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決戦編:カトリナ
プロポーズ
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サンプソンとカトリナがS級冒険者として初めて再会したのは、サンプソンが二十七歳の時に参加したギルド本部会議のために王都に出向いたある春の日だった。
マデリアが寝坊をしたせいで遅刻した本部会議。何も考えずに空いた席に座ると、ひときわ美しい女性が目に入った。
「「え……」」
そこには、化粧っけのない、防具に身を包んだカトリナがいた。
サンプソンの全身が震え、息も忘れて彼女を見つめる。
(どうしてカトリナがギルド本部会議に……? あの恰好、冒険者だよね。まさかカトリナもS級冒険者に? そんな話……知らなかった)
動揺しているサンプソンに気付いたマデリアがニッと口角を上げる。
「知らなかったでしょう」
「あ、ああ……。もしかして君は知っていたのかい?」
「もちろん。すごい噂になっていたもの」
「僕の耳には入ってなかったけど……」
「私たちが聞かせないようにしていたのよ。そもそもあなた、カトリナの結婚の噂なんて聞きたくないから、貴族の噂は聞かせるなって言ってたし」
「だからってこんなことまで隠さなくても……」
「そっちの方が面白いと思って」
「おいおい、他人事だと思って面白がって……」
よく見ると、クルドやミント、ブルギーもこちらを見て笑いを堪えている。
ジトッとした目で彼らを睨んでいると、いつの間にか背後に立っていた長身痩躯の青年が突然サンプソンの髪を引っ張った。
サンプソンに殺意を向ける、ジルと呼ばれる青年。大騒ぎした末にカミーユに回収された彼の背中を見ながら、サンプソンは口元を緩める。
(ああ、カトリナの騎士か。カトリナが手紙でよくジルの話をしていて、妬いてたんだよね。そうか、彼もカトリナと一緒にS級冒険者に……。よほどカトリナのことが大切なんだな)
ギルド本部会議が終わると、マデリアに肩を叩かれた。
「ん、なんだい?」
「今晩、カトリナと話して来なさい」
「え……」
「プロポーズしなさい」
「い、いや。今さらそんな……」
「何を言っているの? 今だからこそできるんでしょう。あなたはただのサンプソンになり、カトリナもオーヴェルニュ家を出て冒険者として生活している。今、あなたとカトリナはほぼ対等の立場よ」
「……」
そこまで言って、マデリアは考え込んだ。
「……その前に、私たちの事情を話しておくべきね。じゃないとあなたは気まぐれに婚約破棄をしたろくでなしだと思われているだろうから」
「それで間違いないんだけどね」
「いいえ。そんなの私が嫌よ。今から話にいきましょう。さっき殺意むき出しだった男の子も交えて。プロポーズは明日の夜ね」
「ちょ、ちょっとマデリア……」
躊躇しているサンプソンを、マデリアがカトリナの元まで連れて行った。
「カトリナ。ちょっと話があるの。良い?」
「……あなたは……」
カトリナの視線が、マデリアの左手に流れる。はじめは魔物の手だと気付いたのかと思ったが、そうではなくて薬指に指輪を嵌めていないか確認したのだと分かり、マデリアはクスクス笑う。
「安心して。私とサンプソンはそういう関係じゃないわ。でも、あなたの人生に大きく影響を与えてしまった人間であることには違いないの。話を聞いてほしいわ。そこのガリガリ君も一緒に」
マデリアに手招きされたジルは、眉を寄せる。
「もしかして僕のことを言ってる?」
「そうよ、ジル。あなたも。大事な話なの」
「……」
それから四人は、騒音で満ちている居酒屋に入った。
マデリアは淡々と、サンプソンが経験してきたことを包み隠さず話す。
話を聞いていたカトリナが、途中で涙を流していた。
