恋の始め方間違えました。

森野きの子

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#18

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「ありがとうございます。すごく重かったでしょう」
「袋がやぶけなくてよかった」
 私は刺し盛りの包みとお肉屋さんの惣菜が入った袋、真壁さんはお酒類を全部持ってくれていた。荷物をトランクに積む。トランクの中には空の発泡スチロール箱が入っていたので、そこに生物を冷たい瓶ビールと倒れないように詰め込む。
「今も結構お野菜頂いたりするんですか?」
「最近は農家さんだけじゃなくて、趣味の家庭菜園を始める人も増えてきたから、ちょくちょく貰う」
「へえ。それで自炊なさったりするんですか?」
「最近コールドプレスジューサーを買った」
「わあ。女子力高ーい」
「仕方ないだろ。買わされたんだ。毎回修行僧になったつもりで飲んでる。時々本気で吐くような組み合わせもあるからな」
「果物とか蜂蜜とか入れてもですか?」
「その手があったか。プロテインと混ぜると本当に味覚の拷問みたいな時があるんだ」
 真顔で淡々と話すのがツボで余計に笑ってしまった。
「そういえば、男性物のルームウエアがないので、買いにいきましょう。下着と靴下も。せっかくだからプレゼントさせてください」
「二度目はないのにか?」
「いらなかったら捨ててください」
「どうしてそう俺を拒もうとするんだ」
「拒んでません」
 真壁さんは私の目から心の中を探ろうとしているけれど、嘘なんてない。
「そんなに見つめて、キスでもしてくれるんですか?」
「じゃあ、そうする」
 私の顎を指先で軽く掴んで唇を啄む。一度、二度。トランクとブロック塀の間で、真壁さんは表通りに背を向けて私を隠してくれた。
「さっきコロッケ食ったの、失敗だったな」
「ちょっと油っぽくて躊躇しますよね」
「美味かったけどな。キスの味までコロッケじゃ」
 格好がつかないと笑い合う。 
 今後この人以上に誰かを好きになることはない。
 私はもう後悔しないように、したいようにしているところ。真壁さんに抱かれて想いを遂げてさよならする。
 どん底の日常を癒してくれた真くんにお礼をしてさよならする。
 そしてお店を辞めて新しい職場を探す。生計が成り立つ目処がつくまで実家に頭を下げて泣きつこう。
 懲りずにもう一度軽いキスをした後、車に乗って駅近くの大通りにある百貨店の小さなサロンに行き、真壁さんの体に合わせながら、ルームウエアとナイトウエアを選んだ。どっちも同じだろうと少し苦い顔をされたけれど、構わずレジで支払いを済ませた。プレゼント用のラッピングをしてもらい、包み紙を受けとるとき、胸がいっぱいになった。好きな人に贈り物ができて嬉しくてたまらなかった。
 アパート近くのコンビニエンスストアにも寄って携帯用歯ブラシセットとコンドームを買い、隣のコインパーキングに車を停めて、真壁さんには少しの間車で待っててもらい、下ろせる荷物を持って急いで部屋を整えた。
 西日が射し込む1DKの部屋。物は少ないし、狭いし、全体的に古い。インテリアにこだわる財力も気力もなかったせいで、侘しさに溢れている。
 まずベッドを整え、窓辺の下着を下げたピンチを押し入れの突っ張り棒に引っかけて襖を閉める。一人用の卓袱台だと刺し盛りでいっぱいになってしまいそうだ。買ってきた惣菜を温めなおして器に入れ替え、一つずつしかないグラスとマグカップと一緒に卓袱台に並べた。とりあえず、刺し盛りは冷蔵庫に。
 気取った黒いワンピースから、ゆるいジャージ素材の部屋着のワンピースに着替えて、髪を耳たぶの下辺りに結び直す。手早くバスタブを洗い、自動湯沸しのスイッチを入れた。これでだいたい大丈夫かな、と、部屋の中を見回す。
 真壁さんを迎えに行くと電話中だった。私に気づいて謝るジェスチャーをしたので、頷いてみせた。
