FULUNAGAN

新妻泉子

文字の大きさ
6 / 9

古長邸 1

しおりを挟む
 イナオは桜が好きではない。
 彼女が過ごしていた寺にも何本か桜の木が植樹されており、春になれば寺の年寄りが花見を楽しむのだが、その世話をイナオ一人で担っていたからだ。修行の時間を奪われるうえ、酔っ払いの小言をコンコンと聞かされるのが堪らなく苦痛で、いっそ木々ごと焼き払ってしまおうかと本気で画策した事があるほど、彼女にとって忌むべき存在なのである。

(あの苦行からは開放されたわけで)

 跨線橋こせんきょうの上から線路脇の遊歩道に並ぶ色付いた桜木を眺めながら、ふとイナオはそんな事を思っていた。

橋の下を貨物列車が走り抜ける。
駅の北側。無数のコンテナが積まれている巨大な貨物駅は、かつて東洋一とも称された捜査場だったわけだが、山奥で暮らしてきたイナオがそれを知るわけもなく、直結する国立の医療センターに向かって、ひたすら歩みを進めた。
 
(さて、ここらで一度)
 
 紙の地図を頼りに、なんとかここまでやって来た。一応スマートフォンなる文明の利器を支給されてはいるものの、使い方が分からないため、二、三回触っただけで以降電源は入れていない。
  
「あの、すみません」
 
 スーツ姿の男性を彼女は呼び止める。
 
「古長邸ってどう行けばいいですか?」
 
 ここは古長のホームグラウンドで、大阪の北摂エリア。都心部からは少し離れている為か、落ち着いた印象のある街並みである。
 
 男性の教え通りに医療センターを抜け、道路を挟んで向かいの路地をしばらく進めば、四方を囲む立派な瓦塀に行き着く。イナオは付近を散策し『古長邸』と木製の札が掲げられている表門を見付けた。
 
(ここですか)
 
