300万で何が買えるだろうか

古明地 蓮

文字の大きさ
9 / 26
第二章 人生とは非日常である

第二話 同居人の非日常

しおりを挟む
「椿姫、こんな時間にどうしたんだい?」

「ちょっと話したいことがあるので、私の部屋に来てもらえませんか」

 そういった彼女の顔は、ひどく落ち込んだ様子だった。立ち話で詮索していい内容じゃないと思い、誘われるがままに椿姫の部屋に入る。

 女の子の部屋。まさにその言葉を体現するような内装だ。若葉を象徴するような緑の明るいカーテン、切れに整理整頓され使いやすくされた机と本棚、かわいらしい模様のベッドシーツ、そしてなにより、ベッドの上で寝ているカワウソのぬいぐるみだ。

「もこちゃんを見てないで、とりあえず座ってもらえませんか。」

 ハッとして声の主を探すと、僕の足元にはラグとローテーブルがあった。いわれたとおりにローテーブルで彼女と向き合うように座った。「どうぞ」と熱々のレモンティーを渡された。一口飲むと、紅茶の豊かな風味と、すっきりとしたレモンの香りが鼻を抜けていく。心が落ち着く味だった。

 お互いに一息ついてから、もう一度見合わせると椿姫が語りだした。
 
「私、最近どうしても成績が上がらなくなってしまったんです。これまで以上に勉強をしているんですけど、それでも模試の成績が上がらなくて。」

 そういうと、後ろを振り返り机の引き出しから模試の成績を出してきた。確かに彼女の言う通り、成績は最近はほぼ変わらず、志望校の判定はやや厳しいところだった。

「どうにかして、お母さんを安心させられる成績を見せたいんです。」

 そういうと、彼女は僕に向かって頭を下げた。僕はすぐに「頭を挙げてほしい」と伝える。そして、彼女の成績表をじっくり眺めながら彼女にいくつかの質問をする。その質問に彼女は丁寧に答える。

「椿姫の第一志望はこの高校でいいんだよね」

「はい、そうです」

「椿姫の苦手科目は数学でいいのかな」

「はい。数学の成績が特に悪くて、困ってます。」

 ん~。僕はうなりながら、成績表の後ろの答案を読む。間違える原因は様々で、理解が薄いのだろうと思う。どうしたものかと僕が思案していると

「周りがどんどん成績を上げている中で、自分だけおいていかれて辛いんです...」

 成績表から目を離すと、彼女の頬には水が流れた跡があった。僕は成績表を置いて椿姫の横に移動して、彼女の頭をなでる。

「大丈夫。僕が教えてあげるよ」

 優しく、優しく、彼女の頭をなで続けた。手に収まってしまうほど小さな頭と、凛としたつやのあるさらさらの髪、石鹸の清潔感のある香り。しばらくの間なでながら、僕にないいろんなものを味わった。

「もう大丈夫」

 急に撫でていた頭が僕から離れた。横顔を見ると、どうやら泣き止んだらしい。僕も元の位置に戻る。

 もう一度彼女と対面する。彼女は目が少し赤く腫れていたけど、とりあえず泣き止んだ様子だった。しばらく洋服の裾で目をこすってから、いつもの凛とした様子で話し始めた。

「数学については翔さんを信頼して、教えてもらうことにします。ただ、駆さんも忙しいでしょうから、毎日この時間に色々教えてもらうって形でいいですか?」

 椿姫の問いかけに、僕は質問で返す。

「僕は問題ないけど、君はこんな夜遅くで大丈夫?」

 その言葉に対し、椿姫はすねた子供のような口調で答えた。

「私だって中学生ですよ?この時間ぐらい大丈夫です。それより、私もあなたも受験が迫ってますし、早速今日から何か始めませんか?」

 やる気満々な様子で、勉強机に向かう椿姫を追いかける。自信満々なふりして大丈夫とは言ったものの、教師でもない僕が教えられるのか不安が胸の中を満たす。その心も隠しながら、彼女に指示する。

「じゃあ、いつも使ってる問題集見せて」

 リュックの中を漁って、出てきたのは新品同様の形を保った問題集だった。ほとんど手を付けていないのだろうか。一瞬彼女のまじめさを疑ったが、参考書を開いた瞬間にその疑念は晴れた。僕が予想している以上に書き込みや印が多く、丁寧に使い込んでいただけだった。

 椿姫がまじめに勉強する人なら、問題があるのはこの問題集のほうだと思う。正直、高校受験の問題の難易度を覚えていないので、この問題集の難しさもわからないが、一行問題が多いので、簡単なほうだと思う。ただ、予想と違ったら困るので聞いてみた。

