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一本、また一本と、ここでは滅多と出ない高級シャンパンの栓が弾かれる。再会を祝してか、はたまたやけ酒が、私たちはグラスを何度も空にした。
お茶を引いているホステスとマネージャーとボーイたちにも好きに飲むようにと言って人払いしてくれたおかげで、いつもよりは他の人たちの気配を気にせずいられた。
「あの時、俺はシュールブルーでモンブランを買ってたんだ」
唐突に出てきたのは、大好きなお店とケーキの名前。
栗の時期にだけ一日限定三十個販売され、きめ細やかなサクサクのメランゲを土台に、注文を受けてから絞る甘さ控えめのバニラビーンズがきいた生クリームを閉じ込めるのは洋酒香るマロンペースト。テイクアウトは三十分以内に食べることを推奨されるこだわりの一品。思い出したら食べたくなった。でも時期が終わってる。
「いつの話ですか?」
「経理部長の息子がやらかした日だよ。俺と織部と益子でマロンパイ食ったとき」
益子の名前を聞いて懐かしくて、胸と目頭がじんわり温かくなる。
「あー。ありましたね。益子がお客さんにいただいたって」
「言ってたな。あいつもかなりの甘党だぞ。三つくらい移動中になくなってるって」
「たまたまなんじゃないですか?」
「違うよ。あいつ、よくお客さんにあそこの焼き菓子持っていってた」
「それで? それがなにか?」
「あいつはお前の好物をちゃんと三つ用意してたけど、俺は二つだったんだよ。出せないじゃん」
日焼けも薄暗い照明でも誤魔化せないくらい、真壁さんは赤くなった。拗ねた子供のような口振りにキュンときた。先程みせた帝王のような威圧感はどこにしまったのだろう。
「いつも二人でつるんでたし、楽しそうだったよな。お前たち。それでさ、あの騒動のあと、三伴の都市開発プロジェクトの独占契約と、経理課社員の横領が発覚して会長に呼ばれたんだよ。ちょうど益子といたからダメ元で声かけてみたんだ。まさかデートより上司のむちゃぶり優先するなんて思わなかった」
「あー、まぁ、はぁ。そうですね、普通」
「それにあいつ、お前の使うだろう泊まりセットとコンドーム用意してたんだぞ。お前はお前で益子に彼女がいるからって腹いせに俺に来たりするし」
「え、違いますよ。益子は関係ないです。むしろ応援してくれてたんですよ。私の好きな人は」
真壁さんですからと言いかけて、焦った。いや、過去形でしょ、ここは。
「別にいましたから」
「俺だろ」
ごまかしたつもりが図星を突かれて心臓が跳ねた。
「いや、俺だった、んだよな。当時もそうかなんじゃないかなって思ったりもしたけど、自惚れか願望かわかんねえからどうしようもないじゃん」
真壁さんは瞼を伏せて自嘲する。なにを言い出すの、この人。
「俺はお前を抱くつもりだったよ。でも、自棄になって処女を捨てるくらい益子のことが好きなのかって勘違いしたからさ。抱けるわけないじゃん。正直益子に負けたって思ったし、思っていた以上にお前のこと好きだって思い知って混乱した。色恋沙汰であんなに苦しかったこと、あとにも先にもなかった」
なんてことだろう。私はショックで言葉を失った。あの時、私が変に迷わず素直な気持ちを伝えていたら、こんなことになっていなかった。
「あの頃、忙しすぎて、朝も晩も日付も曜日も曖昧だったけど、お前が、朝のコーヒー入れて起こしてくれるから、なんとか感覚が狂わずやっていけたんだよ。思い返せば結婚失敗した後も、妙に吹っ切れたのお前がいたからだ。あまりに傍にいたから、気づかないようにしてたんだ。お前は俺が手塩にかけて育てた大事な部下だったから」
彼の口から語られる過去は、自ら行動しなかった私への罰だ。
「そんな私が落ちぶれてて、どうです?」
「俺が喜ぶとでも思ってるのか?」
「申し訳ありません。せっかく手塩にかけて頂いたのに、お水の花道すらまとも歩けない無能でした」
「そう卑屈になるなよ。俺なら喜んでるよ。もう部下じゃないんだ。口説いてもいいよな?」
「やだ! 真壁さんのケダモノ」
