お針子の魔法使いと悪魔の弟子

蛾脳シンコ

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第10話『師匠と弟子と召使い』

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 課題を終えた翌日、レンリエッタは人生で最も素晴らしいと言える朝を味わっていた。初めて寝心地の良いベッドで目が覚め、窓から差し込むカーテン越しの朝日がほのかに顔を照らし、フワフワとした毛布が全身を覆っている。
 邸宅の2階に割り当てられた部屋はとても大きく、ベリーとメルキンの部屋を二つ足しても敵わないくらいに広かった。家具も大の字で寝られるほど大きなベッドに、虫が湧かないタンス、オシャレなテーブルに足が欠けた椅子……まぁその他多数のガラクタで散らかっている上に埃っぽい事に目を瞑ればこれ以上に無いくらい素晴らしい部屋だった。
 レンリエッタはゆっくりと瞼を上げ、修行初日の目覚めを体感した。

「ぅ~ん……はぁ!!すっごくいい気分!」

 ベッドの上で身を起こし、欠伸と共に体を伸ばしたレンリエッタは起き上がると真っ先に窓を開き、外の様子を眺めた。偶像の森は今日も晴々としていて、青い空には雲がまばらに浮かび、温かな日差しと風が部屋に舞い込んだ。
 こんなに贅沢な朝があっただろうか、もう固いベッドの上で怒鳴り起こされる事は無いし、同じ服を何日も続けて着なくても良いのだ。

「今日から魔法使いの修行が始まるんだ…エラフィン様はもう起きてるかな!」

 レンリエッタはネグリジェ姿のまま、部屋を出ると香ばしい匂いが充満する廊下へと出た。この匂いはきっとグリスがキッチンで何か作っているのだろう。
 数多くの部屋には目もくれず、レンリエッタは真っ先に階段を降りると一階の東側に位置するキッチンへと向かった。キッチンはレンガとタイル張りの広々とした場所だ。壁には大小様々な鍋が掛けられ、戸棚には見慣れない瓶が軽く百個以上、独特な形状をした包丁たちも目を引くが、火が燃え盛るレンガ台のコンロでは予想通りグリスが何かしらを調理していた。

「おはようグリス!」
「おや!おはようございますお嬢様、ちょうど朝食の準備が済みましたので起こしに向かうところでしたよ。」
「朝ごはんだ……ところでエラフィン様は?」
「まだ起きている様子は見られませんね…おそらく就寝中かと。」
「なんだ寝てるのかぁ…じゃ、私は顔洗って来るよ。」

 キッチンにエラフィンの姿は無く、グリス曰くまだ寝ているらしい。魔法使いは早起きしなくても良いなんて、羨ましい限りだ。
 気を取り直してレンリエッタは朝食の前に顔を洗おうと浴室へ向かった。昨晩、課題の終了後に入った浴室は奇妙な瓶が散乱し、ギトギト汚れが至る場所に見られたが…今ではどうだ、驚くことに綺麗さっぱり清掃されている。
 きっとグリスが早朝から邸宅中を掃除したのだろう。鼻を突くような酷い悪臭も無し、ほのかにレモンの良い香りが漂っている。

「部屋も綺麗だと心も綺麗になっちゃうね」

 レンリエッタはキュッと蛇型の蛇口をひねり、キンとした冷水で顔を洗うと肌触りの良いタオルで水気を拭き取った。これでサッパリ目は冴え、口も濯げば朝の準備は完了。
 出来れば髪の毛も整えたかったが、得体の知れない赤黒い毛が絡まったブラシや、その横に置かれた『C.W.Pの万能整髪剤(イチゴの香り)』も全く使う気にはなれなかったのだ。
 なのでレンリエッタは濡らした手で雑に髪の毛を梳かすと、意気揚々とキッチンへと戻った。

「ねぇグリス、朝ごはんのメニューはなに?」
「今朝の献立はジャガイモのガレットでございます。備蓄庫に辛うじて残っていました無傷の食材で作りました……はぁ、あの中も掃除しなくてはいけないなんて…悪夢ですよ…」
「えーっと…お疲れ様……食べても良い?」
「もちろんでございます。すぐに紅茶を淹れますよ。」

 本日の朝食はグリスが備蓄庫を掻き回した材料で作られたジャガイモのガレット。千切りにした芋をパンケーキのように丸く焼いた料理だ、よく見ると芋の他にも様々な具材が混ざっている。
 レンリエッタが椅子に座るとグリスは直ぐに紅茶を淹れてくれた。爽やかな匂いを醸し出し、ミルクと砂糖も付いてる…なんて良い朝なんだろうか!

