一年後に君はいない

柴野日向

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2章 近からず、遠からず

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 十一月も終わりに近づき、南浜高校の学祭は例年通りに開催された。外部の客も招き入れ、文化部が一年で一番活躍する日といっても過言ではない。
 だが、瑞希は何度もあくびを噛み殺さなければならなかった。与えられた教室に、今年度のものを含めた部誌やおすすめの本を並べ、客が来たら案内し、希望者には部誌を配布する。だが、軽音部や演劇部の華やかな舞台に比べ、ひたすら地味で客の入りが悪いことは間違いなく、とにかく暇を持て余していた。
 だが、交代してあちこち巡るのも面倒で、時折訪れる客の相手をする時間を除き、瑞希と弥生はだらだらとお喋りに耽っていた。三年生は基本的に店番に入らない。部誌が無事に発行されて安心した日比野は、一度様子を見て満足すると、友人たちと出かけていった。
 午後になり、ひやかしに来たクラスの仲良したちが去って二十分。喋るネタもなくなり、自分で並べた本でも読もうかと考えていると、男子学生たちの喋り声が近づいてきた。
 廊下を素通りするものと思っていたそれが止まり、顔を上げた瑞希はぐっと口角を下げる。
「おー、先輩! こんなとこに」
 ちゃっかり入ってくる佑に、しっしっと犬を遠ざけるように手を振る。だが彼は、出入口に溜まる友人たちに、先に行くよう促した。彼らは文芸部には全く興味がないらしく、「じゃーな」と口々に言い残し、去っていった。
「暇そうですね。お客さん来ますか?」
「余計なお世話。何しに来たのよ」
「何って、先輩に会いに」
 隣で弥生が吹き出した。彼女も子どもではないので、部誌の一件で佑を毛嫌いすることはない。複雑な心境はあるものの、彼と瑞希の関係性を面白がっているのは変わらなかった。今もにやにやしてこっちを見ている。
「よかったね、瑞希」
「よくない! ちょっと、笑わないでよ」
「わざわざ後輩が会いに来てくれたじゃん」
「だから、こいつが会いに来ても迷惑……」
「先輩先輩、この本の推薦文、先輩が書いたんですか? 僕も読んだんですけど、やっぱりこの主人公が」
「あんたはうるさい!」
 本を持ってぐいぐい迫る佑に、隣で笑い転げている弥生。せっかく平和な時間が訪れていたというのに。
「佑くん、その本、瑞希のお気に入りらしいよ」
「弥生、余計なこと言わないでよ!」
「ほんとに? 僕もこれ三回は読んだんです、奇遇ですね!」
 嬉しそうに佑は喋り続け、弥生が茶々を入れてからかってくる。だが、こいつらを止めてくれる人は訪れそうにない。
 瑞希は諦めかけていたが、ふと教室の入口に目をやった弥生が手を振った。黒のジーンズに青いシャツという私服姿の少年が、一歩だけ教室に踏み入れてこちらを覗っている。学祭目当てにやって来た他校の学生だ。
 見覚えのない彼だったが、弥生は彼を「蒼汰そうた」と呼んだ。そこで彼が、いつも彼女の惚気話に出てくる彼氏だということを知る。運動部なのか、身体つきはしっかりしているが、表情にはほんのりとあどけなさが残っている。一つ年下なのだと弥生は言っていた。
 片手を上げかけた彼は、驚いた表情をしていた。その視線の先にいるのは、彼女である弥生ではなく、振り向いたまま硬直している佑だった。いつの間にか、佑は息を呑んだきり、何も言わなくなっていた。
 どうしたと問いかける前に、佑は瑞希の机に本を置き、声を殺して囁いた。
「……用事思い出しました」
 どれほど追い払っても居座っていた彼は、蒼汰少年とは反対側の扉をくぐり、あっという間に教室を出ていった。
 どう見ても、佑は蒼汰を見て逃げ出した様子だった。
「あれ、どしたの、佑くん」
「さあ……」
 ぽかんとする二人に、佑が出ていった方角を見ながら、蒼汰が歩いてくる。彼もまた驚きを隠せない表情をしていた。
