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第2章
第2章 多島海 2
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2 出航
クローリーたちはアダマストール号の船尾楼へと案内された。
そこには船長室と並んで客用の空間がある。
船室としてはかなり上等な部類ではあるとはいえ屋敷の客間のようなものとは比べ物にならない。
下級の宿屋と思えばだいたい正しい。
ベッドがあるだけマシとしか言いようがない。
アレキサンダー邸の客間1部屋分ほどの空間に二段ベッドが2つ。小さな丸テーブルが一つと粗末な椅子が2つ。クローゼットはない。
それが全てであった。
人間の輸送はあくまでオマケでしかない。
何より火災が一番怖いので可燃物を少なめにしてあるのだ。
洋上で寝煙草で出火、延焼なんてことになったら目も当てられない。
船の危険度が桁違いなのだ。
そして、少し困ったのは男女で分けられていないことだった。
もちろん判ってはいたので屋敷から衝立を持ってきてはいるのだが、些か心許ない。
「あ。さにゃや。船にお風呂はないっスからな」
クローリーがこともなげに言った。
船で水は貴重品である。
飲み水だけでもかなりの量になるのに、洗い水などに使う余裕はない。
海上では塩水なら無限だが体を洗うのに向いているとは言えない。髪の毛は傷んでしまうだろう。
「雨が降ったら風呂代わりになるかもしれないっスが」
クローリーがへらっと笑う。
「他の人には丸見えになるっスなー」
「むー?」
「あ。さにゃはどうでも良いっス。マリねえさんのサービスが……って、痛っ痛ぇっ!だから叩くなっス!?」
沙那のパンチは容赦のないグーだ。
「まあ。多少の不便は覚悟してくれってことだな」
シュラハトが立って壁に寄りかかりながら笑う。止めない。
「それでも途中に町に寄ったりするから大丈夫よぉ」
マリエッラもくすくす笑う。
クローリーと沙那の兄弟みたいなじゃれあいが可愛いらしい。
「……バカ言ってんじゃねえぞ」
シュラハトがクローリーの頭をごつんと殴った。
「ほら、船長のとこへ行くぞ」
クローリーの首根っこを捕まえて、ずりずりと引きずっていく。
「ちょ。オレは猫じゃねーっス」
「ああ。そうだな。亀だったな、出歯亀っていう名のな」
「変なイメージつけるなっス!?」
シュラハトは決して小柄とは言えないクローリーを容易く引っ張っていった。
「くすくす。あれでもクロはさにゃちゃんの気を紛らわせようとしてるつもりなのよぉ」
「……そーお?」
「シュラさんもそれは判ってるはずよ。……まったく子供なんだから男どもは」
「そっかなあ?」
沙那は荷物をベッドの上に投げた。
荷物といっても中身は僅かなものだ。
この世界に飛ばされた(彼女は未だに夢の中と思っていたが)時に持っていたものはポケットの中にあるものくらいで、この世界のお金も持ち合わせていない沙那は買い物も碌にできなかったので個人的な持ち物がほとんどなかったのだ。
あるものといえばバッテリーの切れたスマホ、日本円が入った財布、パスケース、ポケットティッシュ、小さなハンドポーチにソーイングセット、同様にちっちゃなコスメセット……ヘアピン数本とペンギン柄の絆創膏が数枚。
あとはおやつの小袋入りのキャンディ数個。
アレキサンダー邸で貰った旅行用の革袋一つに僅かな着替えと一緒に入り切ってしまうほどだ。
「船って思ったより不便だねー」
何より思っていたよりもだいぶ小さい。
この世界では十分に大きい部類の船だったのだが、帝国広しといえど2000トンを超える船が数えるほどしかない世界と、数十万トンの超大型タンカーや10万トン以上の豪華客船がゴロゴロ存在する沙那の知る世界ではあまりにも違いすぎた。
