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しおりを挟む「戌狛さん、見直しました。」
歩きながら、三浦が呟いた。
「見直した?どういう事だ?」
三浦はいつものように冷たく微笑んだ。
「ただの熱血仕事馬鹿かと思っていましたが…。そればかりでもないようですね。」
戌狛は煙草を噛み潰した。
「うるせーよ!黙っとけ、チビ!」
「口を慎みなさい、独活の大木。」
軽口を叩きながらも、三浦はこめかみ部分に汗を滲ませていた。
戌狛はそんな彼の首筋を見た。
少し腫れて血が滲んでおり、そこから何かが突き出している。
戌狛の視線に気付いたのか、三浦は眉根を寄せてコートの襟を立てた。
「…何です?」
「あ、いや。ほ、埃が付いてたんだ。埃が付いてたから取ってやろうと思って。」
コートの襟を戻し、三浦は視線を外した。
「…ふうん」
戌狛は心の中で胸を撫で下ろした。三浦には絶対悟られてはならない。せめて自分で気付くまで。
三浦はプライドが高いから、自分が理性もない「生物」になるなんて、耐えられたものではないだろう。
「…戌狛さん」
考えていた折に声をかけられ、戌狛は慌てた。
「えっ、は、はいっ!?何だ?」
三浦は訝るような眼差しで戌狛を見上げた。
「埃。取ってくれないんですか?」
「あ…。ああ、そうだったな…。」
戌狛は慎重に手を伸ばし、突き出した「何か」を摘んだ。
「…く」
三浦が小さく呻く。
「丁度痛い所に触っちまったな。悪い悪い。」
「気をつけてくださいよ。」
怒り気味の三浦を笑ってあしらい、戌狛はこっそりと彼の首から抜き取ったものを見た。
血に濡れてはいるが、それはやはり何かの鳥の羽根のように見えた。
「…なあ三浦。」
「何です?」
戌狛は何気ないふうを装い、尋ねた。
「エジプト神の中に、鳥の神っていたか?」
三浦は一瞬考える素振りを見せ、言った。
「ええ。鷹の頭のホルスやトキのトトなど。…しかし、なぜそんなことを?」
「え!い、いやあ、ちょっと緊張してな。気を紛らわそうと思って…。」
「そうですか。なら、少し雑談をしましょう。」
三浦は特徴的なニヒルスマイルを浮かべ、左腕を出した。
手の甲の火傷痕と大きな引っ掻き傷が目につく。
「私、本当はバードトレーナーになりたかったんです」
細い手首には、革ベルトの腕時計が付いている。そのベルトから、金属製の鷹の頭のアクセサリーがぶら下がっていた。
「そうなのか?」
「ええ。」
動物が好きでしてね、と、三浦が寂しげに笑う。
「専門学校の出なんです。しかし、ああいう仕事も客商売ですから。見た目も大分影響しますから、私のような人間には向いた仕事ではなかったようです。」
「うーん…。」
戌狛は三浦の姿を見直した。
背は小さくて160程しかないが、顔立ちは端正である。華奢で女性的なところもある、よく見ればまあまあの美青年だ。
しかしどこか人を寄せ付けない暗さがあって、確かに客商売には向かない気もした。
「好きなだけじゃ出来ない事もあるんです」
寂しげに微笑んだ三浦を見て、戌狛は何となく切なくなった。
「…運命は皮肉だ」
「え?」
戌狛はかぶりを振った。
「いや。何でもない。」
そんな折、前方にふらつく人影が現れた。包帯でぐるぐる巻きの、かつての信者達だ。
こちらに気付くと、数人が束になって襲ってきた。
「…行くぞ三浦」
「はい。」
戌狛は地面を蹴った。
懐からライターを取り出し、信者達に火を押し付ける。
キィィィィッ、というような声を上げ、信者達は身を捩る。
辺りは一瞬にして炎に包まれた。
戌狛はその中に煙草の吸い殻を吐き出し、ニヤリと笑った。
「おととい来やがれ、この死に損ないが。」
そんな戌狛を呆れたように見上げ、三浦は言った。
「…何カッコつけてんですか。油断するとやられますよ。」
「分かっとるわ!一回言ってみたかったんだよ!」
戌狛は三浦を睨んだ。
「おお、怖い怖い。」
三浦はおどけて肩を竦め、ナイフを取り出した。
「一体ずつでも慎重に行った方がいいですよ。」