 ゆっくりとレンリエッタが朝食を摂っている間、グリスはその横で『デイリーオウルズ新聞』の朝刊を読んでいた。ふと目を配ってみるとデカデカと書かれた『ハルカータ社製のアルマイト薬に偽装が発覚』という見出しが見えたが、それ以外は人間のものとあまり変わらないのかもしれない。
 机、売りますという広告やくだらないポエムの欄もあった。
 だがグリスは新聞を眺めながら、目を細め、不快そうな声を漏らした。

「ふぅーむ……」
「どうかしたのグリス?へんな声出して…」
「あぁ…いえ、またしても霧籠の方たちが問題を起こしたようで…」
「きりかご?」

 霧籠という聞き慣れない言葉にレンリエッタが疑問を浮かべると、グリスはすぐに新聞を見せながら教えてくれた。新聞には『霧籠の魔法使い、火の惨事』と書かれている。

「彼らは霧籠の魔法使い、通称ミストマンサーと呼ばれる王国直属の戦争魔術師…つまり魔法を武器として扱う魔法使いの集団なのです。そして構成員の大半が魔法貴族の生まれです。」
「じゃあエリート魔法使いってこと?か、かっこいい…!」
「そう思うのが普通でしょう…彼らの行いを知らなければ…」
「行い?」
「ハッキリと言います、彼等は正義を背負いながら暴虐の限りを尽くす極悪人ですよ。任務のためなら他の犠牲は顧みず、関係の無い者が損害を負う事も珍しくありません。現に今回も街中で火を放ち、建物を12軒も全焼させたようです。」

 霧籠の魔法使いミストマンサーとは王によって集められた選りすぐりの魔術師集団である。主な任務は敵性魔術師への対処、または魔法が絡む事件の解決なのだが…新聞に書かれている通り、その実態は目的のためなら手段も被害も厭わない迷惑集団なのだ。
 今回は大規模な火災程度で済んだが、過去には違法生物を用いた捜査を行ったり、立てこもり犯を人質ごと氷漬けにした挙句にどちらも凍死寸前まで放置するなど危険極まりない奴等なのだ。
 話を聞いたレンリエッタは大いに憤慨した。

「なんて酷い人達!なのに野放しにされてるなんて…」
「国に従事する魔術師は多少の犯罪程度ならば咎められる事が無いのですよ。優秀な人材は貴重です、少なくとも内面が不出来でも強力な魔法を扱える者は滅多に居ません。」

「ああそうさ。奴等はクズの集団だよ、さながら魔術師界の面汚しだね。」
「あ!エラフィン様!おはよう!」
「おはようございますエラフィン様。」

 その時、二人の話へ割って入る様にエラフィンがキッチンへと入って来た。髪の毛はボサボサ、寝間着の上から羽織ったローブはズレ、おまけに杖を持つ手はゆらゆらと落ち着いていない。
 全くもって威厳などちっとも感じられない姿だったが、レンリエッタとグリスは挨拶を交わした。
 そして…エラフィンの口振りからするに彼女も霧籠を嫌っているらしい。エラフィンはダイニングの椅子に座るとグリスが淹れた紅茶を飲みながら話し始めた。

