Call my name

森野きの子

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 楓の呼吸がようやく整いはじめた頃、室内では鑑識員たちが作業を進めていた。
 防護手袋の擦れる音や、器具の金属音が玄関の外までかすかに届く。
 その音を聞くだけで、胸の奥がざわつく感覚はわずかに残ったままだった。
 恭吾が再び室内から姿を現し、楓の横に立った。
 表情に動揺はないが、目の奥には静かな緊張が宿り続けている。
「鑑識が髪の分析に入った。……お前も来い」
 楓は小さく頷き、ゆっくりと立ち上がる。
 まだ完全に安定したとは言えない足取りだが、歩こうという意志は確かだった。
 再び部屋へ入ると、鑑識員のひとりがテーブル脇で顕微鏡の準備をしていた。
 ビニールの上に丁寧に置かれた一本の髪は、室内の光を吸い込むように銀白に輝き、毛先のフューシャが鮮やかな異物のように浮いていた。
「これ……人間のものには見えませんね」
 鑑識員が恭吾にだけ聞こえる声でつぶやく。
「色の問題じゃない。断面が明らかに異常だ」
 恭吾は低く返した。
 鑑識員は顕微鏡を覗き込み、しばらく沈黙した。
 沈黙が長くなるほど、空気が固まっていく。
「……熱による断裂です。かなり高温。
 通常の加熱器具や切断機じゃ、ここまで滑らかにはなりません」
「特殊な装置か?」
「装置……か、あるいは……」
 鑑識員は言葉を飲み込み、視線だけで恭吾へ続きを預けた。
 恭吾は息を一つ吐く。
 その隣で、楓は静かに固まっていた。
 髪の束に目を向けるたび、胸がまたざわめく。
 そのざわめきは──嫌悪でも恐怖でもなく、
 何か“もっと根源的な反応”に近かった。
「秋本」
 恭吾が静かな声で呼ぶ。
「……はい」
「その髪を見て、何か思い当たるか?」
 楓は視線を落とし、しばらく考えるように沈黙した。
 だが胸の中で渦を巻く感覚には、形がない。
 言葉にできる記憶がどこにもない。
「……いえ。何も。でも……どうしてかわかりません、胸が、変なんです」
 恭吾の眉がわずかに動いた。
 責める色は一切ない。
 むしろ“何かを結びつけようとする”静かな集中があった。
「無理に思い出そうとしなくていい」
 その声に、楓は少しだけ肩の力を抜いた。
 鑑識員が再び口を開く。
「断言はできませんが……これは“人間以外のサンプル”と考えた方がいいかもしれません」
 その言葉は、この場にあった空気すべてを一度止めた。
 楓の胸が再び軋む。耳の奥で血の音が小さく鳴る。
 そのときだった。
 胸の奥に、脈と関係のない“ひとつの震え”が走った。
 理由はわからない。だが、確かに何かが揺さぶった。
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