近づいてくる信者の背後に素早く回りこみ、頸に刃を突き立てる。
「失礼。」
神経が切断されたらしく、信者は声もなく倒れた。
そんな調子で、一体二体と倒していく。
「恨むなら私でなく、神なんか信じた自分を恨むんですね。」
倒れた信者達を見下ろし、三浦は微笑した。
「お前…。サイコパスかよ。」
「サイコパスも何も、既に死んでいる人間を殺して何が悪いんです?」
しれっと返した三浦に、戌狛はただ呆れるだけだった。
「やっぱ分かんねぇな、お前みたいな奴の事は…。」
三浦は右ほおの傷に手を当てた。
「よく言われます」
ナイフを仕舞った、その時。
「うあっ…!?」
突如三浦が手で顔を覆い、その場に崩れ落ちた。
「え…!?おい、どうした!?」
「顔が…熱いです」
悶える三浦のジャケットの袖が一気に膨張し、破けた。
中から現れたのは、青白く燃える翼だった。
「な…!」
神々しく輝く翼に圧倒され、戌狛は半歩退いた。
いつの間にか三浦は立ち上がり、熱気に翼と崩れた前髪をたなびかせていた。
「おい…。」
戌狛の声は届いていないようで、一層きつくなった目付きはどこか遠いところを見ていた。
彼はふと翼を上げた。
そして、そのまま頭を撫でるようにして下に降ろす。
蒼い炎に包まれた彼の頭部は、猛禽のようなシルエットに変わっていた。
戌狛の脳裏に三浦の話が蘇った。
「頭部が鷹…。…ホルス神か!」
上半身が鷹と化した彼は、辛うじて残ったらしい眼鏡を羽の先でずり上げた。
「…お、おい。三浦…だよな?」
彼は答えず、おもむろに翼を大きく羽ばたかせた。
「わっ!」
吹き荒れる熱風。
思わず目を瞑った戌狛の横っ腹に、抉られたような痛みが走る。
鷹の嘴の一撃を食らったらしい。
「三浦!どうした、しっかり…。」
戌狛に喋る間を与えず、ホルスは彼に嘴をもう一発食らわせた。
戌狛の口の中に、鉄の味が広がった。
「ぐっ…!」
戌狛は背負っていたハンドアックスの刃物部分を着ていたジャケットで覆い、しっかりと握った。
「目ぇ覚ませ、このバカ鳥!」
そのまま振りかぶって、ホルスの鷹頭を思い切り殴りつける。
ホルスはふらりとよろけて、戌狛の腕の中に崩れた。
それと同時に彼の身体の鷹部分が燃えるようにしてなくなり、元の三浦の姿に戻った。
戌狛は自分のシャツを脱いで三浦に着せ、ジャケットだけを身につけた。
「おい、大丈夫か?死んでないよな?」
少し揺すると、三浦は薄目を開けた。
「…あれ、戌狛さん?どうしたんです、その格好は?」
「三浦!良かった!」
戌狛は三浦の華奢な身体を抱き締めた。
「ちょ、ちょっと!戌狛さんっ、気持ち悪いです、やめてくださいっ!私そんな趣味ありません!」
「ん?あ、悪い悪い。ははは。」
「もう、はははじゃないですよ。全く…、私の体が汚れるじゃないですか。」
三浦は眉根を寄せ、服を払った。
そして怪訝そうな顔をして、首を傾げた。
「…あれ?これ、私のシャツじゃない。戌狛さんのじゃないですか、私のシャツはどうしたんです?ていうか私、少し記憶が飛んでる気が…。」
戌狛は焦った。
「あ、あーあー!そ、それはだな、えーと…。…そうだ、貧血!お前貧血になったんだよ、それで服が血だらけになったから俺がシャツ貸したんだ。」
「貧血で外に血は出ませんよ。」
「えっと…。そこの右ほおが大出血して貧血に…。」
「えー、痛くありませんけど…。」
「痛くなくても血は出るわいっ!」
戌狛は力づくで三浦を説き伏せ、何とか納得させた。
(しかし…。)
戌狛は煙草を取り出し、咥えた。
(さっきのを見た限りだと…。三浦もあのアヌビスって奴みたいになっちまうのか?半人半獣の化けモン…。)
「戌狛さん?」
声をかけられ、はっとした。
三浦が心配そうに、戌狛を見上げていた。
「煙草。火、ついてませんけど。」
「あ…。ああ、そうだな。」
本当さっきから変ですよ、どうしたんです、と、しきりに尋ねる三浦に片手で応え、戌狛は煙草に火をつけた。
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