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「サシャ嬢、私の婚約者になってはくれないか?」

 馴染みのある庭の木々が風にざわめく。
 木陰に佇む私の目の前には、アンドレ・ロンデックス……この国の皇太子が立っている。
 シルバーブロンドのサラサラの髪と、吸い込まれるような濃紺の瞳。
 殿下はどうして攻略対象にいなかったんだろう、と思うほどの美しい造形。

 はっきり言って、どうしてこんなことになっているのかは、私にもわからない。
 ただ、わかっているのは、父が皇太子が我が家に来る話を持って帰ってきた、ということだけだ。
 そして、今の話。
 はっきり言って、初対面の私にする話ではないと思う。

 ……沙耶の記憶にないだけで、サシャとアンドレ殿下が知っている間柄、って可能性はゼロではないけど、少なくともこの3年間、アンドレ殿下との交流が一切なかったんだから、せいぜい顔を知っている程度だと思う。
 なのに、この話。
 胡散臭さしかない。

「殿下、何かおっしゃいましたでしょうか?」

 とりあえず、聞かなかったことにした。

「サシャ嬢、今の殿下の声、きちんと聞こえていたでしょう……!」

 すぐさま反応したのは、殿下の隣に立つ凛とした女性騎士だった。
 流石、反射神経がいい。
 ……はい、って言うべきだったのかな?
 でも、嫌な予感しかしないし。

「フィリ、落ち着け」

 殿下の声に、戦闘姿勢を見せた騎士が、何か言いたげに殿下を見る。

「これまで交流がなかったのに、突然こんな話をすれば、誰だって警戒するだろう?」

 殿下が微笑めば、騎士が目を伏せる。
 ……やっぱり、サシャと殿下の交流はなかったんだ。
 じゃあ、なぜ?

「サシャ嬢、私はミストラル伯爵家との縁をつなげることが、この国の将来に役に立つと考えているんだ」
「ですが、私には顔に傷がありますので、人前に出られるような姿ではありません」

 私は傷のある頬を触る。
 傷はふさがったけど、義母の命で傷跡は今も布で隠したままだ。

「そこだよ。君が顔の傷を気にして、修道院に行こうと思い詰めていると聞いて、そのように心の清らかな人間こそが、私の妃にふさわしいと思ったのだ」

 ふわり、と殿下が微笑む。
 そこには、嘘はないように見える。
 ただ……腑に落ちない気持ちだけはある。

「サシャ嬢、どうか、考えてくれないだろうか」

 殿下が私の手を取る。
 手を振り払えるわけもない私は、一気に流れ込んできた心の声に固まる。

『傷を持つとは言え、ミストラル伯爵家の後ろ盾を持つサシャ嬢を婚約者に据えれば、取り敢えず婚約者探しの苦行からは解き放たれる。それに、そのまま結婚しても、傷を負い目に感じているサシャ嬢であれば、私が本当に愛する者と過ごしたとしても、強くは言えぬ。ミストラル伯爵も、サシャ嬢との間に子をなしさえすれば、私がどう過ごそうと、口は出してこない。サシャ嬢に興味がないとはいえ、王家に伝わる媚薬を遣えば、サシャ嬢と交わうことはできるだろうし、結婚したという事実が、カムフラージュにもなる。王として立ちながらフィリとの愛を貫くには、これしかないのだ』

 まるで愛しい者を見る目の裏で考えていることがこれとか、王族コワイ。

「あの……修道院に行くつもりですので、婚約者になるのは難しいかと」

 動揺で声が裏返りそうになるのを、慌てて取り繕う。

「サシャ嬢、お願いだ」
『ああ、フィリに愛を乞いたいのに』

 きっと、殿下の騎士に睨まれているのは、私が断ったから、だけじゃない。
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