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第二節 落日は海鳴りに燃ゆる10
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*
それは、突然の出来事だった。
穏やかな波の音だけが響き渡るサーディナの上空に、不意に、波紋のような薄闇が広がった。
サーディナ提督府の城壁にいた二人の魔法剣士が、にわかに、その眼光を鋭利に閃かせて頭上を仰ぐ。
その視界の中に、急速に現れてくる、無数の紅い炎。
「何だ・・・・!?」
純白のマントを翻し、素早く腰の剣に手をかけたシルバが、鋭く低めた声でそう呟いた。
「ジェスター様!シルバ様!!」
彼らの眼前にいたウィルタールが、驚愕と戸惑いにその身を震わせると、どこか不安気な響きを持つ声で、思わず強者達の名を呼んだのである。
ジェスターの鮮やかな両眼が、天空を仰いだまま、何かを察知しかのように、今、鋭く大きく見開かれた。
まだ、失われているはずの記憶の奥底に、ざわざわとさざめくように沸き立ってくる、よく知っているだろう懐かしいその気配。
天空に広がる薄闇が、脈打つ波紋を描く度、眠っていた何かが呼び覚まされるような、実に不可解で鋭利な感覚が、その身の内を駆けていく。
それは、迸る火炎の如く一瞬にして体中を突き抜けると、急速に、彼の五体と五感を刃の鋭さで研ぎ澄ませていった。
ふわりとふわりと、その肢体から立ち昇り始める深紅の焔。
すらりとした長身が纏う、鮮やかな朱の衣の長い裾が流れるように翻った。
間違いない・・・・
すぐ近くに、あの青年がいる・・・・
暮れかけたタールファの街で出会った、あの・・・・・
「イングレー・・・・おまえか・・・・っ!」
無意識のうちに、ジェスターの口から出た低く鋭いその声が、傍らで剣を抜いたシルバの耳に届いた。
一瞬、驚愕したような顔つきになって、彼は、漆黒の黒髪を揺らしながら、機敏な仕草でジェスターを振り返る。
「ジェ・・・・・・・っ!?」
その名を呼びかけて、シルバは、思わず言葉を止めた。
紫水晶の如く澄んだ右目が見る先に、ゆらゆらと揺らめきながら伸び上がっていく紅蓮の炎。
旧知の友の肢体を包み込む深紅の火炎が、金と朱の焔を散らしながら、虚空に大きく燃え上がる。
ジェスターのその端正で凛々しい顔が、にわかに、鬼気迫る鋭い表情へと変貌していく。
天空を仰いだまま身動ぎもしない彼を中心にして、さざめくように周囲に広がっていくその異様な気配・・・・
ウィルタールが、緊張したように全身を強張らせた。
まだ未熟な彼にさえ感じることが出来る、全身の毛が逆立つような、この異様なまでに熱く鋭く、そして恐ろしい、言いようのないその気配・・・
「・・・・い、一体・・・な、なにが・・・・っ」
小刻みに華奢な体を震わせるウィルタールの眼前に、シルバの持つ漆黒の長い髪と純白のマントが揺らめいた。
「シルバ様・・・・!」
「黙って見ていろ・・・・ウィルタール・・・・・」
鋭く厳しい顔つきをしながら、聖剣『ジェン・ドラグナ(銀竜の角)』を構え直し、シルバは、実直で揺るぎない紫色の眼差しで、旧知の友の鬼気迫る姿を凝視したのだった。
立ち昇る爆炎の色を映し、鮮やかな朱に染められた若獅子の鬣の如き見事な栗毛。
その髪が、紅蓮の炎の中でゆらゆらと揺れている。
長身に纏われた朱の衣の長い裾が、流れるようにたゆたった。
天空の薄闇を仰ぎ見たまま爛々と輝く、背筋が寒くなるほど冷酷で、恐ろしい程に美しい、異形と呼ばれる鮮やかな緑玉の瞳。
息を呑むウィルタールの背後で、不意に、蒼き疾風が甲高い音を上げた。
咄嗟に振り返った青い瞳の先に、ゆるやかにその姿を現してくる、一人の雅な青年があった・・・・
「スターレット様・・・・・っ」
いつもは穏やかなその表情を、いつになく鋭く歪めた雅で秀麗なその青年。
異国のマントを揺らしながら、ゆっくりとウィルタールの傍らに立ったのは、他でもない、彼が敬愛して止まぬロータスの大魔法使いスターレットであったのだ。