たまに見かけることもあるフェリーですらこの船と比べ物にならないほど大きい。
沙那は社会科見学で乗船した木造の復元船をちらっと思い出した。
あれよりはだいぶ大きい。
「それでも一番上の方の甲板にあるんだから船長もかなり気を利かせてるのよぉ」
船の一番上の甲板より高い位置に作られた後尾楼のさらに2階層目というのは隣は船長室で、下の甲板からは覗かれる心配がない高い位置なのだ。
「それに……」
マリエッラも自分の荷物を床に置く。
「どこかへ直行するのじゃなくて途中途中に交易で寄港するから、いろんな処へ行けるしいろんなものが見られるわよぉ」
「へー。じゃあ、最初はどんなところにいくのー?」
「えーっと……」
そこに太い声が割り込む。
「次は多島海だな。その玄関口のテリリンカ、なかなか奇麗な島だ」
リンザットが客室の入り口に立っていた。
「女の子がいる部屋に……ノックくらいしなさいよ」
「脱いでたわけじゃないなら良いだろう?」
リンザットが片目を瞑る。
「どんなとこ―?」
「けっこう大きな火山があって温泉が出るところだ。主要な航路が4本合流したところだから4つの腕って呼ばれてもいるな。多島海への交易船の出入り口さ」
「……お・ん・せ・ん!?」
沙那の目が煌めいた。
温泉=お風呂と認識したのだ。
「近いの?すぐ着くのー?」
「2日くらいかな」
この地域の船は洋上航行しない。というよりできない。
測量技術が未発達なのと、正確な海図がないからだ。
そのため。陸地が見えるように海岸に沿って航行するのが一般的である。
海しか見えない洋上を航行しようものなら船員がパニックを起こしかねない。
海の先は煮えたぎる海になっているか、巨大な滝があって地獄へと落ちてしまうのか、未だ良く判っていないのだ。
「お風呂入れるね!?」
「……まあな、妖精に嫌われなければな」
「妖精……?」
「ああ。まずは風だ。風の妖精の気分次第で船の速度が変わる」
「むむー……?」
沙那は承服しかねた。が、無理矢理自分を納得させる。
風は地形や天候によって変わるもので、妖精がどうとかあり得ない。
……あり得ないのだが、この夢の中は魔法があるくらいだから妖精さんがいたっておかしくはない。
そう。ここは夢の中なのだから。
それにどうせなら妖精に会ってみたかった。
シュラハトは船縁に手をかけて出港準備を眺めていた。
船員たちが忙しそうに走り回っている。
船を動かすのは想像以上に大変なのだ。
いったん動き出せばだいぶ楽に……何事も起きなければだが、暇を潰す方法を考える方が大変だ。
それでも一度の大量の荷物を運ぶのは船が最も効率が良いのだ。
陸上を荷馬車で運ぶ場合と比較すると、作業者一人当たりの運搬量は概ね100倍という。
水路さえあれば効率よくモノを運べるのだ。
その代わり運航するのに結構な人数を必要とするので個人商人では、なかなか維持が難しい。
運河や川では艀のようなものを使うのはそのせいだ。
「ちゃんと気を遣って衝立運んできたくせにな」
隣で甲板にだらしなく座るクローリーを見る。
「あれはオレの逞しい体を女たちにみせないようにっスよ」
と、しらばっくれる。
「クロちゃんの立派なものがっ!……って惚れられても困るっス」
クローリーはいやんいやんと体をくねらせる。
「アホか」
「ま。オレも船旅はめったにないっスから。少しドキドキしてるのもあるっス」
「……そうだな」
「シュラさんは少しあるみたいッスが」
「まあな」
シュラハトは少し遠い目をした。
それをクローリーは見てみないふりをする。
そこそこ付き合いのあるクローリーには掛けるべき言葉がないのだ。
「オレは硫黄とか色々と構成要素を安く仕入れる目的もあるっスしね」
「それだけか?」
