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第2章

第2章 多島海 4

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4 温泉のせい

「わー。結構、本格的ーっ!」
 沙那が感嘆の声を上げた。
 なぜ階段があるのかと思ったら、女湯は覗けないように高い位置にあるのだった。
 彼女の知る日本の温泉郷にも劣らない作りにかなり驚いた。
 手早く服を脱ぐとさっさと脱衣所を出てくる。
 入浴時に躊躇なく裸になれるのは日本人らしい気質だった。
 この世界でタオルを湯船に入れてはいけないのかは判らないが、そこは習慣である。
 ごく自然に掛湯をして、割と大きな円形の浴槽に足を入れる。
 気分はちょっとワイルドな健康ランドだ。
 そして立ち込める湯気の先には……先客がいた。
 浴槽の縁に並んだ岩に腰掛けてぼんやりとこちらを見ている少女。
 沙那に負けず劣らず、膝まであるような軽くウェーブのかかった薄青色の長い髪をそのまま垂らしている。
 濡れた髪が体に巻き付くように要所要所を隠している。
 沙那より少し年上くらいか。
 それでも沙那並みに発達した胸はかなり珍しい。
「あ。こんにちはー!」
 沙那が元気よく声をかける。
 あまり人見知りしないのが沙那の長所だ。
「……」
 しかし少女は視線を沙那に向けた程度で、無言でじっとしている。
「い、いーお湯だねーっ」
 沙那は愛想笑いしてみた。
 恥ずかしがり屋さんなのかな?と思った。
 比較的おとなしい日本人でも会釈くらいは返すものなのに、とも思った。
「あたしが……見えるの……?」
 きゃんゆーしーみー?
 短く簡単な言葉だ。
 駅前留学のCMみたいだなと沙那はどうでもいいことを考えた。
「だ、だいじょーぶ!全部は見えてないからっ!だいたいおなじようーなものしかないから気にしないっ!」
「……見えてない?の?」
「ボク、そっちの趣味ないから安心安全だからー!」
「…………?」
「おっぱいは、ご、互角!差はないよっ!」
「…………」
 少女は不思議そうに沙那を見つめ続けた。
「そ、それ以上は見てないっ!見てないからねーっ!?」
「さにゃちゃん。独り言……?」
 少し遅れてマリエッラが入ってきた。
「一人漫才か何かと思ったりもしたけど……」
 マリエッラは腕で前を隠しつつ腰を屈める。
「にゃ?」
「岩に向かって何か話しかけてるように見えたから」
「にゃ?にゃ?にゃ?」
 沙那が首を傾げる。
 入浴用にアップに纏めたピンクブロンド色の髪から跳ねた部分がピョコピョコ揺れた
「……先客の人が」
 沙那は少女を指さした。
「……どこに?」
 マリエッラが訊き返す。
「ここに。ボクみたいなおっぱいの子が……」
「いないと思うけど」
「にゃにゃ!?」
 沙那は少女を凝視した。
 そしてマリエッラを見た。
「見えない?」
「見えないと思う」
 少女が応える。
「あたし……精霊だから」
「にゃあ!?」
「普通は見えない。あなたは何で見えるの?……エルフだから?」
「にゃにゃにゃーっ!?!?」
 沙那は不思議なポーズをとった。
 理解が追い付かない。
「精霊って……何の?」
 恐る恐る尋ねる。
「泉の。……より正確に言えば温泉の精霊」
「……おばけ?」
「おばけ、違う。精霊」
「え。ええええええええええええーっっ!?」
 沙那はついに不思議な踊りを踊った。
 その様子にマリエッラがまじまじと沙那を見つめる。
「もしかして。……何か見えてるのぉ?」
「うん!おばけ!」
「おばけ違う……」
 沙那が目をグルグル回す。
 ぽくぽくぽく……ちーん!
「おーけー。精霊。うん。でも、ダウトっ!」
 沙那は少女にぐいっと顔を近づけた。
「精霊はもやもや。形があるのは妖精。おーけい?」
「……じゃ、妖精」
 少女の声は平坦だ。
「じゃ、って何ー!?じゃ、って」
「そっちが理解しやすい方で良い」
「うにゃ~~~~~~っ!?」
 沙那が頭を抱える。
 その様子にマリエッラも何かを理解した。
「……さにゃちゃん。妖精が見えるのねぇ」
「らしいーっ!?でも、裸っ裸っ!」
 マリエッラは目の前で起きている状況を笑わない。
「妖精は、自分を見てもらいたい相手にだけ姿を見せるというわよぉ」
「え……」
 沙那はまじまじと少女を見つめる。
「……この妖精さんは、ボクに裸を見せたいってことー?痴女!?」
「……それ違う」
 少女はほんの少しだけ困惑したようだった。


「クロちゃーん!!」
 沙那は浴槽から身を乗り出して、数メートル崖下の男湯に向かって叫んだ。
「きゃー!さにゃのえっちー!痴女っスー!」
「ちがーうっ!」
 手で体を隠してクネクネするクローリーに木桶を投げつける。
「ってーか。どーしたっスか?丸見えになるっスよー?」
「聞いて聞いてーっ!上に妖精さんいたのーっ」
「妖精?」
「そー!裸の女の人ーっ!」
「うお!?何それ、見たいっス!……あ、さにゃはどうでも良いスが、マリねえさんは是非」
「ちょっと来てっ!」
 沙那が手をぶんぶん振った。
「……それやったらマリねえさんに殺されるっス」

「……妖精なあ」
「おんや?船長キャプテン何かご存じスか?」
「いんや。そういう伝説があるって話は聞いたことあるなあと思ってな」
「ほー?」
 クローリーは上できゃあきゃあ何か叫んでいる沙那を無視してリンザットを見る。
 冒険者であるクローリー以上に各地を見聞してきたであろう船乗りには色んな情報があってもおかしくはない。
 もっとも、船乗りの話の多くは酔っ払いの与太話であるのだが。
 昔は船乗りの法螺話でしかなかった人魚の実在が確認されたりなどの事例もあるのだ。
「今のテリリンカの礎を作ったテリューは、島の精霊と契約して街を作ったってな」
「精霊と……契約っスか……どんな?」
「さあ?お伽噺さ」
 リンザットは凝った首を回した。
「精霊がいたとしても、人間と何を約束するってんだ?契約ってのはお互いメリットがあって成立するんだぜ?」
「……ま、そりゃそーっスな」
「意外と、さにゃが子供だったかとか?」
 シュラハトがつまらなさそうに口を挟む。
「だいたい俺の故郷じゃ、精霊とか妖精は子供にしか見ることができないっていうぜ」
「おー。なるほどっス!たしかに子供っスな」
 クローリーは合点がいったというように手を叩いた。
 その間抜けな様子を見ながら、シュラハトは顔を温かい濡れたタオルで拭う。
 どこか遠くを見るような目だった。 
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