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学院編:オヴェルニー学院
【158話】呪縛
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鏡台の前で髪を梳いていたジュリアが、鏡に映った人影を見てため息をついた。
「はぁ。今日くらいはゆっくりさせてもらえないかしら?」
「そうもいかないよ。君も分かってるでしょジュリア」
「…なんのことか分かりませんわ。私、もう寝るところですの。申し訳ないけど日を改めてくださる?」
妹の言葉を無視してヴィクスが部屋の中へ入ってきた。ジュリアの背後に立ち、胸元で揺れているオパールのネックレスをそっと握った。
「!」
「ウィルクはサファイアのピアスを付けていた。君たちの誕生石だね」
「…ちっ」
ジュリアは自分の迂闊さに舌打ちをした。
「女性には誕生石のネックレスを、男性には誕生石のピアスを贈るのは…確かポントワーブのならわしだ」
「…はあ、だからあなたのことは好きになれないのよ。鋭敏すぎるのも考えものね」
「光栄だなあ。君にそんなことを言わせるなんて僕くらいしかいないんじゃない?」
「そうね。あなたほど賢い人は見たことがないわ」
「それはどうも」
ジュリアは兄の手を払いのけ、再び髪を梳かし始めた。ヴィクスはベッドに腰かけ足を組み、ジュリアをじっと見ている。鏡越しに感じる視線にうんざりしながらジュリアは兄に声をかけた。
「いつ気付いたのです?ウィルクのピアスを見てから?」
「10カ月前から彼らがポントワーブから消えた。どこにもいなかったんだ。そんな中あの吸血鬼事件が起こったでしょ?学院は教師が退治したって報告してきたけど、聖魔法を使えない彼らがどうやって吸血鬼を倒すんだい?どうもきな臭いと思っていたんだよね」
「ヴィクスお兄さま…あなた、あの方が聖魔法を使えることも知っていたのですか…?」
「え?彼女自身が聖魔法を?…いや、知らなかった。僕はS級冒険者に付与してもらった聖属性武器を持っていると思っていただけだよ。驚いたな…まさか聖魔法まで使えるとは…。いや、200年前の王妃は元聖女だ。使えてもおかしくないか…?いやしかし…ミモレス王妃の他で聖魔法を使える王族なんていなかった…。とんでもないな、彼らは…」
「ああ…私ったら。いらない情報を渡してしまったわ…」
「ああ。とても有益な情報だよ。ありがとうジュリア」
「ちっ…」
「話は逸れたけど、吸血鬼事件以降僕は学院に探りを入れてたんだ。でもいつもよりガードが堅かった。学院に入ることはおろか、学院内の情報もほとんど得られなかった。はじめは吸血鬼事件のせいかとも思ったけど、それにしては王族関係者を警戒しすぎてるように見えた。おそらくあのS級冒険者が学院にきつく言ったんだろうね。それでほぼ確信はしていたよ」
「それ、お母さまは…」
「もちろん気付いていない。…気付かせていないって言った方が正しいかな」
「そう…」
安堵のため息をつくジュリアを見てヴィクスがくすりと笑った。妹の首元を指さして軽く振る。
「で、君たちがそんなアクセサリーをしてたから疑う余地はなくなった。在学していた生徒のなかでポントワーブ出身の貴族はいないはずだしね。ふふ。いいなあ。僕も欲しいな」
「…あの方たちのことになると子供のような顔をしますのね」
ヴィクスはベッドにごろんと寝ころんだ。物欲しそうな顔でネックレスを凝視している。ジュリアはそんな兄に嫌悪感を隠そうともしない表情を向けた。
「ジュリア、君はいつから気付いてたんだい?」