「あとはさにゃが、なんか面白そうな騒ぎを起こしてくれることを期待してっるスな」
「……やめてくれ」
シュラハトは肩を竦める。
「シュラさんね。オレはさにゃがこの閉塞した世界を変える突破口になるんじゃないかって感じるんスよ」
「……はあ?」
「あの娘は引き籠らないで勝手に突っ走りそうなんで期待してるんス」
「無茶苦茶だな」
クローリーは立ち上がって伸びをする。
「賢者のね。話を聞いた時、オレはエルフの世界はすごいなって思ったっス」
「法螺を吹いてる可能性もあると思うがな」
「魔術師でもない普通の人が使える魔法。そんなものがあって、便利に暮らせる世界。……オレも最初は半信半疑だったっス」
ロープを数人がかりで曳く船員たちの姿を見る。
みんな潮焼けした浅黒い肌で筋骨隆々としている。
「でも、さにゃにも少し話を聞いたら、わりと同じようなこと言ってるんスよ。固有名詞も同じ国名だから同じ世界のエルフかと思ったんスが……違ってることも結構あるっス」
「そりゃ違う世界から来たんだろうさ」
「いや。そうじゃなくて……ス」
クローリーはシュラハトの目をまっすぐ見た。
「つまり、エルフの世界はいくつも同じように高度な世界があるってことじゃないスか?」
「んん……?」
「悔しいじゃないっスか。オレたちがやってる苦労が要らない世界。さにゃの手足を見ても労働してるような感じじゃないっス」
シュラハトも少し考えるように眉を寄せる。
クローリーが沙那を『王族』とまで思ったほどなのだが、沙那は自分を庶民と言っている
嘘でなければよほど労働の要らない世界なのだ。
そして庶民が学校に通える環境。
「オレたちだって同じように簡単に使える魔法で……もうちょい豊かに暮らしても良いんじゃないかってことっス」
「……まあな」
「そのヒントが一つでも欲しいっス。全部再現できるとは思ってないスけど」
シュラハトは人差し指で自分のこめかみを叩く。
「クロ。それには絶対的に足りないものがあるって思うぞ」
「なんスか?」
「金だよ」
シュラハトは薄っすら微笑んだ。
「何をするにも金は要る。まさか石鹸だけで稼ぎ出せると思ってないよな?」
「……そこ。そこっス」
クローリーはため息を吐いた。
「エルフたちはどうやってその資金を稼ぎ出すんスかねえ」
「わからねえな」
「税金の話をちょっと訊いたんスけど、賢者は収入に応じて税率が高くなるとかで金持ちほど分捕られるみたいなこと言ってたっスな」
「それ……公平性は高いだろうが反乱起きてもおかしかないぞ?裕福な有力者なら傭兵でも雇って抵抗するかもしれねえし」
「……そうなんスよなあ」
「さにゃも同じこと言ってたのか?」
「いやあ。それが……さにゃの話では買い物すると値段の1割を徴収されるって話っス」
「なんだ、それ?」
クローリーとシュラハトは困惑した顔で見つめあった。
2人はもちろん同じ国の話とは思ってもいなかった。
賢者が来た時代の日本では消費税は存在しておらず……代わりに物品税はあったが、累進性の高い所得税が問題になっていたからだ。
バブル景気で収入が増えた層から反発されていたのだ。
そこでインフレ抑制を兼ねて好景気中に導入されたのが大型間接税こと消費税である。
逆に沙那の時代ではデフレに苦しむあまり消費税が問題になっていた。
お小遣いで生活する沙那にとって10%の消費税は大きいうえに、中学生が実感できる税金はそのくらいなのだ。
何より社会人と中学生では税金の感覚が違う。
「まあ、だから、あの2人の世界が似ているけど別の世界だってわかるっス」
それがこの時点でのクローリーの判断だった。
「……でもね、シュラさん。一番不思議なのはその程度の税金で色んなものを作る莫大な費用が捻出できるとはとても思えないんスよ」
領主としてのクローリーにとって最大の疑問はそれだった。
