神在(いず)る大陸の物語~月闇の戦記~【第四章】

坂田 零

文字の大きさ
30 / 43

第二節 落日は海鳴りに燃ゆる10

しおりを挟む
         *
 それは、突然の出来事だった。
 穏やかな波の音だけが響き渡るサーディナの上空に、不意に、波紋のような薄闇が広がった。
 サーディナ提督府の城壁にいた二人の魔法剣士が、にわかに、その眼光を鋭利に閃かせて頭上を仰ぐ。
 その視界の中に、急速に現れてくる、無数の紅い炎。

「何だ・・・・!?」

 純白のマントを翻し、素早く腰の剣に手をかけたシルバが、鋭く低めた声でそう呟いた。

「ジェスター様!シルバ様!!」

 彼らの眼前にいたウィルタールが、驚愕と戸惑いにその身を震わせると、どこか不安気な響きを持つ声で、思わず強者達の名を呼んだのである。
 ジェスターの鮮やかな両眼が、天空を仰いだまま、何かを察知しかのように、今、鋭く大きく見開かれた。
 まだ、失われているはずの記憶の奥底に、ざわざわとさざめくように沸き立ってくる、よく知っているだろう懐かしいその気配。
 天空に広がる薄闇が、脈打つ波紋を描く度、眠っていた何かが呼び覚まされるような、実に不可解で鋭利な感覚が、その身の内を駆けていく。
 それは、迸る火炎の如く一瞬にして体中を突き抜けると、急速に、彼の五体と五感を刃の鋭さで研ぎ澄ませていった。
 ふわりとふわりと、その肢体から立ち昇り始める深紅の焔。
 すらりとした長身が纏う、鮮やかな朱の衣の長い裾が流れるように翻った。

 間違いない・・・・
 すぐ近くに、あの青年がいる・・・・
 暮れかけたタールファの街で出会った、あの・・・・・

「イングレー・・・・おまえか・・・・っ!」

 無意識のうちに、ジェスターの口から出た低く鋭いその声が、傍らで剣を抜いたシルバの耳に届いた。
 一瞬、驚愕したような顔つきになって、彼は、漆黒の黒髪を揺らしながら、機敏な仕草でジェスターを振り返る。

「ジェ・・・・・・・っ!?」

 その名を呼びかけて、シルバは、思わず言葉を止めた。
 紫水晶の如く澄んだ右目が見る先に、ゆらゆらと揺らめきながら伸び上がっていく紅蓮の炎。
 旧知の友の肢体を包み込む深紅の火炎が、金と朱の焔を散らしながら、虚空に大きく燃え上がる。
 ジェスターのその端正で凛々しい顔が、にわかに、鬼気迫る鋭い表情へと変貌していく。
 天空を仰いだまま身動ぎもしない彼を中心にして、さざめくように周囲に広がっていくその異様な気配・・・・
 ウィルタールが、緊張したように全身を強張らせた。
 まだ未熟な彼にさえ感じることが出来る、全身の毛が逆立つような、この異様なまでに熱く鋭く、そして恐ろしい、言いようのないその気配・・・

「・・・・い、一体・・・な、なにが・・・・っ」

 小刻みに華奢な体を震わせるウィルタールの眼前に、シルバの持つ漆黒の長い髪と純白のマントが揺らめいた。

「シルバ様・・・・!」

「黙って見ていろ・・・・ウィルタール・・・・・」

 鋭く厳しい顔つきをしながら、聖剣『ジェン・ドラグナ(銀竜の角)』を構え直し、シルバは、実直で揺るぎない紫色の眼差しで、旧知の友の鬼気迫る姿を凝視したのだった。
 立ち昇る爆炎の色を映し、鮮やかな朱に染められた若獅子の鬣の如き見事な栗毛。
 その髪が、紅蓮の炎の中でゆらゆらと揺れている。
 長身に纏われた朱の衣の長い裾が、流れるようにたゆたった。
 天空の薄闇を仰ぎ見たまま爛々と輝く、背筋が寒くなるほど冷酷で、恐ろしい程に美しい、異形と呼ばれる鮮やかな緑玉の瞳。

 息を呑むウィルタールの背後で、不意に、蒼き疾風が甲高い音を上げた。
 咄嗟に振り返った青い瞳の先に、ゆるやかにその姿を現してくる、一人の雅な青年があった・・・・

「スターレット様・・・・・っ」

 いつもは穏やかなその表情を、いつになく鋭く歪めた雅で秀麗なその青年。
 異国のマントを揺らしながら、ゆっくりとウィルタールの傍らに立ったのは、他でもない、彼が敬愛して止まぬロータスの大魔法使いスターレットであったのだ。
 輝くような蒼銀の髪を、吹き付ける海風に泳がせながら、美しい深紅の瞳を細めたスターレットに、シルバが、ちらりとその鋭い視線を向ける。

「・・・・・今のあいつの眼は・・・・・あの時と同じだ・・・・・」

「・・・・・・【炎神】と呼ばれた者の・・・・眼・・・・」

 スターレットは、綺麗な眉を眉間に寄せて、ただ真っ直ぐに、爆炎を纏う旧知の友を見つめて、そう小さく呟いた。
 シルバと、そしてスターレットの脳裏を過ぎっていく、まだ少年であった頃に見た、あの地獄のような炎の記憶。
 ランダムルの地にあったアーシェ一族の集落を、一瞬にして焼き尽くした、灼熱の爆炎と深紅に燃える炎の海。
 同じ記憶を持つ二人の視界の中で、今、ゆっくりと、真実の闇を身の内に抱えた友が振り返る。
 揺れる前髪の下で爛々と輝く、恐ろしいほど冷酷で、禍々しいほど美しい、その鮮やかな緑玉の眼差し・・・・
 鋭い沈黙の中でその姿を見つめているシルバと、そしてスターレットに向かって、彼は、意図して低めた威厳ある声で、静かに言うのだった。