 門を潜ると綺麗に整備さている枯山水の石庭園に出迎えられるが、イナオには風情を楽しむという感覚が欠落しているので、「庭がある」という認識くらいしか持たなかった。
 
「あーもう、また裏返しでっ!」
 
 微かだが、人の声が聞こえる。イナオは耳をそば立て、その声がする方へと足を運んだ。
 
「この趣味の悪い靴下はアダムね。あのガチムチ、晩飯に下剤ねじ込んでやる」
 
 そこには洗濯物を干している人物がいた。黒長髪の美人な女性だ。
 
「……ん?」
 
 女はイナオと目が合い、暫しの沈黙が流れる。
 
「あー……もしかしてイナオ?」
 
 口火を切った女は訝しげに首を捻る。
 
「はい」
 
「なんだ結構早かったじゃない。もう少し掛かると思ってた」
 
 女は洗濯籠を下ろし、フッと息を吐く。
 
「ついて来て。ボスに会わせたげる」
 
 女に促され、イナオは玄関に移動し主屋へと案内される。
 
「私はミオン。古長のくノ一」
 
 軋むの床を歩くミオン。イナオはその後を追った。
 
「マジで焦ったのよ。ドラフトリストにあなた載ってないから」
「その節は多大なるご迷惑を」
「本当にね。トライアウトも想定外の人数集まって、あの子大丈夫かなと」

 ミオンは肩越しにイナオを一瞥する。
 
「他に見込みのある奴いたら入団させようかって話もあったの。それを全員しちゃうんだから、シュナの言ってた通りだったわ」

 シュナ。イナオにとってその名前は懐かしいものだった。

「従兄さんも、一昨年まではここの忍者だったとか」
「ええ。今はどっか南の島で遊び呆けてるって聞いてる」

 ミオンと居間の前を通る時、イナオはテレビを見ている男達が目に入った。番組は競馬中継のようだ。
 
「おい、クズ×2」
 
 ミオンが軽めのトーンで彼らに言い放ち、二人が一斉にこちらを向く。一人は黒人、もう一人は金髪の白人男性だ。
 
「あっちがアダムで、こっちがノリス。一応団員だけど、自堕落コンビだから、あんまり関わらないこと」
 
 と雑に指を差す怪訝な表情のミオン。

「自堕落一号だ。よろしくな」
 黒人のアダムが右手を挙げた。
「同じく二号。嬢ちゃんのお陰で今日は酒盛りが出来る」
 白人のノリスは顎髭を触った。
 
「ほら行きましょ。さっさと離れないとクズが感染る」
 
 イナオは二人に一礼し、その場を後にする。それから廊下に沿って真っ直ぐ進み、突き当たりにある部屋の戸をミオンがノックしてから開いた。
 
「来たわよアズマ」
 
 部屋にいた男は分厚い本を棚に戻そうとしている途中だった。
 
「なんだ。随分と早かったんだね」
 
 東洋人の優男は柔和な笑みを浮かべる
 
「ようこそ、我が古長忍士団へ」
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

セーラー服美人女子高生 ライバル同士の一騎討ち

ヒロワークス
ライト文芸
女子高の2年生まで校内一の美女でスポーツも万能だった立花美帆。しかし、3年生になってすぐ、同じ学年に、美帆と並ぶほどの美女でスポーツも万能な逢沢真凛が転校してきた。 クラスは、隣りだったが、春のスポーツ大会と夏の水泳大会でライバル関係が芽生える。 それに加えて、美帆と真凛は、隣りの男子校の俊介に恋をし、どちらが俊介と付き合えるかを競う恋敵でもあった。 そして、秋の体育祭では、美帆と真凛が走り高跳びや100メートル走、騎馬戦で対決! その結果、放課後の体育館で一騎討ちをすることに。

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

ちょっと大人な体験談はこちらです

神崎未緒里
恋愛
本当にあった!?かもしれない ちょっと大人な体験談です。 日常に突然訪れる刺激的な体験。 少し非日常を覗いてみませんか? あなたにもこんな瞬間が訪れるかもしれませんよ? ※本作品ではGemini PRO、Pixai.artで作成した生成AI画像ならびに  Pixabay並びにUnsplshのロイヤリティフリーの画像を使用しています。 ※不定期更新です。 ※文章中の人物名・地名・年代・建物名・商品名・設定などはすべて架空のものです。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

鐘ヶ岡学園女子バレー部の秘密

フロイライン
青春
名門復活を目指し厳しい練習を続ける鐘ヶ岡学園の女子バレー部 キャプテンを務める新田まどかは、身体能力を飛躍的に伸ばすため、ある行動に出るが…

あるフィギュアスケーターの性事情

蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。 しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。 何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。 この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。 そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。 この物語はフィクションです。 実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

上司、快楽に沈むまで

赤林檎
BL
完璧な男――それが、営業部課長・**榊(さかき)**の社内での評判だった。 冷静沈着、部下にも厳しい。私生活の噂すら立たないほどの隙のなさ。 だが、その“完璧”が崩れる日がくるとは、誰も想像していなかった。 入社三年目の篠原は、榊の直属の部下。 真面目だが強気で、どこか挑発的な笑みを浮かべる青年。 ある夜、取引先とのトラブル対応で二人だけが残ったオフィスで、 篠原は上司に向かって、いつもの穏やかな口調を崩した。「……そんな顔、部下には見せないんですね」 疲労で僅かに緩んだ榊の表情。 その弱さを見逃さず、篠原はデスク越しに距離を詰める。 「強がらなくていいですよ。俺の前では、もう」 指先が榊のネクタイを掴む。 引き寄せられた瞬間、榊の理性は音を立てて崩れた。 拒むことも、許すこともできないまま、 彼は“部下”の手によって、ひとつずつ乱されていく。 言葉で支配され、触れられるたびに、自分の知らなかった感情と快楽を知る。それは、上司としての誇りを壊すほどに甘く、逃れられないほどに深い。 だが、篠原の視線の奥に宿るのは、ただの欲望ではなかった。 そこには、ずっと榊だけを見つめ続けてきた、静かな執着がある。 「俺、前から思ってたんです。  あなたが誰かに“支配される”ところ、きっと綺麗だろうなって」 支配する側だったはずの男が、 支配されることで初めて“生きている”と感じてしまう――。 上司と部下、立場も理性も、すべてが絡み合うオフィスの夜。 秘密の扉を開けた榊は、もう戻れない。 快楽に溺れるその瞬間まで、彼を待つのは破滅か、それとも救いか。 ――これは、ひとりの上司が“愛”という名の支配に沈んでいく物語。

処理中です...