泣きたかった。やり場のない思いをあえて下品に茶化して笑うしかない。笑い飛ばすしかない。
「あれから五年ですよ。結果行き遅れてこんなことしてますけど、もし私が普通に結婚してたらどうしてました?」
「幸せそうなら、会いにくるわけないだろ」
「それはどういう意味ですか?」
「まぁいいじゃないか。深く考えずに昔の男に貢がせたシャンパンで可愛い彼氏と風呂でもはいれば?」
「なにが昔の男ですか! 一夜の女にもしてくれなかったくせに! おかげで未だにタンポンすらいれたことないですよ!」
「うわ、お前もゲスいな」
「三十も越えましたからね」
「ふーん。じゃあまだ俺だけか。あんな織部を見たのは。そう言われると惜しくなるな」
探るような不躾な視線を浴びせられる。カッと顔が熱くなり、酔いが回った。
「……なんて顔してんだよ」
「すみません」
どんな顔をしていたんだろう。唇に親指が触れたかと思うと隙間がなくなった。やわらかく押し当てられた唇があっという間に離れた。
「ずっと心残りだったんだ。あのとき意地張ってできなかったから。俺の出世祝いと思って許してくれ」
やっぱり五年も経てば心も変わるもんだ。断ちきれない未練かと思いきや、思い出補正ってやつかしら。案外キスくらいじゃ動じない。
って女になりたかった。
「真壁さんの馬鹿」
「なんだよ」
「さっき、初めて彼の部屋に行く約束をしたんです。」
「へえ」
「……どうして今日なんですか。どうして会いに来たんですか。どうして……キスなんかするんですか」
「どうしてっていわれても、会いに来た日が今日なのは偶然だ。キスは、質の悪い酔っ払いに絡まれたと思って忘れてくれ」
忘れろなんて簡単に言わないで。まさかこの人を睨む日がくるとは。
「忘れろ? とぼけてるんですか?」
「俺の感覚、狂ってんのかなァ」
「ええ。そうですね。落ちぶれて場末のホステスになった元部下に五十万分のシャンパン奢る元上司なんか聞いたこともないです。金銭感覚狂ってます」
「そうか。でも、仕方ないだろ。仕事にやりがいと達成感を求めれば求めるほど金がついてくるんだから。ジム行くか仕事する以外に娯楽もないし。使うとこないんだよ」
「真壁さん、大丈夫ですか?」
のぞきこむと彼は私を見つめ返し、手首を掴んで、掌に唇を当てた。
「心配するなら黙って受け取ってくれ」
そのまま手を引かれ、横顔に胸を押しつける形で寄りかかってしまった。
「すみません真壁さん」
「すごい音だな。どうしたんだ?」
私は唇を噛んだ。この鼓動が誰のせいか、わかっているくせに。
「もう少し、このまま聴かせてくれないか」
私を離すまいと込められた手の力と躊躇いがちな声の弱さに身動きが取れなくなった。
「でも……、汗、かいてます。それに、さっき、雨に濡れて……」
抱かれたままじっとしていると、体の芯が熱を孕みしっとりと湿っていく。
とても口に出して言えないけど、あの夜のように直接肌に触れられたくなってきた。不意に擦り寄せられた頬が、胸を刺激する。
「んっ……。真壁さん。もう……」
離してと云うべきところを濁した。我ながら卑怯だと思う。
「嫌だ」
鼻先で胸を覆っていた布をずらされ、その拍子でヌーブラがめくれた。ハッと息を吸うと同時に乳首を口に含まれた。
「ん……っ」
私は背中を弓形にして彼の肩を掴んだ。突き放すこともせず、むしろ、押しつけた。甘噛みにも応えられる程乳首は固くなっていて、舌先で弄ばれると、さらに熱くなった。両足の間の奥がつんと痛く疼く。
音を抑えつつ、舌と甘噛みの責めは容赦なかった。私は喘ぎをなんとか吐息で逃がし、後先考えず彼の愛撫に耽溺した。彼の手が内腿を撫で回す。指先が濡れた下着の上から押し当てられ、軽い絶頂を迎えた。声を我慢するため、わななきながら逞しい肩をきつく握り締めた。ようやく理性が目を覚ます。ぼやけた視界には悪い色気を帯びた微笑があった。新鮮な空気よりぬめる温かい舌が欲しくてたまらなかったけれど、それを乞うのもなんだか癪でやんわり身体をずらすと、腕から解放された。密着していた身体同士に隙間が空いてその間に涼しい風が流れる。
「酔わせ足りなかったか」
