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黒羽織其の六 妖刀さがし
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「なんで・・?あたりまえじゃ・・」
兆斎の目の前を、ザワリと赤い飛沫が舞い散った。
「ぐっ・・」とうめく声が眼前から聞こえる。
ボタボタと赤い血が、いくつも地面に赤い染みをこしらえていく。
「一族の仲間がやられとる最中に・・我関せずと逃げ出したんは誰じゃ・・すがっとった仲間を見殺しにして一目散に逃げたんは誰じゃ・・」
ザクッ。ザクッと何度も兆斎は腕を動かした。
その度に血しぶきが舞う。
途端に脳裏に甦るは昔の記憶。今よりもっともっと昔。
平安という時代の中で、今まであったものがジワジワと崩れようとしていた混沌の時代。
硝煙と瓦礫の間で何も出来ないまま、幼すぎた自分の先にいたもの・・・。
『ねえ。兆斎。人間にだって、親切な人はたっくさんいるのよ』
優しい姉の声が甦る。
姉とはかなり年が離れていたように思う。
姉はとても小柄で、色が白かった。ピンと尖った猫のような耳と、透き通るような白銀の髪。黒々とした瞳が特徴の妖怪で、いつも優しい声で諭すように言葉を話し、温かい目で兆斎を見ている女性だった。
縫物が好きで、魚が好きで。川の水に足を浸すことが大好きだった。
「・・・今日も、一日が終わっていくね・・」
もうすぐ日も暮れるからと、夕焼けを背に家に帰る。途中、自分の小さな手を姉が包み、手を繋いで歩いて行く。
姉と自分には父母がいない。でもそれを疑問にも思わなかったのは姉がいつも側を離れず、彼の隣にいたからだった。
自分の見た目は人間のそれとは違う。ピンと尖った耳が頭の上に生えている。それは姉も同じだった。自分は猫目という名の一族の血を引いている。そう聞いたことがある。
ただ、他の一族と違うのは、姉も自分も耳が似ているというだけで、長い尻尾は生えていなかった。自分の見た目は一族の誰とも似ていない。
そんな自分を庇うように猫目一族の長が住む村から、一里ほど離れた場所に身を移したのは、兆斎が言葉を話してすぐの事だったように思う。一族の者も少数ながら住んではいたが、人間の数の方が圧倒的に多かった。
村では、兆斎はその見た目でよく馬鹿にされた。幼い子供達とは違う見た目が仇となり、よく「あっちへ行け」と石や砂を投げられ、ぶつけられる。そんな事は日常茶飯事だった。
石はまだいい。避ければいいのだ。だが砂は違う。細かい砂がバラバラと投げられると十中八九、目に入ってしまうから少し困る。
目に入った砂を叩き落とそうとする前に、子供達の小さな手が自分の耳や髪に伸びて、力いっぱいに引っ張られて噛まれることも多々あった。
偏見と嫌悪の情を持ったまま、人間が何かを言いに来る。
そのむき出した感情を容赦なくぶつけられる度に、兆斎の中に言葉にならない嫌悪と恐怖の情だけが積み重なるように増えていく。
「・・・・・・」
ボロボロになって、トボトボと力なく歩いて帰るその道はいつも長く、重かった。
傷だらけになりながら家に帰りついた時の姉の目を、兆斎は今も忘れていない。
自分の姿を見るや否や、汲んだばかりの桶の水を手に姉が走って来る。
砂だらけになった自分を拭きながら、声を押し殺すように泣く姉の表情を、彼は忘れた事が無い。
何度も同じ言葉を呟きながら、ボロボロと泣きじゃくるその背に向かって伸ばした腕に力がこもる。
その時には気付かなかった。
髪の毛が短いから、見たくないものを見るのだと思い、伸びきった髪をそのままに過ごした日々がいささか懐かしい。
あれはいつだったか。
ふとした時に白く美しかったはずの姉の手を見た事がある。
着物の裾が破れているからと、縫い直してくれている時に何気なく見慣れているはずの姉の手を見た。
「・・・・・・・・・・」
白く美しかったはずの姉の両手は、いつの間にかあかぎれが増えて、ささくれだらけになっていた。
「・・・・・・・・・・・・」
指の傷がいくつも増えて、傷が塞がる前にまた新しい傷が出来る。その繰り返しだった。
「・・・・・・・・・・・・・・」
