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休日

7話 雪のような花

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薄雪が花屋に入った瞬間、並んでいた花たちが満開になった。それだけじゃない。風も吹いていないのにそよそよと優しく揺れた。まるで薄雪がここに来たことを喜んでいるように見える。

そんな花たちを見て薄雪は目じりを下げた。

「いい子たちだね」

店員さんには薄雪と綾目の姿が見えていないようだ。彼女は私にだけ「どういったお花をお探しですか?」と声をかけた。

正直私は花にあまり詳しくない。曖昧な返事をしながら薄雪をちらりと見ると、彼は指を揺らして注意した。

「花雫さん。ヒトの前で私に視線を移してはいけませんよ。あなたが頭のおかしなヒトに見えてしまうから」

「なんですってぇ?」

「あっ、申し訳ございません…」

店員さんは、薄雪に向けた苛立ちのこもった言葉を自分に向けられたと勘違いしてビクビクしながら離れて行ってしまった。

慌てて弁解しても完全にビビられてしまって謝れるだけだった。薄雪は「そらみたことか」と苦笑いしている。

「もう。薄雪のせいで怖い人だと思われたじゃないですか」

「これは私のせいなのでしょうか」

「はやく花を選んでください。はやくお店から出たい…気まずい」

「うーん。みな愛らしくて選ぶのが難しいですね…。それに、私に選ばれなかった子たちが悲しんで枯れてしまいそうだ。花雫さん、あなたが選んでくれませんか?」

「えっ?いいんですか?」

「むしろお願いしたい」

「…分かりました」

花屋なんて、送別会で渡す花束を適当に作ってもらうときしか入ったことがない。バラくらいしかぱっと思い浮かばないくらい花に疎いのに。そんな私が選んでいいのかなあ。

「いいんですよ。あなたが気に入った花を飾りたいのです」

「心を読まないでくださいよ…」

「ふふ、失礼」

薄雪相手だと隠し事もできないな。心を読まれるのは気味が悪い。仕事で鍛えられた外面の良さだけが取り柄なのに。内面を読まれてしまったら、私がだらしなくてめんどくさがりで女性として終わってるくだらない人間だってバレちゃうじゃない。

私は店内をゆっくり歩いてひととおり花を見て回った。バラやガーベラなどの華やかな花はとても素敵だけどしっくり来ない。

「あっ」

ふと目に留まった、白くて小さな花をたくさんつけている花。値札にはカスミソウと書いてある。よく花束でおまけみたいに添えられているやつだ。

小さくて今にも溶けてしまいそうなその花は、まるで静かな夜にしんしんと降る雪のようだった。…薄雪って名前にぴったりだ。

「これにする」

私はカスミソウを指さして顔を上げた。

「…どうしたんですか?」

薄雪は口を手で覆い、困ったようにも嬉しそうにも見える表情をしていた。視線に気付いた彼は、私の頭に手を置いて顔を背けさせた。

「ヒトの前で私を見てはいけないと言っているでしょう」

「あの、カスミソウじゃだめでした?微妙な顔をしてましたけど」

「ちがうよ花雫!薄雪さまは照れて変な顔になっているだけだよ」

薄雪のうしろからひょこっと顔を出して、綾目が無邪気に言った。

「え?」

「綾目」

「ひぅっ」

名前を呼ばれただけなのに、綾目は恐怖の表情を浮かべて私のうしろへ引っ込んだ。

薄雪が私の目をじっと見ている。いつものように、なんでも見通しているかのような妖しい笑みに戻っている。さっきの顔はなんだったんだろう。照れてるってなに?どのタイミングで照れてんの?意味が分からない。

「花雫さん。はやくカスミソウを買っておいでなさい」

「あっ、はい」

薄雪に急かされて、店員さんを呼んでカスミソウを1本だけ包んでもらった。1本だけなのに、いつもサブの役割なのに、今日買ったカスミソウはとても素敵な花束に見えた。

「お花っていいかも…。選ぶだけで癒されるし、部屋に花飾るとか女子力高すぎじゃない?」

アパートへの帰り道、私は大切にカスミソウを抱いて歩いた。私の一歩うしろを薄雪と綾目が歩いている。
ときどき綾目が薄雪に話しかけているのが聞こえた。あの野草が美しいですねとか、コチラ側のヒトもなかなか面白いでしょう、なんて話をしているみたいだった。
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