「確信したのはこのネックレスをいただいたときですわ。でも…始めから違和感を抱いていました。銀色の髪と灰色の瞳の、顔立ちがよく似ている兄妹。特にアウス様は…時折あなたとそっくりな表情を浮かべる時がありましたもの。
その上彼らはリングイール家という私ですら聞き覚えのない貴族を名乗っていた。はじめは私が認知していない小さな貴族の方なのかとも考えましたが…だったらリリー寮に入ることはできないはずです。9か月かけてこの国の貴族を調べ上げましたが、そんな貴族存在しませんでしたわ」
「へえ?さすがジュリアだね。出会ったときから気付いていたのかい」
「いいえ。まさかそんな。彼らが学院に転入してくるなんて思うわけないじゃありませんか。はじめは…私がただ彼らにまだ見ぬ家族を重ねているだけだと思っていましたわ。
彼女ははじめ魔法をほとんど全く使えなかった。モリア様は並外れた魔法能力値を持っているとあなたから聞いていたから、期待を裏切られて勝手にがっかりしちゃったわ。それでずいぶん意地悪な態度を取ってしまった。あああ…今思うと恥ずかしすぎて死んでしまいそうですわ…」
「それでこそジュリアだ。気に入らない人にはどんどん意地悪してくれ」
「からかわないでいただけます?」
「それで?お兄さまにはどんな態度を取っていたんだい?」
「アウス様には…聞かないでくださいまし…」
顔を真っ赤にして俯いたジュリアを見て、ヴィクスは身を乗り出した。
「もしかして、恋でもしたのかな?」
「だからあなたのそういう察しの良いところが嫌いなんですの!!」
「同じ特徴を持った魅力的な人に、ずっと想い続けていた兄を重ねてしまって独占欲に駆られるのも無理はないよ。それにあの方は本当に素敵な人だしなにより美しい。ああ、僕も早く会いたいなぁ。ジュリアの初恋の人に」
「もう!お兄さま!これ以上私をからかうのなら氷漬けにしますわよ!?」
「君に魔法を教えたのは誰だい?僕だよ?」
「フンっ!私はこの9か月間、お姉さまに魔法を教えていただいたのですわよ?それに今のあなたの弱体化した魔力にだったら負ける気がしませんわ」
「お姉さまに魔法を?それは羨ましい。でも、それでも君は僕に敵わない。だって僕は剣も得意だ」
「その今にも死んでしまいそうな体でしたらウィルクにも負けてしまうのではなくて?ウィルクはお兄さまに剣を教えてもらっていましたのよ」
「ええ…羨ましすぎてはらがたってきたよ。はあ。この話はもうやめよう。…で?結局君が彼らの正体に気付いたきっかけはなに?」
「吸血鬼事件ですわ。アウス様の並外れた基礎能力値に関してはその前から知っていましたが。…吸血鬼事件で底知れないモリア様の魔法能力値も目視できたので、そこでやっと自分の直感は正しかったのだと思い直しました。それからですわね。私がリングイール家について調べ始めたのは。
さらに言えば、あの日以降ウィルクが彼らの事を"お兄さま""お姉さま"と呼び始めました。ほぼ間違いなくウィルクは彼らに正体を教えてもらったのでしょうね。それに…お二人は少し抜けていらっしゃるので…私の事を"妹"と呼びそうになることも少なくありませんでしたわ。気付かない方が不自然です」
「へえ?彼らは少し抜けているのかい?」
ヴィクスは妹の話を聞いてクスクス笑っている。ジュリアもつられて笑い、わざとらしく嫌味を言った。
「ええ。誰かさんとは違ってとても可愛げのある方たちでしたわよ」
「ジュリア、勘弁しておくれよ。僕に可愛げを求めないでくれ」
「そうですわよね。お兄さまは狡猾さが売りですもの」
「兄に向ってひどいことを言うなあ」
「本当のことですわ」
「…一度、子どものように甘えてみたいものだよ」
「……」
少しの間沈黙が流れた。ヴィクスが天井を見つめながらぼそりと呟く。
「僕は、彼らが楽しそうに笑っているところを見たことがないんだ」