長い前髪に隠れた兆斎の両目が、ひときわ大きくなった。
ガツンと何か大きな石で頭を殴られたような衝撃が彼の脳天を強く貫き、その瞬間、彼は自分の置かれている環境を知ろうと初めて自分の家を見渡した。
小さな小屋で、目立つ物は何も無い。
戸口の御簾は所々ぼろが出ていて、隙間風が入って来る。
寝る為の筵も、一つしかなかった。
器用に縫ってくれるその針も、一つしかなかったのだ。
姉の顔を、よく見ようと顔を上げる。
「・・・・・・・・・姉や・・」
「・・なに?兆斎」
そうして、彼は言葉を失った。
姉の肌は青白く、頬が少しこけている。少しやつれた様に見えるその顔を見て、初めて彼は毎日食べるご飯の事を思い出した。そう言えば、いつも自分は後でいいからと、兆斎にご飯を出してくれていた。
ここ何日も、姉がご飯を食べている所を彼は見た事が無かったのだ。
「・・・・・・ね・・姉やん。ごはん・・」
「なに?お腹が空いたの?」
「・・・違う。僕やない。僕やないねん・・・・」
喉の奥が、こみ上げるように苦しくなって、気が付いたら目の前が涙で見えなくなっていた。
「・・・・・ごっ・・ごめ・・・ごめ・・・っん・・」
喉の奥がつんと焼けるように痛い。涙が乾く前に流れたせいで頬がぱりぱりとして痛痒い。
それでも、兆斎の涙はしばらくの間、止まりそうも無かった。
自分の事しか、見えていなかった。
生きて行く為に必要な糧を、共にいる姉の分まで奪ってしまっていた。
それが、悔しくて仕方が無かったのだ。
「・・・・ごめん・・」
何度も同じ言葉を呟いて、泣きじゃくる彼を優しく抱き寄せると、姉は何も言わずに頭を撫でてくれていた。それが心地よくて、でも申し訳ないような気がして。
意識がぷつりと途切れるまで何度も、何度も同じ言葉を呟いた。
そうして、彼は前髪を長く伸ばしたままにすることを止めた。
姉に頼んで、ざっくりと髪を切ってもらう事にしたのだ。
姉は目を丸くしていたが、何も言わずに小刀のようなもので長く伸びきった銀色の髪を短く切り揃えてくれた。
床に落ちていく髪を見て何を思ったのか。
兆斎は、その髪の束をむんずと掴むと外に出て、その髪を売ることにしたのだった。
兆斎の目の前を、ザワリと赤い飛沫が舞い散った。
「ぐっ・・」とうめく声が眼前から聞こえる。
ボタボタと赤い血が、いくつも地面に赤い染みをこしらえていく。
「一族の仲間がやられとる最中に・・我関せずと逃げ出したんは誰じゃ・・すがっとった仲間を見殺しにして一目散に逃げたんは誰じゃ・・」
ザクッ。ザクッと何度も兆斎は腕を動かした。
その度に血しぶきが舞う。
途端に脳裏に甦るは昔の記憶。今よりもっともっと昔。
平安という時代の中で、今まであったものがジワジワと崩れようとしていた混沌の時代。
硝煙と瓦礫の間で何も出来ないまま、幼すぎた自分の先にいたもの・・・。
『ねえ。兆斎。人間にだって、親切な人はたっくさんいるのよ』
優しい姉の声が甦る。
姉とはかなり年が離れていたように思う。
姉はとても小柄で、色が白かった。ピンと尖った猫のような耳と、透き通るような白銀の髪。黒々とした瞳が特徴の妖怪で、いつも優しい声で諭すように言葉を話し、温かい目で兆斎を見ている女性だった。
縫物が好きで、魚が好きで。川の水に足を浸すことが大好きだった。
「・・・今日も、一日が終わっていくね・・」
もうすぐ日も暮れるからと、夕焼けを背に家に帰る。途中、自分の小さな手を姉が包み、手を繋いで歩いて行く。
姉と自分には父母がいない。でもそれを疑問にも思わなかったのは姉がいつも側を離れず、彼の隣にいたからだった。
自分の見た目は人間のそれとは違う。ピンと尖った耳が頭の上に生えている。それは姉も同じだった。自分は猫目という名の一族の血を引いている。そう聞いたことがある。
ただ、他の一族と違うのは、姉も自分も耳が似ているというだけで、長い尻尾は生えていなかった。自分の見た目は一族の誰とも似ていない。
そんな自分を庇うように猫目一族の長が住む村から、一里ほど離れた場所に身を移したのは、兆斎が言葉を話してすぐの事だったように思う。一族の者も少数ながら住んではいたが、人間の数の方が圧倒的に多かった。
