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第2章
第2章 多島海 5
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5 騎士ゲイザー
ヘムルト・ゲイザーという名の若い騎士がいた。
帝国の三王国の一つ、東方に位置するエステルラーヘン王国に仕える王朝騎士団に所属していた。
生家は代々騎士の家系であり、騎士団に所属する下級の戦士ではなく、正規の騎士である。
10代から父親の友人である騎士に仕えて修行して、20歳になるころには認められて正規の騎士に任じられた。
若くとも騎士であるから20人ほどの部下をもち、有事には戦場に出る義務を負っていた。
初陣は上納を怠った地方領主への懲罰のための出兵だった。
敵の兵士は容赦なく殺した。生かす必要はない。
しかし騎士は捕らえた。身代金を取るためである。
庶民は女子供関係なく殺した。守る義務はないからだ。
しかし騎士や貴人の女性は丁重に扱った。
もちろん身代金のためもあるが、騎士は高貴な女性を助けるのが義務なのだ。
騎士が守るべきなのはあくまで貴人と貴婦人。
庶民は人間ではない。殺してもまた増える。消耗品である。
弱者を助ける義務はない。
騎士が守るべきものは主君と貴人なのだ。それ以外は価値がない。
それがこの世界の騎士道なのだった。
吟遊詩人の歌う騎士物語を思い返してみよう。
騎士に助けられ、守られるのは常に美しい姫だ。
あるいは高貴な美女。
一部の人は騎士という言葉に夢を見る。
しかし、現実は冷酷なのだ。
ヘムルト・ゲイザーは功績を上げ続け、評価も上がり部下も増えた。
若年だが一介の騎士というレベルを超え始めていた。
そして、直接の主君であるエステルラレン王の第一王子ヘインリヒの出征に付き従うことになった。
ヘインリヒは聡明な王子で勇気も持ち合わせている……と評判だった。
金髪をたなびかせて白馬に跨る姿はまさに王者の相があった。
ヘムルト・ゲイザーはそれを誇りに思い、意気揚々と出撃した。
向かう先は海賊の島。
王国へ向かう貴重な品を運んだ交易船をたびたび襲い奪ったという。
邪悪な海の民を討つ。
ゲイザーも軍船の一隻に部下とともに乗り込み、目的地へ向かった。
奴隷頭の合図とともに櫂が一斉に持ち上げられ海面を叩く。
リズムの合わない奴隷には容赦なく鞭が飛ぶ。
王国の軍船の多くは二段櫂船と呼ばれる大型のガレー船で、片側25人づつの漕ぎ手が上下2段の甲板に並んで櫂を漕ぐものだ。
漕ぎ手は主に奴隷あるいは罪人で、基本的に人間としては認められてはいない。
待遇は劣悪で、ゲイザーの立っている三段目の上甲板まで、漕ぎ手たちの体臭が風に乗って流れてくる。
食事も排泄も睡眠も全てその場で行われるからだ。
鉄枷で繋がれた彼らに自由はなく、もしも船が沈む時があれば……彼らは船と運命を共にすることになる。
いつか解放される時期まで生き延びることができれば……可能性は限りなく低いが、再び庶民としての生活を取り戻すことができる。
その微かな夢を見ながら漕ぎ手は櫂を漕ぐのだ。
ゲイザーの視界には10隻の二段櫂船が海を滑るように走っている。
一隻当たり漕ぎ手は100人、ゲイザーたちのような戦闘員が30人。
つまり、戦闘員は300人。かなりの戦力である。
完全武装の騎士と戦士を相手にするには、海賊ならその数倍以上は人数を揃えなければ相手にならない。
装備がまるで違うのだ。
艦隊の先頭を走る二段櫂船のマストにはエステルレン王国旗が翻り、ヘインリヒ王子座乗船であることを示している。
負ける要素はなかった。
目的地の海賊島へ向かう途中を遮るものはなかった、。
一度、三角帆の小型船とすれ違ったが、こちらを見ると慌てて逃げるように離れていった。
海賊の仲間かも知れなかったが、例え仲間を呼んでも踏みつぶすのみ。
しかし、海賊の待ち伏せはなかった。
