300万で何が買えるだろうか

古明地 蓮

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第二章 人生とは非日常である

第四話 書店とカフェの非日常

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 いつものように駅に着いたけれど、まだ椿姫からの連絡はない。スマホで人と連絡するというのがいまだになれないので、連絡が来てないか各省が持てないから、常にスマホを注視している。

 そういえば、入院してからは連絡はパソコンでしていたから、スマホを使うのは音楽を流したり動画を見たり、タイマーとして使うぐらいのことしかなかった。今にして思えば、そのどれもスマホである必要はなかったんだけど。

 時計を見ると、そろそろ椿姫の授業が終わってもおかしくない時間帯になっていた。それでも連絡がないので、単語帳を開いて少し勉強をした。すると

「翔さん?何してるんですか」

 急に耳元で聞きなれた声がした。

「椿姫か。連絡がこないからまだ来ないのかと思ったよ。」

 すると、椿姫はスマホを取り出して何やら確認し

「私、翔さんに連絡しましたよ。多分使い方が悪いんだと思います」

 そういって、送信履歴を表示された。確かに僕宛に連絡した痕跡はあった。まさかと思って僕のスマホを確認すると、4G回線がオフになっていたので、受け取れなかったわけだ。椿姫に悪かったと謝ると、気にしてませんと言ってスマホをしまった。すると、椿姫の来たほうから中学生の声がした。

「...あれって椿姫ちゃんじゃない?...」

「...隣にいる男の人は誰だろ...」

 何やら僕らのことを噂しているらしい。人にうわさされるのはあまりいい気分がしないので、椿姫をせかした。

「早速本屋にいかない?」

 椿姫も僕と同じように感じたらしい。無言でうなずくと僕らは本屋に向かった。

 本屋は駅中にある建物の最上階にある。最上階というとレストランとかがあるイメージだけれども、この駅では最上階に本屋と併設されたカフェがある。このカフェでゆったりしてみたいような気もするけれど、少し格式が高くて踏み出せない。

 エスカレーターで上の階に上りながら、椿姫に話しかける。

「そういえばさっきの子たちは知り合い?」

 椿姫は軽蔑するような視線を下に向けながら答えた。

「同じ塾生ですよ。私のほうが上のクラスですけどね」

 話が途切れるのが嫌だったので無理やり話をつなげる。

「じゃあ、あんまりあの子らに見られるのはいいことじゃなかったのか」

「そうですよ。しかも噂好きで受験気にもああいうことしてるんですから、顔を見るだけでも虫酸が走ります」

「ごめん。もうちょっとうまくやり過ごせばよかったな」

 僕がそう言うと、椿姫はスンとした様子で言う。

「別にいいですよ。どうせ関わらない人たちなんで」

 そんなに彼女らのことが嫌いなんだな。塾だとクラスの上下もあるんだと知った。僕が思っている以上に塾の中は残酷な世界なのかもしれないな。見た目は凛とした様子だけど、人を軽蔑するような事はしなさそうな椿姫が、こんなにも人を蔑視するんだから。

 その後も何回かエスカレーターを乗り換えると、最上階に着いた。カフェのテラス席はガラス張りになっていて外が見えるので、ここが雲に近いところなんだとわかる。

「さて、まずは椿姫の問題集を探そうか」

「それでは、こっちですかね」

 常連客のような足取りで高校受験の参考書コーナーに連れてってくれた。いたるところに科目ごとに並べられた参考書がたくさん置いてある。"わかりやすい"とか"誰でも偏差値60以上"とか"天才しか知らない裏技"といううたい文句が目を向けたあらゆる場所から飛び込んでくる。さすが参考書コーナーだ。

 椿姫にお勧めの参考書を渡す前に、僕は椿姫の参考書選びを見てみる。

「一回自分で数学の問題集選んでみて」

 そういうと、椿姫は困惑した様子で数学のコーナーに向かった。そして平積みの参考書の表紙をいくつか見て、その中で気に入ったやつをひっくり返して値段を見た。どうやら値段が合わないようで戻していた。

 同じようなことを何回かやってから、一冊の問題集を取り出した。その本は、さっきのような"誰でも数学が得意になる"というセリフが書かれた問題集だった。僕はその問題集を受け取ると椿姫に教える。

「まず問題集選びのコツはあまり表紙がうるさくないものを選ぶことだよ。」

「表紙がうるさくないものですか。」

 初めて聞いた言葉だったようで、何回か口にして反芻していた。少し言葉を変えたほうがいいかなと思い、付け足す。

「こんな風にいろんなうたい文句が付いている問題集は、たいていの場合あんまり役に立たないんだ」

「どうして、ですか」

 彼女の問いに、僕は半分だけ答えた。

「表紙は本の顔だからね」

 それ以降も問題種選びについていろんなことを伝授した。なるべく質実剛健な問題集を選ぶこと。問題はなるべく難しく、解説が十分に分かりやすいものを選ぶこと。何回増版されたか、いつからその問題集があるのかも見ること。値段は気にしないこと。すべてを教えると、もう一度椿姫にいう。