輝くような蒼銀の髪を、吹き付ける海風に泳がせながら、美しい深紅の瞳を細めたスターレットに、シルバが、ちらりとその鋭い視線を向ける。
「・・・・・今のあいつの眼は・・・・・あの時と同じだ・・・・・」
「・・・・・・【炎神】と呼ばれた者の・・・・眼・・・・」
スターレットは、綺麗な眉を眉間に寄せて、ただ真っ直ぐに、爆炎を纏う旧知の友を見つめて、そう小さく呟いた。
シルバと、そしてスターレットの脳裏を過ぎっていく、まだ少年であった頃に見た、あの地獄のような炎の記憶。
ランダムルの地にあったアーシェ一族の集落を、一瞬にして焼き尽くした、灼熱の爆炎と深紅に燃える炎の海。
同じ記憶を持つ二人の視界の中で、今、ゆっくりと、真実の闇を身の内に抱えた友が振り返る。
揺れる前髪の下で爛々と輝く、恐ろしいほど冷酷で、禍々しいほど美しい、その鮮やかな緑玉の眼差し・・・・
鋭い沈黙の中でその姿を見つめているシルバと、そしてスターレットに向かって、彼は、意図して低めた威厳ある声で、静かに言うのだった。
「気を付けろ・・・死人が来る・・・・・」
「!?」
その時、幾つもの重い足音が、ゆっくりと、海鳴りと波音だけが響き渡る提督府へ近づきつつあった。
シルバの隻眼が紫炎の刃の如く閃き、咄嗟に辺りを見回すと・・・・
そこには・・・・
サングダ―ルの兵士と思しき無数の人影が、薄く紅い炎を纏った姿で、うごめくように集結していたのである。
「ううわぁぁぁぁ――――――っ!!」
その余りにも不気味な兵士たちを目の当たりにして、ウィルタールが、驚愕と恐怖の悲鳴を上げた。
まだ、日暮れ前だと言うのに、辺りはみるみる暗く淀み、天空に波紋を描く薄い闇が、サーディナの町全体を支配していった。
朽ち果てた体と甲冑を引きずり、武器すらもたぬまま、だだ、黙々歩き続ける死者の隊列。
その重い足音が瓦礫の合間に響き渡る。
隊列を組む死人に絡み付く紅の炎。
提督府を中心に、東西南北に走るサーディナの大通りは、正に、死人の群れに覆い尽くされていた。
それは、突然の出来事だった。
穏やかな波の音だけが響き渡るサーディナの上空に、不意に、波紋のような薄闇が広がった。
サーディナ提督府の城壁にいた二人の魔法剣士が、にわかに、その眼光を鋭利に閃かせて頭上を仰ぐ。
その視界の中に、急速に現れてくる、無数の紅い炎。
「何だ・・・・!?」
純白のマントを翻し、素早く腰の剣に手をかけたシルバが、鋭く低めた声でそう呟いた。
「ジェスター様!シルバ様!!」
彼らの眼前にいたウィルタールが、驚愕と戸惑いにその身を震わせると、どこか不安気な響きを持つ声で、思わず強者達の名を呼んだのである。
ジェスターの鮮やかな両眼が、天空を仰いだまま、何かを察知しかのように、今、鋭く大きく見開かれた。
まだ、失われているはずの記憶の奥底に、ざわざわとさざめくように沸き立ってくる、よく知っているだろう懐かしいその気配。
天空に広がる薄闇が、脈打つ波紋を描く度、眠っていた何かが呼び覚まされるような、実に不可解で鋭利な感覚が、その身の内を駆けていく。
それは、迸る火炎の如く一瞬にして体中を突き抜けると、急速に、彼の五体と五感を刃の鋭さで研ぎ澄ませていった。
ふわりとふわりと、その肢体から立ち昇り始める深紅の焔。
すらりとした長身が纏う、鮮やかな朱の衣の長い裾が流れるように翻った。
間違いない・・・・
すぐ近くに、あの青年がいる・・・・
暮れかけたタールファの街で出会った、あの・・・・・
「イングレー・・・・おまえか・・・・っ!」
無意識のうちに、ジェスターの口から出た低く鋭いその声が、傍らで剣を抜いたシルバの耳に届いた。
一瞬、驚愕したような顔つきになって、彼は、漆黒の黒髪を揺らしながら、機敏な仕草でジェスターを振り返る。
「ジェ・・・・・・・っ!?」
その名を呼びかけて、シルバは、思わず言葉を止めた。
紫水晶の如く澄んだ右目が見る先に、ゆらゆらと揺らめきながら伸び上がっていく紅蓮の炎。