目標の海賊の根拠地はあまり大きない港で、木製の桟橋が3本伸びるだけのこじんまりしたものだった。
平甲板のあまり大きない船が3隻ほど見えるだけで、他は出払っているようである。
港の奥にはやや大きめの村があり、幾つか大きめの倉庫が目に付く程度だ。
旗艦の軍旗が降られる。
突撃だ。
二段櫂船たちは荒々しく次々に港に突っ込み、上陸を始めた。
驚いた表情の港湾労働者がいたが槍を突き立てた。
慌てて立ち上がる他の労働者には矢が突き刺さった。
続々と上陸していく兵士たちは当たるを幸いに目に付いた人々を斬り捨てる。
相手は海賊とその一党なのだ。容赦することはない。
とっさに小さな子供を庇った女を子供ごと斧でたたき割る。
あるものは殺した相手の装飾品を奪い、あるものは若い娘を捕えていく。
略奪は兵士の権利だ。
ときおり抵抗を見せる相手もすぐに肉塊になった。
「ゲイザー隊、前へ!」
港の奥は緩やかな斜面になっておりやや大きな家々が建っている。
首領はあそこであろうか。
ゲイザーは部下たちとともに駆けあがる。
急襲に海賊たちは慌てふためいているようだった。
不思議なことに戦闘員は少ないようで、女子供が目立つ。
ゲイザーたちが最も大きな家に辿り着こうかというその時、先頭を走っていた兵士が真っ二つになった。
文字通り、上半身が袈裟懸けに綺麗に斬り取られていた。
次に鈑金鎧姿の騎士見習いが胸を貫かれて倒れる。
そこには腰の曲がった影が立っていた。
腰ほどに届くような銀色の長い髪を無造作に垂らした細い影は、老婆だった。
蛮族の民族衣装らしい動きにくそうな服装だ。
盾を持たずに細身の長剣を握っている。
槍を持った兵士が前に出るが、老婆は軽やかにその穂先を切り落とすと、さらに踏み込んで兵士を唐竹割に斬った。
そこに飛び掛かった別な騎士は細剣で喉元を貫かれた。
老婆の動きは舞うような華麗さで動き、剣を力強く振るう。
剣の動きが円を作るような軌跡を描くたびに、血飛沫が散る。
「あたしの前に立つと死ぬよ」
少し枯れた、そして良く通る声が響く。
何が起こっているのか判らない。
老婆がこちらを見る。
細く切れ長の目、長くとがった耳、伝説に聞くエルフの特徴のそれだった。
「テリューの村にちょっかい出すなんてさ」
老婆が細剣を構えた瞬間、風切り音がした。
ゲイザーはとっさに盾を構えたのだが、胸甲に黒塗りの太矢が突き刺さっていた。
ほんの僅かな隙間を狙ったものなのか、流れ矢なのか。
それを考える間に、彼の意識は途絶えた。
「気が付いたみたい」
若い、というより幼い声がした。
女の声だった。
せいぜい10歳かそこらだろうか。
綿飴のようなふわふわの金色の髪の少女がゲイザーの顔を覗き込んでいた。
蛮族らしい衣装を着ているので、おそらくは土地の人間なのだろう。
ゲイザーは床に寝かされているようだった。
いや。土間の上に木の板が敷かれていて、その上に横たえられている。
鎧は剥ぎ取られているようで、下着になっているシャツとズボンだけである。
すぐには状況が把握できなかったが、太矢が撃ち込まれたはずの胸に手を当てた。
傷がない。
塞がっているとかではなく、全くないのだ。
ただし、シャツには貫かれた跡であろう穴が開いている。
軽々と人差し指が入るほどだ。
「もう、痛くないよね?」
少女がふんわりとほ微笑む。
これだけだったら教会の天井に描かれた天使の絵を思いだしそうだった。
「その娘に感謝しなよ」
枯れた声。件の老婆だった。
皺だらけの顔に宿る瞳の色はあくまで鋭い。
「あたしの前にいたら殺しておいたんだけどねえ」
左手には不思議な鋭さを見せた細剣が鞘に入った状態で握られていた。
「殺したつもりだったんですがね」
老婆の隣で胡坐をかいた細身の男が、手に持った弩の具合を確認している。
「意外と硬い鎧でしたな」
「腕が落ちたんじゃないのかい?」
老婆が意地悪そうに笑う。
「それか余程の筋肉だったのかですな」
男は動じた様子がない。
