300万で何が買えるだろうか

古明地 蓮

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第二章 人生とは非日常である

第三話 ふと気がつく非日常

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 自分の部屋に帰ってきてから、やらなければいけない採点を始めた。早く寝ないと、明日の勉強に支障が出てしまうので、できる限り早くバツ付けをする。間違えた部分だけ印をつけておけば、採点には十分だし復習もしやすい。

 今日は少し問題を解きすぎたのかもしれない。後悔してしまうほど、採点に時間がかかってしまった。八科目全部の採点が終わるころには、一時間近く立ってしまっていた。しかし、さっきまでの眠気は飛んでしまった。なぜなら

「この点数じゃまずいかもな」

 目標点に達しなかったからだ。そもそも目標点が高すぎるという問題があるのかもしれないけど、この点数では絶対に足りない。どうにかして成績を上げないとと、焦りが浮かぶ。しかし、こういう時に頼れる先生も友達もいない。結局自分でやるしかないのだ。

 ため息交じりに勉強計画帳を取り出すと、今日の成績を書き込み、明日以降の勉強方法を少し変える。自己流の勉強方法だから、これが最善だとは思えないけれど、自分を信じてやるしかない。

 邪念のように、あのお金で塾に通うかとも考えたけれど、今更だろう。塾に頼ったところで成績が上がるわけじゃない。結局は自分でやるしかないのさ。

 勉強計画帳を閉じると、パソコンをつける。最近更新が滞っていたブログを書き始める。今日のお夕飯のこと、椿姫に急に数学のことで頼られたこと、自分も予想以上に成績が危ういこと。感情整理のためだけに、書きたいことを書きなぐって出来上がったブログはひどいものだった。小学生の自由帳みたいな内容だったけれど、とりあえず投稿した。

 すぐにパソコンを閉じると、単語帳をもって床についた。天井を見上げながらさっきの椿姫の涙を思い出す。僕の高校時代を思い出して比較しようにも、椿姫と僕では状況が違いすぎるような気がする。僕はただのおためし程度に受験していたけれど、彼女は人生をかけて、この家の存続をかけて受験している。そう考えるだけで椿姫が偉く見えてしまう。

 三百万を彼女に渡す。ふと僕の頭の中で浮かんだことを口に出す。どうせ使えないお金なら彼女に渡してしまったほうが価値があるだろうか。無理に使い切るために浪費するよりもいい使い道のような気がする。それに、このお金で彼女の受験が少しでも楽になればいいと思う。

 口に出せば正しいことのように聞こえるけれど、実際にその行動を起こせない。言葉には表せないもやもやが頭に残る。良いことであってもやってはいけないことのような気がするんだ。

 ふぅ

 一息つくと、そばに置いておいた単語帳を開く。受験までの時間はどんどん短くなっていく。これまで逃げていた勉強にも全力を出さないと間に合わなくなる。眠い目をこすりながら今日の目標単語数を勉強し終えるとほぼ同時に眠りについた。

 まだ日が昇る前ぐらいの時間。今日もちゃんと始発よりも早く起きることができた。起き上がって机の前に座った解き、ちょうど始発が通っていく音が耳をかすめた。

 始発に乗って遠くへ、都会へと仕事に行く人たちの姿を想像してみる。どんな人たちがいるんだろうか。朝早くから仕事がある人達とか、ブラック企業で朝晩構わず仕事に呼び出されている人たちとかかな。はたから見たらおかしな日常も、当人からしたら慣れてしまえば大したことはないのかな。

 お前もそうだろ

 頭の奥のほうから言葉が聞こえるような気がした。黙ってろよ、なんて悪態をつきながら、僕はパソコンを開く。今日は何かコメントが付いているだろうか。

「ブログにコメントが付きました」

 と、一件の通知が現れた。どうやら機能のブログをすでに読んだ人がいるらしい。そこまでして読むに値するブログでもないと思うけれど、熱烈な読者の存在はありがたい。僕はブログの管理画面からコメントを確認する。

「居候先のお嬢ちゃんに頼られるなんて、本当にやさしい人なんだね。大切にしてあげなよbyさとちゃん」

 いつもの人だなあと思いながら、僕は返信を考える。僕のブログをこれだけ読んでくれている人だから、多少適当に返事しても許されるような気がするので、あまり深く考えないで返信した。

「そんなに僕自身は優しい人じゃないと思いますけどね。でも人に頼られるのはうれしいので、機体には全力で答えます。」

 どうせこの人からのさらなる返信はないので、返信が終わるとパソコンはもう使わない。パソコンを机の上からどかして、勉強計画帳を開く。

 昨日できたことから、今日どれだけできるかを考える。いつも通りの計画を書いていく。なるべくToDoリストが埋まるくらいに問題集と共通テストの対策を書く。やることを一通り書き終えてからはっと気が付く。

 椿姫との約束があるから、あまりにやることを増やしてはいけない。一度書いた計画を消そうとした。けど、結局消さずに残しておいた。せっかく今起きているんだし、早くに問題を解いてしまえばいいだけのことだ。自分を最大限痛めつければきっと終わるさ。

