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アチラ側の来客

41話 黒髪の壮年と少女

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彼が歩くとあたたかい微風が私の頬を撫でた。怯えて薄雪にしがみついている私を一瞥し、閉じた扇子で薄雪の顎をクイと持ち上げる。

「こうして言葉を交わしたのは何百年ぶりかな」

「さあ、もう忘れてしまいました」

「…私は怒っているよ、薄雪」

「そうだね。怒っている目をしている」

「まさか再会した君がここまで穢れているとは思わなかった」

男性が顔を歪めて私を睨みつけた。えええ…初対面で敵意むき出し。こ、こわーーー…。
ビビり散らしている私には目もくれず、ふたりの少女が薄雪に駆け寄った。

「ヌシサマ」

「ヌシサマ」

「穢れてる」

「ひどく穢れてる」

「あの清らかなヌシサマが」

「妖力もずいぶん減った」

「なんてこと」

「綾目のせい」

「許さない」

「ヌシサマ、綾目どこにいるの」

「お仕置きする」

「ヌシサマこんな穢した」

「けがらわしいコチラ側に」

「ヌシサマ閉じ込めた」

「綾目だめな子」

「悪い子」

「しつけ必要」

「ひぃぃぃっ」

トイレの中から綾目の怯えた声が聞こえてきた。少女二人はそちらに顔を向け、ふよふよ浮いてトイレの中へすり抜けていった。それから聞こえた綾目の叫び声は、耳を塞ぎたくなるほど痛々しかった。

そんな彼らには一切興味がないというように、男性は薄雪をじっと見つめていた。思いつめた表情で唇を噛んでいる。

「薄雪。私が君をアチラ側へ連れて帰る。彼女との縁は私がほどこう。だから戻りなさい」

薄雪は微笑みながら、小さく首を振った。

「いいえ。私はコチラ側がいいのです」

「君を目に映すヒトがいるからかい」

「はい」

「こんなに穢されているのに」

「構いません」

「こんなっ…!」

男性は薄雪の袖をめくりあげた。彼の腕には、私が3か月前につけた噛み痕が鮮明に残っている。え!?なんで痕消えてないの!?

喜代春は噛み痕を見て顔を歪める。

「こんな醜い傷痕まで付けられてもかい。薄雪…!」

「醜くなんてありません。美しいでしょう」

「どこが美しいんだ。ああ…薄雪の美しい腕にこんなおぞましい痕が…」

しっつれいだなあ…。そもそも薄雪が噛めって言ったからつけただけなのにさ…。

そんなことを考えながらムスっとしていると、男性にギロっと睨まれた。

「ああ。やはりヒトは薄雪を痛めつけることしかしないんだね。彼らは例外だった。このような煩悩にまみれ、怠惰で生きる目的もないヒトのどこに惹かれたというんだ薄雪」

くそぉっ…悪口言われてるけど全部当たってるーーーーっ!言い返せないつらい!

ギリギリと歯ぎしりをしている私を見て、薄雪がクスっと笑った。いや何がおもろいねん。誰だよこの男。

「すみません花雫。紹介しますね。彼は喜代春。あなたも名前は覚えているでしょう?」

「へっ!?き、キヨハル!?」

「はい」

ちょっと待って!!私のイメージしてたキヨハルと違う!!ワンコ系サイコパスドSどこいった!!おじさま系サイコパスドS!?こんな…!和服着て落ち着いた雰囲気のおじさまがサイコパスでドSなの!?…ちょっと良い!!性癖に刺さる!!

「……彼女は何を言っているんだい」

「さあ。私もよく分かりません。ただ、あなたに好意を抱いたようですよ」

「なぜだ…」

「さあ」

「待って!?まさかキヨハルも私の心を読めるんですか!?」

「ええ。彼も大あやかしですから。ヒトの心を読むことなど容易いことです」

喜代春は私に冷たい視線を送り、扇子を顎に添えながら鼻で笑った。

「君の心はドロドロだね。見ていて吐き気がするよ」

「きゃーーーー!!!」

「…なぜ歓声をあげるんだ。たいていのヒトは罵倒したら怒るか悲しむのだが」

「彼女は少し歪んでいますので」

「はあ…。話にならない」

変態じみた私の反応に、キヨハルはドン引きしていた。そ、そんな汚物を見るような目で私を見ないでよ。ちょっとドキドキするでしょう!?

薄雪は菩薩のような表情を浮かべながら、トイレの方向を扇子で指した。

「それで、今綾目をお仕置きしている子たちが蓮華(れんげ)と蕣(むくげ)です。蓮華は喜代春がつくったモノ。蕣は私がつくったモノ」

「可愛かったですねえ。ムクゲは見たことありましたからすぐに分かりましたよ。初めて会った気がしないなあ。かわいい。私、あの子と一緒に寝てたのかあ」

「いえ。あなたが共に寝ていたのは私です」

「でもムクゲの姿に化けてたから、実質ムクゲと寝てました!」

「いえ。蕣ではなく私です」

「君」

「うっ?」

薄雪といつもと同じようなやりとりをしていると、キヨハルが今後は私の顎を扇子で持ち上げた。先ほどまで普通の瞳だったのに、いつの間にか瞳孔が猫のように細くなっている。これがこいつの本当の瞳ね。威圧的な目におしっこちびりそう。

「君の…薄雪との記憶を消していいかな?」

「は?」

「喜代春。おやめなさい。君はまた同じことを…」

薄雪が珍しく苛立ちのこもった声を出した。キヨハルは肩をすくめる。

「君は今日アチラ側に戻るんだ。この娘は少なからず君に好意を抱いている。今生の別れをして嘆かせるくらいなら、いっそのこと記憶を消してやった方がいいと、私は思うのだが」

「残念ですが喜代春。私はアチラ側には…」

喜代春は薄雪の唇に扇子を当てて言葉を遮った。

「薄雪。君も気付いているのだろう。彼女も気付いているよ。あやかしとヒトが結ばれることなんてない。彼女はいつかヒトと番になるんだ。他のヒトの目に映らない、金を稼ぐこともできないあやかしである君が、一生付きまとうなんて。彼女にとっては迷惑でしかないんだよ」

「っ…!」

「……」

私と薄雪は黙り込んだ。言い返すことができない。彼の言ったことは全部、今まで私が考えたことのあることだったから。薄雪のこと、迷惑なんて思ってないけど、やっぱりゴリゴリ減っていく貯金残高を眺めてたら気分が落ち込むし。だからと言って出て行って欲しいとは思ってないけど…。
薄雪も考えたことがあるのか、目を伏せて私からふいと顔を背けた。
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