「オレらの世界は税として半分を納めさせてもかつかつス。だから戦争やって奪い取るのが当たり前になってるっス」
「……そうだな」
シュラハトもかつてはそういった戦争や紛争に従事させられたのだ。
「エルフはどうやったんスかねえ。無限に金を作る錬金術でもあるんスかねえ。何か……こう、思考のピースが足りない気がするっスな」
「それじゃあもう何人かエルフを見つければどうだ?」
「それっス!」
クローリーはシュラハトを指さした。
「さにゃたちみたいな戦えないエルフを見つけたら保護してくるっスよ。もしかしたらそこに何かの専門家がいるかも知れないっス」
「……お前、本気か?」
「本気っスよ。シュラさん。そういうのがいたら拾いまくるっス!」
「戦えるエルフを拾う方が早くねえか?」
シュラハトとしてはこの世界の常識を口にする。
作るよりも奪う方が効率的なのは間違いないのだ。
「さにゃも賢者も、何十年も戦争がない国だって言ってたっス。平和で豊かな国が一番スよ」
「そりゃそうだが……」
シュラハトはそう上手くいかないのが世の中であることを知っていた。
豊かで戦わない国が容赦なく踏みにじられるのを見たことがあるのだ。
「俺はな。豊さもそうだが、どうやってエルフの国が戦争を避け続けられたのかって方が気になるぜ」
戦いを仕掛けないのは大事だが、戦いを仕掛けられないようにするのはどうすればよいのか。
守り切れる強さがあれば良いのではないか。
シュラハトは理解している。
異世界召喚者を軍事力として欲しがる国や領主は、攻め込む力と同時に守るための力や抑止力を求めてもいるのだ。
「賢者が言ってた誰にでも使える爆炎魔法っていうのが本当にあれば……可能になるのかもしれねえな」
力に抵抗するには力しかないという悲しい負の連鎖を断ち切ることがどれだけ難しいか。
そこに甲高い金属音が聞こえる。
「船を出すぞー!」
出航をの合図である喇叭の音だった。
ピストンのないトランペットのような楽器の音は景気が良く、2人の沈みかねない思考を吹き飛ばした。
クローリーたちはアダマストール号の船尾楼へと案内された。
そこには船長室と並んで客用の空間がある。
船室としてはかなり上等な部類ではあるとはいえ屋敷の客間のようなものとは比べ物にならない。
下級の宿屋と思えばだいたい正しい。
ベッドがあるだけマシとしか言いようがない。
アレキサンダー邸の客間1部屋分ほどの空間に二段ベッドが2つ。小さな丸テーブルが一つと粗末な椅子が2つ。クローゼットはない。
それが全てであった。
人間の輸送はあくまでオマケでしかない。
何より火災が一番怖いので可燃物を少なめにしてあるのだ。
洋上で寝煙草で出火、延焼なんてことになったら目も当てられない。
船の危険度が桁違いなのだ。
そして、少し困ったのは男女で分けられていないことだった。
もちろん判ってはいたので屋敷から衝立を持ってきてはいるのだが、些か心許ない。
「あ。さにゃや。船にお風呂はないっスからな」
クローリーがこともなげに言った。
船で水は貴重品である。
飲み水だけでもかなりの量になるのに、洗い水などに使う余裕はない。
海上では塩水なら無限だが体を洗うのに向いているとは言えない。髪の毛は傷んでしまうだろう。
「雨が降ったら風呂代わりになるかもしれないっスが」
クローリーがへらっと笑う。
「他の人には丸見えになるっスなー」
「むー?」
「あ。さにゃはどうでも良いっス。マリねえさんのサービスが……って、痛っ痛ぇっ!だから叩くなっス!?」
沙那のパンチは容赦のないグーだ。
「まあ。多少の不便は覚悟してくれってことだな」
シュラハトが立って壁に寄りかかりながら笑う。止めない。
「それでも途中に町に寄ったりするから大丈夫よぉ」
マリエッラもくすくす笑う。