「そうだったのね……。そんな……むごいことが……」
「ええ。だからサンプソンはあなたと結婚できなかったの。あなたと私を守るために」
「……」
「サンプソンはずっと、あなたのことを愛していたわ。それはずっとそばにいた私が知っている」
「……そう……」
あまりにひどい話に、カトリナはそれ以上応えられなかった。
サンプソンは俯いたままで、ジルとマデリアは無表情で虚空を眺める。
それ以上は話が続かなかったので、彼らは店を出て、それぞれの宿に帰った。
そして翌晩、サンプソンはカトリナにプロポーズをした。
だが彼女は首を縦に振らなかった。
「怖いの……。私はもう、一番好きな人を失いたくないの。……もしあなたと結ばれたら、私はもっとあなたのことを愛してしまうわ。私が持っている愛情を全てあなたに注いだあとに、あなたが死んでしまったら……」
十二年間培ってきた愛情は、六年経っても色褪せることはなかった。
それなのに……愛し合っているのに、結ばれない。
「僕とカトリナは、こういう運命なのかな」
宿に戻ったサンプソンは、寝室の窓辺で呟いた。
それが聞こえていたマデリアは小さく首を振る。
「いいえ。あなたとカトリナは結ばれるべきよ。だってこんなに愛し合っているんだもの」
「でも、だからこそカトリナは、僕と結婚したくないと言う。僕をまた失いたくないからって……」
「おかしな話ね。人は誰しも死ぬのに」
「職業柄、死ぬ確率が高いからだよ」
「だったら、死なないようにあなたがもっと強くなればいい。平和な世の中を作ったらいい。ただそれだけのことでしょう?」
「……ふふ。君は簡単に無茶なことを言うんだから」
「あなたがカトリナを忘れるよりかは、簡単でしょう」
「確かにね」
◇◇◇
あの日から五年が経った今、サンプソンとカトリナは再び向かい合って座っている。
彼らが二人っきりで話すことは、この五年間で一度もなかった。
「……」
「……」
カトリナはまた顔を手で覆っている。泣いているのだろうな、とサンプソンでも察しはついた。彼はぽりぽりと頬を掻きながら、おそるおそる口を開く。
「……君とこうして二人っきりで話すのは、あの時以来だね」
「……そうね」
「元気だったかい?」
「……あなたはいつも話し始めにそれを言うのね。あの時もそうだったわ。元気なわけないでしょう?」
「そうだね。ごめん」
「あなたが会いに来てくれなくなって、どれほど寂しかったと思っているの? あなたに婚約破棄されて、どれだけ泣いたと思っているの? それなのによくもまあ、『元気だったかい?』なんて言えたものね。元気なわけないの、分かっているくせに」
「ごめん」
「あれから五年経ったけれど、この五年間あなたは会うたびに私の前で他の女の人を口説いて……何度心臓に矢を射てしまおうかと思ったか分からないわ。元気でいられるわけがないでしょう?」
「ふふ……ごめん」
「笑ったわね?」
「笑ってないよ。……ふふ」
「もう……」
「だって、ヤキモチを妬いてくれていたのが嬉しくて」
照れくさそうに笑うサンプソンにつられて、カトリナの頬も緩んでしまう。
「ヤキモチを妬いてくれてたってことは、君はまだ僕のことを忘れていないんだね」
「……さあ、どうかしらね」
「君にフラれて五年か。もう五年も経ってしまった。僕は三十歳を超えて、君ももう三十路だね」
「やめてくれる? 女性に向かって年齢の話なんて」
「おや、これは失礼」
わざとらしく頭を下げるサンプソンに、ふくれっ面で返すカトリナ。だがいつしか二人はまた微笑み合っていた。
サンプソンの手が、カトリナの頬に添えられる。
「カトリナ。僕はまだ言わないよ」
「……」
「この全てが終わって平和な国になってから、もう一度君にプロポーズをするからね」
「……」
「だから、二人とも生き残って、平和になったバンスティン国を見届けよう」
「……ええ」