「……」
「無表情で、痛いことをされても声一つ出さなかった。牢屋の隅っこでうずくまっているか、気を失ってぐったりしているか、瀕死の片方をぎゅっと抱きしめて震えているかのどれかだった。拷問と暗殺に疲れ切って…涙なんてとっくの昔に枯れていた」
「…そんな彼らなら、もちろん毒にも慣れていますわね」
「そうだね。ミアーナから聞いたことがあるよ。彼らに3日に1度だけ用意される食事には、いつも毒が混ぜられていた。それを全て食べないと拷問される。まずアウス様が毒見して、モリア様が耐えられる毒であれば分け合い、猛毒であればアウス様がひとりで平らげていたそうだ。モリア様が心配しないよう、アウス様は毒を楽しんでいるように見せていたらしいよ」
「…いえ、あれは素で毒を楽しんでいましたわ。毒を受けすぎておかしくなってしまったのですね…。おいたわしい」
「ん?なんの話だい?」
「なんでもありませんわ。ところで、ミアーナとは?」
「ああ、君はミアーナを知らないのか。彼らの乳母だよ。僕はお母さまに内緒でよく彼女を部屋に呼んで彼らの話を聞いていたんだ」
「そうなのですね。私は会ったことがありませんわ。彼女は今どこへ?」
「父上によって8年前に処刑されたよ」
「え…」
「もともと父上と母上はミアーナのことを良く思っていなかった。何度暗殺を試みても、ミアーナが彼らに強力な加護魔法をかけていたせいで死ななかったんだ。母上はだからこそお二人にあんな無茶苦茶なことをしていたんだけど…。
母上がミアーナを処刑しようとするのを僕が何度止めたことか。…でも、ミアーナは僕でも庇いきれない大罪を犯した。国宝である短剣を持ちだし、森に捨てた彼らに預けてしまったんだ。それを知った父上と母上は大喜びで、彼女が森から帰って来たらその日のうちに首をはねたよ」
「そんなことがあったのですか…」
「ああ。君はそのとき4歳だったから知らないだろうけど、あの日はなかなか…辛かったよ」
「お兄さま…」
「…ジュリア、学院にいた彼らは…楽しそうに笑っていたかい?」
「…ええ、とっても」
「痩せこけていなかったかい?」
「細見でしたが、健康的な体でしたわ。それに誰よりもよく食べます」
「そう。良かった」
「彼らよりもあなたの方が心配ですわ。ちゃんと食べていますの?そのやせ細り具合は病的ですわよ」
「僕は大丈夫だよ。…あと数年、この体がもてばそれでいいしね」
微笑むヴィクスの目から一筋の涙が流れた。空に向かって腕を差し出し、なにかを抱きしめるような仕草をした。
「…それほど愛しておられるのに、どうしてひどい目にばかり遭わせるのです?」
「今更それを聞くのかいジュリア。君には全て話してあるだろう?それに、ひどい目に遭わせているのは父上と母上だ。僕がどれほど手の込んだ細工をして彼らをギリギリのところで死なせないようにしていると思っているんだい?」
「魔女の件を言っていますの?その件は、面倒なことは全て私がやりましたのよ」
「僕の指示でね」
「でも仕事をしたのは私ですわ」
「仕方ないじゃないか。僕は僕で忙しかったんだ。彼らの命だけは取らないよう魔女と交渉していたんだから。対価として命と魔力の器を半分ずつ奪われたんだよ。遠く離れているから魔女が死んでも戻ってこなかったし。なにより母上に悟られないようコソコソ使者を遣わすのにたいそう手間がかかった」
「あなたが一言お母さまに、そんなことやめてくれと言えば良かったのではなくて?」
「それじゃあ意味がないんだよ。そんなことをしたって僕の望む未来は来ない」
「私は…他に方法はないのかと聞いているのです。あの方たちがこれ以上辛い思いをせずに済む方法は…」
「さあ。僕には思い浮かばない」
「あなたが辿り着こうとしている未来までに、彼らが死ぬかもしれないのよ」