クローリーと沙那の兄弟みたいなじゃれあいが可愛いらしい。
「……バカ言ってんじゃねえぞ」
シュラハトがクローリーの頭をごつんと殴った。
「ほら、船長のとこへ行くぞ」
クローリーの首根っこを捕まえて、ずりずりと引きずっていく。
「ちょ。オレは猫じゃねーっス」
「ああ。そうだな。亀だったな、出歯亀っていう名のな」
「変なイメージつけるなっス!?」
シュラハトは決して小柄とは言えないクローリーを容易く引っ張っていった。
「くすくす。あれでもクロはさにゃちゃんの気を紛らわせようとしてるつもりなのよぉ」
「……そーお?」
「シュラさんもそれは判ってるはずよ。……まったく子供なんだから男どもは」
「そっかなあ?」
沙那は荷物をベッドの上に投げた。
荷物といっても中身は僅かなものだ。
この世界に飛ばされた(彼女は未だに夢の中と思っていたが)時に持っていたものはポケットの中にあるものくらいで、この世界のお金も持ち合わせていない沙那は買い物も碌にできなかったので個人的な持ち物がほとんどなかったのだ。
あるものといえばバッテリーの切れたスマホ、日本円が入った財布、パスケース、ポケットティッシュ、小さなハンドポーチにソーイングセット、同様にちっちゃなコスメセット……ヘアピン数本とペンギン柄の絆創膏が数枚。
あとはおやつの小袋入りのキャンディ数個。
アレキサンダー邸で貰った旅行用の革袋一つに僅かな着替えと一緒に入り切ってしまうほどだ。
「船って思ったより不便だねー」
何より思っていたよりもだいぶ小さい。
この世界では十分に大きい部類の船だったのだが、帝国広しといえど2000トンを超える船が数えるほどしかない世界と、数十万トンの超大型タンカーや10万トン以上の豪華客船がゴロゴロ存在する沙那の知る世界ではあまりにも違いすぎた。
たまに見かけることもあるフェリーですらこの船と比べ物にならないほど大きい。
沙那は社会科見学で乗船した木造の復元船をちらっと思い出した。
あれよりはだいぶ大きい。
「それでも一番上の方の甲板にあるんだから船長もかなり気を利かせてるのよぉ」
船の一番上の甲板より高い位置に作られた後尾楼のさらに2階層目というのは隣は船長室で、下の甲板からは覗かれる心配がない高い位置なのだ。
「それに……」
マリエッラも自分の荷物を床に置く。
「どこかへ直行するのじゃなくて途中途中に交易で寄港するから、いろんな処へ行けるしいろんなものが見られるわよぉ」
「へー。じゃあ、最初はどんなところにいくのー?」
「えーっと……」
そこに太い声が割り込む。
「次は多島海だな。その玄関口のテリリンカ、なかなか奇麗な島だ」
リンザットが客室の入り口に立っていた。
「女の子がいる部屋に……ノックくらいしなさいよ」
「脱いでたわけじゃないなら良いだろう?」
リンザットが片目を瞑る。
「どんなとこ―?」
「けっこう大きな火山があって温泉が出るところだ。主要な航路が4本合流したところだから4つの腕って呼ばれてもいるな。多島海への交易船の出入り口さ」
「……お・ん・せ・ん!?」
沙那の目が煌めいた。
温泉=お風呂と認識したのだ。
「近いの?すぐ着くのー?」
「2日くらいかな」
この地域の船は洋上航行しない。というよりできない。
測量技術が未発達なのと、正確な海図がないからだ。
そのため。陸地が見えるように海岸に沿って航行するのが一般的である。
海しか見えない洋上を航行しようものなら船員がパニックを起こしかねない。
海の先は煮えたぎる海になっているか、巨大な滝があって地獄へと落ちてしまうのか、未だ良く判っていないのだ。
「お風呂入れるね!?」
「……まあな、妖精に嫌われなければな」
「妖精……?」
「ああ。まずは風だ。風の妖精の気分次第で船の速度が変わる」
「むむー……?」
沙那は承服しかねた。が、無理矢理自分を納得させる。