 まずは僕は難しい方の問題集から取り掛かった。これは二次試験対策用なので、普通なら一問で30分ぐらい使うこともおかしくない。しかし、時間に追われている僕は、五問で25分というばかみたいな時間設定で問題を解き始めた。

 とにかく時間がない。それだけを頭に詰め込んで問題を解き続ける。勉強というより作業とか仕事という方が性に合いそうな作業をただひたすらに進める。時々時間を確認して椿姫との約束の時間まで逆算しながら、計画通りに進めていく。

 二科目ほど進めて少し休憩しようとしたとき、僕の部屋がノックされた。扉を開けると、そこに立っていたのは朝日に照らし出された椿姫だった。昨日とは打って変わった凛とした表情の彼女を見ると、昨日とのギャップに少し笑みがこぼれる。そんな僕に彼女は言う。

「朝から元気そうで何よりですね。朝ごはんですよ」

「わかったよ」

 用件だけ伝えると、下の階に降りていこうとする。おいていかれまいと僕も椿姫を追いかけてリビングに入る。すでにおいしそうな朝ごはんが用意されていた。すでに席についていた小百合さんにあいさつする。

「おはようございます」

「おはよう、翔くん」

 眠たそうに眼をこすっていた椿姫と僕も席に着くと、合掌して言う。

「いただきます」

 トーストにコーヒーといったシンプルな朝ごはん。コーヒーを口に含みながら、僕は昨日の椿姫との約束を思い出す。昼頃に駅前で集合。彼女の財布事情は分からないけれど、僕が彼女の参考書台まで出してしまえばいいだろう。それも有意義なお金の使い道だ。

 マグカップを机に置くと、前に座る小百合さんの姿が目に入った。わずかににやけているようなその表情を見て、疑問符が頭に浮かぶ。

 まさか僕と椿姫が一緒に買いものに行く事が悟られているのか。不安になり隣の椿姫を見ると、平然としてトーストを食べていた。僕だってコーヒーを飲んでいただけだから、さっきの小百合さんの表情は特に意味がないのかな。

 もう一度だけ小百合さんの表情を見ると、椿姫のほうを向いてにやにやしていた。結局小百合さんの意図がわからないまま朝食の時間は過ぎ去ってしまった。

 朝食の時間が終わると忙しくなる。僕は椿姫の邪魔をしないように顔を洗い歯を磨く。椿姫は塾に行くための準備をするので、やることが多い。それでいて朝が苦手な人なので、毎朝あわただしく準備していた。僕はなるべく彼女が教材の準備などをしている間に洗面所を使って邪魔をしないようにする。

 ふと、椿姫とすれ違ったとき、耳元でかすかに

「でーとですね」

 という声がした。驚いて振り返ると、椿姫は何事もなかったかのように洗面所のほうに歩いて行った。僕も何事もなかったふりをしてリビングに戻ると、朝ごはんの片づけを手伝った。ほとんどのことは小百合さんがしてくれたので、本当に少しだけど。

 玄関から元気な声を家に残して去っていく椿姫の後姿を見ると、さっきの言葉がよけに意識されてしまう。僕は厚くなったほうを隠すように両手で多い、二階の部屋に駆け込んだ。そして、自分を落ち着かせるために問題集を解き始めた。

 勉強をしていながらでも、さっきの言葉が頭から離れない。デートなんてこれまでの人生えぢっ会もしたことがない。そもそも女子と会話することすらほとんどなかった僕にとって、ほぼ家族から言われるだけでも緊張する。

 ペースが遅い。

 難問も問題を解いていて感じるが、今日はとにかく問題を解くのが遅い。いつもの倍ぐらいの時間がかかってしまう。まあ、原因は明白なんだが。

 問題を解く度、いや計算をするたびにさっきの椿姫の言葉が頭を埋める。デートという言葉が脳内で反響しているようで、思うように計算に集中できない。でも、デートという言葉に翻弄されていることを意識すると、余計自分が恥ずかしくなる。

 効率的な勉強を断念した僕は、久しぶりにイヤホンを取り出してパソコンでなじみのある音楽を流した。学校の先生や塾講師がやるなと言っているながら勉強だ。確かに効率は多少落ちるかもしれないけれど、こういう時には勉強と音楽がいい塩梅に脳内を埋め尽くしてしてくれる。

 ようやく脳内が落ち着いた僕は、再度問題に取り掛かる。さっきよりも軽くなったような頭で必死に問題を解いては次の問題に取り掛かることを繰り返した。

 どれくらい時間がたっただろうか。朝から何回か目の休憩をはさんで、残りの勉強計画を振り返る。残るは共通テストの問題ばかり。時計を見ると、お昼になるまであまり時間がない。それに今日は僕が当番なので作ることまで考えるとこれがタイムリミットだろうか。

 学習計画帳に今日今までに終わったことにチェックを付けて残っているものを確認すると、学習計画帳を閉じて机に置いた。

「何がいるだろう」

 今日の約束のことを考えると、自然と言葉が漏れた。必要なものを思いつき次第カバンに放り込んだ。財布、家の鍵。暇な時間に読む用の単語帳。時間があったら見る用の教科書を二冊詰め込む。筆箱や学習計画帳も使うかもしれない。それに、荷物を持って帰る用の袋もいるだろうか。