「死なないよ。死なないようにちゃんと抜け道を作るから」
「でも…」
反論しようとするジュリアの言葉をヴィクスが遮った。
「そういえばジュリア。ウィルクが僕の洗脳から解けちゃった。あれもあの方たちの影響かい?」
「話をそらさないでくださる?」
「逸らすに決まってるだろう?君まで目先の情にほだされて手を引くなんて言い出したらたまったものじゃない。ウィルクは充分仕事をしてくれたからもう手伝ってくれなくなっても別にいいけど、君まで手を貸してくれなくなったら僕はどうしようもない」
「私は…もう、あの方たちに血を流して欲しくはありませんわ」
「君の気持ちは分かるよ。僕だってそうだ。あの方たちには幸せになってほしい。だからこそ、今を耐えなければいけないんだよ」
「分かっていますわ。でも…!」
「ジュリア、君はあの方たちが好きかい?」
「大好きですわ」
「そう。…君が手を引くのなら、僕はお母さまに口添えするのをやめる。もう小細工もしない」
「えっ…?」
「そうしたらどうなる?」
「……」
ジュリアは唇を噛んで黙り込んだ。今まで王妃の企みが上手くいかなかったのはヴィクスが一枚噛んでいたからだ。そしてこれから彼らに待ち受けている王妃の罠にも、ヴィクスが全て手を打っている。王妃が気付かない程度の細い細い糸のような手を幾重にも張り巡らせているのだ。そのおかげで彼らは今まで九死に一生を得ていた。逆に言えば、ヴィクスがいなければ彼らはとっくに死んでいただろう。ジュリアがヴィクスに従わなければ…大切な人が死んでしまうのは火を見るよりも明らかだった。
ヴィクスは起き上がり、ジュリアの髪を指で弄びながら耳元で囁いた。
「もう一度聞くね。ジュリア、これからも僕に協力してくれるかい?」
「…分かりましたわ。ただし、これからのことであの方たちに万が一のことがあったら…私はあなたを殺しますわよ」
「是非そうしてくれ。彼らがいない世界で生きる意味が見当たらない。ただひとつ我儘を言うなら、その時は腹を短剣で何度も刺して殺しておくれ」
「はぁ。今日くらいはゆっくりさせてもらえないかしら?」
「そうもいかないよ。君も分かってるでしょジュリア」
「…なんのことか分かりませんわ。私、もう寝るところですの。申し訳ないけど日を改めてくださる?」
妹の言葉を無視してヴィクスが部屋の中へ入ってきた。ジュリアの背後に立ち、胸元で揺れているオパールのネックレスをそっと握った。
「!」
「ウィルクはサファイアのピアスを付けていた。君たちの誕生石だね」
「…ちっ」
ジュリアは自分の迂闊さに舌打ちをした。
「女性には誕生石のネックレスを、男性には誕生石のピアスを贈るのは…確かポントワーブのならわしだ」
「…はあ、だからあなたのことは好きになれないのよ。鋭敏すぎるのも考えものね」
「光栄だなあ。君にそんなことを言わせるなんて僕くらいしかいないんじゃない?」
「そうね。あなたほど賢い人は見たことがないわ」
「それはどうも」
ジュリアは兄の手を払いのけ、再び髪を梳かし始めた。ヴィクスはベッドに腰かけ足を組み、ジュリアをじっと見ている。鏡越しに感じる視線にうんざりしながらジュリアは兄に声をかけた。
「いつ気付いたのです?ウィルクのピアスを見てから?」
「10カ月前から彼らがポントワーブから消えた。どこにもいなかったんだ。そんな中あの吸血鬼事件が起こったでしょ?学院は教師が退治したって報告してきたけど、聖魔法を使えない彼らがどうやって吸血鬼を倒すんだい?どうもきな臭いと思っていたんだよね」
「ヴィクスお兄さま…あなた、あの方が聖魔法を使えることも知っていたのですか…?」