「霧籠の連中は家の評判にあやかったボンボンばかりさ、昔から逆らう奴は少ないから人間性なんてちっとも出来やしない、そのくせプライドだけは高いと来た。それに今の代表だ……奴が一番厄介だね。」
「それってどんな人なの?」
「いいや!ダメだ!名前を言うにも虫唾が走る……この家で霧カス共の話はするんじゃないよ、良いね?」
「わ、わかった…わかりました…」
「よろしい。……それとグリス、今朝は新聞と一緒に雑誌が来たでしょ、ちょうだいな」
「ええ、どうぞ。」

 エラフィンは霧籠の魔法使いに対する話題を一切禁じた。レンリエッタは彼らの事が気になってうずうずしたが師匠命令であれば逆らう事など出来なかった。それに奴等よりも偉大なエラフィンの言う事なので間違いは無いと思った。
 一方でエラフィンは新聞と一緒に届いた『週刊:語り穴』とやらを読みながら茶を嗜んでいる。表紙に掲載された『ダンプリング氏の盗作疑惑』という文字が妙にケバケバしかった。

「ねぇエラフィン様、まず何を教えてくれるの?」
「うーん?別に焦らなくても良いさ、朝くらいはゆっくりさせとくれよ。」
「ごめんなさい…」
「分かったならよろしい。さっさと着替えて身支度を済ませておいで、そんな恰好じゃあんまりだろう。」
「そうだよね…分かりました!着替えて来ます!ごちそうさま!」

 確かにそうだ、ネグリジェのままでは恰好もつかない。レンリエッタは朝食の残りを素早く平らげると直ぐに部屋へと戻った。
 その慌ただしい姿にグリスは少し考えたように言った。

「ふぅむ…お嬢様に対する教育は魔法だけでは終わらないようですね…淑女としてマナーも身に着けていただきませんと…」
「はーっはっは!面白い冗談だね!魔法使いにマナーなんて必要ないさ、好きにさせたげな」
「お言葉ですがエラフィン様、お嬢様は由緒正しきヘイルホーン家の長女でございます。貴族ならば、それ相応の所作を…」
「あーあー!もう分かったから、さっさと茶のおかわりを淹れてちょうだい。できればもうちょっと大きいカップでね。」

 カエルの子はカエル…なんて事になって欲しくないと思うグリスであった。

 一方で部屋に戻ったレンリエッタは窓を開けっぱなしにしていたせいで侵入してきた気味の悪い羽虫を叩き潰してから、部屋の中に佇む衣服の山を眺めた。
 今までエラフィンの下で修業を受けて来た者たち…言わば先人達の残してくれたものだ。ほとんどがサイズオーバーな大人用ばかりだったが、レンリエッタに合いそうなサイズの服も幾つかあった。
 少なくとも尻尾用の穴が開いたズボンだったり、翼用に作られた背中ぱっくりドレスを除いても結構な数があった。

「こんなにたくさんの服を着れるなんて感激……裁縫道具があったらもっと良かったのに…あとで探してみようかな…」

 しかし、たくさん服がある分、何を着れば良いか迷ってしまいがちだ。着る服が決まらないなんて贅沢な悩みは一生味わえないと思っていたが、いざ直面するとベリーとメルキンの気持ちが痛いほど分かった。
 だからこそレンリエッタは色々と試してみることにした。古臭い漆黒のローブで如何にもな魔女っぽさを演出するのも良いが、普段は履く事の無いズボンなどで動きやすくするのも良いだろう…

 幾分の長考の末、レンリエッタはいつも通りのワンピースに落ち着いた。やっぱりこの世界でもこの種の服は人気な様だ。

「うーん…私って変わらないなぁ……」
『レンリエッタ、いつまで支度してるんだい?それとも人喰い虫でも出たか?』
「あぁ…待たせちゃってる……すみません!今行きます!」

 ちょうど支度が済んだと同時に下の階からエラフィンの声が響いて来た。レンリエッタはテーラーで幾度となく体験した様に部屋を出ると、素早く階段を降りてからエラフィンの元へと向かった。
 そして1階の広間では既に準備を終え、昨日と同じ姿をしたエラフィンが待ち構えていた。ちなみに広間というのは玄関を入って直ぐに位置する少し大きな部屋の事だ、相変わらず壁や天井から吊るされた魔除けがギラギラと光っている…

