300万で何が買えるだろうか

古明地 蓮

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第三章 人生とは過去である

第二話 関わりたくない過去

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 二週間ぶりに病院に向かいながら考える。そういえば、僕の寿命は予定ならあと一週間と少しのはずだ。そもそも僕自身はその現実からずっと目をそらして生きてきた。本当にこのまま死ぬのか不思議なぐらいだった。

 いや、強がってもいられないんだろうな。事実、僕は体調が悪化している兆候は何回も感じていた。ただ、僕自身がほとんど動く人間ではなかったので、体に負荷がかかることがなかったからその兆候が表れにくかっただけなんだ。

 今の僕にはこのかばんはちょっと重すぎた。先週の僕なら運べていた荷物量だからと言って持ってきたけれど、駅に着くまででもかなり体力を持っていかれてしまった。先週は余裕でここで単語帳を開いていたけど、今日の僕は電車が来るまで荷物を地面において壁にもたれかかることしかできなかった。

 スマホを開いて電車の時間を確認して、体に鞭打って単語帳を取り出した。まだ弱ってなんかない、先週と変わらない僕だ、と自分に虚像を見せた。

 それからは、やけに時間が早く過ぎ去るようだった。電車に乗ったのもつかの間、気が付いたら病院まで歩いていたんだ。目の前に広がる大きな病院の花壇に圧倒される。前と変わらない景色だけど、わずかに僕を拒んでいるようにも、歓迎しているようにも見えた。

 僕は前と同じように受付で番号が書かれた紙を受け取って、待合室の椅子に座った。きっと前みたいにすぐに呼ばれるだろうと思っていたけれど、意外にも僕の番号はディスプレイに表示されなかった。少し不思議に思いながらも、僕は単語帳を開いて勉強をつづけた。

 勉強しながらも、周りの様子を見ていると、どうやら急患が入ったらしかった。あわただしい様子で看護師や医師がICUがある方向の廊下を走っていった。

 僕は一瞬目を疑った。走り去っていく医師の中にまぎれて、あいつの姿に似た人物がいたからだ。まさかと思ったけど、あいつはただのギャンブラーだからこんなところにはいないかと自分を落ち着かせた。そして何も見なかったことにして、急患の無事を祈りながら僕は単語帳に目を落とした。

 しばらくして、急患の対応が終わりICUのある方向から医師たちが帰ってきた。医師たちの顔ぶれを見るに、今日の対応はうまくいったらしい。そういえば、柳田医師も一応昔は救急救命意をやっていたらしいから、もしかしたら今日は駆り出されてたのかな。あとで聞いていることにしよう。

 僕の予想を裏打ちするかのように、急患対応が終わってから間もなくして、僕の番号がディスプレイに表示された。そこそこに順調に勉強が進んだので、僕は満足しながら中待合室に入った。しかし、僕は中待合で待つことなく医師のもとに通された。

「お久しぶりです。柳田先生」

 僕が会釈すると、ひどく疲れた様子で柳田医師は会釈を返してきた。何か話そうとしてから、一度むせたように咳払いをしてから、話し出した。

「久しぶりだね。ちょっと急患対応をしてきたから少し疲れててね。適当なことを言ったら止めてくれると助かるよ。」

 そういうと、柳田医師は僕の電子カルテを確認する。そして、顔をしかめながら画面のほうを向いたまま、声のトーンを下げて言った。

「今日って時間あるかい?それとも何かやりたいことがある?」

 今日はまだ勉強のやり残しがたまっている。けれども、勉強自体は順調だし、何より彼の声のトーンが下がったことから、何やらよくないことがあるような予感がしたので、僕は彼の質問に肯定した。