「この問題集ってどれくらいの難しさの本?」

 すると彼女はぼそっとこぼした。

「一番簡単な問題集ですよ。基礎ができてないから解けないので」

 少し彼女が問題を解いている姿が見てみたかったので、問題があるか聞いてみる。

「さっき見せてくれた模試の問題ってある?」

 椿姫はもちろんと答えながら、引き出しから薄い冊子状の問題を取り出した。そこで僕は一つ彼女に提案する。

「じゃあ、この模試を僕の前で解いて見せてくれる?」

 返事をする代わりに、彼女はリュックからノートを引っ張り出すと、問題を解き始めた。その様子を見ながら、さっき渡された成績表のうちこの問題が載ってる模試の成績表を見る。過去の答案と見比べると、基礎的な問題でミスをすることはほぼなかった。

 僕が教えることはないのでは。と思った時だった。計算問題が終わって文章問題に入ると、急にミスが増え始めた。よく見ると、立式が間違っていることと、使うべき公式が間違っている事が多い。それを見て、彼女の成績の問題が何となくつかめたように感じた。しかし、どうやったらそれが治るだろうか。

 僕が思案に暮れていると、左下から声がした。

「終わりましたけど」

 ハッとして彼女のほうを向いた。そして、僕は思案の過程を告げる。

「僕から見るに、椿姫は基礎についてはしっかり習得できているからその点は安心した。問題になるのは、文章問題と公式の使い方だね。」

 そして、大きく息を吸ってから、僕の考えた答えを告げる。

「ということで、これからかなり難しい問題集を毎日解こう。」

 椿姫が眉を顰める。僕に落胆したように吐き捨てる。

「公式が理解できてない人が難しい問題解いてどうするんですか?」

 そんな彼女の様子と対照的に、僕は自分の考えをアピールする。

「君は簡単な問題を解くのはもう慣れてるんだよ。でも簡単な問題だけじゃ勝負はつかないし、数学が得意な人には負けるよね。それにね、難しくても良質な問題を解くことで、問題を考える力や、公式を使うタイミングがわかるようになるんだ、」

 これをいうのは少し意地悪かなと思いながらも、彼女を納得させるためだと思い、一言付け加える。

「その問題集じゃ君が成長できる部分はもうないしね」

 最後の言葉が響いたのか、椿姫は少しうつむいて考えこむ。それから、それから、机の引き出しを開けると、予想もしないものが出てきた。僕と同じ勉強計画帳を取り出すと、ぺらぺらとめくりながら、日数を数えていう。

「あと本番まで100日ぐらいですけど間に合いますか?」

 その言葉に、僕は自信を持ったふりをして答える。

「大丈夫。僕の計画通りにやれば間に合うよ。」

 僕の胸中では、自分の勉強も含め本当に間に合うのか不安になっていた。でも、人間本気を出せば何とかなるだろうと信じる。僕の言葉を信じた椿姫は言った。

「じゃあ問題集は何を使いますか。今はこれしか持ってないんですよ。」

 そういった彼女に僕は明るく提案する。

「明日は土曜日で少し時間があるでしょ。一緒に買いに行かない?僕も買いたい問題集があるんだ」

 椿姫は勉強計画帳を開いて今週の予定を確認しているようだった。そして、何かに観念したように言った。

「では、私が塾の授業が終わった後に買いに行きましょう。お昼に駅前集合でお願いします。」

「了解」

 ようやく見通しが立ったと思い安心して時計を見ると、12時をとっくに過ぎていた。慌てて椿姫に告げる。

「もうこんな時間だから、とりあえず今日はお互い寝ようか。紅茶おいしかったよ」

 僕が帰ろうとすると、僕の服の裾を引っ張り、恥ずかしそうにしていった。

「もう一度頭をなでてもらえませんか...?」

 唐突な提案に驚きながらも、僕は彼女の頭に手を置いてなでた。優しく、優しく、卵を温めるように彼女をなでる。

「もう大丈夫です。ありがとうございました。」

 そういうと、椿姫は僕の手をつかんで自分の頭から離させた。そして何かを口にしてから、勉強道具を片付け始めた。その様子を見て、僕も彼女の部屋から立ち去った。

 お兄ちゃん

 さっき椿姫がそう言っていたような気がした。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

ヤクザに医官はおりません

ユーリ(佐伯瑠璃)
ライト文芸
彼は私の知らない組織の人間でした 会社の飲み会の隣の席のグループが怪しい。 シャバだの、残弾なしだの、会話が物騒すぎる。刈り上げ、角刈り、丸刈り、眉毛シャキーン。 無駄にムキムキした体に、堅い言葉遣い。 反社会組織の集まりか! ヤ◯ザに見初められたら逃げられない? 勘違いから始まる異文化交流のお話です。 ※もちろんフィクションです。 小説家になろう、カクヨムに投稿しています。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