「これ以上酔えません」
私は呼吸と衣装を整え、髪を撫でつけた。
「そうだな」
「上着、お預かりしましょうか?」
「じゃあ頼む」
真壁さんは上着を脱いで手渡した。ネクタイを外し、ボタンを二つ外した。その下の鍛えられた肉体を私は知っている。でもそれは過去のもの。
「彼氏が待ってるんだよな」
ふと呟き、私の手の中の上着を取り戻すと、はだけたシャツの上から羽織る。
「え?」
今、そんなことをいうの? あんなことをした、あなたが。
面喰らっている私を置いて身支度を整える。
「あ。そうだ。これやる。セクハラの慰謝料にでもしといてくれ」
さっき机に放った帯のかかった百枚の新札を目の前に差し出される。
「馬鹿にしてるんですか? それともからかっただけ?」
「お前がさっき触りたいなら触らせてやるって言ったんじゃないか」
「こんないかがわしいことする人、いませんでしたけど!」
「凛花ちゃんは俺を喜ばせるのが上手いな」
「よくもまあ、ぬけぬけとおっしゃいますね!」
「まだ上がりの時間までだいぶあるんだろ」
私の憤りをさらりとかわす。
「ええ。まだ時間はありますよ。まだお触りになりたいんですか?」
棘をたっぷり含ませて、真壁さんを睨む。
「そうしたいところだがな。連れ出してやるよ。送っていくから、店長に言ってこい」
「はい?」
どういうつもりなのか全くわからない。さっきまで熱く濡れた箇所は冷えきった。
「幸せになれそうか?」
ひそめた声とまっすぐな眼差しに射ぬかれる。
「……っ」
「なってもらわないと困るんだよ。それとも、俺が口説いていいのか? 若さには到底敵わないがチャンスにはありつけるか?」
チャンス? 隙だらけだと笑っているくせに。この人の思い通りになってしまう自分が情けない。
「さ、用意しろ。彼氏が待ってるんだろ」
真壁さんに促され席を立った。悔しさを噛みしめて、一旦飲み込む。店長にアフターが入ったと告げると、他の女の子たちに色恋上手とからかわれた。散々私を馬鹿にしているマネージャーは面白くなさそうにそっぽを向いたが、上機嫌な店長はすんなり早退を許してくれた。
お茶を引いているホステスとマネージャーとボーイたちにも好きに飲むようにと言って人払いしてくれたおかげで、いつもよりは他の人たちの気配を気にせずいられた。
「あの時、俺はシュールブルーでモンブランを買ってたんだ」
唐突に出てきたのは、大好きなお店とケーキの名前。
栗の時期にだけ一日限定三十個販売され、きめ細やかなサクサクのメランゲを土台に、注文を受けてから絞る甘さ控えめのバニラビーンズがきいた生クリームを閉じ込めるのは洋酒香るマロンペースト。テイクアウトは三十分以内に食べることを推奨されるこだわりの一品。思い出したら食べたくなった。でも時期が終わってる。
「いつの話ですか?」
「経理部長の息子がやらかした日だよ。俺と織部と益子でマロンパイ食ったとき」
益子の名前を聞いて懐かしくて、胸と目頭がじんわり温かくなる。
「あー。ありましたね。益子がお客さんにいただいたって」
「言ってたな。あいつもかなりの甘党だぞ。三つくらい移動中になくなってるって」
「たまたまなんじゃないですか?」
「違うよ。あいつ、よくお客さんにあそこの焼き菓子持っていってた」
「それで? それがなにか?」
「あいつはお前の好物をちゃんと三つ用意してたけど、俺は二つだったんだよ。出せないじゃん」
日焼けも薄暗い照明でも誤魔化せないくらい、真壁さんは赤くなった。拗ねた子供のような口振りにキュンときた。先程みせた帝王のような威圧感はどこにしまったのだろう。
「いつも二人でつるんでたし、楽しそうだったよな。お前たち。それでさ、あの騒動のあと、三伴の都市開発プロジェクトの独占契約と、経理課社員の横領が発覚して会長に呼ばれたんだよ。ちょうど益子といたからダメ元で声かけてみたんだ。まさかデートより上司のむちゃぶり優先するなんて思わなかった」
「あー、まぁ、はぁ。そうですね、普通」
「それにあいつ、お前の使うだろう泊まりセットとコンドーム用意してたんだぞ。お前はお前で益子に彼女がいるからって腹いせに俺に来たりするし」