「さっきの、結城?」
「蒼汰、知ってんの?」
 問い返す弥生に、蒼汰は頷く。「中学が同じだったから」
 それを聞いて合点がいった。一つ年下ならば、二人が元同級生であることは不思議ではない。こんなところで再会したから、どちらも驚愕していたのだ。
「偶然ってあるもんだね」
 弥生はのんびりと言ったが、蒼汰は未だに不審な顔をして、首をひねっている。
「あれ、マジで結城だよな」
「結城佑くんだよ。……瑞希、どこの中学だったか知ってる?」
 弥生から蒼汰に紹介され、軽く頭を下げた瑞希は、出会った当初に聞いた彼の出身中学を答える。そういえば、南浜高校とはだいぶ離れた距離の学校だ。この年に入学してきたのは、佑一人だけだと聞いていた。
「じゃあ、間違いないな。そっか、あいつ南浜だったのか」
「そんなに意外だった?」
 彼は僅かに躊躇しながらも確かに頷いた。「だってあいつ、暗いやつだったから」
「暗い?」
 思わず頓狂な声を上げて横を向くと、同じ表情をした弥生と目が合った。佑が暗い人間? とてもじゃないが信じられない。
「去年同じクラスだったけど、全然喋らない奴だったんだぜ」
「へえー。なんか想像つかないけど。高校デビューってやつかな」
「だから逃げたんだ。元クラスメイト見かけて」
 瑞希の言葉に、弥生も納得して頷く。昔を知る人に、一新した自分の姿を見られたくない。その気持ちはなんだか想像できてしまう。
「どうだろ」
 だが、蒼汰は腕を組んで呟いた。「違うの?」瑞希の問いに目を細めて考え、言い辛そうにようやく口を開いた。
「……あいつ、いじめられてたから」
 うそ、と声が漏れた。佑がいじめられっ子だった? いつまででもべらべら喋って、常に自由気ままな結城佑が?
「いじめって、もしかして」
「違う違う、俺は加担してないって」
 彼女に睨まれ、慌てて彼は両手を振った。だが、彼は佑を救うこともなかったのだろう。その気まずさのせいか、彼は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。
「それなら、蒼汰の顔見て逃げたりする?」
「俺だけじゃなくて、多分あいつ、同じ中学のやつ全員苦手だと思う」
「なにそれ、みんなでいじめてたってこと?」
 弥生は清楚な見た目だが、情に熱いところがある。彼氏が誰かをいじめていただなんて、許せないのだ。
「まあ、その、結構ひどくて。率先していじめてたやつが、怪我させたんだよ。指の腱切って、それで……」
 瑞希は絶句した。佑は怪我の後遺症で指が動かなくなったと説明したが、まさかいじめによるものだなんて、それを聞いた誰一人想像さえしなかった。
「ひっど!」
 弥生が勢い込んで立ち上がる。
「俺はしてねえって」蒼汰は弁解するが、彼女は「わかってるけど!」と憤る。
「蒼汰に怒ってるわけじゃないから。だけど許せないの、そういうの全部」
「……なんで、そんなにいじめられてたの。あいつ、なんかしたの?」
 純粋な疑問を瑞希は口にした。多少相手が気に入らないからといって、生涯残る後遺症を負わせてよい理由にはならない。
「いじめる理由なんて、大した問題じゃない。誰かがターゲットになるしかなくて、それがあいつだったんだ」
 佑にとって、同じ中学校の同級生は、全員敵なのだ。直接いじめに加担しなくとも、それを受け入れていた者は皆、恐れるべき対象なのだ。だから敵がいない学校を選んで進学したのだろう。
「それに、なんていうか……妬みっていうか」
 蒼汰に問い詰めようと乗り出しかけた身を引いた。学祭らしく、楽しげな女子グループが教室に入ってきたのだ。忘れていたが、今は年に一度の大イベントの真っ最中だ。
 後で時間をくれと約束し、弥生と蒼汰を送り出す。彼らも楽しい気分にはなれないだろうが、せめて二人で回ってくるべきだ。
 席に戻り、瑞希は初めて佑を待ったが、学祭が終わっても彼は姿を現さなかった。
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