Cult

コノハズク

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Isis

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無機質な施設内に、規則的に響く足音。
戌狛の革靴の音である。
「三浦、お前本当に大丈夫か?青っちょろい顔してんのはいつもの事だけど…。」
後ろをついて歩く三浦を振り返り、心配そうに尋ねる。
「ええ…。気にしないでください。」
白い額を微かな汗で湿らせて、三浦は歩いていた。その足取りは重い。
「…ううっ」
「おい!」
呻き、その場に屈み込んだ三浦を見て、戌狛は慌てて駆け寄った。
「大丈夫かよ、少し休んだ方が…。」
「はい…。それでは私はここで休んでいますから、戌狛さんは先に…。」
「馬鹿か貴様!」
三浦は身体をびくっとさせた。
「こんなところで一人になるだと?死にてぇのか!」
「いや…。」
戌狛の怒りようは予想外だったようで、三浦は戸惑っていた。
「普通の廃墟じゃねぇんだぞ、ここは!あんな化け物みたいな輩が動き回ってんだ、見つかれば即オダブツだ!」
「…。」
その時、廊下の奥から鎖の音と聞き覚えのある奇妙な唸り声が響いた。
「…この声は」
「さっきの犬コロか!」
戌狛は舌打ちをして、ボウガンで矢を構えた。
曲がり角から、長い鼻先が見えた。
次いで、あの濁った醜悪な目、首の骨に掛かった首輪。
こちらに顔を向け、吼えた。
「…くそっ」
戌狛は矢を放った。
矢はアヌビスの鼻先に命中したが、アヌビスはびくともしない。
それどころか怒りの色を目に浮かべ、二人に襲い掛かってきた。
「畜生、逃げるぞ三浦!」
「だ…駄目です!」
「は!?」
三浦は地面にへたった体勢のまま、首を振った。
「駄目なんです…。動かないんです、身体が!」
「何だと!?」
戌狛は三浦に駆け寄り、その体を支えて必死に逃げようとした。
しかし、先程のように上手く担げずもたつく。
「何でだよっ、何でだよっ!」
その間にも、アヌビスの牙は迫ってきていた。
「戌狛さん!もういいから早く逃げてください!」
「そんな事出来るかよ、してたまるかよっ!」
アヌビスの牙が、三浦の右ほおに傷を作った。
その時、戌狛を除くその場の全てが動きを止めた。
三浦も、三浦の傷から滴る血も、アヌビスも全て。
「…?何だこれは。」
「空間を切り取ったのです」
女の声が響いた。優しく、不思議な響きをもって。
「な、何者だ!?誰なんだ?」
戌狛は周囲を見回した。水色のベールを身につけた女の姿を見つけるのに、そう時間はかからなかった。
「あんたは…?」
「私の名は…。」
女は口を噤んだ。そして、寂しそうな顔をして言った。
「…イシスとお呼びください。」
そして、体を覆っていたベールを取り払った。
「それは…!」
戌狛が目にしたのは、女の側頭部から生えた角と蹄のついた白い下半身だった。
「時間がないので端的に申し上げます。この施設で行われていたのは、ある宗教団体によるエジプト神話の再現です。それぞれの神に代わるものが恐ろしい方法で作り出され、その役目を強制されていたのです。私も神に代わるものとして、このような姿となりました…、女神イシスとして。」
イシスは恥ずかしそうに、再びベールで体を覆った。
「あの化け物とか、包帯の人間達は?」
戌狛が尋ねると、イシスは悲しそうに答えた。
「包帯の人々はかつての信者達です。化け物とは…。アヌビスの事ですね。」
「ああ。」
「アヌビスは哀れです。あれでもまだ10才の子供でした。」
戌狛は絶句した。
「あの子は飼い犬を不慮の事故で亡くし、悲しみに暮れていたところをここに連れて来られたのです。犬を生き返らせてやると言われて。」
「…それで?」
「彼はその為なら何でもすると言いました。それを聞いた幹部信者はアヌビスを作るのに丁度いいと思ったのでしょう、あろう事かあの子の体と犬の死体を使って、あんな姿にしてしまったのです。」
「…悪い事しちまったなぁ」
アヌビスの鼻先に当てた矢を思い出し、戌狛は俯いた。
「アヌビスはそれから異常成長して、現在ではあんな狂犬と化してしまいました。神の代理はまだ揃っていません。彼らは死してなお、代理人を探しているのです。だから生きたあなた方のような方を捕らえて贄にしようとしているのです。…このような悲惨な事を引き起こしたのは、この宗教団体の教祖…。通称『Seth』です。」
「セト?」
イシスは頷いた。
「破壊、暴虐の神の名です。彼の素性は一切不明でした。」
イシスがそこまで話した時、ゆっくりと周囲が動き始めた。
「…時間が来てしまったようです。アヌビスは私が何とかしておきます。また来ます。」
「…え、おい!」
「それと」
イシスは振り返り、悲しげな瞳で言った。
「お連れの方に、注意してください。」
「え?」
彼女は姿を消した。共に、アヌビスの姿も消えていた。
「戌狛さん?」
「…あ、三浦。大丈夫か?」
三浦は?茲に出来た傷をさすりながら頷いた。
「ええ…。それより、アヌビスは?」
「ああ。それがだな…。」
戌狛はイシスと彼女の話した事を三浦に話した。彼女の最後の言葉以外、全てを。
「イシス…。生命の女神ですか。」
三浦は呟き、首を撫でた。
「冥界の神オシリスの妻です。そして教祖がセトと名乗る男…。セトはあらゆる悪の化身と言われます。この宗教団体で崇められていたのは、セト神かもしれません。キリスト教における悪魔崇拝のようなものでしょう。」
「事の大筋が見えてきたな…。そのセトとかいう奴が黒幕なのは分かったよ。」
戌狛は煙草を咥えた。なかなか点かなくなったライターに苛立ちながら、彼はふとイシスの最後の言葉の意味を考えた。
お連れの方って、三浦の事か?
気をつけるって、何に?
彼はイシスの話をもう一度思い出した。
ーそれぞれの神に代わるものが恐ろしい方法で作り出され、その役目を強制されていたのですー
ー神の代理はまだ揃っていませんー
再び首を押さえてうずくまる三浦を見て、戌狛の脳裏に最悪の想像が浮かんだ。
その推測を、やっと点いた煙草の煙と共に飲み込む。
「…三浦。」
振り返った三浦の白い顔を見て、戌狛はふっと煙草の煙を吐き出した。
「一度だけでいいから、本気の仕事をしてみないか?」
「え?」
三浦が首から手を離した。
はらり、と、小さな羽のようなものが落ちる。
それを見て戌狛は唇を噛んだ。ー時間がない。
「その方がお前のためにもなるんだ。生きて帰って、給料欲しいだろ?」
「そ、それはまあ…。」
戌狛は三浦の手を引いた。
「そうと決まれば即実行だ。施設内を隈なく調べて、セトの悪行を世間に公表してやろうぜ!たとえ…。」
「信じる者がいなくとも、ですか?」
三浦は戌狛を見上げて、微笑した。
「分かってんじゃねぇか。」
戌狛はにっと笑って、三浦の頭をこつんと叩いた。
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