風は地形や天候によって変わるもので、妖精がどうとかあり得ない。
……あり得ないのだが、この夢の中は魔法があるくらいだから妖精さんがいたっておかしくはない。
そう。ここは夢の中なのだから。
それにどうせなら妖精に会ってみたかった。
シュラハトは船縁に手をかけて出港準備を眺めていた。
船員たちが忙しそうに走り回っている。
船を動かすのは想像以上に大変なのだ。
いったん動き出せばだいぶ楽に……何事も起きなければだが、暇を潰す方法を考える方が大変だ。
それでも一度の大量の荷物を運ぶのは船が最も効率が良いのだ。
陸上を荷馬車で運ぶ場合と比較すると、作業者一人当たりの運搬量は概ね100倍という。
水路さえあれば効率よくモノを運べるのだ。
その代わり運航するのに結構な人数を必要とするので個人商人では、なかなか維持が難しい。
運河や川では艀のようなものを使うのはそのせいだ。
「ちゃんと気を遣って衝立運んできたくせにな」
隣で甲板にだらしなく座るクローリーを見る。
「あれはオレの逞しい体を女たちにみせないようにっスよ」
と、しらばっくれる。
「クロちゃんの立派なものがっ!……って惚れられても困るっス」
クローリーはいやんいやんと体をくねらせる。
「アホか」
「ま。オレも船旅はめったにないっスから。少しドキドキしてるのもあるっス」
「……そうだな」
「シュラさんは少しあるみたいッスが」
「まあな」
シュラハトは少し遠い目をした。
それをクローリーは見てみないふりをする。
そこそこ付き合いのあるクローリーには掛けるべき言葉がないのだ。
「オレは硫黄とか色々と構成要素を安く仕入れる目的もあるっスしね」
「それだけか?」
「あとはさにゃが、なんか面白そうな騒ぎを起こしてくれることを期待してっるスな」
「……やめてくれ」
シュラハトは肩を竦める。
「シュラさんね。オレはさにゃがこの閉塞した世界を変える突破口になるんじゃないかって感じるんスよ」
「……はあ?」
「あの娘は引き籠らないで勝手に突っ走りそうなんで期待してるんス」
「無茶苦茶だな」
クローリーは立ち上がって伸びをする。
「賢者のね。話を聞いた時、オレはエルフの世界はすごいなって思ったっス」
「法螺を吹いてる可能性もあると思うがな」
「魔術師でもない普通の人が使える魔法。そんなものがあって、便利に暮らせる世界。……オレも最初は半信半疑だったっス」
ロープを数人がかりで曳く船員たちの姿を見る。
みんな潮焼けした浅黒い肌で筋骨隆々としている。
「でも、さにゃにも少し話を聞いたら、わりと同じようなこと言ってるんスよ。固有名詞も同じ国名だから同じ世界のエルフかと思ったんスが……違ってることも結構あるっス」
「そりゃ違う世界から来たんだろうさ」
「いや。そうじゃなくて……ス」
クローリーはシュラハトの目をまっすぐ見た。
「つまり、エルフの世界はいくつも同じように高度な世界があるってことじゃないスか?」
「んん……?」
「悔しいじゃないっスか。オレたちがやってる苦労が要らない世界。さにゃの手足を見ても労働してるような感じじゃないっス」
シュラハトも少し考えるように眉を寄せる。
クローリーが沙那を『王族』とまで思ったほどなのだが、沙那は自分を庶民と言っている
嘘でなければよほど労働の要らない世界なのだ。
そして庶民が学校に通える環境。
「オレたちだって同じように簡単に使える魔法で……もうちょい豊かに暮らしても良いんじゃないかってことっス」
「……まあな」
「そのヒントが一つでも欲しいっス。全部再現できるとは思ってないスけど」
シュラハトは人差し指で自分のこめかみを叩く。
「クロ。それには絶対的に足りないものがあるって思うぞ」
「なんスか?」
「金だよ」
シュラハトは薄っすら微笑んだ。