「え?彼女自身が聖魔法を?…いや、知らなかった。僕はS級冒険者に付与してもらった聖属性武器を持っていると思っていただけだよ。驚いたな…まさか聖魔法まで使えるとは…。いや、200年前の王妃は元聖女だ。使えてもおかしくないか…?いやしかし…ミモレス王妃の他で聖魔法を使える王族なんていなかった…。とんでもないな、彼らは…」
「ああ…私ったら。いらない情報を渡してしまったわ…」
「ああ。とても有益な情報だよ。ありがとうジュリア」
「ちっ…」
「話は逸れたけど、吸血鬼事件以降僕は学院に探りを入れてたんだ。でもいつもよりガードが堅かった。学院に入ることはおろか、学院内の情報もほとんど得られなかった。はじめは吸血鬼事件のせいかとも思ったけど、それにしては王族関係者を警戒しすぎてるように見えた。おそらくあのS級冒険者が学院にきつく言ったんだろうね。それでほぼ確信はしていたよ」
「それ、お母さまは…」
「もちろん気付いていない。…気付かせていないって言った方が正しいかな」
「そう…」
安堵のため息をつくジュリアを見てヴィクスがくすりと笑った。妹の首元を指さして軽く振る。
「で、君たちがそんなアクセサリーをしてたから疑う余地はなくなった。在学していた生徒のなかでポントワーブ出身の貴族はいないはずだしね。ふふ。いいなあ。僕も欲しいな」
「…あの方たちのことになると子供のような顔をしますのね」
ヴィクスはベッドにごろんと寝ころんだ。物欲しそうな顔でネックレスを凝視している。ジュリアはそんな兄に嫌悪感を隠そうともしない表情を向けた。
「ジュリア、君はいつから気付いてたんだい?」
「確信したのはこのネックレスをいただいたときですわ。でも…始めから違和感を抱いていました。銀色の髪と灰色の瞳の、顔立ちがよく似ている兄妹。特にアウス様は…時折あなたとそっくりな表情を浮かべる時がありましたもの。
その上彼らはリングイール家という私ですら聞き覚えのない貴族を名乗っていた。はじめは私が認知していない小さな貴族の方なのかとも考えましたが…だったらリリー寮に入ることはできないはずです。9か月かけてこの国の貴族を調べ上げましたが、そんな貴族存在しませんでしたわ」
「へえ?さすがジュリアだね。出会ったときから気付いていたのかい」
「いいえ。まさかそんな。彼らが学院に転入してくるなんて思うわけないじゃありませんか。はじめは…私がただ彼らにまだ見ぬ家族を重ねているだけだと思っていましたわ。
彼女ははじめ魔法をほとんど全く使えなかった。モリア様は並外れた魔法能力値を持っているとあなたから聞いていたから、期待を裏切られて勝手にがっかりしちゃったわ。それでずいぶん意地悪な態度を取ってしまった。あああ…今思うと恥ずかしすぎて死んでしまいそうですわ…」
「それでこそジュリアだ。気に入らない人にはどんどん意地悪してくれ」
「からかわないでいただけます?」
「それで?お兄さまにはどんな態度を取っていたんだい?」
「アウス様には…聞かないでくださいまし…」
顔を真っ赤にして俯いたジュリアを見て、ヴィクスは身を乗り出した。
「もしかして、恋でもしたのかな?」
「だからあなたのそういう察しの良いところが嫌いなんですの!!」
「同じ特徴を持った魅力的な人に、ずっと想い続けていた兄を重ねてしまって独占欲に駆られるのも無理はないよ。それにあの方は本当に素敵な人だしなにより美しい。ああ、僕も早く会いたいなぁ。ジュリアの初恋の人に」
「もう!お兄さま!これ以上私をからかうのなら氷漬けにしますわよ!?」
「君に魔法を教えたのは誰だい?僕だよ?」
「フンっ!私はこの9か月間、お姉さまに魔法を教えていただいたのですわよ?それに今のあなたの弱体化した魔力にだったら負ける気がしませんわ」
