300万で何が買えるだろうか

古明地 蓮

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第二章 人生とは非日常である

第一話 日常に潜む非日常

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 僕が矢田部家に居候させてもらい始めてから一週間がたった。僕の生活は少しずつ落ち着いてきた。矢田部家に居候する上での条件も少し変わって、多少のお金を払いながら居候させてもらうことになった。無償で住まわせてもらうのは悪いので、僕が小百合さんにお願いして少額ながら受け取ってもらうことにした。

 とはいっても僕の口座と財布の中身を合わせると、あと290万円以上残っている。いったいこのお金をどう使おうかと、毎日悩んでいるけれど、いい答えは浮かばない。お母さんがいれば、海外旅行にでも使ってくれただろうか。

 この話はいったんやめにしよう。何度考えても、あの頃を思い出してしまうから。

 僕は机の横側の壁に掛けられたカレンダー見ながら、受験までの勉強計画を構想する、あと共通テストまで2か月と少し。普通の高校生ならこの時期から少しずつ共通テストに向けた勉強を始めるころかもしれない。でも、僕はもとからほかの生徒よりも予習することを徹底していたし、半年の間自己流で勉強を進めていた。だから、多少無茶に思われるスケジュールでもできるはずだ。

 カレンダーの今日のところから、十一月の最終日のところまですべての日程に緑色の線を付けた。共通テストの対策を始める印。

 卓上のデジタル時計で時間を確認すると、まだ午後一時だった。共通テストの対策問題集を開く。スマホでタイマーをセットして、共通テスト用のマークシートに名前を書く。

「はじめ」

 自分で声を出して、問題を解き始める。

 間違えちゃいけない。一問でも詰まってはいけない。とにかく早く問題を片付ける。

 視界を最大限狭めて、気が散らないように問題だけを見つめる。幾度となく説いてきた問題に類似した問題。それでも、読み間違えなどが起きないようにとにかく集中する。部屋の中で、シャーペンの髪をひっかく音とページをめくる音だけがなり続ける。



 ドン

 最後の問題を解き終わった瞬間、開放感から勢いあまって机をたたいてしまった。慌てて部屋の扉をそっと開けたけど、椿姫は今日は中学校で勉強した後に塾で自習しているからまだ帰っていなかった。

 安心した僕は、スマホのタイマーを確認する。残り12分と表示されていた。今回は本番よりも10分長く時間をとっているので、実際だったらあと2分しか残されていない計算になる。今の段階とはいえ、これで満足しちゃいけない。そう思い、タイマーを止めて、次のテスト用のタイマーをセットする。今度は本番と同じ時間。

 問題を解き始める前に、小休憩をはさむ。トイレに行ったり水を飲んだり、時には部屋の中をぶつぶつつぶやきながら歩き回ったりする。不要に見えるこの時間が、頭を整理してくれるから毎回集中できている。

 軽い球形を終えると、次の問題に取り掛かる。今日は後何教科できるだろうか。

 4教科頑張ったところで、小百合さんから声がかかった。どうやらお風呂に入ってきてほしいとのことだ。曖昧な返事を返してから、さっきまでやった科目の採点を進める。初めてやった割には、そこそこな点数が取れたように感じる。でも、これは予想問題だからもっと解けるようにならないとダメなんだろうな。

 採点が全部終わってから時計を確認すると、ちょうど午後6時を指していた。かなり目標通りに勉強が進んだので、お風呂が楽しみになった。お風呂の支度を済ませると、下の階に降りる。

「お風呂入ってきます」

 料理中の小百合さんにそう声をかけると、お風呂場へ向かった。

 鏡の前に立っている自分の姿を見て、底知れない嫌悪感を抱く。いようといえるまでにやせ細った胴体、骨格標本に皮を付けただけのような腕、全身の皮膚の白さ、そして何よりこの身長。どれをとっても嫌悪感を抱く要素しかない。鏡の向こうの自分と少し視線を交わしてから、すぐに目を背けて、お風呂に入った。