「今日はまだ時間はあります。」

 すると、彼は内戦を使って何人かに連絡を取り始めた。この何とも言えない空気がここち悪い。医師の前だから勉強するのも忍びないし、とはいっても話しかけるわけにもいかず、部屋を見渡すばかり。これが小児科だったら病室にも子供を飽きさせない仕組みがあるのだろうけど、ここは総合診療科なので特に目立ったものはない。強いて言うなら柳田医師が使っているデスク周辺の器具類程度だった。

 三回程度の内戦が終わると、柳田医師は僕のほうに向きなおっていった。

「今日は久しぶりに検査をしよう。検査しないと君の予後もわからないし、君をこれ以上野放しにしていいのかもわからないからね」

 作り笑いのような声のトーンで言う柳田医師に僕は返事ができなかった。お互いに言葉を発することができなかったが、それに先に耐えかねたのは僕のほうだった。

「関係ないことなんですけど、いくつか話してもいいですか?」

 そういうと、少し口角を挙げた彼は、僕に話を促した。促されるままに僕は語りだす。

「本当なら前回来た時に少し話しておけばよかったんでしょうけどね。」

 そこから僕は椿姫に話したときみたいに、僕が退院するまでのあいつとの会話と契約、そして退院してからのことを語った。はじめ、柳田医師はあまり興味がないように聞いていたので話すのをやめようかと思ったけれど、どうやら疲れていただけのようで、退院してか最近の話をすると、楽しそうに聞いてくれたし、積極的に質問してくれた。

 一通り僕自身の話をし終えると、僕は柳田医師に一言質問した。

「それで、過去に立ち向かうにはどうしたらいいと思いますか?」

 すると、柳田医師は和すかに白髪の混じる髪を押さえながら答えた。

「まずは事実と真実を区分けすることじゃないかな。君にとっての真実と事実は異なっている可能性もあるからね」

 ちょうど、柳田医師がそう言った瞬間に内戦が鳴った。柳田医師が出ると、適当に返事を返していた。どうやら検査の準備ができたらしい。僕は無言で彼に促されるままにCT室に向かった。

 CT室に入ると、見慣れない顔の診療放射線技師の人に検査の方法について軽く説明された。僕はドーナツ型の機会に通されているベッドに寝そべる。何回も見た光景だけれども、ちょっとわくわくする。僕にとってはなにもされていないようで、僕の体の断面図を撮影されているんだろうと考えると、科学の進歩のすばらしさを味わっている気分になれるんだ。

 せっかくのお楽しみの時間は過ぎに終わってしまい、僕は少し離れたMRI室に移動させられた。そこで、今度は僕は一切の金属が体にないかを確認された。僕にとっては重要なスマホなんかも全部荷物置きのかごに入れて部屋の中に入った。

 MRIはCTのようにのんびり検査されないから嫌いなんだ。僕が機械に固定されると、すぐに轟音が部屋を満たした。あまりの機械音の大きさに耳がつんざかれるような気がした。

 考えてみれば素晴らしい機械で、超伝導を用いて電磁石を作り、体内の分子を整頓するという、軍隊の総司令官でも思いつかなさそうな方法で検査しているんだ。その対価として、この騒音に悩まされるわけだけど。

 数分もすると検査の終わりが告げられて、荷物を忘れないように言われ、僕は元の部屋に行くように促された。僕は自分が取り出した電子機器類がちゃんと残っているか丁寧に確認して、すべてがそろっていることに安どすると、総合診療科診察室に戻った。

 柳田医師の部屋まで戻ってきたけど、まだ医師は帰ってきていなかった。僕はそのすきを用いて、小百合さんに帰りが遅くなることを伝えた。それから、少しだけ僕の家のことを調べてみた。売りに出されていると思ったけれど、検索しても情報が出なかった。もうすでに買い手がついたのかな。

 いったん調べ物に区切りがついたとき、柳田医師が診察室に戻ってきた。素人が見ても何が写っているのかまったくわからないフィルムを数枚手にしていた。それらをディスプレイのところに置くと、病気のことを告げた時以上に神妙な面持ちをして言った。