 しばらくして、真壁さんが車から降りてきて、トランクを開けた。二人でお酒を運んで、ドキドキしながら部屋に招く。
「狭くて古くて恥ずかしいんですけど」
「俺だって昔は似たような部屋に住んでた」
「本当ですか? 想像つかない」
 たたきが狭いので先に靴を脱いで上がってもらおうとしたら、こちらに向き直って私を抱き寄せた。重い玄関の扉と厚い胸板に挟まれ、さらに密着するかたちになった。
「悪い。大丈夫か? ただいま」
「おかえりなさい。もちろん、大丈夫です」
 額に唇が押し当てられた。
「ただいま」
「おかえりなさい」
 ちょうど、お風呂が沸いたのを器械がアナウンスしてくれた。
「お先にお風呂どうぞ」
「せっかくだからここは一緒に、だろ」
「そうですね」
「今回はもう突き放したりしないから」
「はい」
「あ。俺が突き放される番か」
「あら。人聞きの悪い。最後までお楽しみいただきますよ?」
 ふ、と力ない微笑が返ってくる。
「ハンガー、お持ちしますね」
 靴を脱いで部屋に上がり、衣類用のラックから空いているハンガーを持って、玄関から入ってすぐ右側の浴室と対面側のトイレを教える。唯一のこだわり、風呂場とトイレが別。
 スパークリングワインと瓶ビールを冷やしておきたいので、と先に入っていてもらった。上がった頃にはなるべく冷たいようにと瓶ビールを二本冷凍庫に入れて戻ると、曇りガラスの扉越しに揺れるシルエットと、やけに耳につくシャワーの水音にドキドキした。スーツとネクタイは吊るされて、脱いだ下着類は足元にまとめられている。今のうちに洗って干しておいたら明日には乾いているかもしれない。カッターシャツはアイロンをかければ。ワンピースを脱いだところで洗濯物の準備をしていると、ドアが開く音がした
「悪い。カミソリないか?」
 流れ込んできた熱気と湯気がじっとりとまとわりつく。目に飛び込んできた彫刻みたいに逞しい裸体に思わず赤面した。
「女性用でも大丈夫でしょうか?」
「多分問題ないと思う」
 洗面器の流しの下から新しい丁字カミソリを出して手渡した。
「あの、カッターシャツ、家の洗濯機で洗ってアイロンかけても大丈夫ですか?」
「有難いけど、気にしなくていい。手間だろ」
「そんなことないです」
「そうか? 悪いな。にしても女物の下着ってすごいな。服を脱いでもドレスみたいだ」
 と、雑ながらも私のお気に入りのランジェリーを誉めて(?)くれた。
 一代決心をして洗面台でメイクを落とし、浴室に入る。裸よりスッピンを見られるほうが抵抗があるっていうのもおかしいのかもしれない。でも、僅差でスッピンのほうが恥ずかしい。
「冷た。お前体冷えすぎじゃないか」
 背後から覆い被さるように包まれ、うなじに唇が触れる。
「織部の匂いだ」
 きつく抱きしめられ、肩に口づけられた。歪な羞恥心は打ち消されて、再び喜びで胸がいっぱいになる。満たされてばかりで、溢れた想いが目からこぼれ落ちる。体勢を変えて口づけを交わす。乳房を丸く撫でられ、手のひらが固くなった先端を揺らす。もう片方の手も臀部を支えながら、力強く握ったり離したり、なで回したりとさまざまな刺激を忘れない。私は太い首に手を回してしがみつき、口づけと愛撫に夢中になってあっという間に茹だってしまった。全身泡まみれになりながらお互いを洗い合って、シャワーで流した後、真壁さんの上に座らせてもらい、狭いバスタブに二人で浸かった。
 お風呂から上がって、バスタオルで水気をとり、真壁さんは腰に、私は胴体に巻きつけて、そのままの格好で飲むことにした。
「まだ明るいな」
「だいぶ日が延びましたね」
 冷凍庫から瓶ビールとスパークリングワインを出して一本は食卓に、残りは冷蔵庫にいれた。