旧知の友の肢体を包み込む深紅の火炎が、金と朱の焔を散らしながら、虚空に大きく燃え上がる。
ジェスターのその端正で凛々しい顔が、にわかに、鬼気迫る鋭い表情へと変貌していく。
天空を仰いだまま身動ぎもしない彼を中心にして、さざめくように周囲に広がっていくその異様な気配・・・・
ウィルタールが、緊張したように全身を強張らせた。
まだ未熟な彼にさえ感じることが出来る、全身の毛が逆立つような、この異様なまでに熱く鋭く、そして恐ろしい、言いようのないその気配・・・
「・・・・い、一体・・・な、なにが・・・・っ」
小刻みに華奢な体を震わせるウィルタールの眼前に、シルバの持つ漆黒の長い髪と純白のマントが揺らめいた。
「シルバ様・・・・!」
「黙って見ていろ・・・・ウィルタール・・・・・」
鋭く厳しい顔つきをしながら、聖剣『ジェン・ドラグナ(銀竜の角)』を構え直し、シルバは、実直で揺るぎない紫色の眼差しで、旧知の友の鬼気迫る姿を凝視したのだった。
立ち昇る爆炎の色を映し、鮮やかな朱に染められた若獅子の鬣の如き見事な栗毛。
その髪が、紅蓮の炎の中でゆらゆらと揺れている。
長身に纏われた朱の衣の長い裾が、流れるようにたゆたった。
天空の薄闇を仰ぎ見たまま爛々と輝く、背筋が寒くなるほど冷酷で、恐ろしい程に美しい、異形と呼ばれる鮮やかな緑玉の瞳。
息を呑むウィルタールの背後で、不意に、蒼き疾風が甲高い音を上げた。
咄嗟に振り返った青い瞳の先に、ゆるやかにその姿を現してくる、一人の雅な青年があった・・・・
「スターレット様・・・・・っ」
いつもは穏やかなその表情を、いつになく鋭く歪めた雅で秀麗なその青年。
異国のマントを揺らしながら、ゆっくりとウィルタールの傍らに立ったのは、他でもない、彼が敬愛して止まぬロータスの大魔法使いスターレットであったのだ。
輝くような蒼銀の髪を、吹き付ける海風に泳がせながら、美しい深紅の瞳を細めたスターレットに、シルバが、ちらりとその鋭い視線を向ける。
「・・・・・今のあいつの眼は・・・・・あの時と同じだ・・・・・」
「・・・・・・【炎神】と呼ばれた者の・・・・眼・・・・」
スターレットは、綺麗な眉を眉間に寄せて、ただ真っ直ぐに、爆炎を纏う旧知の友を見つめて、そう小さく呟いた。
シルバと、そしてスターレットの脳裏を過ぎっていく、まだ少年であった頃に見た、あの地獄のような炎の記憶。
ランダムルの地にあったアーシェ一族の集落を、一瞬にして焼き尽くした、灼熱の爆炎と深紅に燃える炎の海。
同じ記憶を持つ二人の視界の中で、今、ゆっくりと、真実の闇を身の内に抱えた友が振り返る。
揺れる前髪の下で爛々と輝く、恐ろしいほど冷酷で、禍々しいほど美しい、その鮮やかな緑玉の眼差し・・・・
鋭い沈黙の中でその姿を見つめているシルバと、そしてスターレットに向かって、彼は、意図して低めた威厳ある声で、静かに言うのだった。
「気を付けろ・・・死人が来る・・・・・」
「!?」
その時、幾つもの重い足音が、ゆっくりと、海鳴りと波音だけが響き渡る提督府へ近づきつつあった。
シルバの隻眼が紫炎の刃の如く閃き、咄嗟に辺りを見回すと・・・・
そこには・・・・
サングダ―ルの兵士と思しき無数の人影が、薄く紅い炎を纏った姿で、うごめくように集結していたのである。
「ううわぁぁぁぁ――――――っ!!」
その余りにも不気味な兵士たちを目の当たりにして、ウィルタールが、驚愕と恐怖の悲鳴を上げた。
まだ、日暮れ前だと言うのに、辺りはみるみる暗く淀み、天空に波紋を描く薄い闇が、サーディナの町全体を支配していった。
朽ち果てた体と甲冑を引きずり、武器すらもたぬまま、だだ、黙々歩き続ける死者の隊列。
その重い足音が瓦礫の合間に響き渡る。
隊列を組む死人に絡み付く紅の炎。
提督府を中心に、東西南北に走るサーディナの大通りは、正に、死人の群れに覆い尽くされていた。
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