「もう一回、問題集を自分で選んでみて」

 そういうと、椿姫は僕が教えたように問題集を探し始めた。見た目や名前が落ち着いているものを片っ端から開いていった。そして、お気に召すものが見つかると僕のところに持ってきて

「これでどうでしょうか」

 と渡してきた。僕はその本を受け取ると答える。

「いい問題集選びだと思うよ。ちょうど僕がおすすめしようと思ってた本だしね」

 そういうと、僕はその本を左手に持つ。そして、僕は椿姫にこの後のことを伝えた。

「僕の問題集を探しに行くから、この辺で別の問題集を見ていてもいいし、文庫本とかを読んでいてもいいよ。」

「では、もう少しだけ問題集を見てますね」

 別の問題集探しに向かう彼女の姿を見送ると、僕は大学受験向けの問題集コーナーに向かう。高校時受験用とは日にならないほどの問題集がそこに置いてあった。僕もさっきの椿姫のように、片っ端から問題集を漁る。

 問題集を見るたびに、あの問題集で代用できるかなと考えると、本棚に戻してしまう。それなりに自分で問題集を持っているので、焦って買う必要のあるものは少ない。それでも苦手科目だけは別のも手を出そうかなと思う。

 十冊近くの問題集を漁ってから、僕は一冊の英文法の問題集を選んだ。それと、いずれ買いに来ることになりそうな共通テストの予想問題集も買い足しておくことにした。

 一通り自分の買うものを集め終わると、椿姫を探すことにした。椿姫はさっきと同じ問題集コーナーにいると思って戻ってみたけれども、そこに椿姫の姿はなかった。内心少し焦るながら僕は周囲を見渡す。すると、ちょうど僕の身長よりも本棚が引くので意外とすぐに彼女は見つかった。

 彼女がいたのは参考書コーナーからはかなり離れたところだった。どんな本が置いてある場所なのか探りながら近づく。どうやらそこは文庫本コーナーのようだった。そこで椿姫は一冊の本を立ち読みしていた。立ち読みをしている人に話しかけるのは少し申し訳ない気がして、三分くらい彼女のそばでほかの本を眺めていた。それでも椿姫が目を離さないので、僕は椿姫の肩をたたいた。

「そろそろ本を買いに行こうと思うんだけど、その本も一緒に買ってあげようか?」

 僕に肩をたたかれて驚いた椿姫だったけれど、いつもの様子で答える。

「大丈夫ですよ。というか、自分の本ぐらい自分で買います。」

 そういって、僕が抱えていた彼女の問題集を引っ張ろうとするので、僕は強くそれを抱えて答えた。

「いいよ。お金のことは気にしなくていいからさ。」

 椿姫は持っていた文庫本を本棚に戻しながら言う。

「それではその問題集はお願いしますね。」

 僕は椿姫が持っていた本が気になったけれど、多分見られたくないんだと察して、深くは聞かないことにした。問題集をもって会計に向かう。人と話すのが面倒くさいし、機械に離れているのでセルフレジで会計は簡単に済ませて椿姫の元に戻る。

 椿姫は相変わらずさっきと同じ本を読んでいたようだった。会計も済ませてしまったし、あまり長居して勉強時間が削られるのはお互いのためにならないので、移動を催促する。

「そろそろここを出ようか。」

 椿姫はしぶしぶといった様子で本を戻すと、無言で僕についていくそぶりをした。僕は一つだけ椿姫に確認した。

「椿姫はお昼ご飯は食べたの?」

「大丈夫です」

「食べてないならおごってあげるよ」

「大丈夫です」

 立ち読みを邪魔されたことにご立腹なのか、それとも昼食のことを気にしていないのか、僕の言葉に強く返事をする。しかし

ぐ~

 間の抜けるような音が椿姫のお腹からなった。僕は少しほおを緩ませながら言う・

「せっかくならそこのカフェで何か食べてから帰ろうよ」

 赤面少女はうつむきながら僕の歩く後ろをついてきた。僕は安心すると、本屋を出て少し憧れであったカフェに入る。椿姫に注文を確認すると、先に窓際の席を取っておいてもらった。その間に僕は注文をする。

 ハンサムで落ち着いた雰囲気と明るい雰囲気を同時に持つ青年が僕の注文を確認する。

「フレンチトーストとアメリカンコーヒー二つ、それにワッフルを一つですね」

「はい」

 清算をすますと、横にあるカウンターで待たされる。そこでコーヒーなどができる過程をのぞき見できる。しかし、こういう部分を見てしまうと、こんな金額なのにそんな適当に作られてるのかと幻滅するから隠したほうがいいように思ってしまう。

 渡された商品を受け取ると、椿姫がいる窓際の席に向かう。彼女は相当お腹がすいていたのか、少し肩を落としたようにしていた。急いで昼食を届けに行く。

「言っていたフレンチトーストとご褒美のワッフル持ってきたよ。」

 すると、椿姫はこらえきれないようにフレンチトーストのお皿をトレーからとると、適当にナイフで切って口に放り込んだ。一口食べ終わると、僕のほうを向いていった。

「ありがとうございます。それと行儀悪いとは思わないでくださいね。お腹がすいていたんです。」

 それからは、彼女は丁寧にフレンチトーストを切っては丁寧にかみ砕いた。そして一口食べるごとにコーヒーを飲んで、お昼ご飯を味わった。椿姫のご飯を食べる様子に安心しながらも、これまでの生活が心配になった僕は、彼女が半分ぐらい食べ終わったところで聞いてみた。

