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イマノ・オト(中)

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  今日はいつもより早起きをして、いつもより沢山時間をかけて準備をした。こんなに学校に行きたいと思ったのはいつぶりだろう。

「髪の毛もバッチリだ!よし」
「今日は色付きのリップにしよう」

 バスはいつもの時間に来て、私はいつもの席に座った。二つ先のバス停に止まり、いつも通り彼が乗って来た。二人は笑顔の挨拶を交わし、彼は私の隣に座った。

「おはよう…ん?それは?」

 彼は不思議そうな顔で私のギターケースを指差した。

「私、高校の軽音部でボーカルとリードギターやってるの、今日私の作った歌をサプライズで聞いてもらおうと思って…」
「ありがとう!嬉しいよ!でも今のでサプライズの内容が大体分っちゃったけど…」

 俗に言う凡ミスとはこの事だろう。二人の間には沈黙が続いたが、封を切った様に二人はフフっと笑った。

 放課後、日も暮れて校内に生徒がいなくなる時間、私は約束通り教室で彼を待った。待ちきれない私はギターケースを開け、父親に買って貰ったアコースティックギターを取り出した。

「ジャラン…ジャッジャ…」

 私は自分の書いた譜面を見ながら、音のチェックをした。

 弦をかき鳴らす度に、いつもの教室はどんどんステージに変わっていき、まるでライブハウスで単独ライブを行うミュージシャンみたいだった。

君と見た景色

君と繋いだ手の温もり

君と並んだバス停や

君の優しいおはようも

全部を音楽に変えて

この歌に残すよ

忘れたくないから

変わりたくないから

永遠にこの歌を歌うよ

“イマノオト”に思い出を隠して

あなたを想い続けたい

「よし。完璧だ!」

 私が一番の歌詞を歌い終わると、廊下の奥からシャキッシャキッと軽快なハサミの音が聞こえて来た。

 ゆっくり教室の扉が開き、彼がハサミをダブルピースの形で持ち、私にふざけて見せてニコっと笑った。

「本日のご予約の真衣様、お待たせしました。髪は今日はどんな感じにしますか?」

「あっ…なんか、良い感じで」

「美容師が一番嫌がる注文、それ…」

 なんだか私達はお笑いのコントをしているみたいで、二人は笑った。

 教室から出て、体育館倉庫に移動した。移動の時には辺りはすっかり夜になって、照明に照らされて暗い窓に映る二人だけの姿を見ると、本当に二人きりなんだと実感できて嬉しかった。

 静まり返った倉庫にシャンシャン…と私の髪の毛を切る音だけが響いた。

 私は目を閉じて彼のハサミの音に音楽をつけていた。

「あっ真衣、ちょっと忘れ物、毛先を揃えるハサミを自転車に置いて来た」
「うん」

 私は頷くと、コンパクトミラーで自分の髪の左右の長さの様子を確認した。

「なかなか上手いじゃん…やるね」

 ふと気付くと彼はいなくなっていて、倉庫で一人ぼっちになっていた。机を見ると彼の携帯が置いてあり、音楽アプリが再生中になっていたので、耳を近付けて聞いてみた。

「彼が聞いているクラシックをギターでアレンジして、弾いてあげよう」

 携帯からはエリーゼのためにが流れて来た。しかしそれはピアノではなく、オルゴールの音だった。

 その後、誰かの声がした。

「お父さん、真衣はまだ帰らないの?」

「知らないよー。母さんから真衣に電話してみろよ」

 そこから聞こえて来たのは、私の家の居間の音イマノオトだった。


終編に続く
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