「……まだ痛いの?」
少女がゲイザーの額を撫でる。
小さな手だった。
ヘムルト・ゲイザーという名の若い騎士がいた。
帝国の三王国の一つ、東方に位置するエステルラーヘン王国に仕える王朝騎士団に所属していた。
生家は代々騎士の家系であり、騎士団に所属する下級の戦士ではなく、正規の騎士である。
10代から父親の友人である騎士に仕えて修行して、20歳になるころには認められて正規の騎士に任じられた。
若くとも騎士であるから20人ほどの部下をもち、有事には戦場に出る義務を負っていた。
初陣は上納を怠った地方領主への懲罰のための出兵だった。
敵の兵士は容赦なく殺した。生かす必要はない。
しかし騎士は捕らえた。身代金を取るためである。
庶民は女子供関係なく殺した。守る義務はないからだ。
しかし騎士や貴人の女性は丁重に扱った。
もちろん身代金のためもあるが、騎士は高貴な女性を助けるのが義務なのだ。
騎士が守るべきなのはあくまで貴人と貴婦人。
庶民は人間ではない。殺してもまた増える。消耗品である。
弱者を助ける義務はない。
騎士が守るべきものは主君と貴人なのだ。それ以外は価値がない。
それがこの世界の騎士道なのだった。
吟遊詩人の歌う騎士物語を思い返してみよう。
騎士に助けられ、守られるのは常に美しい姫だ。
あるいは高貴な美女。
一部の人は騎士という言葉に夢を見る。
しかし、現実は冷酷なのだ。
ヘムルト・ゲイザーは功績を上げ続け、評価も上がり部下も増えた。
若年だが一介の騎士というレベルを超え始めていた。
そして、直接の主君であるエステルラレン王の第一王子ヘインリヒの出征に付き従うことになった。
ヘインリヒは聡明な王子で勇気も持ち合わせている……と評判だった。
金髪をたなびかせて白馬に跨る姿はまさに王者の相があった。
ヘムルト・ゲイザーはそれを誇りに思い、意気揚々と出撃した。
向かう先は海賊の島。
王国へ向かう貴重な品を運んだ交易船をたびたび襲い奪ったという。
邪悪な海の民を討つ。
ゲイザーも軍船の一隻に部下とともに乗り込み、目的地へ向かった。
奴隷頭の合図とともに櫂が一斉に持ち上げられ海面を叩く。
リズムの合わない奴隷には容赦なく鞭が飛ぶ。
王国の軍船の多くは二段櫂船と呼ばれる大型のガレー船で、片側25人づつの漕ぎ手が上下2段の甲板に並んで櫂を漕ぐものだ。
漕ぎ手は主に奴隷あるいは罪人で、基本的に人間としては認められてはいない。
待遇は劣悪で、ゲイザーの立っている三段目の上甲板まで、漕ぎ手たちの体臭が風に乗って流れてくる。
食事も排泄も睡眠も全てその場で行われるからだ。
鉄枷で繋がれた彼らに自由はなく、もしも船が沈む時があれば……彼らは船と運命を共にすることになる。
いつか解放される時期まで生き延びることができれば……可能性は限りなく低いが、再び庶民としての生活を取り戻すことができる。
その微かな夢を見ながら漕ぎ手は櫂を漕ぐのだ。
ゲイザーの視界には10隻の二段櫂船が海を滑るように走っている。
一隻当たり漕ぎ手は100人、ゲイザーたちのような戦闘員が30人。
つまり、戦闘員は300人。かなりの戦力である。
完全武装の騎士と戦士を相手にするには、海賊ならその数倍以上は人数を揃えなければ相手にならない。
装備がまるで違うのだ。
艦隊の先頭を走る二段櫂船のマストにはエステルレン王国旗が翻り、ヘインリヒ王子座乗船であることを示している。
負ける要素はなかった。
目的地の海賊島へ向かう途中を遮るものはなかった、。
一度、三角帆の小型船とすれ違ったが、こちらを見ると慌てて逃げるように離れていった。
海賊の仲間かも知れなかったが、例え仲間を呼んでも踏みつぶすのみ。
しかし、海賊の待ち伏せはなかった。
目標の海賊の根拠地はあまり大きない港で、木製の桟橋が3本伸びるだけのこじんまりしたものだった。
平甲板のあまり大きない船が3隻ほど見えるだけで、他は出払っているようである。