「予定通り、としか言えない状態だね」

 予定通り。つまりあと一週間と少ししか時間がないということなのだろうか。質問したかったが、あまりにもぐ問過ぎた。日本人らしくないことはやめて、僕は別のことを聞いた。

「何をしたらいいんでしょうかね」

 諦めや短絡的な投げ槍を含んだ僕のその言葉に、柳田医師は一瞬怒りを示そうとした。けれども、抑え込むようにして語った。

「自由にやりたいことをすればいいんだよ。時間は短くてもできることはたくさんあるんだからさ」

 そうは言われたものの、僕にはやりたいことがわからなかった。自由にやりたいことをやれと言われても、僕にとってやりたいことと言えるのは数学の勉強をするぐらいのことだ。それ以外にやりたいことなんて。

 そんな僕の目を見透かしたようにして、柳田医師は僕に助言した。

「僕が思うのは、過去を見つめることをやってみたらいいんじゃないかな。思い入れのある場所を探索してみるとか、自分のノートやブログを見直すとかね。」

 思い入れのある場所なんて、あの家ぐらいにしかない。今も残っているのかはわからないけれど。あとは何かあっただろうか。

「医師としての発言としてはよくないと思うけどね、考えることは命がなくてもきっとできる。けれども、どこかに行ったり何かを探すことは生きている間にしかできないんだよ。だから、生きている間にしかできないことをやったほうがいい。僕が患者によく言う言葉だけどね。」

 そういうと、柳田医師はさっきの検査結果を机にしまうと、僕に聞いた。

「今の様子だと、なるべく入院しない方向性で進みたいってことでいい?」

 僕は一切迷うことなく答えた。

「もう入院はしたくないですね」

 その様子に満足したように、彼は処方箋を印刷して渡してきた。

「今回は全部の薬の量を増やしたから、体に不調をきたすかもしれないけど我慢して。そもそもこんな患者を野放しにしておくほうがおかしいんだからね」

 そこに記載されていたのは、これまでと比にならないほどに増えた薬たちだった。一つ一つは知っている薬だけれども、こんなに多量に飲んで大丈夫なのか不安になる。それと処方箋の下にはいつも通りに何枚かのお札がつけられていた。

「先生、もうこれなくても大丈夫ですよ」

 彼のやさしさはわかっているけれど、いまさらこんなことまで気を遣わせる必要はないと思った。けど、柳田医師は顔色一つ変えずに行った。

「君への贖罪みたいなものなんだよ」

 そういうと、ファイルの整理を始めてしまった。どうやらもう帰れということらしい。腑に落ちなかったけれど、これ以上邪魔をするわけにもいかないので、僕は病室を後にした。

 院内薬局で薬の処方を待っている間にも、少しだけ自分の家について調べてみた。しかし、ネット上どこを探しても、僕の家の情報は見当たらなかった。まあ、きっととっくに売れてしまったからページが残っていないんだろう。ちょうどそう思ったときに、薬の処方がされた。受け取った薬をリュックに入れると、僕は家に向かって歩き出した。

 病院を出た瞬間、僕はどっと冷や汗が出た。何かに見られている、体を切り刻むようなたくさんの視線を感じた。病院のほうを振り返ったけれど、誰一人として僕のほうを向いてはいなかった。安堵して歩き出した瞬間、視線の正体に気づいた。

 冬の名物であるコスモスの花がたくさん植えてある花壇。その花から視線を向けられているような気がしたんだ。まるで、病院の亡霊が花に宿ったかのようだった。

 僕は恐怖に負けて病院の敷地を飛び出した。そして、多少離れるとゆっくりと歩き始めた。息が上がり心臓が張り裂けそうなほどに鼓動が強くなる。さすがに病人に全力疾走というのはきつかったみたいだ。