 お風呂につかりながら、少し考え事をする。この家に来てから気になることがたくさんあるんだ。

 まずは椿姫について。彼女をどこかで見たような記憶がある。でも、思い出せないぐらいだから、さほど親しかったわけでもないのかな。なんとなく、声と口調がマッチしないみたいで、うまく思い出せない。

 そして、小百合さんについて。まず彼女が僕に聞いてきたこと。僕のお父さんをあいつ呼ばわりする人。そして、僕に対して優しい声で言う大丈夫の言葉。そのすべてが、僕の頭の中では、お母さんの記憶を刺激する。お母さんに会いたいという思いが、彼女をお母さんに見せているのだろうか。どのみち、僕の過剰な期待の域をでないとは思うけど。

 最後に気になるのは、あいつのことだ。記憶の中でもっとも憎むべき人間。それに、連絡を一切してこないのも、昔から変わっていない。けれど、現状ぼくの生活に余裕が出てきてからは、時々あいつがどうしているのか気になることがある。そのたびに連絡をよこさないあいつに少しイラっとする。

 この家に来てから一週間で、僕もだいぶ変わったのかな。病院にいたころには、あいつの顔を思い浮かべるだけでもストレスがたまり、ブログを更新していた。けれども、最近は時々心配しているし、そこまで憎悪の念が強くはなくなった。

 矢田部家。昔の僕の家に似ているようで、住み心地がとてもいい。特に、線路の音が程よく聞こえる場所にあるので、夜の勉強中に時々電車が通る音がする。終電が通り過ぎたら寝るという生活も、半年前の生活を引き継いでいるみたいで少し楽しい。

 ただ、やっぱり少し気になることがある。矢田部家で使われているものの多くが、僕の家で使われていたものとおんなじなんだ。ボディソープやシャンプーのようなお風呂場のものから、ケチャップなんかも同じ。僕の家と同じものを見つけるたびに、うれしい気持ちと不気味さに襲われる。

 そろそろ出ようか。矢田部家特有のお風呂のレイアウトにようやく慣れてきた。お風呂上りに試しに体重計に乗ってみる。そこには、僕が入院していたころより、少し大きい値が示されていた。少しうれしい気分のまま、着替えを済ませてリビングに向かった。

 リビングのカウンターには、小百合さんが作ってくれた夕飯のおかずが並んでいた。バスタオルを椅子に掛けながら、小百合さんに聞く。

「お夕飯はいつにします?椿姫が帰るまでまだ時間があるなら勉強して待ちますけど。」

 すると、小百合さんは少しあきれながら

「あんまり勉強ばっかり考えてもしょうがないんじゃない?もう少し肩の力を抜いてもいいと思うわよ」

 と言って、洗い物をし始めた。ほしい答えが返ってこなかったけど、もう一度聞くのもはばかられたので、小百合さんの洗い物を手伝うことにした。小百合さんの横で現れたものを拭いていると、あることに気づいた。

「小百合さんが使っている洗剤って、敏感肌向けのものですけど、手荒れがひどいんですか?」

 小百合さんは、洗い物から目を離さなかったけど、少しだけ嬉しそうに言った。

「昔から手荒れがひどい体質なのよ。それでとある人から聞いてこの洗剤を使うようになったの。」

「そうだったんですね」

 お風呂の中で考えたことから、いろんな質問が喉から出そうになった。でも、聞いてしまったらこの関係が壊れてしまいそうな気がした。なんとか喉の奥に殺しながら、洗い物を拭き続けていた。

 洗い物が一通り終わった頃、玄関の方で靴音がした。まもなく、玄関の鍵が開けられ、椿姫の声が聞こえてきた。

「お母さん、ただいま。」

 靴を脱いで、そのまま手を洗いに行ってしまった。僕にも挨拶してくれてもいいじゃないかと言おうとしたけど、言葉にはならなかった。

 椿姫が帰ってきたので、小百合さんと一緒のご飯の支度を進める。カウンターにあった食材を一式テーブル音法に移す。その間に小百合さんがご飯と味噌汁をよそうので、それをまた僕がテーブルに運ぶ。椿姫が手洗いうがいを終えたらすぐに食べられるようにした。