「お姉さまに魔法を?それは羨ましい。でも、それでも君は僕に敵わない。だって僕は剣も得意だ」
「その今にも死んでしまいそうな体でしたらウィルクにも負けてしまうのではなくて?ウィルクはお兄さまに剣を教えてもらっていましたのよ」
「ええ…羨ましすぎてはらがたってきたよ。はあ。この話はもうやめよう。…で?結局君が彼らの正体に気付いたきっかけはなに?」
「吸血鬼事件ですわ。アウス様の並外れた基礎能力値に関してはその前から知っていましたが。…吸血鬼事件で底知れないモリア様の魔法能力値も目視できたので、そこでやっと自分の直感は正しかったのだと思い直しました。それからですわね。私がリングイール家について調べ始めたのは。
さらに言えば、あの日以降ウィルクが彼らの事を"お兄さま""お姉さま"と呼び始めました。ほぼ間違いなくウィルクは彼らに正体を教えてもらったのでしょうね。それに…お二人は少し抜けていらっしゃるので…私の事を"妹"と呼びそうになることも少なくありませんでしたわ。気付かない方が不自然です」
「へえ?彼らは少し抜けているのかい?」
ヴィクスは妹の話を聞いてクスクス笑っている。ジュリアもつられて笑い、わざとらしく嫌味を言った。
「ええ。誰かさんとは違ってとても可愛げのある方たちでしたわよ」
「ジュリア、勘弁しておくれよ。僕に可愛げを求めないでくれ」
「そうですわよね。お兄さまは狡猾さが売りですもの」
「兄に向ってひどいことを言うなあ」
「本当のことですわ」
「…一度、子どものように甘えてみたいものだよ」
「……」
少しの間沈黙が流れた。ヴィクスが天井を見つめながらぼそりと呟く。
「僕は、彼らが楽しそうに笑っているところを見たことがないんだ」
「……」
「無表情で、痛いことをされても声一つ出さなかった。牢屋の隅っこでうずくまっているか、気を失ってぐったりしているか、瀕死の片方をぎゅっと抱きしめて震えているかのどれかだった。拷問と暗殺に疲れ切って…涙なんてとっくの昔に枯れていた」
「…そんな彼らなら、もちろん毒にも慣れていますわね」
「そうだね。ミアーナから聞いたことがあるよ。彼らに3日に1度だけ用意される食事には、いつも毒が混ぜられていた。それを全て食べないと拷問される。まずアウス様が毒見して、モリア様が耐えられる毒であれば分け合い、猛毒であればアウス様がひとりで平らげていたそうだ。モリア様が心配しないよう、アウス様は毒を楽しんでいるように見せていたらしいよ」
「…いえ、あれは素で毒を楽しんでいましたわ。毒を受けすぎておかしくなってしまったのですね…。おいたわしい」
「ん?なんの話だい?」
「なんでもありませんわ。ところで、ミアーナとは?」
「ああ、君はミアーナを知らないのか。彼らの乳母だよ。僕はお母さまに内緒でよく彼女を部屋に呼んで彼らの話を聞いていたんだ」
「そうなのですね。私は会ったことがありませんわ。彼女は今どこへ?」
「父上によって8年前に処刑されたよ」
「え…」
「もともと父上と母上はミアーナのことを良く思っていなかった。何度暗殺を試みても、ミアーナが彼らに強力な加護魔法をかけていたせいで死ななかったんだ。母上はだからこそお二人にあんな無茶苦茶なことをしていたんだけど…。
母上がミアーナを処刑しようとするのを僕が何度止めたことか。…でも、ミアーナは僕でも庇いきれない大罪を犯した。国宝である短剣を持ちだし、森に捨てた彼らに預けてしまったんだ。それを知った父上と母上は大喜びで、彼女が森から帰って来たらその日のうちに首をはねたよ」
「そんなことがあったのですか…」
「ああ。君はそのとき4歳だったから知らないだろうけど、あの日はなかなか…辛かったよ」
「お兄さま…」
「…ジュリア、学院にいた彼らは…楽しそうに笑っていたかい?」