 我慢して帰ろうと思ったけれど、僕はあきらめてさっきもらった薬のうち、鎮痛剤を三錠服用した。歩道で少し休みながら、心臓が落ち着くのを確認すると、もう一度帰路に着いた。

 駅に着いた僕は、ふとあることを思いついた。一度も見ていなかった僕の家をもう一度眺めてみよう。時間は多少あるし、ここからさほど遠くもない。それに、家の様子を見れば、売りに出されているのか、もう買い手がついているのか、それとももう取り壊されているのかはわかる。

 自分でわかっていたんだ。もう二度とこの場所には立ち寄りたくなかった。この場所が変わってしまっていたら悲しいけど、そのまま残っていたら、僕はまた過去にとらわれえて壊れてしまう。だから、未確認の状態で思い込むことが一番心にとってちょうどよかったんだ。

 だけど、二人に言われてしまった異常、僕は逃げてばかりいる訳にはいかないと感じたんだ。だから僕は取り壊されているか誰かが住んでいることを前提として見に行く。これ以上心が壊れないように。

 僕は電車に乗って、いつもと同じ駅で降りた。けれど、いつもとは反対の方向に向かって歩く。見慣れた景色のように思ったけれど、ところどころ変わっているところから時間の流れを感じさせられる。

 高校の友達と一緒に食べた唐揚げ屋さん。落ち込んだ時に食べたメロンパンとコーヒーのカフェ。友達が通っていた予備校。見たことある建物たちが変わっていないようにたたずんでいる。その隙間から見慣れない傷や、知らない建物たちが時間の経過を気づかせてくれる。

 僕は一瞬時間に置いていかれたような気がした。ジェネレーションギャップに似た、普通と思っていたことが通じなくなる瞬間に出くわして、来たことを後悔した。けど、ここまで来たのに今更引き返すわけにはいかない。僕は自分の家まで必死に歩き続けた。

 だんだんと見飽きるほどに見た街並みが見えてくる。僕がよくいた公園から地元の小学生が遊んでいる声が聞こえる。ふと公園に目をやると、そこには僕のお気に入りの遊具はなくなってしまっていた。その横で寂しそうにする自分の姿が見えた気がした。

 気にするな。自分を落ち着かせながら、僕は目的の場所に近づいていく。この道をまっすぐ行ったら見えてくるはずだ。受験の結果を見に行くときのような心持でその一本道を歩き続けた。

 十字路に差し掛かり、自分の家が見える角度になりそうになった瞬間、僕は身を引いた。そして、そろりそろりと建物の角から覗き見るようにして自分の家を探す。角度を少しずつつけていくうちに、取り壊されているんだろうという思いが強くなっていく。

 ある適度角度を大きくしたとき、緑の屋根にオレンジのレンガ造りの家が見えた。その周囲の家に比べて大きくたたずんでいるその風貌は、まるで大名か名字帯刀を許される村長の家のように思えるほどだった。

 気が付けば僕を駆け出していたんだ。自分の家に向かって。一軒家だから、門のところにきっと表札があるはずだ。それだけ確認したら今日は帰るつもりだった。

 十字路を渡り切って、僕の目に飛び込んだのは、

「橋上 悟」

 という、あいつの名前だった。

 門の鍵に手をかけ酔うと思った。けど、鍵をひねったところで僕は我に返った。この家は売りに出されている可能性があるし、もしあいつが住んでいたとしても、今住んでいない人が勝手に侵入するのは違法だろう。代わりに、僕は玄関周りの花壇を眺めた。

 お母さんが休日の楽しみに季節の彩を意識した庭を作ってくれた。春夏秋冬美しい花たちが僕らを出迎え、見送ってくれていた。その花たちは、奇妙なほどに一本たりとも枯れることなくこの家の住人の帰りを待っていた。

 もう満足したろ?

 頭の中でもう一人の僕が声をかける。久しぶりに意見が一致した。僕はその問いかけに応じるように、矢田部家への帰路に着いた。
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