 予想はしていたけれど、案外大荷物になってしまう。荷物をまとめるということが下手なばかりに、使うかもしれないものはすべて持ち歩く癖があるんだもしものことを考えると、荷物は多くても足りないものはないほうがいい。

 ただの買い物とは思えないほどの荷物を詰め込んだリュックをもって下の階に降りる。小百合さんは少し遅い時間のドラマの再放送を眺めていた。僕は一応これからすることを伝えておく。

「そろそろおひるごはんの準備をしますね」

 小百合さんは、僕のほうを見てから軽くうなずくと、すぐにテレビのほうに視線を戻してしまった。ドラマとかに興味のある人だとは思わなかった。ふっと内容を見ると、医者との恋物語らしかった。

 僕は冷蔵庫を開けて今日のお昼ご飯を考える。椿姫との約束までの時間を考えるに、あんまり時間のかかるものは作れない。なんだかありきたりになるけれど、炒飯でもいいかな。

 冷蔵庫から白ネギを一本取りだして半分にしてから斜めに切る。残った半分はもう一度冷蔵庫に入れた。昨日のご飯の残りと卵を冷蔵庫尾から取り出した。一通り必要な材料がそろったので、いよいよ料理を始める。

 ねぎを火にかける前に、忘れないうちにご飯をレンジで温めておく。ついでに油を取り出すと、出しっぱなしのフライパンに油を少し入れる。そしてねぎを放り込み、火にかける。

ピピッ

 何かと思えば、換気扇を付けていなかったらしい。慌てて換気扇を弱にしてつける。こんなミスをやるとは、うっかりしていたようだ。

 ねぎを炒め始めると、子おばしい香りが僕の鼻腔をくすぐる。それでも焦らずにしっかり焼き色が付くまで、卵を入れない。表面型茶色になったところで、卵を溶きいれる。なるべく大きな塊にならないように、かき混ぜ続ける。

ピー

 ちょうどいいタイミングでレンジが役目を終えた。程よく卵もパラパラになったところでご飯を加える。冷蔵ご飯をパラパラにさせるには少し手間を加えたほうがいいらしいけど、悠長にしていられないのでそのままフライパンに突っ込んだ。そしてヘラで適当にかき混ぜ続ける。

 それなりにご飯もパラパラしだしたところで火を止める。そして最後に塩コショウで軽く味付けをして味を確かめる。素朴な材料だけど、ねぎからのいい味が出ているので、塩コショウで十分だった。

 使った道具をほとんど流しにおいて、食器棚から大きめの平べったいお皿を二枚取り出す。そして適当に二つのお皿に盛りつける。ねぎの本数とか位置を調整したら完成だ。

「ご飯できました」

 小百合さんにやさしく声をかける。どうやらまだテレビドラマに夢中らしいのであまり大きな声を出さない。代わりに少しだけテレビを盗み見ると、どうやら少し修羅場らしい展開だった。医者のほうが忙しいらしく、それの理由を詰めよっているシーンだった。

 突然小百合さんがテレビの電源を消した。驚いてみると、わずかに涙痕が残る目元が気になったけど、触れないで置いた。僕が用意した炒飯を見ると

「おいしそうね」

 と、冷ややかな声で言うと、席に着いた。僕も道具の片づけをやめて自分の席に着くと、合掌する。

「いただきます」

 炒飯を食べ始めたものの、いつものような会話は一切ない。いつもなら小百合さんの軽い話に付き合ったり、椿姫の学校の話を聞いたりするのに、今日はお互いから一言も話しださなかった。

 僕は時間に多少余裕があるのを確認してから、少しだけお母さんのことを思い出した。お母さんもドラマが好きだった。特に医療ドラマが好きで、医者にあこがれているのかなと思った。医者が近くにいる職場だったのに、どうしてあいつみたいなやつと結婚したんだろうな。

 いまさら聞くことのできない疑問を頭から捨て去り、食べることに集中するふりをする。時々小百合さんの顔をうかがうけれど、さっきの表情からほとんど変化しなかった。

 人ことも話さないまま、炒飯を食べ終わった僕は、片づけを続きに取り掛かった。水物をやっている間、一度だけ小百合さんが僕に話しかけてきた。

「翔君が医者を目指す理由は何?」

「人の幸せな顔を見るのが好きだからです」

 僕がいつも答える定型句だ。考えるまでもなく板をつくようにその言葉が口から出てくる。僕の夢だ。

 それを聞いて、小百合さんはあきらめたような顔をしたり、複雑そうな顔をしながら虚空を眺めていた。僕はいそいそと片づけを終え、支度をしながら時々目の隅で様子を確認していた。

 デートなんて言われたから、多少いい服を選ぶと、リュックを背負って玄関に向かう。そして、玄関前で小百合さんに告げる。

「少し用事があるので行ってきます。遅くならないうちには帰ります。」

「はーい」

 先ほどよりは少し元気そうな小百合さんの声が聞こえたので、安心して僕は駅に向かった。
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