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帰宅しても、加藤恭吾はソファに腰を落ち着けられずにいた。
事件資料を開いては閉じ、鑑識報告の文字列に目を滑らせても内容が入ってこない。
現場から帰る前、楓の顔色が急激に悪くなった瞬間だけが、ずっと頭から離れなかった。
胸を押さえ、何かを堪えるように立ち尽くしていた姿。
新人の様子を気にしすぎだ──。
そう思おうとしたが、どこか違った。
あの震えは、緊張や疲労で説明できるものではなかった。それに彼女はこの事件に何らかの形で関与している可能性がある。
恭吾はスマートフォンを手に取り、迷いながら短い文を打ち込む。
《秋本、体調はどうだ》
送る前に何度も読み返した。
不要な気遣いかもしれない。しかし、送らなければ眠れない気がした。
送信。
返事はすぐ来た。
《大丈夫じゃないかもしれません》
恭吾は立ち上がり、上着を掴んで玄関を出た。
インターホンの音が響くと、楓は胸を押さえたまま立ち上がった。
扉を開けると、恭吾がいた。楓は安堵の吐息を吐いた。
廊下灯の下で、彼の表情はいつも通り冷静だったが、その目だけがわずかに細く揺れているように見えた。
「悪い。こんな深夜に、その、出過ぎた真似を」
「……いえ。そんなことありません」
楓の声はかすれていた。
顔色を見た瞬間、恭吾の足が自然と一歩中へ進む。
「やっぱり具合、悪いな。座れ」
命令口調ではないが、抗いようもない静かな圧があった。
楓は従うようにベッドの端に座る。
恭吾は距離を取って椅子に腰をかけた。
触れようともせず、かといって遠ざかりすぎもしない位置。いつもの職務中と同じ距離だった。
「どこが一番つらい」
「胸の……奥です。息は……できますけど」
「発作みたいなものか?」
「わかりません。でも……さっきよりは少し楽です」
恭吾は短く息をついた。
安堵というより、状況確認の呼吸。
「苦しくなったのは、帰宅してからか」
「はい」
「現場では?」
楓は胸に手を置いたまま、小さく首を振る。
「……あのときも変でした。
急に胸の奥が揺れて……。
誰かに呼ばれてるみたいな、そんな感じで」
恭吾のまぶたがわずかに動いた。
だが顔つきは変わらない。
「“誰か”の心当たりは?」
「ありません。記憶にも何も……」
「そうか」
短い返事。それ以上深くは聞かない。
楓が自分で言葉を探せるように、恭吾の問いは必要最低限だった。
部屋は静かで、空気は重かった。
その中で、楓が言った。
「……でも、さっきよりは楽です。
たぶん、人が来たから……」
恭吾は少しだけ目を伏せた。
「そういうことなら、しばらくはここにいる」
「え……」
「余計な心配するな」
言い方は冷静で、淡々としている。
ただ、見捨てないという意思だけがあった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん」
恭吾は腕を組み、玄関に背を向けて座り直した。
まるで、扉の向こうから何かが来ても守れるように。
楓は気づかない。恭吾も気づいていない。
その沈黙の中で、窓ガラスがほんの僅かに震えたことに。
事件資料を開いては閉じ、鑑識報告の文字列に目を滑らせても内容が入ってこない。
現場から帰る前、楓の顔色が急激に悪くなった瞬間だけが、ずっと頭から離れなかった。
胸を押さえ、何かを堪えるように立ち尽くしていた姿。
新人の様子を気にしすぎだ──。
そう思おうとしたが、どこか違った。
あの震えは、緊張や疲労で説明できるものではなかった。それに彼女はこの事件に何らかの形で関与している可能性がある。
恭吾はスマートフォンを手に取り、迷いながら短い文を打ち込む。
《秋本、体調はどうだ》
送る前に何度も読み返した。
不要な気遣いかもしれない。しかし、送らなければ眠れない気がした。
送信。
返事はすぐ来た。
《大丈夫じゃないかもしれません》
恭吾は立ち上がり、上着を掴んで玄関を出た。
インターホンの音が響くと、楓は胸を押さえたまま立ち上がった。
扉を開けると、恭吾がいた。楓は安堵の吐息を吐いた。
廊下灯の下で、彼の表情はいつも通り冷静だったが、その目だけがわずかに細く揺れているように見えた。
「悪い。こんな深夜に、その、出過ぎた真似を」
「……いえ。そんなことありません」
楓の声はかすれていた。
顔色を見た瞬間、恭吾の足が自然と一歩中へ進む。
「やっぱり具合、悪いな。座れ」
命令口調ではないが、抗いようもない静かな圧があった。
楓は従うようにベッドの端に座る。
恭吾は距離を取って椅子に腰をかけた。
触れようともせず、かといって遠ざかりすぎもしない位置。いつもの職務中と同じ距離だった。
「どこが一番つらい」
「胸の……奥です。息は……できますけど」
「発作みたいなものか?」
「わかりません。でも……さっきよりは少し楽です」
恭吾は短く息をついた。
安堵というより、状況確認の呼吸。
「苦しくなったのは、帰宅してからか」
「はい」
「現場では?」
楓は胸に手を置いたまま、小さく首を振る。
「……あのときも変でした。
急に胸の奥が揺れて……。
誰かに呼ばれてるみたいな、そんな感じで」
恭吾のまぶたがわずかに動いた。
だが顔つきは変わらない。
「“誰か”の心当たりは?」
「ありません。記憶にも何も……」
「そうか」
短い返事。それ以上深くは聞かない。
楓が自分で言葉を探せるように、恭吾の問いは必要最低限だった。
部屋は静かで、空気は重かった。
その中で、楓が言った。
「……でも、さっきよりは楽です。
たぶん、人が来たから……」
恭吾は少しだけ目を伏せた。
「そういうことなら、しばらくはここにいる」
「え……」
「余計な心配するな」
言い方は冷静で、淡々としている。
ただ、見捨てないという意思だけがあった。
「……ありがとうございます」
「礼はいらん」
恭吾は腕を組み、玄関に背を向けて座り直した。
まるで、扉の向こうから何かが来ても守れるように。
楓は気づかない。恭吾も気づいていない。
その沈黙の中で、窓ガラスがほんの僅かに震えたことに。
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