逆転の娼婦姫

ほか

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第1章 シャノワーヌの娼婦

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 オレンジのヒールがひとしきり弾むのをいさめながら、パエリエは長い回廊を歩く。

 出口まであと五十メートル。

 紺碧の屋根屋根をひとしきり堪能したら、まずはカフェに入ってショコラを飲もう。

 この国の王妃の名が冠されているクリームたっぷりだというアイスココアを。

 いやそれとも、自分のような者には到底手が届かないブランド品や香水店なんかをひやかして回るのもいいかもしれない。あれこれ店員に尋ねた後で、今日は気が乗らないからまた、と貴婦人ぶるのも悪くない。





 そんなふうに考えていると、窓から高く上った日が差し込み、その奥の景色を照らす。

 青い町並みの中、最奥に聳えたつひときわ輝く建物。

 例えるなら、童話の中の人魚の砦。

 華奢な顎が人知れず、頷く。

 やはり最初は宮殿だ。

 王都が見渡せるセイチェルの丘に登って見物しよう。

 ラピスラズリでできているというあの屋根が、大理石という壁が、どれほどのものなのか――。





 リズミカルに踏み出した足が、ふいに静止した。





 知らず、左足を半歩引く。

 奥からシェンデルフェールと、上等そうな客が歩いてやってくる。

 媚びるような主の口調と表情。

 客の恰幅のいい身体と前進にじゃらじゃらとつる下げている勲章。

 とっさに、パエリエは頭の上のハンカチーフを解き、髪全体を覆い隠すように被った。

 が、遅かった。





「うぬ? シェンデルフェール、この娘も働き手の一人かな」

 客はパエリエに、目を止めてしまった。

 主がこれ以上ないほど優し気に自分を示す。

「さすがお目が高い。うちでは一番の稼ぎ手です」

 小刻みに走る震えをいさめながら、パエリエはどこか冷静に自分を俯瞰する。

 頭に巻いたハンカチーフをぎゅっと握りしめるが、そんな力がどう作用すると言うのか。

「娘、顔を見せてみろ」

 盛大に吐息をつきたいのをこらえ、パエリエは言われた通りに、ハンカチーフを解いた。

 脂ぎった顔に、下卑た視線。全てが神経に障る。客に吟味される時は目を逸らしてはいけない。だからこういう時はいつも、努めて相手に顔を向けながらなにも見ないようにする。

 客は、ねっとりと口の端を上げた。

「上物じゃないか。決めた」

 有無を言わせぬ力で、男は彼女の腰を引き寄せる。

「この娘を専属にしよう。今から時間があるかね」

 パエリエが口を開きかける前に、シェンデルフェールが応じた。

「無論です。パエリエ、お相手を」

 男の手が背を這い出す。

 押し出されるようにして、寝室へ歩き出す。

 感情を消すのはお手の物だった。





 ――はいはい。

 ――そんなもんだと思ってた。

 意識をできるだけ遠くに――そうちょうど、天井にあるかすかな染みのあたりにまで飛ばして。

 冷めた目で睥睨すればいい。

 現実世界にいる自分を。

 ――いつものこと。

 ――気まぐれに弄ばれて、捨てられる。

 ――それがあたしたちのような女だ。





 ふいに、眼鏡越しの涼し気な目元が脳裏に浮かんだ。

 昨日の男の顔に毒づく。 

 なにの悩みもなさそうな純朴そうな顔。

 医者だとか、言っていた。

 ほらね。 

 あたしはどこまで行っても娼婦。

 金属音がして、豪奢な寝室に押し込まれそうになった、時。



 かすかに変わった、風向きの音を聞いた。



「すみません。彼女は僕と先約があるものですから」
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