「…ええ、とっても」
「痩せこけていなかったかい?」
「細見でしたが、健康的な体でしたわ。それに誰よりもよく食べます」
「そう。良かった」
「彼らよりもあなたの方が心配ですわ。ちゃんと食べていますの?そのやせ細り具合は病的ですわよ」
「僕は大丈夫だよ。…あと数年、この体がもてばそれでいいしね」
微笑むヴィクスの目から一筋の涙が流れた。空に向かって腕を差し出し、なにかを抱きしめるような仕草をした。
「…それほど愛しておられるのに、どうしてひどい目にばかり遭わせるのです?」
「今更それを聞くのかいジュリア。君には全て話してあるだろう?それに、ひどい目に遭わせているのは父上と母上だ。僕がどれほど手の込んだ細工をして彼らをギリギリのところで死なせないようにしていると思っているんだい?」
「魔女の件を言っていますの?その件は、面倒なことは全て私がやりましたのよ」
「僕の指示でね」
「でも仕事をしたのは私ですわ」
「仕方ないじゃないか。僕は僕で忙しかったんだ。彼らの命だけは取らないよう魔女と交渉していたんだから。対価として命と魔力の器を半分ずつ奪われたんだよ。遠く離れているから魔女が死んでも戻ってこなかったし。なにより母上に悟られないようコソコソ使者を遣わすのにたいそう手間がかかった」
「あなたが一言お母さまに、そんなことやめてくれと言えば良かったのではなくて?」
「それじゃあ意味がないんだよ。そんなことをしたって僕の望む未来は来ない」
「私は…他に方法はないのかと聞いているのです。あの方たちがこれ以上辛い思いをせずに済む方法は…」
「さあ。僕には思い浮かばない」
「あなたが辿り着こうとしている未来までに、彼らが死ぬかもしれないのよ」
「死なないよ。死なないようにちゃんと抜け道を作るから」
「でも…」
反論しようとするジュリアの言葉をヴィクスが遮った。
「そういえばジュリア。ウィルクが僕の洗脳から解けちゃった。あれもあの方たちの影響かい?」
「話をそらさないでくださる?」
「逸らすに決まってるだろう?君まで目先の情にほだされて手を引くなんて言い出したらたまったものじゃない。ウィルクは充分仕事をしてくれたからもう手伝ってくれなくなっても別にいいけど、君まで手を貸してくれなくなったら僕はどうしようもない」
「私は…もう、あの方たちに血を流して欲しくはありませんわ」
「君の気持ちは分かるよ。僕だってそうだ。あの方たちには幸せになってほしい。だからこそ、今を耐えなければいけないんだよ」
「分かっていますわ。でも…!」
「ジュリア、君はあの方たちが好きかい?」
「大好きですわ」
「そう。…君が手を引くのなら、僕はお母さまに口添えするのをやめる。もう小細工もしない」
「えっ…?」
「そうしたらどうなる?」
「……」
ジュリアは唇を噛んで黙り込んだ。今まで王妃の企みが上手くいかなかったのはヴィクスが一枚噛んでいたからだ。そしてこれから彼らに待ち受けている王妃の罠にも、ヴィクスが全て手を打っている。王妃が気付かない程度の細い細い糸のような手を幾重にも張り巡らせているのだ。そのおかげで彼らは今まで九死に一生を得ていた。逆に言えば、ヴィクスがいなければ彼らはとっくに死んでいただろう。ジュリアがヴィクスに従わなければ…大切な人が死んでしまうのは火を見るよりも明らかだった。
ヴィクスは起き上がり、ジュリアの髪を指で弄びながら耳元で囁いた。
「もう一度聞くね。ジュリア、これからも僕に協力してくれるかい?」
「…分かりましたわ。ただし、これからのことであの方たちに万が一のことがあったら…私はあなたを殺しますわよ」
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