「よぉーし!準備は済ませた様だね、今日から修行を始めるよ。」
「はい!エラフィン様!」
「あぁー…まずはそのエラフィン様ってのを止めな。様付けは嫌いなんだ、仕事を思い出すから。」
「じゃあなんて呼べばいいの?」
「呼び捨て、あるいは先生、ならびに師匠ってところだね。アンタが呼びたいならでも良いんだけど…?」
「じゃあ先生って呼ばせていただきます…」
「うぅーん、ノリが悪いね」

 呼び方はさておき、ついに魔法使いとしての修行が始まった。レンリエッタは胸の内から飛び出しそうなやる気を抑えるのに精いっぱいだ。

「まず最初に…知ってる魔法を実演してもらおうか」
「えぇーっと……無いです、魔法はひとつも知りません…」
「そうだったそうだった……アンタはクークラン育ちだったね…だとしたら魔法の事は何も知らないって事で良いのかい?念磁波や系列魔法、アガラナジオ症候群についても一切の知識は無いと判断させてもらうよ?」
「これ以上落ち込ませないでよ先生……私、何も知らないから此処に居るのに…」

 魔法を使えと言われても、レンリエッタはそれを学びに此処に居るのだから無理な話である。どうやらエラフィンは今まで魔法に関する知識を持った弟子ばかりを教育して来たせいか、レンリエッタのような何も知らないサッパリ系の扱いに困っている様子だった。
 彼女はしばらくクニャクニャに曲がった髪の毛を擦りながら手っ取り早く魔法を使わせる方法を考え始めた。

「うーん…困ったねぇ……谷に落とすってのは…ちょっと危険か……毒沼遊泳は…ありゃ季節じゃ無いね……うぅーん…こうなったら怪獣の胃袋でも…」
「あの…もうちょっと安全そうな方法は無いの…?」
「安全だって?そんなもん……いや、あるね。昔ながらの方法だがあるよ、でも面白みが…」
「面白みより安全な方が良いよ!それ!それにして!!」
「そうかい?まぁアンタが言うなら良いさね、ついて来な。」

 いくら面白くとも谷から突き落とされたり、毒沼を泳ぐ羽目にはなりたくないのでレンリエッタは古臭い安全な方法をチョイス。するとエラフィンは彼女を連れてある部屋へと向かった…道中、床下からグリスの『あぁ!ひどすぎます!!』という声が聞こえたような気がした。

 二人がやって来たのは邸宅の東側に位置する高い塔の建物。入った瞬間に古びたチーズと腐った野菜が混じったような匂いが鼻を突き、レンリエッタは思わず顔を抑えてのけぞってしまった。

「ぅう゛!?く、くさひぃ!」
「はーっはっは!そりゃそうだろうね!なんたって此処は錬成塔さ、調剤と錬金の間とも言うね。」
「ちょうざいとれんきん?」

 鼻を抑えながらもレンリエッタは部屋中を見回してみた。丸い部屋の中には様々な種類の草が置かれ、棚の中には数え切れないほどの瓶が並んでいる。隅には大小様々な鉄の釜が乱雑に積まれ、部屋の中央には不気味な模様が刻まれた石のタイル、そして本が置かれた書見台があった。
 遠のくほど高い天井を見れば干乾びたコウモリやら鱗の生えた手足などが縄に縛られ、ぶら下がっていた……匂いは酷いがそれ以上に面白い場所だった。

「ここは薬を調合したり錬金術でちょっとした悪さをするとこ、今からアンタに魔力覚醒の薬を調合してあげる。」
「魔法の薬ってこと?それってすごく…魔女っぽい!」
「魔女だから当たり前よ。さぁてと…レンリエッタ、そこの棚からクチアリクチナシの粗挽き粉と爆発止まり木のチップを取っておくれ。」
「アイアイサー!」