 テレビをつけてみたけど興味が湧かず、ラジオをかけた。マジックアワーにアンニュイながらも透明感のある女性ボーカリストのボサノヴァに近いスムースジャズが流れる。そのあとは、やるせないほど甘美なバンドネオンが奏でるアルゼンチンタンゴ。どちらからともなくキスをして、終わりが来るのを忘れたみたいに舌を絡めた。ラグを敷いた床に倒れ込み、無我夢中で愛し合った。充分に愛撫されたからと、指よりも自身で貫いて欲しいとねだって、心配する彼を困らせたが、結局、私の無謀な願いを叶えてもらった。
 身体を揺さぶられ、太く熱い杭で突き上げられて、私は散り散りになる。真壁さんが自分本意に動くほど、嬉しくて泣けてきた。気づかいも優しさも忘れて夢中になってくれているのが、嬉しくてたまらなかった。
 身体を持ち上げられ、真壁さんのあぐらの上で向かい合って揺さぶられる。奥が抉られるように深く突かれて苦しいのに幸せだった。
「もっと、ひどくして。もっと」
「ばか。無理だ、これ以上。」
「ごめんなさい。嫌いにならないで」
「いっそなれたらな」
 くっ、と苦渋の表情を浮かべたかと思うと腰を強く抱き込まれた。薄い膜越しに体液が噴出してペニスが微かにひくひくと揺れるのがわかった。
 そのまま二人で横に倒れこみ、戯れに唇を重ねた。肌同士が滑るほど汗だくで、表面は冷えているのに、内側が火照っているのか、また汗が流れている。ただぼんやりと眺めた。腕や胸の筋肉が野生の肉食獣を思わせる。捕食に疲れて呼吸にあわせて微かに上下している。
「痛みはどうだ?」
 真壁さんが私を眺めながら訊く。
「お腹の奥に鈍痛があります」
「大丈夫か?」
 私は頷く。
「どうして昨夜キスと愛撫のあと、お金を?」
「他の男の部屋に行くって泣きそうになりながら言っただろう。なんだって金を挟めばビジネスだ。仕事だったと思えば、少しはお前の気が楽になるんじゃないかと思ったんだ」
「そんな……。ごめんなさい。私、自分のことばかり……」
「他に男がいるとわかっていながら衝動を抑えられなかった俺も悪い。なんだかはっきりしない間柄みたいだったし、奪ってしまおうと思った。でもそれで果たして織部が幸せなのかと思うと、一度引くべきだと思った。でも、どのみち、嫌な思いをさせてしまったことに変わりないな。悪かった」
「真壁さんは優しすぎます。私のこと叱って下さい」
「じゃあ、いかないでくれ」
 真壁さんに力強く抱きしめられ、胸がいっぱいになる。けれど、このままじゃだめだ。
「ごめんなさい。真壁さん」
 ぐっと我慢して愛しい胸を押し返す。
「なんだよ。これでもだめなのか?」
 真壁さんは呆れた声で落胆した。
「だめなんです。私にはプランがあるんです」
「どんな?」
 私は笑って見せた。
 真壁さんには戻らない。真くんとは始めない。
 黙っている私を諦めて、真壁さんはため息混じりに訊いてきた。
「そもそもお前たちは付き合ってるのか?」
「それが、はっきり付き合おうとかいう話はしたことはないんです。キスもセックスもないですし、いわばプラトニックな関わりで、連絡先も知りません。まあそんな感じだから真壁さんとこうしてるんですけどね」
「不埒な女だな」
 呆れたような、褒めるような、不思議なニュアンスだった。
「もう一度風呂に入って、飯、食おうぜ」
「真壁さん、体力すごすぎません?」
「いや、もうしばらく時間経たないと使い物にならないぞ」
「それじゃなくて」
「せっかくの刺し盛りに日本酒だぞ。それに、ベッドで陳腐で子守唄みたいに退屈な身の上話を聞かせる約束だろ」
「そうでした。それを聴くまで眠れない」
 手を引いてもらい、立ち上がって歩こうとしたとき、両足の間がひどく粘ってぬめるのがわかった。破瓜の血なのか淫らな体液なのか。まだ、内側に居座る異物感も生々しい。労るように体を流してもらい、私も同じように返した。一線を越えるとはよくいったもので、キスも愛撫も躊躇いがなくなった。愛おしくて、ただ、ひたすらに繰り返される。

『あの人だってただの男だぞ?』

 いつかの同僚が言っていた言葉が、鼓膜に蘇る。
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