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決戦編:カトリナ
木陰で※
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マデリアがサンプソンの部屋に住み始めて一か月が経った頃、大公は魔術師のための新しい〝素材〟として一人の少年を連れ帰って来た。サンプソンはその少年もあれこれと理由をつけて自分の部屋に住まわせることに成功した。
その少年の名は、ムルと言った。
「ちょっとムル。それは私のごはんでしょ。取らないでよ」
「うっせー! 俺んだぁっ!」
「まあまあ。おかわりが欲しかったらいくらでもあげるから。人のものは取らないこと」
「ちぇーっ!」
落ち着きのあるニ十歳のサンプソン、無口だが人と共に過ごす時間が好きな十四歳のマデリア、そして口が悪いがサンプソンとマデリアを兄と姉のように慕う十歳のムルは、サンプソンの寝室という狭い世界で、平和でそれなりに幸せな時を過ごしていた。
ある日の昼過ぎ、使用人が寝室のドアをノックする。
「サンプソン様、お手紙です」
「……ああ」
宛名を見なくても誰からか分かった。毎週届くカトリナからの手紙だ。
その手紙のほとんどは、庭に咲いた花のことや、最近読んでいる本、姉と買い物に行ったなど、とりとめのないことばかり書かれていた。
「……」
だが、最後の一文に小さな文字で「会いたい」と書かれていた。
(そりゃそうだ。もう半年以上会いに行っていないんだから。こんなことを書く子じゃないのに、書いてしまうほど寂しい思いをさせてしまって……。僕も会いたい……)
窓辺に腰かけ、空を眺めながらため息をつくサンプソンの手に握られた手紙を、マデリアがひょいと取り上げた。
「あっ、こら!」
注意をしても、マデリアは構わず手紙を読んだ。最後まで読み終えた彼女はサンプソンに目をやり、手紙をひらひらと揺らす。
「あなた。早く会いに行ってあげなさいよ」
「……」
「なに? 私を寝室に住まわせていることで気まずく思ってるの?」
「……」
「じゃあ、私は今日からこの部屋を出て行くわ」
「何を言っているんだい!? そんなことをしたらどうなるか……」
「構わないわ。あなたの重荷になるのなら、私のことなんてどうでもいい」
「馬鹿なことを言うんじゃないよ。そんなのだめだ。ここにいるんだ」
「婚約者にちゃんと会いに行くのなら、ここにいるわ」
「……分かったよ」
バーンスタイン家からオーヴェルニュ家まで、馬車で半日かかる。いくら急いでも二日は家を空けなければならない。
万が一に備えて、サンプソンは大量の食べ物を寝室に持ち込み、サンプソンが部屋を出たら扉の前を家具で塞ぐように指示した。
「いいかい。絶対にドアを開けたらだめだからね。分かったかい?」
「ええ」
「ムルは? 分かったかい?」
「……」
ムルは返事をせず、唇をとがらせてサンプソンにしがみついた。
「……大丈夫だよ。明後日には帰るから」
「うぅぅ~……」
「ムル、泣かないで。すぐに帰って来るから」
しがみついて離れないムルをしばらくあやしてから、サンプソンは城を出た。
◇◇◇
「カトリナ!」
「まあ……サンプソン?」
サンプソンがオーヴェルニュ家に到着したのは翌日の朝だった。
庭で姉とお茶を飲んでいたカトリナは、慌ててお茶をテーブルに置き、サンプソンに駆け寄る。
「どうして急に?」
「手紙を読んで、飛んできてしまった」
「あら……ごめんなさい」
「どうして謝るんだい? 嬉しかったよ」
「サンプソン……」
サンプソンはふわりとカトリナを抱きしめる。
「僕も会いたかった」
カトリナの笑顔を見ると、のしかかっていた暗い気持ちが軽くなった気がした。彼女と手を繋ぐとそれだけで幸せな気持ちになり、気付けばサンプソンは笑い声をあげていた。
初めて二人が会った時にお喋りをした木陰に、サンプソンとカトリナは腰を落とす。
幼い頃に見た景色と同じなのに、今では全てが小さく見えた。
「見ないうちにずいぶん大人びたね、カトリナ」
「ええ。半年も会っていなかったんだもの。そりゃ、大人にもなるわァ」
「うう……すまない」
「いいのよ。こうして会いに来てくれたんだから」
そして二人は、あの日のようにキスをする。カトリナから、ほのかに茶葉の香りがした。
サンプソンにとって、カトリナと過ごすオーヴェルニュ家の庭は別世界のように思えた。美しく綺麗なものしかない、まるで天国のような場所。
(このまま全てを忘れてカトリナと生きていきたい。カトリナを幸せにすることだけを考えて生きていきたい)
サンプソンはズボンのポケットに手を差し込んだ。彼女のために用意した、彼女の誕生石を埋め込んだ指輪が指に当たる。
「カトリナ……」
「どうしたの?」
「……」
「?」
「……もう、帰らなきゃ」
しかしポケットから出した手は、なにも持っていなかった。
「え……もう?」
「ああ、少し仕事が立て込んでいてね。ごめんね、もっとゆっくり過ごしたかったんだけど」
「い、いいえ。そんな忙しい時に、会いに来てくれてありがとう」
