彼がスーツに着替えたら

森野きの子

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凍える月と熱い夜2

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 彼氏がいたらな……。ふと湧いた願望に、ビル風が心に吹き荒ぶ。彼氏いない期間三年。あっという間だった。普段はおひとり様でもまったく問題なく過ごしているが、こう寒いと人肌が恋しい。ここはマッチングアプリの一つでもかましてみようかと思うが、なんとなく抵抗がある。ネットショッピングで下着も買えない女だ。ネットで男と出会えるはずがない。そう、現物をみて決めたい。この目で見たものしか信じられない。とはいえ、人の本性などすぐに目に見えるものではない。心なら尚更だ。人肌は諦めよう。冴子は気を取り直して駅へ急いだ。
 そして自分の家の最寄り駅に降りて、駅前にある行きつけのダイニングバー『サンハウス』へ向かう。二年前にオープンしたばかりで、家から近く、カクテルと料理も美味しく、オープン当時からすっかり常連になってしまった。なにより店主の亮は冴子の推しである。三十二歳。独身らしいが、恋人の有無は不明。凛とした端正な顔立ちの男前。彼目当ての女性客も決して少なくないが、元バンドマンの彼の友人の男性客が断然多い。レトロフューチャーな50年代のアメリカンなインテリアが可愛いというところも気に入っている。
 カウベルの揺れる赤い木製のドアを開けると、ビックバンドのBGMが流れてくる。カウンターの奥で亮が一人で煙草をくゆらせていた。赤と黒の細いボーダーのシャツの捲った袖から伸びた上腕二頭筋は程よい存在感を示している。
「お。いらっしゃい」
 彼はすぐさま煙草を揉み消すと、煙を吐きながら言った。
「こんばんは。もう閉める?」
 冴子が訊くと亮は微笑んだ。
「まさか。週末の荒波がひと段落着いて暇してたとこ」
 笑うと甘くなる垂れ気味の目尻の切れ長の目。冴子の胸は思わず高鳴る。今だけは残業万歳。彼をひとりじめだ。そんな浮かれた思いつきが少し照れくさい。
「飲み物はどうする?」
 カウンターのスツールに腰掛け、差し出された熱めのおしぼりを受け取る。凍えた指先にじわりと染みた。
「んーと、ブルームーンを。今夜、月がキレイだったから……、なんて、何言ってんだろ私。はっず」
「いいじゃん。そういうの。おれ、好きだよ」
 屈託のない笑みを浮かべて亮はいう。冴子はドキッとしたが、彼の言葉になんの意図もないことはわかっている。
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