愛された側妃と、愛されなかった正妃

編端みどり
恋愛
隣国から嫁いだ正妃は、夫に全く相手にされない。 夫が愛しているのは、美人で妖艶な側妃だけ。 連れて来た使用人はいつの間にか入れ替えられ、味方がいなくなり、全てを諦めていた正妃は、ある日側妃に子が産まれたと知った。自分の子として育てろと無茶振りをした国王と違い、産まれたばかりの赤ん坊は可愛らしかった。 正妃は、子育てを通じて強く逞しくなり、夫を切り捨てると決めた。 ※カクヨムさんにも掲載中 ※ 『※』があるところは、血の流れるシーンがあります ※センシティブな表現があります。血縁を重視している世界観のためです。このような考え方を肯定するものではありません。不快な表現があればご指摘下さい。

妻からの手紙~18年の後悔を添えて~

Mio
ファンタジー
妻から手紙が来た。 妻が死んで18年目の今日。 息子の誕生日。 「お誕生日おめでとう、ルカ!愛してるわ。エミリア・シェラード」 息子は…17年前に死んだ。 手紙はもう一通あった。 俺はその手紙を読んで、一生分の後悔をした。 ------------------------------

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

結婚相手は、初恋相手~一途な恋の手ほどき~

馬村 はくあ
ライト文芸
「久しぶりだね、ちとせちゃん」 入社した会社の社長に 息子と結婚するように言われて 「ま、なぶくん……」 指示された家で出迎えてくれたのは ずっとずっと好きだった初恋相手だった。 ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ ちょっぴり照れ屋な新人保険師 鈴野 ちとせ -Chitose Suzuno- × 俺様なイケメン副社長 遊佐 学 -Manabu Yusa- ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 「これからよろくね、ちとせ」 ずっと人生を諦めてたちとせにとって これは好きな人と幸せになれる 大大大チャンス到来! 「結婚したい人ができたら、いつでも離婚してあげるから」 この先には幸せな未来しかないと思っていたのに。 「感謝してるよ、ちとせのおかげで俺の将来も安泰だ」 自分の立場しか考えてなくて いつだってそこに愛はないんだと 覚悟して臨んだ結婚生活 「お前の頭にあいつがいるのが、ムカつく」 「あいつと仲良くするのはやめろ」 「違わねぇんだよ。俺のことだけ見てろよ」 好きじゃないって言うくせに いつだって、強引で、惑わせてくる。 「かわいい、ちとせ」 溺れる日はすぐそこかもしれない ◌⑅◌┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈◌⑅◌ 俺様なイケメン副社長と そんな彼がずっとすきなウブな女の子 愛が本物になる日は……

お飾りの妻として嫁いだけど、不要な妻は出ていきます

菻莅❝りんり❞
ファンタジー
貴族らしい貴族の両親に、売られるように愛人を本邸に住まわせている其なりの爵位のある貴族に嫁いだ。 嫁ぎ先で私は、お飾りの妻として別棟に押し込まれ、使用人も付けてもらえず、初夜もなし。 「居なくていいなら、出ていこう」 この先結婚はできなくなるけど、このまま一生涯過ごすよりまし

裏切られ続けた負け犬。25年前に戻ったので人生をやり直す。当然、裏切られた礼はするけどね

竹井ゴールド
ファンタジー
冒険者ギルドの雑用として働く隻腕義足の中年、カーターは裏切られ続ける人生を送っていた。 元々は食堂の息子という人並みの平民だったが、 王族の継承争いに巻き込まれてアドの街の毒茸流布騒動でコックの父親が毒茸の味見で死に。 代わって雇った料理人が裏切って金を持ち逃げ。 父親の親友が融資を持ち掛けるも平然と裏切って借金の返済の為に母親と妹を娼館へと売り。 カーターが冒険者として金を稼ぐも、後輩がカーターの幼馴染に横恋慕してスタンピードの最中に裏切ってカーターは片腕と片足を損失。カーターを持ち上げていたギルマスも裏切り、幼馴染も去って後輩とくっつく。 その後は負け犬人生で冒険者ギルドの雑用として細々と暮らしていたのだが。 ある日、人ならざる存在が話しかけてきた。 「この世界は滅びに進んでいる。是正しなければならない。手を貸すように」 そして気付けは25年前の15歳にカーターは戻っており、二回目の人生をやり直すのだった。 もちろん、裏切ってくれた連中への返礼と共に。 

処理中です...