「え、違いますよ。益子は関係ないです。むしろ応援してくれてたんですよ。私の好きな人は」
真壁さんですからと言いかけて、焦った。いや、過去形でしょ、ここは。
「別にいましたから」
「俺だろ」
ごまかしたつもりが図星を突かれて心臓が跳ねた。
「いや、俺だった、んだよな。当時もそうかなんじゃないかなって思ったりもしたけど、自惚れか願望かわかんねえからどうしようもないじゃん」
真壁さんは瞼を伏せて自嘲する。なにを言い出すの、この人。
「俺はお前を抱くつもりだったよ。でも、自棄になって処女を捨てるくらい益子のことが好きなのかって勘違いしたからさ。抱けるわけないじゃん。正直益子に負けたって思ったし、思っていた以上にお前のこと好きだって思い知って混乱した。色恋沙汰であんなに苦しかったこと、あとにも先にもなかった」
なんてことだろう。私はショックで言葉を失った。あの時、私が変に迷わず素直な気持ちを伝えていたら、こんなことになっていなかった。
「あの頃、忙しすぎて、朝も晩も日付も曜日も曖昧だったけど、お前が、朝のコーヒー入れて起こしてくれるから、なんとか感覚が狂わずやっていけたんだよ。思い返せば結婚失敗した後も、妙に吹っ切れたのお前がいたからだ。あまりに傍にいたから、気づかないようにしてたんだ。お前は俺が手塩にかけて育てた大事な部下だったから」
彼の口から語られる過去は、自ら行動しなかった私への罰だ。
「そんな私が落ちぶれてて、どうです?」
「俺が喜ぶとでも思ってるのか?」
「申し訳ありません。せっかく手塩にかけて頂いたのに、お水の花道すらまとも歩けない無能でした」
「そう卑屈になるなよ。俺なら喜んでるよ。もう部下じゃないんだ。口説いてもいいよな?」
「やだ! 真壁さんのケダモノ」
泣きたかった。やり場のない思いをあえて下品に茶化して笑うしかない。笑い飛ばすしかない。
「あれから五年ですよ。結果行き遅れてこんなことしてますけど、もし私が普通に結婚してたらどうしてました?」
「幸せそうなら、会いにくるわけないだろ」
「それはどういう意味ですか?」
「まぁいいじゃないか。深く考えずに昔の男に貢がせたシャンパンで可愛い彼氏と風呂でもはいれば?」
「なにが昔の男ですか! 一夜の女にもしてくれなかったくせに! おかげで未だにタンポンすらいれたことないですよ!」
「うわ、お前もゲスいな」
「三十も越えましたからね」
「ふーん。じゃあまだ俺だけか。あんな織部を見たのは。そう言われると惜しくなるな」
探るような不躾な視線を浴びせられる。カッと顔が熱くなり、酔いが回った。
「……なんて顔してんだよ」
「すみません」
どんな顔をしていたんだろう。唇に親指が触れたかと思うと隙間がなくなった。やわらかく押し当てられた唇があっという間に離れた。
「ずっと心残りだったんだ。あのとき意地張ってできなかったから。俺の出世祝いと思って許してくれ」
やっぱり五年も経てば心も変わるもんだ。断ちきれない未練かと思いきや、思い出補正ってやつかしら。案外キスくらいじゃ動じない。
って女になりたかった。
「真壁さんの馬鹿」
「なんだよ」
「さっき、初めて彼の部屋に行く約束をしたんです。」
「へえ」
「……どうして今日なんですか。どうして会いに来たんですか。どうして……キスなんかするんですか」
「どうしてっていわれても、会いに来た日が今日なのは偶然だ。キスは、質の悪い酔っ払いに絡まれたと思って忘れてくれ」
忘れろなんて簡単に言わないで。まさかこの人を睨む日がくるとは。
「忘れろ? とぼけてるんですか?」
「俺の感覚、狂ってんのかなァ」
「ええ。そうですね。落ちぶれて場末のホステスになった元部下に五十万分のシャンパン奢る元上司なんか聞いたこともないです。金銭感覚狂ってます」
「そうか。でも、仕方ないだろ。仕事にやりがいと達成感を求めれば求めるほど金がついてくるんだから。ジム行くか仕事する以外に娯楽もないし。使うとこないんだよ」
「真壁さん、大丈夫ですか?」
のぞきこむと彼は私を見つめ返し、手首を掴んで、掌に唇を当てた。
