。 シロの鼻が真実を追い詰める! 別サイトで発表した作品のR15版です。

処理中です...