そう言って微笑んだカトリナの唇がふるふると震えていたので、サンプソンは思わず彼女を強く抱きしめた。
「っ……」
「愛しているよ、カトリナ」
サンプソンは彼女の耳元で囁き、振り返ることなく馬車に乗り込んだ。
その少年の名は、ムルと言った。
「ちょっとムル。それは私のごはんでしょ。取らないでよ」
「うっせー! 俺んだぁっ!」
「まあまあ。おかわりが欲しかったらいくらでもあげるから。人のものは取らないこと」
「ちぇーっ!」
落ち着きのあるニ十歳のサンプソン、無口だが人と共に過ごす時間が好きな十四歳のマデリア、そして口が悪いがサンプソンとマデリアを兄と姉のように慕う十歳のムルは、サンプソンの寝室という狭い世界で、平和でそれなりに幸せな時を過ごしていた。
ある日の昼過ぎ、使用人が寝室のドアをノックする。
「サンプソン様、お手紙です」
「……ああ」
宛名を見なくても誰からか分かった。毎週届くカトリナからの手紙だ。
その手紙のほとんどは、庭に咲いた花のことや、最近読んでいる本、姉と買い物に行ったなど、とりとめのないことばかり書かれていた。
「……」
だが、最後の一文に小さな文字で「会いたい」と書かれていた。
(そりゃそうだ。もう半年以上会いに行っていないんだから。こんなことを書く子じゃないのに、書いてしまうほど寂しい思いをさせてしまって……。僕も会いたい……)
窓辺に腰かけ、空を眺めながらため息をつくサンプソンの手に握られた手紙を、マデリアがひょいと取り上げた。
「あっ、こら!」
注意をしても、マデリアは構わず手紙を読んだ。最後まで読み終えた彼女はサンプソンに目をやり、手紙をひらひらと揺らす。
「あなた。早く会いに行ってあげなさいよ」
「……」
「なに? 私を寝室に住まわせていることで気まずく思ってるの?」
「……」
「じゃあ、私は今日からこの部屋を出て行くわ」
「何を言っているんだい!? そんなことをしたらどうなるか……」
「構わないわ。あなたの重荷になるのなら、私のことなんてどうでもいい」
「馬鹿なことを言うんじゃないよ。そんなのだめだ。ここにいるんだ」
「婚約者にちゃんと会いに行くのなら、ここにいるわ」
「……分かったよ」
バーンスタイン家からオーヴェルニュ家まで、馬車で半日かかる。いくら急いでも二日は家を空けなければならない。
万が一に備えて、サンプソンは大量の食べ物を寝室に持ち込み、サンプソンが部屋を出たら扉の前を家具で塞ぐように指示した。
「いいかい。絶対にドアを開けたらだめだからね。分かったかい?」
「ええ」
「ムルは? 分かったかい?」
「……」
ムルは返事をせず、唇をとがらせてサンプソンにしがみついた。
「……大丈夫だよ。明後日には帰るから」
「うぅぅ~……」
「ムル、泣かないで。すぐに帰って来るから」
しがみついて離れないムルをしばらくあやしてから、サンプソンは城を出た。
◇◇◇
「カトリナ!」
「まあ……サンプソン?」
サンプソンがオーヴェルニュ家に到着したのは翌日の朝だった。
庭で姉とお茶を飲んでいたカトリナは、慌ててお茶をテーブルに置き、サンプソンに駆け寄る。
「どうして急に?」
「手紙を読んで、飛んできてしまった」
「あら……ごめんなさい」
「どうして謝るんだい? 嬉しかったよ」
「サンプソン……」
サンプソンはふわりとカトリナを抱きしめる。
「僕も会いたかった」
カトリナの笑顔を見ると、のしかかっていた暗い気持ちが軽くなった気がした。彼女と手を繋ぐとそれだけで幸せな気持ちになり、気付けばサンプソンは笑い声をあげていた。
初めて二人が会った時にお喋りをした木陰に、サンプソンとカトリナは腰を落とす。
幼い頃に見た景色と同じなのに、今では全てが小さく見えた。
「見ないうちにずいぶん大人びたね、カトリナ」
「ええ。半年も会っていなかったんだもの。そりゃ、大人にもなるわァ」
「うう……すまない」
「いいのよ。こうして会いに来てくれたんだから」
そして二人は、あの日のようにキスをする。カトリナから、ほのかに茶葉の香りがした。
サンプソンにとって、カトリナと過ごすオーヴェルニュ家の庭は別世界のように思えた。美しく綺麗なものしかない、まるで天国のような場所。
(このまま全てを忘れてカトリナと生きていきたい。カトリナを幸せにすることだけを考えて生きていきたい)
サンプソンはズボンのポケットに手を差し込んだ。彼女のために用意した、彼女の誕生石を埋め込んだ指輪が指に当たる。
「カトリナ……」
「どうしたの?」
「……」
「?」
「……もう、帰らなきゃ」
しかしポケットから出した手は、なにも持っていなかった。
「え……もう?」
「ああ、少し仕事が立て込んでいてね。ごめんね、もっとゆっくり過ごしたかったんだけど」
「い、いいえ。そんな忙しい時に、会いに来てくれてありがとう」
そう言って微笑んだカトリナの唇がふるふると震えていたので、サンプソンは思わず彼女を強く抱きしめた。
「っ……」
「愛しているよ、カトリナ」
サンプソンは彼女の耳元で囁き、振り返ることなく馬車に乗り込んだ。
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