「気を付けろ・・・死人が来る・・・・・」

「!?」

 その時、幾つもの重い足音が、ゆっくりと、海鳴りと波音だけが響き渡る提督府へ近づきつつあった。
 シルバの隻眼が紫炎の刃の如く閃き、咄嗟に辺りを見回すと・・・・
 そこには・・・・
 サングダ―ルの兵士と思しき無数の人影が、薄く紅い炎を纏った姿で、うごめくように集結していたのである。

「ううわぁぁぁぁ――――――っ!!」

 その余りにも不気味な兵士たちを目の当たりにして、ウィルタールが、驚愕と恐怖の悲鳴を上げた。
 まだ、日暮れ前だと言うのに、辺りはみるみる暗く淀み、天空に波紋を描く薄い闇が、サーディナの町全体を支配していった。
 朽ち果てた体と甲冑を引きずり、武器すらもたぬまま、だだ、黙々歩き続ける死者の隊列。
 その重い足音が瓦礫の合間に響き渡る。
 隊列を組む死人に絡み付く紅の炎。
 提督府を中心に、東西南北に走るサーディナの大通りは、正に、死人の群れに覆い尽くされていた。

 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

私が王子との結婚式の日に、妹に毒を盛られ、公衆の面前で辱められた。でも今、私は時を戻し、運命を変えに来た。

MayonakaTsuki
恋愛
王子との結婚式の日、私は最も信頼していた人物――自分の妹――に裏切られた。毒を盛られ、公開の場で辱められ、未来の王に拒絶され、私の人生は血と侮辱の中でそこで終わったかのように思えた。しかし、死が私を迎えたとき、不可能なことが起きた――私は同じ回廊で、祭壇の前で目を覚まし、あらゆる涙、嘘、そして一撃の記憶をそのまま覚えていた。今、二度目のチャンスを得た私は、ただ一つの使命を持つ――真実を突き止め、奪われたものを取り戻し、私を破滅させた者たちにその代償を払わせる。もはや、何も以前のままではない。何も許されない。

人質5歳の生存戦略! ―悪役王子はなんとか死ぬ気で生き延びたい!冤罪処刑はほんとムリぃ!―

ほしみ
ファンタジー
「え! ぼく、死ぬの!?」 前世、15歳で人生を終えたぼく。 目が覚めたら異世界の、5歳の王子様! けど、人質として大国に送られた危ない身分。 そして、夢で思い出してしまった最悪な事実。 「ぼく、このお話知ってる!!」 生まれ変わった先は、小説の中の悪役王子様!? このままだと、10年後に無実の罪であっさり処刑されちゃう!! 「むりむりむりむり、ぜったいにムリ!!」 生き延びるには、なんとか好感度を稼ぐしかない。 とにかく周りに気を使いまくって! 王子様たちは全力尊重! 侍女さんたちには迷惑かけない! ひたすら頑張れ、ぼく! ――猶予は後10年。 原作のお話は知ってる――でも、5歳の頭と体じゃうまくいかない! お菓子に惑わされて、勘違いで空回りして、毎回ドタバタのアタフタのアワアワ。 それでも、ぼくは諦めない。 だって、絶対の絶対に死にたくないからっ! 原作とはちょっと違う王子様たち、なんかびっくりな王様。 健気に奮闘する(ポンコツ)王子と、見守る人たち。 どうにか生き延びたい5才の、ほのぼのコミカル可愛いふわふわ物語。 (全年齢/ほのぼの/男性キャラ中心/嫌なキャラなし/1エピソード完結型/ほぼ毎日更新中)

敗戦国の姫は、敵国将軍に掠奪される

clayclay
恋愛
架空の国アルバ国は、ブリタニア国に侵略され、国は壊滅状態となる。 状況を打破するため、アルバ国王は娘のソフィアに、ブリタニア国使者への「接待」を命じたが……。

JKメイドはご主人様のオモチャ 命令ひとつで脱がされて、触られて、好きにされて――

のぞみ
恋愛
「今日から、お前は俺のメイドだ。ベッドの上でもな」 高校二年生の蒼井ひなたは、借金に追われた家族の代わりに、ある大富豪の家で住み込みメイドとして働くことに。 そこは、まるでおとぎ話に出てきそうな大きな洋館。 でも、そこで待っていたのは、同じ高校に通うちょっと有名な男の子――完璧だけど性格が超ドSな御曹司、天城 蓮だった。 昼間は生徒会長、夜は…ご主人様? しかも、彼の命令はちょっと普通じゃない。 「掃除だけじゃダメだろ? ご主人様の癒しも、メイドの大事な仕事だろ?」 手を握られるたび、耳元で囁かれるたび、心臓がバクバクする。 なのに、ひなたの体はどんどん反応してしまって…。 怒ったり照れたりしながらも、次第に蓮に惹かれていくひなた。 だけど、彼にはまだ知られていない秘密があって―― 「…ほんとは、ずっと前から、私…」 ただのメイドなんかじゃ終わりたくない。 恋と欲望が交差する、ちょっぴり危険な主従ラブストーリー。

父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

四季
恋愛
父親が再婚したことで地獄の日々が始まってしまいましたが……ある日その状況は一変しました。

夫婦交換

山田森湖
恋愛
好奇心から始まった一週間の“夫婦交換”。そこで出会った新鮮なときめき

彼の言いなりになってしまう私

守 秀斗
恋愛
マンションで同棲している山野井恭子(26才)と辻村弘(26才)。でも、最近、恭子は弘がやたら過激な行為をしてくると感じているのだが……。

処理中です...