そう言いながらも、二人はこうして話すのが最後かもしれないと思っていた。だからだろうか。
サンプソンとカトリナは、自然と引き寄せられるように、唇を重ねた。
マデリアが寝坊をしたせいで遅刻した本部会議。何も考えずに空いた席に座ると、ひときわ美しい女性が目に入った。
「「え……」」
そこには、化粧っけのない、防具に身を包んだカトリナがいた。
サンプソンの全身が震え、息も忘れて彼女を見つめる。
(どうしてカトリナがギルド本部会議に……? あの恰好、冒険者だよね。まさかカトリナもS級冒険者に? そんな話……知らなかった)
動揺しているサンプソンに気付いたマデリアがニッと口角を上げる。
「知らなかったでしょう」
「あ、ああ……。もしかして君は知っていたのかい?」
「もちろん。すごい噂になっていたもの」
「僕の耳には入ってなかったけど……」
「私たちが聞かせないようにしていたのよ。そもそもあなた、カトリナの結婚の噂なんて聞きたくないから、貴族の噂は聞かせるなって言ってたし」
「だからってこんなことまで隠さなくても……」
「そっちの方が面白いと思って」
「おいおい、他人事だと思って面白がって……」
よく見ると、クルドやミント、ブルギーもこちらを見て笑いを堪えている。
ジトッとした目で彼らを睨んでいると、いつの間にか背後に立っていた長身痩躯の青年が突然サンプソンの髪を引っ張った。
サンプソンに殺意を向ける、ジルと呼ばれる青年。大騒ぎした末にカミーユに回収された彼の背中を見ながら、サンプソンは口元を緩める。
(ああ、カトリナの騎士か。カトリナが手紙でよくジルの話をしていて、妬いてたんだよね。そうか、彼もカトリナと一緒にS級冒険者に……。よほどカトリナのことが大切なんだな)
ギルド本部会議が終わると、マデリアに肩を叩かれた。
「ん、なんだい?」
「今晩、カトリナと話して来なさい」
「え……」
「プロポーズしなさい」
「い、いや。今さらそんな……」
「何を言っているの? 今だからこそできるんでしょう。あなたはただのサンプソンになり、カトリナもオーヴェルニュ家を出て冒険者として生活している。今、あなたとカトリナはほぼ対等の立場よ」
「……」
そこまで言って、マデリアは考え込んだ。
「……その前に、私たちの事情を話しておくべきね。じゃないとあなたは気まぐれに婚約破棄をしたろくでなしだと思われているだろうから」
「それで間違いないんだけどね」
「いいえ。そんなの私が嫌よ。今から話にいきましょう。さっき殺意むき出しだった男の子も交えて。プロポーズは明日の夜ね」
「ちょ、ちょっとマデリア……」
躊躇しているサンプソンを、マデリアがカトリナの元まで連れて行った。
「カトリナ。ちょっと話があるの。良い?」
「……あなたは……」
カトリナの視線が、マデリアの左手に流れる。はじめは魔物の手だと気付いたのかと思ったが、そうではなくて薬指に指輪を嵌めていないか確認したのだと分かり、マデリアはクスクス笑う。
「安心して。私とサンプソンはそういう関係じゃないわ。でも、あなたの人生に大きく影響を与えてしまった人間であることには違いないの。話を聞いてほしいわ。そこのガリガリ君も一緒に」
マデリアに手招きされたジルは、眉を寄せる。
「もしかして僕のことを言ってる?」
「そうよ、ジル。あなたも。大事な話なの」
「……」
それから四人は、騒音で満ちている居酒屋に入った。
マデリアは淡々と、サンプソンが経験してきたことを包み隠さず話す。
話を聞いていたカトリナが、途中で涙を流していた。
「そうだったのね……。そんな……むごいことが……」
「ええ。だからサンプソンはあなたと結婚できなかったの。あなたと私を守るために」
「……」
「サンプソンはずっと、あなたのことを愛していたわ。それはずっとそばにいた私が知っている」
「……そう……」