「今日はここでご飯食べたけど、いつもはご飯どうしてるの?家に帰ってきてから食べるわけでもないしさ。」

 すると、椿姫から意外な言葉が出た。

「休日の授業の時は食べないことのほうが多いですよ。時間的にも微妙ですし、お母さんには友達と食べてきたといえば安心しますからね。」

「それはよくないよ」

 思考よりも先に言葉が出ていた。けれど、僕はこのことだけは強く彼女に伝えようと思った。

「ご飯を抜いて勉強をすること以上に非効率な勉強はないといっていいほど、絶対にやってはいけないことだよ。何があってもご飯だけはちゃんと食べなきゃ。」

 そういうと、彼女はひどく冷たい視線を僕に向けていった。

「何も知らないくせにあまり適当なこと言わないほうがいいですよ。お金があるあなたにはわからないでしょうが」

 その言葉に僕は息が詰まるようだった。その瞬間悟った。僕は彼女のことについて知っていることはわずかだということ。そして、おそらく彼女には経済的な事情があるのかもしれないということを。

 僕は彼女のほうから目をそらすと、町を見下ろしながら考える。

 言われてみれば当然なことなのかもしれない。椿姫の家は片親で、しかもお母さんしかいない。ただ、僕が一週間見ている限りではお母さんは熱心な働き手らしく、稼ぎがそこまで悪いとは思わない。それでも塾の費用を考えると、重荷になることは確かだ。

 とはいえ、成長期の子がご飯を抜くということはあってはならないと思う。口に出したかったものの、これは僕の理想論でしかない。それに、それこそ僕の手元にお金があるから考えられることだ。

 いろいろ考えた結果、僕は簡単な質問を一つだけ彼女にした。

「そういえば、君のお母さんは何の仕事をしているの?」

「よくわかりません。前までは一般企業で事務の仕事をしていましたが、数年前に転職した様子です。それからは帰りも結構バラバラです」

 数年前に転職か。彼女がちょうど中学に上がったばかりぐらいだから、中学生を育てるのにかかる費用が大きくなって転職したのだろうか。それにしても、娘ですら仕事を知らないのは少し意外だ。

 ふとお母さんのことを思い出してしまう。そういえばお母さんは看護師をやっていた。看護師のお母さんはかなり忙しく、夜勤も多いので朝帰りも普通にあった。椿姫のお母さんもこんな職業だといいけど。

 そんな考えと同時に巻き起こるのは、自責の念だ。自分を嫌いな僕が語りかけてくる。僕が病気じゃなければ、離婚することも、お母さんから離れることもなかったはずだろ。お前が健康体であれば、こんなことにはならなかったんだ。お前は父親と同じように忽那人間なんだよ。




「大丈夫ですか」

 急に肩をたたかれはっとした。隣を見れば、すでにフレンチトーストを完食した椿姫が心配そうに僕を見つめていた。僕は彼女に心配をかけないように、作り笑いをしながら答える。

「大丈夫だよ。それより、さっきは申し訳ないことしたよ。配慮に欠けた言葉だったね」

 そういうと、椿姫はあまり気にしていないのか、それとも強がりか平然として答えた。

「大丈夫ですよ。もう気にしてませんから。」

 その言葉に僕はほっとした。けれども、それはつかの間の休息であったようだと思い知らされる。

「けれど、さっき考えてたことは絶対にほかのことですよね?私のことを考えていたなら、もっと先にその言葉が出ているべきですからね」

 適切すぎる彼女の言葉にぐうの音も出ない。椿姫には伝えたくないことだけど、はぐらかすのもうまくいかないと思わせる椿姫の視線と言葉の鋭さがあった。なすすべもなく、僕はその場をやり過ごすことにした。

「...今日の夜にでもその話をするよ。今は乗り気じゃないんでね」

 僕の返答に不満足な様子な椿姫だったけれど、ワッフルを食べると口角を上げていた。カフェのデザートはやっぱり女子にはいいらしい。

「ごちそうさまでした。」

 全部食べ終わった椿姫は、すべての食器を僕のトレーに戻した。トレー片付けようとする椿姫を制止して言う。

「じゃあ帰ろうか」

 僕も荷物をもって立ち上がると、トレーをもって片づけに行く。僕の隣で椿姫はトレー置き場の隣にあるショーケースを眺めて目を輝かせていた。あまりこういう場所に興味がなさそうに思えたけれど、意外と好きらしかった。

 それから僕らはたわいもない話を繰り返しながら家に向かった。町の視線は僕らを勘違いしているようだったけれど、僕らは気にすることもなく町を進む。木々がうなり、葉緑体が抜けた葉が落ち、太陽は力を失っていた。
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