逆転の娼婦姫

ほか

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第3章 チャーミングな人

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 強めの酒の瓶をいくつか開けた黒髪の若者が、胡乱気な視線を寄越している。

「これ! ロイク。なんてことを」

「ふん」

 村長のいさめる声にも耳をかさず、ロイクと呼ばれた二十歳前ほどの彼は首を振る。

「まぁ、似合いだって言えるがな。誰も相手にしてくれないから、穢れた社会の底辺の女なんかめとったんだ――」

 言葉は最後まで続かなかった。





 ロイクの鼻先を剣の切っ先がかすめたからだ。

 ぎろりと、ロイクはその先にある涼し気な笑顔を見上げる。

「僕のことはなんと言ってくれてもかまわない。しかし大事な婚約者を侮辱するなら、多少血なまぐさいことも申し込まざるを得ない」

 がん、と鋭い音をさせてテーブルを叩いて立ち上がり、ロイクはリカルドと対峙した。

「上等だ。決闘ってか」

「ちょっ――あんた」

 駆け寄り、パエリエは小声でリカルドに囁く。

「本気なの? あたしなら別にかまわない。あんなの挨拶言葉といっしょよ」

「きみがよくても」

 丁重に決闘相手に剣を手渡しながら、リカルドは譲らない。

「かわいい婚約者を侮辱されては致し方ない。民とは同ぜよ、だがしかしパエリエを悪く言われて黙っていてはならない――命を懸けその名誉を守れと、母からも強く言われているんだよ」





 かわいがられている自覚はあるが。

 でもお義母さま……それは言い過ぎだわ。

 止める間もなかった。

 剣を渡されるや否や、ロイクは力任せに切りつけてくる。

 それを受けながら徐々に後退するリカルド。

 人々とともにあわあわと、パエリエは見守るしかない。

 リカルドを壁際ぎりぎりまで追い詰めたロイクがふいに口の端を上げた。

 一気にとびかかり、しとめようとする。

 パエリエは思わず目を覆いたくなる。だが。

 リカルドは素早く躱し、身を転じた。

 勢いあまって頽れるロイク。

 その鼻先に向けられる切っ先。





「——ちくしょっ」

 鮮やかな勝利を得た皇太子は微笑みながら、民に手を差し伸べた。

「では、先程の言は撤回してくれるかい?」

「ロイク、ご無礼を謝罪しなされ」

 村長がたしなめる。

 人々も同意の色を浮かべ、青年を見ている。が。

 差し伸べられた手を手の甲で、ロイクははじき返した。

「やだね。金持ちや成り上がりなんか虫唾が走る」

 立ち上がり、

「覚えてろよ」

 酒場の外へとかけ去っていく。

 首を振り、リカルドは婚約者に向きなおった。

「すまないパエリエ。きみの名誉の回復一つ図れないとは、婚約者として失格だ」

「どうだっていいわそんなの。それより」

 そっと彼の腕や手足を、パエリエは確かめた。

「怪我はないの?」

 見たところ無事なようだが。

「パエリエ……!」

 だがその瞳がいきなり潤みだす。

 まさか。

 パエリエは飛びつき、舐めるようにその腕を、首筋を見る。

 決闘の最中はわからなかったが、重傷を負ったのだろうか。





「なんてことだ。きみは僕を、心配してくれているのだね……! ああその一言は僕には天蓋付きベッド三台にも相当するよ」

 心配して損した。

「つまり、無事なのね」

 大げさに聖母に感謝を捧げだした婚約者はスルーすることにする。

 さてと、そうとわかれば、次は。





「ロイクっていうあの子。なんかありそうね」

 慎重に呟くと、リカルドの瞳が引き締まる。

「うむ。——そのようだね」

 あそこまで他国の王族に牙をむくとは、世の中への不満があるのか。

「たとえ国の外でも。この目に映る民の声は拾わなくては。不平の類ならばなおさらだ」

「ロイクの不満の矛先は殿下ではありませぬ。——ある一部の金持ちに対する反発ですのじゃ」

 神妙なリカルドの呟きに応えたのは村長だった。

 皇太子と婚約者は顔を見合わせ、

「お話を聞かせていただいても」

 声がそろう。

 村長は頷くと、二人を中央のテーブルに案内し、語り出す。

「ロイクにはアポリーヌという、二つ下の妹がおりましてな。気立てがよく、踊りが好きな綺麗な子じゃった」

 バレリーナに憧れ、ブレスレイの王都までレッスンに通っていたという。

「オペラ座のデビュー直前で金持ちのパトロンに他の子にのりかえられちまって。夢がついえてからは、すっかり心を病んでしまいましての」

 居酒屋を見まわし、老人は浅い吐息をつく。





「以前はあの子の溌剌した声が、このあたりに響かない日はなかったもんじゃが」

 同意を示すように、酒場の女主人や人々もどこかしおれた表情だ。

「さいきん、多くなったね。うわごとを呟いてみたり、まるきり気力をなくしちまったりする若い人が」

 目を見開き、こくりと、パエリエは空気を飲み下し。

 心の病。

 それこそが、近年この地方に巣くう病の正体だったのだ。

「パエリエ、すまないね」

 その一つ一つを見て取りながら、リカルドが呟く。

「きみへの侮辱は許しがたいが、病める妹さんに罪はない」

 女主人が持ってきた冷えたシトラスティーの一方を、リカルドに差し出し。

「あたりまえよ」

 にっこり笑って、パエリエは自身のそれを彼のグラスにぶつけた。
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