 エラフィンは書見台に置かれた本を手に触れずともペラペラ捲ると内容を確認してからレンリエッタへ材料を取るように言い付けた。幸いにも全ての瓶に内容物のラベルが貼ってあったので聞き慣れない単語から探すだけだ。
 クチアリクチナシの粗挽き粉は何故か魚のヒレと目玉の間にあり、爆発止まり木のチップは霊の涙の横にあった。材料を渡すころにはエラフィンは既に他の素材に加えて小さめの釜と水を用意しており、タイルから噴き出す炎でグツグツと沸騰させていた。

「はいどうぞ、これが粗挽き粉で、こっちがチップ。」
「どうも…さて、まずは3年以上乾燥させたマーブルスライムの肝を1オンス、それにガトール産の天然吸血ムシの針を2本…そしてチップ1枚と粗挽き粉を23グラム…」

 エラフィンは魔法で材料を次々と丁寧に取り出し、煮え滾る釜の中へと放り込んだ。釜はグツグツから徐々にゴポゴポという不気味な状態へ移り、甘いような匂いが漂い始めた…
 色も緑から赤に、青に変わったと思えばまた緑に変化したりと落ち着きがない。

「最後に仕上げとして純粋な魔力を4ログリオン…っと。」
「うわぁ…!なんだかキラキラしてて夜空みたい…」
「うむ、我ながら最高の出来前ね!」

 最後に杖からキラキラとした光を釜に落とせば魔力覚醒の薬は完成だ。青やら紫やらが渦巻く鍋に光る魔法の粒はまるで夜空の様であり、非常に美しかった。
 しかしこれを飲めと言われたら躊躇してしまう…

「さぁどうぞ!出来立てアツアツのうちに飲みな!」
「うぅっぷ…!こ、これを飲まなきゃダメなの…?」
「そんなの当たり前よ!グイッと飲み干しちゃいな、熱いうちに飲まないと即効性が無いんだ。」
「人が飲んでいいような見た目じゃないけどなぁ……ええい!ままよ!」

 出来立ての薬をコップによそってもらったレンリエッタは躊躇しながらも一気に飲み込んだ。喉が焼けるような熱い液体が口を通って胃の中へと落っこちて行くのがよく分かる…そして鼻を抜けるのは度し難いほどの青臭さ…まるで芝生を丸かじりしているかのようだ。

「うぐ……おぇーっ!し、芝生あじ…」
「芝生だって?本には植木味って書いてあるんだけどねぇ……で、どうだい?」
「どうって言われても……うん?なんかお腹が…熱い気が………んぐむッ!?」

 飲み干してから少しすると、途端にレンリエッタの口はカーテンのように閉じると、そのまま開かなくなってしまった。まるで錠前が掛かっているかのように口が開かない、どう力を込めても全然動かない…
 パニックになりながらレンリエッタはエラフィンに助けを求めた。

「んぐむーっ!!ん゛!!」
「どうしたのさ?口なんて閉じて、さっさと感想を聞かせとくれよ。」
「んううんんッ!!」
「うーん?まさか……口、開かなかったりして…ないわよね?」
「うん!うん!!」
「あちゃー!!やっちゃった…きっとクチナシの粉が多かったんだね……待ってな、直ぐに新しい薬を調合するよ」

 どうやら調合に失敗してしまったらしい。「やっちゃった」という言葉では済まないような大失態であるが、エラフィンは直ぐに新しい薬の調合に移った。
 材料の大半は先ほどの薬と似ていたが、クチアリクチナシの代わりにカマヤシ草の蕾が釜の中へと突っ込まれた。
 そうしてあっという間に新しい薬は出来上がったのだが…どう飲めと言うのだろうか…

「ほらよ!早く使うんだ!」
「………んんぐぐ。」
「え?どう飲めって?飲むんじゃないよこれは、ぶっかけるんだ…こうやって…!」
「ンギギギッ!!?あぢぃいいいい!!?」

 エラフィンは湯気の立つ薬が入ったコップを勢いよく振り下げ、中の薬を躊躇なくレンリエッタへぶっかけた。熱々の薬を頭から被ったレンリエッタは思わず叫びを上げてしまい、閉じていた口はガバッと開いた。