港の奥にはやや大きめの村があり、幾つか大きめの倉庫が目に付く程度だ。
旗艦の軍旗が降られる。
突撃だ。
二段櫂船たちは荒々しく次々に港に突っ込み、上陸を始めた。
驚いた表情の港湾労働者がいたが槍を突き立てた。
慌てて立ち上がる他の労働者には矢が突き刺さった。
続々と上陸していく兵士たちは当たるを幸いに目に付いた人々を斬り捨てる。
相手は海賊とその一党なのだ。容赦することはない。
とっさに小さな子供を庇った女を子供ごと斧でたたき割る。
あるものは殺した相手の装飾品を奪い、あるものは若い娘を捕えていく。
略奪は兵士の権利だ。
ときおり抵抗を見せる相手もすぐに肉塊になった。
「ゲイザー隊、前へ!」
港の奥は緩やかな斜面になっておりやや大きな家々が建っている。
首領はあそこであろうか。
ゲイザーは部下たちとともに駆けあがる。
急襲に海賊たちは慌てふためいているようだった。
不思議なことに戦闘員は少ないようで、女子供が目立つ。
ゲイザーたちが最も大きな家に辿り着こうかというその時、先頭を走っていた兵士が真っ二つになった。
文字通り、上半身が袈裟懸けに綺麗に斬り取られていた。
次に鈑金鎧姿の騎士見習いが胸を貫かれて倒れる。
そこには腰の曲がった影が立っていた。
腰ほどに届くような銀色の長い髪を無造作に垂らした細い影は、老婆だった。
蛮族の民族衣装らしい動きにくそうな服装だ。
盾を持たずに細身の長剣を握っている。
槍を持った兵士が前に出るが、老婆は軽やかにその穂先を切り落とすと、さらに踏み込んで兵士を唐竹割に斬った。
そこに飛び掛かった別な騎士は細剣で喉元を貫かれた。
老婆の動きは舞うような華麗さで動き、剣を力強く振るう。
剣の動きが円を作るような軌跡を描くたびに、血飛沫が散る。
「あたしの前に立つと死ぬよ」
少し枯れた、そして良く通る声が響く。
何が起こっているのか判らない。
老婆がこちらを見る。
細く切れ長の目、長くとがった耳、伝説に聞くエルフの特徴のそれだった。
「テリューの村にちょっかい出すなんてさ」
老婆が細剣を構えた瞬間、風切り音がした。
ゲイザーはとっさに盾を構えたのだが、胸甲に黒塗りの太矢が突き刺さっていた。
ほんの僅かな隙間を狙ったものなのか、流れ矢なのか。
それを考える間に、彼の意識は途絶えた。
「気が付いたみたい」
若い、というより幼い声がした。
女の声だった。
せいぜい10歳かそこらだろうか。
綿飴のようなふわふわの金色の髪の少女がゲイザーの顔を覗き込んでいた。
蛮族らしい衣装を着ているので、おそらくは土地の人間なのだろう。
ゲイザーは床に寝かされているようだった。
いや。土間の上に木の板が敷かれていて、その上に横たえられている。
鎧は剥ぎ取られているようで、下着になっているシャツとズボンだけである。
すぐには状況が把握できなかったが、太矢が撃ち込まれたはずの胸に手を当てた。
傷がない。
塞がっているとかではなく、全くないのだ。
ただし、シャツには貫かれた跡であろう穴が開いている。
軽々と人差し指が入るほどだ。
「もう、痛くないよね?」
少女がふんわりとほ微笑む。
これだけだったら教会の天井に描かれた天使の絵を思いだしそうだった。
「その娘に感謝しなよ」
枯れた声。件の老婆だった。
皺だらけの顔に宿る瞳の色はあくまで鋭い。
「あたしの前にいたら殺しておいたんだけどねえ」
左手には不思議な鋭さを見せた細剣が鞘に入った状態で握られていた。
「殺したつもりだったんですがね」
老婆の隣で胡坐をかいた細身の男が、手に持った弩の具合を確認している。
「意外と硬い鎧でしたな」
「腕が落ちたんじゃないのかい?」
老婆が意地悪そうに笑う。
「それか余程の筋肉だったのかですな」
男は動じた様子がない。
「……まだ痛いの?」
少女がゲイザーの額を撫でる。
小さな手だった。
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