村では、兆斎はその見た目でよく馬鹿にされた。幼い子供達とは違う見た目が仇となり、よく「あっちへ行け」と石や砂を投げられ、ぶつけられる。そんな事は日常茶飯事だった。
石はまだいい。避ければいいのだ。だが砂は違う。細かい砂がバラバラと投げられると十中八九、目に入ってしまうから少し困る。
目に入った砂を叩き落とそうとする前に、子供達の小さな手が自分の耳や髪に伸びて、力いっぱいに引っ張られて噛まれることも多々あった。
偏見と嫌悪の情を持ったまま、人間が何かを言いに来る。
そのむき出した感情を容赦なくぶつけられる度に、兆斎の中に言葉にならない嫌悪と恐怖の情だけが積み重なるように増えていく。
「・・・・・・」
ボロボロになって、トボトボと力なく歩いて帰るその道はいつも長く、重かった。
傷だらけになりながら家に帰りついた時の姉の目を、兆斎は今も忘れていない。
自分の姿を見るや否や、汲んだばかりの桶の水を手に姉が走って来る。
砂だらけになった自分を拭きながら、声を押し殺すように泣く姉の表情を、彼は忘れた事が無い。
何度も同じ言葉を呟きながら、ボロボロと泣きじゃくるその背に向かって伸ばした腕に力がこもる。
その時には気付かなかった。
髪の毛が短いから、見たくないものを見るのだと思い、伸びきった髪をそのままに過ごした日々がいささか懐かしい。
あれはいつだったか。
ふとした時に白く美しかったはずの姉の手を見た事がある。
着物の裾が破れているからと、縫い直してくれている時に何気なく見慣れているはずの姉の手を見た。
「・・・・・・・・・・」
白く美しかったはずの姉の両手は、いつの間にかあかぎれが増えて、ささくれだらけになっていた。
「・・・・・・・・・・・・」
指の傷がいくつも増えて、傷が塞がる前にまた新しい傷が出来る。その繰り返しだった。
「・・・・・・・・・・・・・・」
長い前髪に隠れた兆斎の両目が、ひときわ大きくなった。
ガツンと何か大きな石で頭を殴られたような衝撃が彼の脳天を強く貫き、その瞬間、彼は自分の置かれている環境を知ろうと初めて自分の家を見渡した。
小さな小屋で、目立つ物は何も無い。
戸口の御簾は所々ぼろが出ていて、隙間風が入って来る。
寝る為の筵も、一つしかなかった。
器用に縫ってくれるその針も、一つしかなかったのだ。
姉の顔を、よく見ようと顔を上げる。
「・・・・・・・・・姉や・・」
「・・なに?兆斎」
そうして、彼は言葉を失った。
姉の肌は青白く、頬が少しこけている。少しやつれた様に見えるその顔を見て、初めて彼は毎日食べるご飯の事を思い出した。そう言えば、いつも自分は後でいいからと、兆斎にご飯を出してくれていた。
ここ何日も、姉がご飯を食べている所を彼は見た事が無かったのだ。
「・・・・・・ね・・姉やん。ごはん・・」
「なに?お腹が空いたの?」
「・・・違う。僕やない。僕やないねん・・・・」
喉の奥が、こみ上げるように苦しくなって、気が付いたら目の前が涙で見えなくなっていた。
「・・・・・ごっ・・ごめ・・・ごめ・・・っん・・」
喉の奥がつんと焼けるように痛い。涙が乾く前に流れたせいで頬がぱりぱりとして痛痒い。
それでも、兆斎の涙はしばらくの間、止まりそうも無かった。
自分の事しか、見えていなかった。
生きて行く為に必要な糧を、共にいる姉の分まで奪ってしまっていた。
それが、悔しくて仕方が無かったのだ。
「・・・・ごめん・・」
何度も同じ言葉を呟いて、泣きじゃくる彼を優しく抱き寄せると、姉は何も言わずに頭を撫でてくれていた。それが心地よくて、でも申し訳ないような気がして。
意識がぷつりと途切れるまで何度も、何度も同じ言葉を呟いた。
そうして、彼は前髪を長く伸ばしたままにすることを止めた。
姉に頼んで、ざっくりと髪を切ってもらう事にしたのだ。
姉は目を丸くしていたが、何も言わずに小刀のようなもので長く伸びきった銀色の髪を短く切り揃えてくれた。
床に落ちていく髪を見て何を思ったのか。
兆斎は、その髪の束をむんずと掴むと外に出て、その髪を売ることにしたのだった。
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