あまりにひどい話に、カトリナはそれ以上応えられなかった。
サンプソンは俯いたままで、ジルとマデリアは無表情で虚空を眺める。
それ以上は話が続かなかったので、彼らは店を出て、それぞれの宿に帰った。
そして翌晩、サンプソンはカトリナにプロポーズをした。
だが彼女は首を縦に振らなかった。
「怖いの……。私はもう、一番好きな人を失いたくないの。……もしあなたと結ばれたら、私はもっとあなたのことを愛してしまうわ。私が持っている愛情を全てあなたに注いだあとに、あなたが死んでしまったら……」
十二年間培ってきた愛情は、六年経っても色褪せることはなかった。
それなのに……愛し合っているのに、結ばれない。
「僕とカトリナは、こういう運命なのかな」
宿に戻ったサンプソンは、寝室の窓辺で呟いた。
それが聞こえていたマデリアは小さく首を振る。
「いいえ。あなたとカトリナは結ばれるべきよ。だってこんなに愛し合っているんだもの」
「でも、だからこそカトリナは、僕と結婚したくないと言う。僕をまた失いたくないからって……」
「おかしな話ね。人は誰しも死ぬのに」
「職業柄、死ぬ確率が高いからだよ」
「だったら、死なないようにあなたがもっと強くなればいい。平和な世の中を作ったらいい。ただそれだけのことでしょう?」
「……ふふ。君は簡単に無茶なことを言うんだから」
「あなたがカトリナを忘れるよりかは、簡単でしょう」
「確かにね」
◇◇◇
あの日から五年が経った今、サンプソンとカトリナは再び向かい合って座っている。
彼らが二人っきりで話すことは、この五年間で一度もなかった。
「……」
「……」
カトリナはまた顔を手で覆っている。泣いているのだろうな、とサンプソンでも察しはついた。彼はぽりぽりと頬を掻きながら、おそるおそる口を開く。
「……君とこうして二人っきりで話すのは、あの時以来だね」
「……そうね」
「元気だったかい?」
「……あなたはいつも話し始めにそれを言うのね。あの時もそうだったわ。元気なわけないでしょう?」
「そうだね。ごめん」
「あなたが会いに来てくれなくなって、どれほど寂しかったと思っているの? あなたに婚約破棄されて、どれだけ泣いたと思っているの? それなのによくもまあ、『元気だったかい?』なんて言えたものね。元気なわけないの、分かっているくせに」
「ごめん」
「あれから五年経ったけれど、この五年間あなたは会うたびに私の前で他の女の人を口説いて……何度心臓に矢を射てしまおうかと思ったか分からないわ。元気でいられるわけがないでしょう?」
「ふふ……ごめん」
「笑ったわね?」
「笑ってないよ。……ふふ」
「もう……」
「だって、ヤキモチを妬いてくれていたのが嬉しくて」
照れくさそうに笑うサンプソンにつられて、カトリナの頬も緩んでしまう。
「ヤキモチを妬いてくれてたってことは、君はまだ僕のことを忘れていないんだね」
「……さあ、どうかしらね」
「君にフラれて五年か。もう五年も経ってしまった。僕は三十歳を超えて、君ももう三十路だね」
「やめてくれる? 女性に向かって年齢の話なんて」
「おや、これは失礼」
わざとらしく頭を下げるサンプソンに、ふくれっ面で返すカトリナ。だがいつしか二人はまた微笑み合っていた。
サンプソンの手が、カトリナの頬に添えられる。
「カトリナ。僕はまだ言わないよ」
「……」
「この全てが終わって平和な国になってから、もう一度君にプロポーズをするからね」
「……」
「だから、二人とも生き残って、平和になったバンスティン国を見届けよう」
「……ええ」
そう言いながらも、二人はこうして話すのが最後かもしれないと思っていた。だからだろうか。
サンプソンとカトリナは、自然と引き寄せられるように、唇を重ねた。
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