「何をするにも金は要る。まさか石鹸だけで稼ぎ出せると思ってないよな?」
「……そこ。そこっス」
クローリーはため息を吐いた。
「エルフたちはどうやってその資金を稼ぎ出すんスかねえ」
「わからねえな」
「税金の話をちょっと訊いたんスけど、賢者は収入に応じて税率が高くなるとかで金持ちほど分捕られるみたいなこと言ってたっスな」
「それ……公平性は高いだろうが反乱起きてもおかしかないぞ?裕福な有力者なら傭兵でも雇って抵抗するかもしれねえし」
「……そうなんスよなあ」
「さにゃも同じこと言ってたのか?」
「いやあ。それが……さにゃの話では買い物すると値段の1割を徴収されるって話っス」
「なんだ、それ?」
クローリーとシュラハトは困惑した顔で見つめあった。
2人はもちろん同じ国の話とは思ってもいなかった。
賢者が来た時代の日本では消費税は存在しておらず……代わりに物品税はあったが、累進性の高い所得税が問題になっていたからだ。
バブル景気で収入が増えた層から反発されていたのだ。
そこでインフレ抑制を兼ねて好景気中に導入されたのが大型間接税こと消費税である。
逆に沙那の時代ではデフレに苦しむあまり消費税が問題になっていた。
お小遣いで生活する沙那にとって10%の消費税は大きいうえに、中学生が実感できる税金はそのくらいなのだ。
何より社会人と中学生では税金の感覚が違う。
「まあ、だから、あの2人の世界が似ているけど別の世界だってわかるっス」
それがこの時点でのクローリーの判断だった。
「……でもね、シュラさん。一番不思議なのはその程度の税金で色んなものを作る莫大な費用が捻出できるとはとても思えないんスよ」
領主としてのクローリーにとって最大の疑問はそれだった。
「オレらの世界は税として半分を納めさせてもかつかつス。だから戦争やって奪い取るのが当たり前になってるっス」
「……そうだな」
シュラハトもかつてはそういった戦争や紛争に従事させられたのだ。
「エルフはどうやったんスかねえ。無限に金を作る錬金術でもあるんスかねえ。何か……こう、思考のピースが足りない気がするっスな」
「それじゃあもう何人かエルフを見つければどうだ?」
「それっス!」
クローリーはシュラハトを指さした。
「さにゃたちみたいな戦えないエルフを見つけたら保護してくるっスよ。もしかしたらそこに何かの専門家がいるかも知れないっス」
「……お前、本気か?」
「本気っスよ。シュラさん。そういうのがいたら拾いまくるっス!」
「戦えるエルフを拾う方が早くねえか?」
シュラハトとしてはこの世界の常識を口にする。
作るよりも奪う方が効率的なのは間違いないのだ。
「さにゃも賢者も、何十年も戦争がない国だって言ってたっス。平和で豊かな国が一番スよ」
「そりゃそうだが……」
シュラハトはそう上手くいかないのが世の中であることを知っていた。
豊かで戦わない国が容赦なく踏みにじられるのを見たことがあるのだ。
「俺はな。豊さもそうだが、どうやってエルフの国が戦争を避け続けられたのかって方が気になるぜ」
戦いを仕掛けないのは大事だが、戦いを仕掛けられないようにするのはどうすればよいのか。
守り切れる強さがあれば良いのではないか。
シュラハトは理解している。
異世界召喚者を軍事力として欲しがる国や領主は、攻め込む力と同時に守るための力や抑止力を求めてもいるのだ。
「賢者が言ってた誰にでも使える爆炎魔法っていうのが本当にあれば……可能になるのかもしれねえな」
力に抵抗するには力しかないという悲しい負の連鎖を断ち切ることがどれだけ難しいか。
そこに甲高い金属音が聞こえる。
「船を出すぞー!」
出航をの合図である喇叭の音だった。
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