「心配するなら黙って受け取ってくれ」
そのまま手を引かれ、横顔に胸を押しつける形で寄りかかってしまった。
「すみません真壁さん」
「すごい音だな。どうしたんだ?」
私は唇を噛んだ。この鼓動が誰のせいか、わかっているくせに。
「もう少し、このまま聴かせてくれないか」
私を離すまいと込められた手の力と躊躇いがちな声の弱さに身動きが取れなくなった。
「でも……、汗、かいてます。それに、さっき、雨に濡れて……」
抱かれたままじっとしていると、体の芯が熱を孕みしっとりと湿っていく。
とても口に出して言えないけど、あの夜のように直接肌に触れられたくなってきた。不意に擦り寄せられた頬が、胸を刺激する。
「んっ……。真壁さん。もう……」
離してと云うべきところを濁した。我ながら卑怯だと思う。
「嫌だ」
鼻先で胸を覆っていた布をずらされ、その拍子でヌーブラがめくれた。ハッと息を吸うと同時に乳首を口に含まれた。
「ん……っ」
私は背中を弓形にして彼の肩を掴んだ。突き放すこともせず、むしろ、押しつけた。甘噛みにも応えられる程乳首は固くなっていて、舌先で弄ばれると、さらに熱くなった。両足の間の奥がつんと痛く疼く。
音を抑えつつ、舌と甘噛みの責めは容赦なかった。私は喘ぎをなんとか吐息で逃がし、後先考えず彼の愛撫に耽溺した。彼の手が内腿を撫で回す。指先が濡れた下着の上から押し当てられ、軽い絶頂を迎えた。声を我慢するため、わななきながら逞しい肩をきつく握り締めた。ようやく理性が目を覚ます。ぼやけた視界には悪い色気を帯びた微笑があった。新鮮な空気よりぬめる温かい舌が欲しくてたまらなかったけれど、それを乞うのもなんだか癪でやんわり身体をずらすと、腕から解放された。密着していた身体同士に隙間が空いてその間に涼しい風が流れる。
「酔わせ足りなかったか」
「これ以上酔えません」
私は呼吸と衣装を整え、髪を撫でつけた。
「そうだな」
「上着、お預かりしましょうか?」
「じゃあ頼む」
真壁さんは上着を脱いで手渡した。ネクタイを外し、ボタンを二つ外した。その下の鍛えられた肉体を私は知っている。でもそれは過去のもの。
「彼氏が待ってるんだよな」
ふと呟き、私の手の中の上着を取り戻すと、はだけたシャツの上から羽織る。
「え?」
今、そんなことをいうの? あんなことをした、あなたが。
面喰らっている私を置いて身支度を整える。
「あ。そうだ。これやる。セクハラの慰謝料にでもしといてくれ」
さっき机に放った帯のかかった百枚の新札を目の前に差し出される。
「馬鹿にしてるんですか? それともからかっただけ?」
「お前がさっき触りたいなら触らせてやるって言ったんじゃないか」
「こんないかがわしいことする人、いませんでしたけど!」
「凛花ちゃんは俺を喜ばせるのが上手いな」
「よくもまあ、ぬけぬけとおっしゃいますね!」
「まだ上がりの時間までだいぶあるんだろ」
私の憤りをさらりとかわす。
「ええ。まだ時間はありますよ。まだお触りになりたいんですか?」
棘をたっぷり含ませて、真壁さんを睨む。
「そうしたいところだがな。連れ出してやるよ。送っていくから、店長に言ってこい」
「はい?」
どういうつもりなのか全くわからない。さっきまで熱く濡れた箇所は冷えきった。
「幸せになれそうか?」
ひそめた声とまっすぐな眼差しに射ぬかれる。
「……っ」
「なってもらわないと困るんだよ。それとも、俺が口説いていいのか? 若さには到底敵わないがチャンスにはありつけるか?」
チャンス? 隙だらけだと笑っているくせに。この人の思い通りになってしまう自分が情けない。
「さ、用意しろ。彼氏が待ってるんだろ」
真壁さんに促され席を立った。悔しさを噛みしめて、一旦飲み込む。店長にアフターが入ったと告げると、他の女の子たちに色恋上手とからかわれた。散々私を馬鹿にしているマネージャーは面白くなさそうにそっぽを向いたが、上機嫌な店長はすんなり早退を許してくれた。
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