「はーっはっはっは!やっぱり熱々じゃ無いと即効性は無いね。」
「ひ、ひどいよ……うぅうう…」
「ごめんよレンリエッタ。ほら、おべべを元に戻してあげる。…モルセド!!」
「はぁ~あ…この世界に来てから一番酷い目に遭った…」

 魔法のおかげでビチョ濡れだった衣服は元に戻り、ついでに塗れた髪と肌も元通りになったが朝から酷い目に遭ってしまった。レンリエッタの気分はダダ下がり気味だ。
 そんな彼女の不満を察してか、エラフィンは提案を持ち掛けた。

「悪かったわねレンリエッタ、街で何か買ってあげるから機嫌を直しておくれ。」
「…街?それってサタニズム街のこと?」
「ああそうさ、何か揃えるならそこが良い。どうせ今日は書類も出さなきゃいけないし…まぁ本当ならグリス一人に行かせるところなんだけどね。」
「なら大賛成!」

 もちろん街に行くというのならレンリエッタは賛成意外に返事はない。昨日行ったばかりだが、ゆっくり見られなかったので是が非でも行きたい。
 さっそく出発……とも行かずに、エラフィンは出発する前に先ほど調合した薬を瓶に詰め始めた。

「ねぇ先生、なにやってるの?その薬どうしちゃうの?」
「これかい?売るんだよ、最近魔法薬の販売を始めてね…これが結構儲かるの。」
「へぇ~…でも売れるの…?その、ぶっかけ薬って…」
「まぁ需要は薄いがちょっとばかりヘンテコに改名すりゃ飛ぶように売れるよ。」
「そうなんだ…じゃ、私お財布取って来るね!あとグリスも呼んで来る!」
「あぁ!そうしといておくれ!…うーむ、なんて名前で売ろうかね…万能呪い治し?」

 色々とぶつくさ呟く師匠を背に、レンリエッタは調剤の間を後にするとグリスを呼びにキッチンへと向かった。キッチンに彼の姿は見えなかったが、部屋の角から下に通ずるハッチから悪戦苦闘の声が漏れている…
 どうやら下の備蓄庫で色々と苦労しているらしい。チューチューとネズミの鳴き声も聞こえてきた。

「あぁ!そんな!ひど過ぎます!!なんですかこの有様は!!まるでネズミの御手洗いではありませんか!ほら!この……出て行きなさい!!」
「グリス―?ねぇ、だいじょうぶ?」
「え?お嬢様!?いけません!こっちに来ては!!」
「うぅっぐぷ!?ひどい…なにこれ……どこもかしこも…うぅう…かびだらけ…」

 レンリエッタが開いたハッチから薄暗い備蓄庫を覗いてみると、そこもまた酷い有様だった。長らく放置されていたであろう様々な食材だったものたちがひしめきあい、見えるはカビとカビとカビ…まるでカビの王国だ。
 湿った暖かく、酷い匂いが鼻を突き…床に散らばるのはネズミの糞と食べカス。きっとネズミ捕りに入った猫ですら舌を噛みきって自殺するであろう恐ろしき魔窟であった。
 そしてそのような地獄の中で戦うグリスは傘を片手にネズミを叩き飛ばして追い払っていた。

「こんな場所の空気を吸っては肺を悪くしてしまいます!」
「だけど…先生が街に行くって…!」
「街に向かわれるのですね!分かりました!私めは…ふん!!区切りをつけたら…この!!直ぐに上がりますので!!…あぁ!!まったく!街で殺鼠剤を買ったらお前等を地獄に叩き落としてやるからな!!……あっ」
「………今のは聞かなかった事にしとくね」
「お嬢様!!あぁ!なんてことを…私めはお嬢様の前で汚い言葉を…!」

 床下で嘆くグリスを放っておき、笑いを堪えながらレンリエッタは部屋へと財布を取りに向かった。
 またあの楽しいサタニズム街に行けると考えれば、うきうきと心が湧いて来る。魔法の修行など吹っ飛んでしまうほどに楽しみだった。

つづく…
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