「今日の料理も美味しそ~。ちゃんとお母さんに感謝しなさいね。」

 洗面所から帰ってきた椿姫が僕の肩を叩きながら言う。僕も負けじと言葉を返す。

「一応僕も支度は手伝ったんだよ」

 その言葉は椿姫の笑顔を曇らせるには至らず、そのままみんなで合掌して

「いただきます」

 と言って食べ始めた。

 さっきは椿姫に言い返したけど、椿姫の言う事も納得できるぐらいに小百合さんのご飯は美味しい。特に今日は鶏のチリソース炒めで、とろっとしたチリソースと柔らかい鶏のもも肉がご飯の甘みを引き立てる。自分では絶対に作れない料理だ。

 鶏肉を3つぐらい食べたところで、小百合さんから椿姫に軽い雰囲気で聞いた。

「そういえば、椿姫。あんた受験勉強は順調?」

 急に隣の咀嚼音が止まった。ちらっと横を見ると、先程まで嬉しそうに食べていた椿姫の顔が、一気に曇っていた。すs枯死してから、一通り飲み込むと答えた。

「あんまり順調とはいえないけど、時間がないからとにかく全力でやってるよ。」

 そう言うと、鶏肉を一つ取って頬張った。僕もそれにつられて、鶏肉を一つ食べる。ただ、さっきまでみたいに純粋に美味しさを楽しめなかった。僕が頬張っている最中に、小百合さんは冗談めいた声で言う。

「せっかく医学部志望の翔君がいるんだし、わからなくなったら彼に聞いてみたらどう?」

 棒は鶏肉を飲み込むと、辛い口をそのままに答える。

「僕だってそんな頭良くないんですよ?」

 僕の答えに小百合さんは「釣れないわね」とでも言いたそうな顔をしていた。基にしないふりをして水を飲みながら、椿姫の方を見ると、迷っているようにも嫌そうにも捉えられる表情をしていた。

 それから少し談笑を交えながらも、食事の時間は終わった。居候の身として、ご飯の片付けをする。僕の家でもよく手伝いとしてやらされたから慣れているとは言え、一人で演る片付けは結構寂しい。単純な作業が多いから誰かと話しながらやりたいものだ。

 ただ、代わりに鶏肉が入っていたお皿に残っていたチリソースなんかを勝手に食べることができるのも片付けるヒトの特権だ。そう考えて、余っていたチリソースをスプーンで飲み干した。辣の辛さのなかに僅かなケチャップの甘みがあって、葱と生姜の香ばしさが口の中を覆うのがたまらない。もう一度ご飯が食べたくなるけれど、我慢して片付けを進めた。

 片付けが終わったが、リビングには誰もいない。ご飯を食べ終わってから、椿姫と小百合さんは二人でお風呂にいってしまっていた。僕は少し寂しい気持ちの中、自分の部屋に向かった。

 自分の部屋の椅子に座ると、学習計画帳を開く。今日のやることはあと3つ。問題集の問題を解いてから、京都板問題の採点と復習。最後に暗記物として、英語の単語帳だ。

 まだ新しい学習計画帳を閉じると、問題集を取り出した。そして、スマホのタイマーで制限時間を計ると、問題に取り掛かる。最も無心でいられる楽しい時間だ。

 問題に取り掛かりながら、部屋の近くを通る電車の音を聞く。今日はこの電車少し遅れているとか、あと何本で終電かなと考えながら計算をする。

 いつものように、制限時間が来る前に問題を解き終わる。小休憩を挟む。また新しい問題に取り掛かる。

 今日終わらせなければいけない問題が全部終わったのは11時過ぎだった。まだ終電は通っていないし、採点もやらなければいけないけれど、頭を使う作業は終わったので長めの休憩を取る。

 せっかくだから紅茶でも飲もうかなと思い、小百合さんを起こさないように部屋を出ようとすると、僕の部屋がノックされた。誰だろうと思って戸を開けると、暗がりから出てきたのは、端正な顔立ちの椿姫だった。
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